一人目~サイン屋のデンさん~
一人目その1「遺書」
過去を振り返るな、と言う。未来を見よ、と。だが未来の見えない私には、ここでどうしても過去を振り返りたい、と思った。振り返った所で何が変わるものではないが、自分が三人目になるだろう予感が日増しに募る今、振り返らざるを得ない私がいるのだ。
平成二十二年。今年の正月が明けて仕事が本格化した頃、趣味の世界で知り合った友人から電話が入った。一人で自営業を営む同い年の彼は、仕事が無く死ぬほど苦しい、と言う。相談しに私の会社を訪ねたいという申し出を、私はこころよさげに受けた。
「よさげ」がつくのには、曰くがある。
約一年前、私は彼がしたためているmixiの日記を読んで、愕然とした。遺書であった。これから死ぬ、と言うのだ。これは、いけない。私は当時、彼の住所を知らなかった。雑談の折に聞きかじった知識で、土地勘の無い某区内を歩き回った。
道に迷った。当たり前である。それでも人に尋ねながら、段々近づいている気がした。私は彼がアメブロに書いていた記事を必死に思い出していた。既に退会してmixiだけに絞っていたので、遡って読む事はできない。確か昼飯は隣の定食屋、そしてそこが潰れて近くのラーメン屋。少し歩くと薬屋がある。やがてそれらしいラーメン屋を発見し、薬屋を見つけた。潰れた定食屋の隣に自営業の作業場があれば、ビンゴである。
見つけた。屋号を確認。裏に回って、個人名のポストも発見した。間違いない。私は元来、声が大きい方である。その私ががなりたてるようにして、彼を呼んだ。裏口のドアも遠慮なくドンドン叩く。近所からは借金取りと思われたかも知れない。かまうものか。どうかまだ生きていて欲しい。遺書としての日記がアップされてから、六時間が経過していた。
全く反応が無い。既に息絶えてしまったのか、いや、人間そんなに簡単に自ら死ぬ事はできまい。留守なのか。私は彼の特徴ある、目立つ車を探した。いわゆる「痛車」と呼ばれる装飾が自分の手作りでほどこされている、世界に一台の車である。第三者には異様に映るが、マニアの間では垂涎の車であり、彼の自慢であり生きがいでもある車だ。彼の駐車場がどこだか分からないが、周辺は見て回った。無い。百メートル手前からでも分かるような車である。見落とす筈が無い。してみると出掛けてしまったのか。あるいは家ではなく、どこか違う所で命を断つつもりなのか。
彼の携帯電話は、依然として電源がはいっていないままだ。私は彼の屋号が大きく書かれた正面口のシャッターの前に腰を降ろした。こうなったら、張り込みである。戻ってくるまで待つ気であった。
一人目その2「貸付」
小一時間程も待ったろうか。彼は例の車で戻ってきた。私を見つけると、さも不審そうな顔をしたが、じきに来訪の意味を悟ったようだった。一秒にも満たない時間の中で、彼の顔は複数の表情を彩った。
「良かった。大丈夫ですか?」
「あ、近くのお客さんに、納品だけはしとこうと思って…。お待たせしたようで、すみません」おどおどしながら、私の問いに的外れに答えた。
彼は当時四十五歳、独身である。自営と言っても来客があるような仕事ではなく、仕事の道具、材料、私物、果てはゴミまでがとっちらかった仕事場である。来客用の椅子も無く彼は自分のデスクに、私は出されたパイプ椅子を広げて座った。正面に座りながらも、彼は顔を右にねじって視線を時折チラ、と私に寄越すのみである。
「mixi見ました。どうにも驚きましたよ。一体どうしたって言うんです。できる事はさせて貰います。何しろ話して下さい」
「はぁぁ、すみませ~ん」
のろのろした口振りは、いつもの事である。再現するといたずらに字数を弄するので、かいつまむ事にする。そしてそれは、かいつまむに足る様な話であった。
個人事業主として生計を立てて来たが、仕事が減ってしまって生活できない。メシ代も無い、わずかな借金も払えない、何と言っても予約済みのアニメのフィギュア代が、払えない。妹に金を借りに行ったら「ダメ兄貴」と一喝された、死んでしまいたい。
要約すると、こうなる。
どう思われるかは読者次第であろうが、彼を知らない十人が十人、呆れるかそれこそ一喝して終わりであろう。助け船を出すとすれば、彼を知る少数の仲間の内、お人好しの更にごく少数のみに違いない。そうしてそのごくごく少数の中に、私はいた。
「今食べるものも無いのでしたら、取り急ぎ些少ですがお貸しします」彼は「はぁ」と返事をした。「これを含めて、幾らあればやっていけるんですか」
「新しいソフトが欲しいんです。それがあれば今までとは一段違った仕事が請けられるんです」価格は三十万円程だと言う。急に饒舌になった。
「それに家賃を3ヶ月ほど滞納してまして・・。実はすぐに出ていくよう言われています」溜まった家賃と来月の家賃、合わせて四十万円位。仕事を請けて納品時に現金精算だそうで、次の収入は一ヶ月後、それまでの生活費も無いと言う。
「じゃあ締めてざっと百万ですね。わかりました。それは私が用立てましょう」彼は再び「はぁ」と返事をした。彼同様自営業の私は、その頃取引銀行と融資の話を進めていた。その話をして「ですから私も借りるお金です。銀行の利息にプラス一パーセントで構いませんから、付けさせて下さい」
「わかりました」
「うちも経理上、無利息と言う訳にはいかないので、それはお願いします。よろしければ明日、うちの会社に来て下さい。一応契約書を交わした上で、百万お渡しします。ですからしっかり仕事をして、頑張って下さい」
「何から何まで、すみません」
翌日現金を渡した後で一緒に昼飯を食べながら、こんな話もした。
「デンさん(彼の愛称)、あなたは腕は確かなんだが見た所、営業ができてないんです。もし踏ん切りをつけられるなら、ウチに入りませんか。事業部を作って、営業マンを付けます。必要な知識は教えてやって下さい。それで作業場は今のご自分の所でもいいし、家賃が大変ならウチで借りて提供しますよ。」
「なんで私なんかに、そんなにしてくれるんですか…」
「友達ですから。それに今はウチも仕事が減ってきています。商売の間口も広げられるから、ウチの為にもなります。ま、よかったら考えてみて下さい。差し当たり今の年収を年俸として十二等分して毎月保証しましょう。儲けがあがれば、後は歩合でどうです。そのほうが安定もするでしょう」
「本当に何から何まですみません」頭を下げ下げ、懐に百万の現金を忍ばせ、彼は帰って行った。
それから毎月二万円ずつの返済が始まり、ちょうど一年が経っていた。月の返済が二ヶ月遅れたタイミングでの、アポだった。
あれから一年。用件のほどの察しがついた私は、少し気が重かった。
あれから、一年。私の会社とて既に危ない領域に入っていたのである。
一人目その3「面接」
翌日、やってきた彼の風貌を見るなり、私はかなりげんなりした。痩身は以前からであるが、肩よりも下がった長髪、薄汚れた服、何日風呂に入っていないのか大量のフケ。遊び仲間ならいざ知らず、仕事感覚で対面すればとても一緒には組めない、と思えた。数ヶ月前に覚えた女装の味が忘れられず、それで髪を伸ばしているそうである。
「カツラではこの感じがでないんです」
私は頭を掻きながら、応接セットに彼を迎えた。彼は対面するや否や切り出した。
「以前にお話し頂いた件ですが・・」何の事か分からずにいる私に、彼は続けた。
「いや去年伺った時に、良かったら働かないかと誘って頂いたので・・」
1年前の話を蒸し返した訳だ。昨年渡した金で買った新しいソフトのお陰か分からないが、しばらくは順調だったようだ。誘った直後に電話した時は「お陰さまで仕事も入ってきましたので・・」と断っていた彼である。
私は、その話をすっかり忘れていた。
「今日は履歴書を書いてきましたので・・」少しシワが寄った封筒を差し出した。私は履歴書を開いて目を走らせながら、違う事を考えていた。しばし逡巡の後、私は履歴書をテーブルに置いて口を開いた。
「デンさん、本当に申し訳ないが、ウチは去年と違って経営が苦しくなっています。人を増やすどころか、正直言って減らしている所なんです」
「はぁ」やはりのろのろと、相槌ともつかぬ声を出した。
「もちろん売上に直結する仕事をお持ちなら、歓迎します。今の月商はどの位ですか」
「いえ、月商と呼べるようなものは何も・・」口ごもった。
「では年商は?」
「はぁ、四百万位はありましたが・・」
「年収ではなく、年間の売上ですが」
「はい、大体同じ位です」年間売上で四百万では、利益はどの位なのであろう。しかし私は、続けて質問する気力を失っていた。
元々営業向きではないとは言え、それにしてもこのいでたちでは、余計受注など覚束ないだろう。それどころか今まで仕事を出していた顧客ですら、発注意欲を失うに違いない。
簡単に言ってしまえば“雇って欲しい”と言いに来た訳であるが、その言葉は口にしない。姿形も、面接向きのそれとは対極だ。履歴書もいつ書いたのか、シワが寄り記入年月日は空白である。丁寧に書いた字とも、言い難い。
考え込んでいる私に、彼は再び口を開いた。
「あのう、こちらの仕事も教えて頂ければやるようにしますので・・」
私は都内で、建設向けの土木工事の仕事をやっていたが、そんな簡単な仕事に見えるのだろうか。腹が立つ気持ちを、懸命に抑えた。黙りこくった私に、更に言う。
「もし難しいようでしたら、支払いが遅れているのに申し訳ないんですが、追加でもう少し貸して頂けませんか?」私は目を閉じた。
「いや申し訳ないが、今のウチにはお金を融通する力も無いんですよ」
「はぁ」
「・・小さい仕事ですが、一昨日他に発注した仕事があります。よければやりますか?」私は仕事の内容を説明した。
「はぁ、できます」
「どの位でできますか?」「一週間位頂ければ・・」「分かりました」
私はその場から、一昨日発注した業者に電話を入れた。まだ取りかかっていないそうだ。キャンセルの話をつけて、何度も詫びて電話を切った。
「デンさん、今キャンセルしましたので、この仕事はデンさんに頼みます。今お金が厳しいなら、半金先に払います」私はその仕事の半額に相当する金額と、仕事の資料を渡した。
「今はこの程度しか応援できません。期待に応えられず申し訳ありませんが、勘弁して下さい」
「いえ、却ってすみません。じゃあ、私はこれでよろしいですか?」
「え、えぇ、どうぞ。お疲れ様です。お気をつけて」
私は、ちょっと面喰らった。私が呼んだ訳でもなく、それに仕事に対する感謝も見受けられない気がした。
仕事の出来栄えに不安を覚えつつ、私は彼の猫背を見送った。
一人目その4「失踪」
それから一週間、私は下請さんや金融業者に支払いを迫られ、社員の給料日までを指折り数え、資金繰りに追われていた。錦糸町で借金を断られ、そぼ降る雨に濡れていると携帯が鳴った。
彼である。
「どうしました?」私は、ささくれた気持ちを隠そうともせず電話に出た。
「あのぅ、ですね。こないだの仕事ですが・・今、お電話大丈夫ですか?」
「大丈夫だから、出ています。用件を言って下さい」
「いや、あの後頂いたデータの加工作業に取り掛かったんですが、いろいろ複雑でお話しした予算より掛かりそうなんです。大丈夫かなぁと、思いまして・・」
私のイライラは、発火点に達してしまった。
「業界が違うのは分かりますが、自分達はそんな見積もりはしませんよ。最初に決めた金額でやるのが当たり前です。あの時私が、電話で話していた事を覚えていませんか?最初に決めて発注していた業者よりも高くデンさんにお願いしたんですよ、私は」
「はぁ」
「それを今日の納期になって追加予算が必要だ、なんておかしいでしょう?」
「はぁ・・」
「追加予算が無いと、できないんですか?」
「はぁ、そうなんです。私も手持ちが無くて・・」
もういい、と思った。やはり仕事は、頼めない。私は完全に腹を立てていた。
「じゃ、もういいです。できた所までを、明日会社に持ってきて下さい。金は戻さなくてもいいです」
「はぁ、いいんですか?」「結構です!」私は電話を切った。
追加予算は言い訳に過ぎない、単に金に詰まっただけだ、と同じ境遇にいる私にはすぐ分かった。自分の資金繰りの行き詰まりに加え、この電話で私は全くイヤな気持ちで錦糸町を歩いた。
雨はいよいよ強く降り始めたが、もうどうでも良かった。
翌日私は約束もあり、出社早々に会社を出た。最寄駅に着く頃、事務員から電話が鳴った。彼が来ているがどうしましょう、と言うものだった。私は、会いたくなかった。データを受け取ってそのままお引き取り願え、と指示した。
「お電話、替わらなくてよろしいですか」
「かまわん、帰って貰ってくれ」
私は電話を切って、ズンズン歩いた。もうあまり会う事もなかろうと思った。貸した金があと八十万位あるが何とか回収しなきゃ。そんな事を考えながら、改札を抜けた。
これが後で眠れないほどの後悔を生もうとは、この時は夢にも思わなかった。彼はこの日、私の会社を出たその足で行方不明になったのである。
一人目その5「警察」
月が変わり、二月を迎えた。雪がちらつくある日、見知らぬ番号から携帯に着信があった。「あぁ、お世話になります。宮本不動産と申します」知らない会社である。
「田川さん(デンさんの本名)に連絡がつかないですが、お宅様から御伝言をお願いできませんでしょうか」
不動産屋さんが連絡を取りたい、とはまた家賃を滞納しているのであろう。しかしそれにしても、なぜ私に電話してくるのだろう。それも携帯電話にである。「いや、私もここ一週間ほど話していませんが、どうして私に連絡されたんですか?」
宮本不動産はさも当然のように答えた。「だってお宅様は保証人さんですから」。
私は絶句した。ややあって気を取り直し、「あのですね、私は保証人なんかになった覚えはないんですがね!」
「え!」ガサガサと書類の音がして「ああ、すみません。保証人さんではありませんね」私は少しほっとした。不動産屋は平坦な音声で続ける。
「緊急連絡先になっていますね。義理のお兄さんだそうで」私は再び絶句した。
義兄が緊急連絡先になる事自体は別に不思議な話ではないが、問題なのは私が縁もゆかりもない第三者である事だ。友達と言う以外、また取引先と言う以外、何の関係もない。が、ともかく連絡頼む、と押し切られて電話は切れた。
私は文句の一つも言おうと彼の携帯に電話をしてみたが、電源が切れている。デンさんが怖がってはいけないと思い、留守番電話には大人しく「電話下さい」との伝言だけを入れた。折り返しの電話が入る事は無く、どうにも金策尽きて逃げているに違いない。
それから毎日、宮本不動産や家賃の保証会社などから、合わせて日に二度三度と電話が来るようになった。私はかなり閉口していた。今度会ったら必ず文句を言ってやろうと、決めた。
二月も二週に入る頃、アメブロをやっている同じ趣味の知人からメールが来た。デンさんと私、そうしてやはり同じアニメ好きの趣味仲間数人で、カラオケに行った事がある。仕事の付き合いもない趣味の仲間との一夜は、非常に楽しいものだった。もう随分会っていない彼からのメールを、懐かしげに開いた。用件はしかし、趣味の誘いなどではなかった。
デンさんがmixiで遺書めいた書き込みをして以来連絡がつかない、行き先など何か知らないかと言うものだった。私とて彼に負けず金策に追われる日々、mixiなどをチェックする余裕などなく、その日記は読んでいない。メールをくれたアニメ仲間によれば、その「遺書」は一日で削除され今は読めないという。何もかも、一年前の再現である。そして今度はメールの彼を含めたアニメ仲間が自宅へ向かった。この一年の間にデンさんは引っ越しをしており、私は彼の新しい住所を知らなかった。それなのに「義兄として、緊急連絡先」である。相談があればまだしも、と思ったが今さらどうにもならない。
アニメ仲間達は不動産屋と警察の立ち会いのもと、鍵を開けてデンさん宅に入ったそうだ。本人はやはり不在で、ここしばらく帰宅した痕跡も無いと言う。どこへ行ってしまったのだろう。私達は電話とメールで連絡を取り合い、互いに首をかしげあった。
命もさることながら、金策に回る私には昨年彼に貸した残額がどうしても気になっていた。今その金があれば、二、三人の給料が払えるのだ。余裕のない私は、そんな事すら考えるようになっていた。
デンさんと連絡がつかないまま、更に一週間ほどが経過した。
ある日社内で打合せをしていると、また知らない番号から着信があった。不動産会社や保証会社の連絡先は電話帳に登録しているから、すぐに判る。何か他の件だろう。私は「営業的に」電話に出た。新しいお客様かも知れない。
「はい!森沢です!」私の元気な声は、しかしその第一声だけだった。
「森沢さんの携帯電話ですね」極めて事務的な物言い、私は不審げに「はい」とだけ答えた。
「こちら湾岸署の、坂本と申します」。
警察から予告なく電話を貰う事など、経験がない。考える事もできず、様々な無意味な思いが頭を巡った。
一人目その6「入水」
その時の警察との会話を再現する事は、私にはできない。
忘れてしまった、というよりもそもそも頭に入っていなかったのが、本当の所だ。ただ、デンさんの遺体が湾岸署管内で発見された事、溺死である事、死後二週間位経過している事、財布の中には現金三十円と私の名刺が入っていた事、不動産会社の話で私が義兄と言う事になっている事、それらの話題を覚えているだけだ。
「義理のお兄さんではないんですね」警察が、念を押した。
「違います」私は、はっきり答えた。
「では身元確認して、引き取って頂く訳にはいきませんね」
それはできない。海に飛び込んで二週間を経過した状態のデンさんとは、会いたくなかった。その上、遺体を引き取るなど身内ならぬ私には、とんでもない事である。私は、やはりはっきり断った。
「わかりました。事件性は無いようですので、無いとは思いますが、何かありましたら御連絡します。その時は御手数ですが、御協力お願いします」「わかりました」。電話は切れた。
何事も無かったかのように打合せを再開したが、普通の判断ができない自分に気がついた。残りの議題をペンディングとし、私は会社を出た。特別行き先があった訳ではない。出たかったのだ。
衝撃もあった。反面、やっぱりな、との気持ちもあった。
ふらふらと、歩いた。そうだ、デンさんを探しているアニメ仲間も、この上なく心配している。お互い何か情報を入手したら教え合おう、と約束していた。
連絡しなければ、ならない。
それにしても二週間前と言えば、私の会社にデータを届けた日であり、行方不明になった日である。私が会わなかったあの日、あの時あの足で死にに行ったのか。なんて馬鹿なやつだ。一人になった私は、溢れかえる涙を止める事ができなかった。夜半まで放浪し、私はようやくアニメ仲間の一人に連絡した。
まずは単刀直入に、湾岸署からの電話の内容を伝えた。彼は黙って聞いていたが、ある程度想定はついていたようであった。
「わかりました。御連絡ありがとうございます」彼は几帳面に言った。
「思い返せば、私が雇っていれば、仕事を無理にでもさせていれば、そんな事ばかりを思います」
いつの間にか私は、また涙声になっていた。「デンさんは私を頼って来たのに、それに応えられませんでした」
「いえ、森沢さんのせいではありませんよ」彼は言ってくれたが、私には後悔の念ばかりが渦巻いていた。
「他の仲間には自分から伝えます。また今度お会いしましょう」「わかりました。よろしくお願いします」
電話を切って、近くにあった自動販売機で暖かいコーヒーを買った。飲みながら、二月の海の冷たさを思った。雇いいれてテコ入れし、営業は私や社員で担当する事はできなかったのか。雇わないまでもウチで仕事を見つけてデンさんに発注し、ウチはウチで利益を出す事は不可能だったのか。
様々な思いが、頭を巡った。
出会いはアメブロだった。
訳も解らず登録し右往左往していると、最初のアメンバーと読者になってくれた。記事の書き方、コメントの書き方や削除の方法、メールで教えてくれた。アメブロの彼の記事で、同じアニメ声優のライブに行く事がわかった。私が会場前で並んでいると記事に書いてあった通りの服装で、これまた記事通りに花束を抱えた人物が現れた。
「デンマニさんですか?」「はい?」私は当時のアメブロでのハンドルネームを名乗った。「アントニオ森沢です」。
デンさんの顔が、パッと明るくなった。「ああ!お会いできましたね!」あの顔が、忘れられない。趣味の集まりはアメブロよりもmixiの方が盛んだからと、入会を勧めてくれた。当時mixiは紹介制であり、デンさんが紹介者になってくれたが、やり方が判らない。すると後日、デンさんは「マジカルエンジェル号」と名付けたあの車で、私の事務所を訪ねてくれた。初めて見る「痛車」である。私は携帯で写真を撮りまくった。デンさんはニコニコとその様を眺めていた。
あのまま趣味の付き合いだけを続けていたら、どんなに幸せだったろう。
趣味の輪は広がり、アメブロ仲間とmixi仲間合同のカラオケの会を二人で主催した。アニカラ祭りと名付け、アニメの歌しか歌ってはいけない、と言う縛りがある会だった。マニアックな夜は楽しく更けたものだった。
彼がアニメだけではなく電車も好きだと言うので、私が知る電車マニア二人を引きあわせ、池袋のキャバクラでしたたかに飲んだ。「電車マニア」だから「デンマニ」と名乗っていただけあって、また彼にとって生涯初のキャバクラでもあり、延長を重ねて盛り上がった。
誕生日に贈り物を送ると、お返しに自作のプリントシールやカレンダーをくれた。見事な出来栄えだった。肩を叩き、握手しながら、笑い合った。
知りあって初めて迎えた正月。デンさんから年賀状が来た。手の込んだ、手製のものだ。
「あけまして おめでとうございます(中略)ネットで知り合った人は他にもいますが、こんなに“ドーン”ときたのは森沢さんだけです」
私はデンさんとの思い出に埋没した。仕事中も帰宅後も、ふと思えば彼の事を考えていた。布団に入ると、尚の事強烈に思い出し考え込み、遂には嗚咽した。湾岸署からの電話以来、二日目も三日目もそうだった。
初めは黙っていた家内も、たまりかねるようになった。私は、泣くのを止めた。
同じ趣味仲間とて、私の周りにはそうしたグッズが幾つもあった。見る度、彼を思い出した。ある日、メールが来た。電話でデンさんの死を伝えた、あの彼からだ。
「ライブのチケットが一枚余っていますが、一緒に行きませんか?」と言うものだった。彼が余らせるような買い方はするまい。たぶん行方不明中のデンさんの為に、余分に買った物に違いない。しかし残念ながら仕事が忙しく、いや資金繰りに忙しくとても行けなかった。
返信が、来た。彼の写真を持って行き、空席に座らせると言う。
「デンさんの分まで応援してきます!」
私は、また泣いた。
仕事に行き詰まったら、金が無くなったら、人は死なねばならぬのか。
何か、方法は無かったのか?
暦は既に、三月になっていた。
(二人目に続く)