28、何の為に手を合わせるのか
米が台無しにされた事に、悔し涙を流す誠一。
それを見かねた狐美女が、誰とも知らぬ男の背をさすり慰める。
「……ほれ、大丈夫かえ?お主、どこか痛いのかのぅ?」
「ひっぐ……えっぐ、うぇ…………こ」
「こ?」
「米エェ……」
……………何かの呪いかの?
「……こりゃいかん。ちと、重症じゃな。……伊波!伊波ー!外に出てくるのじゃ!」
狐美女は屋敷へと声をかけ、しばらくするとドタバタと慌ただしい音が聞こえ、屋敷玄関の扉が勢い良くスパーンッと横へと開かれる。
「よ、葉子しゃまああああ!よくぞご無事でええぇぇ!」
屋敷から「葉子」と呼ばれた狐美女へと一目散に駆け出してきたのは狐の耳と尻尾が生えた幼女。
その狐幼女は安堵の涙を流して、狐美女、葉子へと抱きつく。
葉子は狐幼女の頭を慈しむように優しく撫でる。
「よしよし……怖い思いをさせて、すまなかったのう。…………して、伊波よ。此奴、そこの倒れる恩人を介抱するのを、少し手伝って欲しいのじゃが」
その葉子の言葉に、落ち着いてきた狐幼女はやっと、地面でうずくまる誠一の存在に気づいた。
「……………コムェェ……」
「……葉子様?この男の人はどなたで?」
「人……なのであろうか?わっちにも見当がつかぬ」
とりあえず、誠一に肩を貸して立ち上がらせ、屋敷への中へと運びこむ2人であった。
◆
畳の上で横たわり、誠一は絶望にくれていた。
……米が足りない。
先程のラッシュと米の愛情エネルギー具現化で、精神の推進力は尽きた。
気力が無い。
やるせなさ。
米とはエネルギーだ。
それは精神的にも物理的にも。
血気盛んに華を彩る江戸時代。
その江戸時代の人々の生活を支えていたのが米だ。
現代人よりも体力を使い回す江戸っ子達は、その活力源として、1日5合という大量の米を食べる事で補っていった。
更にはご飯は満腹感が持続し、米粒は体脂肪への働きかけが少なく、パンに比べて太りにくい。
そして、米の何より凄いのは、他の穀物を凌ぐ柔軟性と包容力。
他の食材との相性だ。
日本の物だけでなく、外海の料理、────天麩羅、ハンバーグ、ソーセージ、カレー、などの異文化とも戦争を起こさず、互いに交じり合い昇華していく。
ノーベル賞ものの平和条約だ。
米の前では、大抵の物は「おかず」として食べれる。
それだけでは飽き足らず、地域によってはまちまちだが、シチュー、おでん、挙げ句の果てには同じ炭水化物、お好み焼き、たこ焼き、焼きそば、ラーメンだろうと米が居ても、いや米がいるからこその安定感。
そして、米は神への供物でもある。
昔の賽銭では金ではなく、収穫した米を奉納していたものである。
その名残として納める金銭のことを「初穂料」と言うのだ。
米が神への奉納に向いていると、神道を読み解けば「なるほど」と、納得が出来る。
日本の神道、それには「禊」というものが深く根幹に根付いている。
「禊」は滝行然り、一般的なもので言えば、神社などである柄杓で手を洗う「手水」もそれに当てはまる。
禊の起源は、古事記より、イザナギが黄泉の国から戻
った際に川にて身体を清めたこと。
身体の罪や穢れを、言い換えてしまえば、不要な物を削ぎ落としたのである。
禊。
そして、「身削ぎ」とも取れる。
そして、米は禊に適した、いや、身削ぎをされた穀物だ。
不要なものを取っ払う。
脱穀。
不要なものを取り除く。
もみすり。
不要なものを削り取る。
精米。
そして、更に削り加工する事で、酒へと昇華される。
酒、言わばアルコール。
殺菌効果を持ち、傷を浄化する。
この事から米とは神道の考えにおいては、相応しい食物であり、日本の伝統行事には切っても離せないのだ。
つまりは、遠回しに、校長の朝礼の如く長々と、小難しいように見せる言葉を、のべつまくなしに並べて何が言いたいかというと、
「─────米が、食べたいです」
結局はこれに尽きる。
……あ、あかん……なんだか幻覚が見えてきた。
いや、これは現実だ。
狐幼女が、使用人のように動き易そうな和服着ている狐幼女が、襖の影に隠れてジーと此方を見ている。
そして、恐る恐るといった感じでシュバッ!とこちらに近づくと、何かを横たわる自分の前に置いて、同じ様にシュバッ!と逃げてった。
……何か、あの子に似てたな?
思い起こされたのはココ。
Fクラス生徒のココ・クズノハだ。
いや、まあ、年齢的にはココの妹さんの方が近いし、妹さんとも似てるが。
そう言えば、蛇使いの女に襲われていた狐美女。
あれも誰かの面影あるかと思ったが、ココに似ているかもしれない。
ただ同じ狐の獣人ってだけじゃないような。
そう思ったので、脳内で狐美女とココの2人を照らし合せてみるが、
狐美女。
ボン、キュ、ボン。
ココ・クズノハ。
ペタン、ストン、ペタン。
「……………やっぱり気のせいかな」
◆
「………………」
Fクラスの学生寮。
そこの男女共有スペースでアンディーがココの姿を見つけたので何気無しに話しかけた。
「お、ココじゃねーか。どうした?不機嫌そうな顔して」
アンディーが近づいてきたので、ココは
「────フンっ!」
「ぶべっ!?何でえッ?」
とりあえず殴った。
アンディーは関係ないけど、無性に殴りたくなったココであった。
人はこれを八つ当たりと呼ぶ。
◆
ぶるりと誠一の身体が震える。
……何か寒気が?
これ以上考えると自分の身に危険が迫りそうなので、本能的に止める。
チラリと前を見る。
未だに狐幼女が影からこちらを見ている。
警戒しているような、珍しがってるような、感謝してるような。
……そういえば……何かを置いていったな?
置いていったものは旅館とかで見られる食事台、お膳だ。それに何かが載っている。
横たわっているので、お膳しか見えない。
何だ?と思い、涙と鼻水を拭って身体を起こすと、
「──────────」
おむすび、があった。
小さな2つ、たった2つのおむすび。
海苔は無い。
頰を全力でつねる。
痛い、夢じゃない。
ちょこんと、お膳の上に、シンプルな、おむすびがあった。
自分はしばし放心し、そして、狐幼女の顔を見る。
「………………(チラリ)」
(意訳:くれるの?)
「…………!(コクコク)」
(意訳:そうです!)
話せば良いものを、何故かお互いにアイコンタクト。
誠一はおむすびに視線を戻す。
「────────」
おむすびへと伸ばす手が震える。
心にあるのは喜びよりも、恐怖。
また、自分の手が届く前に、おむすびが霞のように消えてしまうのではないのかという恐怖。
爆弾処理のように慎重に、ゆっくりと、ゆっくりと手を伸ばし。
────掴んだ。
消えていない。
確かに自分の手の中に、おむすびがある。
それを口へと運び、
「……あむ」
小さなおむすび。
その気になれば一口で食べれてしまうサイズ。
だが、誠一はそうはせず、惜しむように小さく、小さく、咀嚼していく。
「あぐ……もぐ……」
具など無い。
炊いたお米を、握り、軽く塩味がついただけ。
ただただシンプルなおむすび。
だが、
「あも………………うぅぅ」
気づけば、涙が、感慨の涙が流れていた。
おむすびの塩気が増えてしまうが、それでも変わらない。
「あぁ…………うまい」
今までの人生で食べてきたお米料理の中で、1番美味かった。
これは誇張でも、虚言でもない。
この食感が、香りが、味が、粘りが、舌触りが、嚥下感が、全て自分が求めていたものだ。
最後となってしまった一口を、文字通り噛み締め味わう。
それが喉を下り、誠一の中に生まれたものは絶えることのない幸福感。
そして、感謝。
圧倒的なまでの、米への感謝。
故に、湧き出るその感情に身を任せた誠一の行動は1つ。
自分が頂いた命への礼賛と礼拝。
両の手の平を合わせ、
「ご馳走様でした」
◆
「あ、あのぉ……?」
「────うん?」
おむすびに夢中で今気づいたが、いつの間にか狐幼女が物陰から顔を出し、こちらに接近していた。
何か聞きたそうにしているが、その前にこちらから言うことがある。
「ありがとう。おむすび、美味しかったです」
「はへ?」
突然誠一に感謝を告げられ、狐幼女は驚くが、誠一は言葉を続ける。
「君だろ。このおむすび、作ってくれたの」
小さなおむすび。
目の前の狐幼女の手では大きな物は握れない。
それに、近くで見ることで気づいたのだが。
「襷でまくられた袖のところに、ほら。お弁当が付いてるよ」
「え?……あ、ほんとだ」
誠一に米粒が付いていると指摘された狐幼女は、恥ずかしそうに頬を赤らめ、慌てて取る。
「本当にありがとう」
「い、いえいえ!そんな頭を下げないで下さい!むしろ、丁稚なんかの自分が食べる物で、申し訳ないです……」
自分が食べる物……って。
もしかして、さっきのおむすび、この子の夕飯だったのか。
それは悪い事をしてしまった。
そうとは知らずに全部食べてしまったし。
……何かお礼をしなくては。
今すぐに出せるとすれば、お菓子とかパンとかだが。
「君のご飯とは知らずに……これは失礼した。御礼に何か欲しいモノはあったりするか?」
「…………!」
あれ?
勘違いかもしれないが、なんか驚かれたような?
「そ、それって。お願いが3つまで叶えられたり出来るでしょうか?」
「3つ?」
この子にはおむすび貰ったわけだし。
3つと言わず、10個くらいお願い叶えても良いと思ってんだけど。
「それくらいなら余裕でお願いを聞くよ。3つくらい。できる範囲でね」
「ホントですか!じゃあ、やっぱり貴方はイナノジョウズガミ様なんですね!」
「ん?い、イナノ、じょうずガミ?」
なんか勝手に感激してるけど、多分別な人と勘違いしてらっしゃいますよ。
どうしたものかと迷っていると、新たな声が2人にかけられる。
「何をしておるのじゃよ、お主らは」
狐美女が呆れたように、こちらを眺めていた。




