20、初耳ですが 前編
「糖質制限!・・・・・って何?」
あれはガスパーとベルナンさんが6階から投げられ窓から綺麗な弧を描いて地上にヒアウィゴーし、王女様がまだボン・キュッ・ボンなど遥か彼方のドン・ドン・ドンなドラム缶ボディの頃。
俺の言葉をオウム返しで呟くリズ王女。
そうか。この世界には科学がないから、そもそも糖質の概念がないのか。
俺は分かりやすいようにと噛み砕いて説明を開始する。
「簡単に言えば、食事で摂取する糖質量を減らします。そうすることで体を細くなり痩せることが出来ます。糖質といのは、まあ、リズ王女に分かりやすく、ざっくばらんに説明するなら甘いもの、砂糖とかのようなものです」
「というと、お菓子を食べるの止めればいい、てことかしら?」
「それもありますが、他にもパンの麦など穀物、ニンジンのような根菜なども糖質が多く含まれているので、そういった物も摂取は控えめにします」
米や麦などの穀物は糖質を多く含む。というのも、お米など炭水化物は人間の口に入り消化されるとブドウ糖、つまりは糖質に変化する。
この糖質が体を動かすエネルギーとなるが、必要以上に摂取すると脂肪細胞に取り込まれ、つまりは太るわけである。
例を挙げると、茶碗一杯(約150g)に対して糖質56g、食パン一枚で糖質35g、スパゲティ200gに54gの糖質が含まれている。
また、先にも述べたが大根を除いた人参やゴボウなどの根菜も意外にも糖質が多く含む。
他にも糖質が多く含まれるものとして、日本酒やワインなどの醸造酒、ジャガイモやサツマイモなどのイモ類、果物全般(アボカドはOK)などが挙げられる。
ちなみに、よく勘違いされているが蕎麦は栄養価は高いがカロリーが低いわけでは無く、むしろカロリーが高く、同量のうどんよりも多くの糖質を含んでいる。
「糖質制限とは今挙げた食材を食すのを極力避けることで、糖質の摂取量を制限する方法です」
「はあ~、そんなに糖質が含まれているのね。驚きだわ・・・ん?そういえばお肉とかは?それもダメなのかしら」
「イエイエ、むしろ逆です。お肉類は糖質制限的にはオールOKです。糖質がほとんど無いので」
「あら、それは嬉しいわね!」
肉を食ってもいいと聞いてめっちゃ喜んでるよ。
まあ、そこが糖質制限の強みの一つでもあるんだが。
喜色に満ちた顔をしていたリズ王女であったが、ふと何かに気づいたようにこちらにある疑問を投げ掛けてきた。
「ちょっと待って。さっき糖質は体を動かすエネルギーて言ったわよね。その糖質の摂取を止めたら生死に関わるんじゃないの?」
おお、流石は王族ってか。先ほどまで自分の知らない知識だったというのに受け入れ、更に理解もしているとは。頭の柔軟性と飲み込みの巧さ。これは善い女王になるだろうな。
「ええ、その通りです。しかし、人の体というのは出来がよくてエネルギーが少なくなれば筋肉や脂肪で代謝が起こって『ケトン体』といわれる物質が生じます」
このケトン体を脳でエネルギーとして使えるので脳が活動できる。
また、脳以外でケトン体をエネルギーに出来ない場合もあるが、糖質を摂らずに血糖値が下がると筋肉・脂肪からブドウ糖を作ることができるのである。
これは、人間が遥か昔、原始人であった頃、まだ農業がなく食べ物は保存が利かない上に常に獲れず、安定した食事が出来ていなかった。
そして、人間は稀に手に入れる木の実などの糖質が含まれた食べ物を食べ、脂肪に変え蓄え、飢餓時にはその脂肪をエネルギーへと変え生き永らえてきた。
糖質制限は、それを応用したダイエットである。
「なるほど。所々分からない言葉が出てきたけれど理解したわ。で、その効果はどれ程のものなのかしら」
「う~ん・・・・・・失礼ですがリズ王女は今おいくつで?」
「17歳よ」
「・・・・・そりゃまたお若い」
「おい、その謎の間は何だ。予想より若くて驚いたか」
はい、その通り。図星でございます。
でも、馬鹿正直にそんなことは言う筈がない。
「いえ、年齢について即答だったので。女性の方なので渋りながら、または照れながら言うものかと」
「伊達にこの体型で人前に出てないわ」
「さいですか・・・・・・とまあ、本題に戻りましょう」
漢らしい答え、いや、清々しい答えに呆れながらも大まかな予想をつける。
「個人差はありますが、そうですね。リズ王女は若いですし、恐らく3ヶ月で10キロは間違いなく痩せるかと思いますよ」
「そんなに!ただ食べるだけでしょ。体を動かす必要は」
「特にありません。主に日中に15~30分くらいの軽い散歩をしてもらうだけですね」
この散歩は痩せることを目的としたものではなく、健康によいためにするのだ。
リズ王女の肌をよく見れば日に焼けておらず白い。恐らく、四六時中机仕事でこもっているからであろう。1日最低でも15分ほどは陽の光を浴びた方がよく、散歩で体を動かすことでストレス解消、老化予防、頭の働きが良くなる。
まあ、ある程度効果が出てきて痩せてきたら、食事内容の変更と軽い筋トレなどの運動を取り組む予定だが。
今は黙っておく。
初めは痩せていくという実感とやる気向上と共に、こちらの発言の信頼を得る必要がある。
責任持って、長期的に考えた健康を提案しなければならないからだ。
「しばらくは糖質制限のレシピを俺が作りますので、って城の調理場をお借りてしもよいでしょうか?」
「構わないわ。もし許可が必要なら私が許すわ」
よしよし、大まかな予定はついたな。
さてと、それじゃ早速準備に取りかかりますか。
その後は知っての通り、俺はガスパーと共にビル商会を訪れエルフ豆の購入へと移る。
エルフ豆。
その名の通りエルフが主に栽培し主食としている豆である。この世界に流通してる醤油の原料として使われ、見た目、味、成分ともに大豆とほぼ変わらない。
滞りなく商談は成立し、購入したエルフ豆は半日と経たずビルゲイ商会の従業員によって城まで配達された。
準備は整い、城の調理場を借りる許可も無事頂いた。
そして、リズ王女の糖質制限ダイエットは始まったのであった。
~朝~
リズ王女は言っていた通り、朝早くに起き執事のガスパーと共に王族の食卓へと足を運んでいた。
広い食卓にはリズ王女とガスパー、俺、後はメイドさんが何名かだけでどこか寂しい。しかし、よくあることなのかリズ王女に特に気にした様子は見られなかった。
後で聞いたのだが、朝食、昼食においては王族は皆それぞれ忙しいようで一月に5、6回ほどしか皆で一緒に食べる機会がないらしい。
ガスパーはいつものおちゃらけた態度は何処へといったいった感じで、毅然とした顔で立っている。こうして黙っていれば、ほんとThe執事だな、って、よく見たら後ろに少し寝癖がついてる。
やっぱいつもと変わんないわ。
俺は料理の説明をするべく、リズ王女の側に立っていた。
因みに、俺の格好は手作りの白のコック服だ。
「おはようございます、リズ王女」
「おはよう。で、私の朝食はこれかしら?」
朝食は、塩コショウで味付けしたベーコンエッグ、レタスなどの葉野菜のサラダである。
「・・・・・・何と言うか、普通ね」
「普通ですね」
「まあ、普通ですからね」
パンなどの穀物を抜いただけで、皆が思うようにいたって普通である。
先にも述べたが、糖質制限は糖質を減らすということ。
「でも、スープとサラダ用の調味料は初体験だと思いますよ。気に入って貰えるか心配ですが」
「へぇ、それは楽しみね」
そう言うと、近くにいたメイドさんが気を利かして、鍋と2つの小鉢を乗せた配膳リフトを持ってきてくれた。
ありがとうございますと言うと、メイドさんはへごりと頭を下げ元の立ち位置へと戻る。
「それは?」
リズ王女は前回の佛跳牆のこともあってか、鍋の中身に興味津々のようである。
俺は鍋の蓋を開けるとゆらゆらと湯気が立ち、元日本人の自分にとっては嗅ぎ馴れた匂いが鼻へと届く。
「どうぞ、味噌汁です。もしかしたら魚臭いと思うかもしれませんが」
俺はお椀に注ぎ、コトリとリズ王女の前に置く。
リズ王女はお椀と木製のスプーンを手に取ると、顔を近づけ味噌汁の漂う匂いを嗅ぐ。
「薄く濁ってるわね。魚臭さは(スンスン)・・・これといって気にならないわね。むしろいい香りだと思うわ」
そう言って、リズ王女はスプーンで味噌汁を掬い、口にいれる。
「ほぅ」
一息、リズ王女の口からタメ息が漏れる。
美味しい、だが絶賛するほどの旨さではない。
しかし、何かしら、じんわりとこの全身を包んでいく温もりは。
口いっぱいにに広がる複雑に重なりあった魚介と香りと深みのある旨み。
体験したことのない初めての味、なのにそれはまったりと優しい塩味と共に体へと溶けていくわ。
なにより特出すべきは底から来るようなコク、いや旨さね。このスープの出汁に使ったであろうひとつひとつの食材の味、それだけでは繊細で弱く主張してこないもの。だが、それらが手を組み合うことで目に見えるほど、この味噌汁の大黒柱として築かれている。
もう一口、スプーンで掬い口にする。
「いいわね、これ。朝にはなおさら」
リズ王女の好感触を見て、一安心する誠一。
どうやら、気に入って貰えたようだ。
味噌汁に慣れない外国人がまれに魚臭いと言って不人気の場合があるから心配していたが、どうやら取り越し苦労だったようだ。
「ミソ、だったかしら初めて聞いたけど何かしらそれは?」
「ええと、エルフ豆を発酵させたもので、此方になります」
俺は味噌を入れた小鉢をリズ王女に見せる。
これも自家製で、魔法により時間を進めて作られたものだ。
リズ王女とガスパーが味噌をまじまじと見る。
「このネチョッとした質感に土のような茶色」
「こ、これは正しく・・・」
「「ウン○!」」
「違います!」
「「ゆるいときのウ」」
「言わせるかッ!アホなのアンタ達は!?」
「「いや~」」
「照れんな」
この王女と執事、食事前だと言うのにとんでもないものブチ込んできたよ、おい。いつもは仲悪いのに、結託してハモりやがって畜生が!
思わずいつものような言葉づかいになってしまったが気にしない。でないと、この二人のボケに追い付かない。
何で、俺の目の前に立つ人は一々ツッコミをさせるのだ。
この味噌は豆のみで作られた豆味噌である。
味噌を原料で分けると、米味噌、麦味噌、豆味噌と主に三種類に分けられる。今回は糖質制限なので、豆のみである豆味噌にした。
畑の肉といわれるほど、栄養がたっぷりである大豆を原料に造られる豆味噌は愛知で盛んで、筋肉や皮膚など健康な身体をつくる元になるタンパク質の他、ビタミンやミネラルが豊富である。また様々な健康効果が
さらに、生活習慣病や老化の抑制に大きな期待が寄せられているほどだ。
まあ、米は無いから米味噌は作ろうにも無理だからねー。なんで、米ないんだろ、米、米を日本人魂の俺に食わせてくれ。米を食いたいんだ。
日に日に激しくなってくる米への衝動を抑えている誠一をよそに、スプーンを使って味噌汁の具を確認する。
「中に入っているのは、白くて四角いのと、葉っぱ、じゃないわね。ぬらりとしてるわ、何これ」
「四角のは豆腐で緑色のはワカメという海草です」
この豆腐も勿論自家製だ。
ワカメは豆腐作りに必要なニガリを採取しに海まで行った際に取ってきた。
「特に味があるという訳ではないけど。この豆腐、スプーンがすっと入るくらい柔くて、味噌汁になんともマッチしてる。長年連れ添ってきた相棒、いや家族って感じ。それに喉ごしがいい。ワカメも軽くコリコリとした食感がいいわね」
うん、こちらも大丈夫のようだ。
唐突だが、食事のメニューにワカメ、つまりは海草を取り入れたのには訳がある。
慣れ親しんでいた食事から、いきなり糖質制限制限用の食事になると、人間の消化を手伝う腸内細菌が食事内容がガラリと変わったことですぐには対応できず便秘や下痢になることもある。
一月もあれば腸内細菌が適応し治ることだが、その後の会話で元々リズ王女は便秘の傾向が見られる。
その為にも、便を柔らかくする水溶性食物繊維を多く含む海草や野菜を取り入れたのだ。
・・・・・・言っておくが、急にこのことを思い出したのはリズ王女がウン○の話をしたからではない。決して違うからな。
味噌汁を味わっていたリズ王女であったが、配膳リフトに乗ったままのもうひとつの小鉢が目に入る。
「そう言えば、その小鉢の中身、たしかドレッシングだったかしら。それは何なの?」
「ああ、これはマヨネーズですよ」
と言って、誠一が手に掴んだ小鉢の中身には、黄色をした謎の物体。
ほのかに酸っぱい匂いが香る。
「その、マヨネーズとやらを、野菜に、かけるの?」
「はい」
「黄色くて、ドロドロで、少し酸っぱい匂いがしてるけど、腐ってないこれ?」
大丈夫ですよ、と誠一はそう言うやサラダの上に匙で掬ったマヨネーズをペイッと乗せ、さあ食べてと言わんばかりにこちらを見る。
リズ王女は助けを求めガスパーの方を向くが、
「・・・・・・(ぷいっ)」
「おい、そこの執事こっち向きなさい。毒味の出番よ」
「毒味ってひどいなぁ。まあ、知らずに見たら反応こんなもんか」
騙されたと思ってどうぞと誠一に勧められ、リズ王女はいやいやとながらマヨネーズがかかったサラダをフォークで刺し、プルプルと震えながら、
パクリッ
一気に口に入れた。始めは無理矢理歯を上下に動かし、モグモグと無理に咀嚼していた様子であったが、
「旨いわ!」
ザクザクと音をたてフォークが口へと往復される。うん、こちらも気に入ってくれた模様だ。
意外なことにマヨネーズは糖質制限的にはOKなのだ。
マヨネーズの主な原料は卵、油、酢であり、この中の全て糖質が微量にしか含まれていない。
つまり、マヨネーズは糖質制限ダイエットにとって最適な調味料と言える。
リズ王女はサラダを食べる手を一旦止め、次にベーコンエッグへとフォークとナイフを伸ばす。
黄金に輝く黄身にフォークがスッと入れられる。
すると、防波堤が崩されたことで黄身がトロリと溢れだし分厚く切られたベーコンにかかる。
ごくりと喉を鳴らし、ナイフで一口サイズに切り分けるや否や口に入れる。
入れた瞬間、香ばしい薫りが鼻へと抜ける。
リズ王女はベーコンを口にするまで、それをただの干し肉を焼いた物だと思っていた。
たが、今では違う。これは干し肉なんかではない。全くの別物、いや別格だ。
表面はカリッと焼かれ、肉を焼いただけでは出ない、深みのある薫りがそこにはあった。
噛むごとに肉汁が、それが黄身と相まって口の中を満足で満たす。
豚肉をリンゴのチップで薫製した誠一印の特性ベーコン。
薫製という異世界の技術を堪能するリズ王女。
用意された朝食がリズ王女の腹の中へせっせっと(しかしナイフとフォークは音をたてず静かに)納められる。
やっぱり王族、マナーはしっかりしてるなあ。
ナイフとフォークを置きナプキンで口を拭くリズ王女の前に、コトリと最後の品を出す。
「最後の品で無糖ヨーグルトをどうぞ。よかったらお好みでオリーブオイルを」
これまた目の前に出されたのは、白く半固形の見たことのない料理。
しかし、もう臆することなくスプーンで一口。
口に広がるのは酸味。しかし、優しく私が知っているのとは違うような酸味だ。
ヨーグルトは味は弱いが、口の中を爽やかにさせていく。
「ご馳走さま。満足したわ」
「お粗末さまです」
あっという間にヨーグルトも平らげたリズ王女より感謝の言葉を貰う誠一。その言葉に笑顔を浮かべながら頭を軽く下げて応える。
「満足したわ・・・でも、こんなに食べて良いの?大食いの私からしたらあの量は嬉しかったけれど。ダイエットに支障をきたさないのかしら」
「いえいえ、大丈夫ですよ。糖質制限的には」
先にも述べたが糖質制限の目的はその名の通り、糖質を減らすことである。つまり、糖質さえ気にしていれば沢山食べても全然大丈夫である。
だが、たからと言って吐き気がするほど食べ過ぎなどは良くない。
何事も限度が大切である。
「お腹いっぱい食べてもいいなんて、嘘みたいな話ね」
「朝食は主にこんな感じで行く予定です。勿論、メニューはその度変わりますので」
「分かったわ。じゃあ、私は書類の片付けに行くわ。昼食もよろしくね、期待してるわよ」
そう言って、リズ王女は食堂から去り、その後をガスパーが付いていった。
この後、リズ王女はすぐに書類仕事に取りかかるそうだ。若いのにこの熱心さ。王族としての責任もあるのだろうが、才女というのを初めて見た。
俺はその姿を見習い、食後の片付けと昼食の準備へと勤しむのであった。




