野球
親父は両親の役目を見事にやり通した。
保育園でブームになっているものにも敏感で、いつも流行っていたグッズを保育園に持たせてくれた。小さな飲食店を経営している親父は料理もうまく、遠足で弁当を持っていく時も、運動会で弁当が必要な時も、親父は腕によりをかけて豪華な弁当を作ってくれた。おかげで私は母のいない子が持つ特有のハンデを背負わずに済んでいた。
店の二階が自宅だった事もあり、鍵っ子にもならなかった。家に帰ればいつも親父が板前の格好をして、「お帰り!」と、元気に迎えてくれた。飲食店の営業はやはり土日がメインになるので、日常的に土日に親父と出掛ける事はなかったが、たまに休日のランチを休んで動物園や水族館、遊園地にも連れて行ってくれた。
その生活は私が小学校に入学してからも変わらなかった。四年生になった時に、友達に少年野球に誘われた。その時も親父は俺も昔は高校球児だったんだ、とすぐに道具を買いに連れて行ってくれた。その帰り道、近くの公園に行き、車のトランクの中からボロボロのグローブを取り出して、親父は言った。
「お前が生まれた時から夢だったんだよ」
そう言って私に新品のグローブを渡し、親父と初めてキャッチボールをした。親父が山なりのボールを投げても、最初はグローブに当てる事しか出来ない私に笑いながら色々と教えてくれた。初めてやったキャッチボールが余りに楽しくて、私は親父にプロ野球選手になる、と言ったらしい。
それを聞いた親父は家に帰るなり言った。
「プロ野球選手になるにはまず体づくりから始めないとな。技術なんてのは後からついてくるもんだ」
そう言って野球の指導本を見ながらトレーニングメニューを考えてくれた。それからの日は、学校から帰ると、親父の考えたメニューをこなし、親父が夜の仕込を終えると、二人で公園に行ってキャッチボール、週に一度はバッティングセンターに行って練習もした。
親父の凄い所はいつだって私を褒めてくれた事だ。ある日、試合に出て、何回もエラーしたり、打っては三打数ノーヒット、それも全て三振。何一つ褒めるところなんてなくて、案の定監督からはひどく怒られた事があった。それでも応援に来ていた親父は満面の笑顔でこう言ってくれた。
「いや、あれは惜しかったなー!三振?いいんだいいんだ!見逃しで三振はまずいが、お前はきちんと三回バットを振った。振ってりゃいつか当たるさ。プロだって十回に三回打てれば褒められるんだから」
そう言って私の頭をくしゃくしゃっと撫でててくれた。そんな親父をチームメイトはみんな羨ましく思っていた。監督に怒られた挙句、帰り道に母親や父親に怒られるチームメイトは、よく真一の父ちゃんみたいに言ってくれたら野球も楽しいのになぁとぼやいていた。
そんな親父のおかげで、私は上達し、五年生からエースで四番を打つまでに成長した。六年生最後の大会、あと一つで全国大会という時、私はサヨナラヒットを打たれて負けるという最悪の最後で少年野球を終える事になった。帰り道、親父の運転する車内でショックで黙っている私に親父は言った。
「いい試合だったよ」
「え・・・?打たれて負けたんだよ?」
「勝負は勝者と敗者がいてこそ勝負なんだ。敗者がいるのは当然さ」
「そんなのは分かってるよ。俺は勝ちたかったんだ」
「勝つ事も大事だが、負ける事も必要だぞ真一。今は悔しさで他に何も考えられないかもしれないけど、きっとこの悔しさがお前を成長させると父さんは思う。野球、嫌いになった訳じゃないだろ?」
放課後に友達同士で遊んでいたり、友達の家でゲームをする友達を羨ましく思った事が一度もないと言えば嘘になる。そんな友達に目もくれず、野球が上手くなる為に、毎日トレーニングして、苦しい練習にも耐えて、それだけやっても負ける事もある。それなのに親父が言った通り、野球を嫌いだなんて思った事は一度もないし、これだけ悔しい思いをしてる今も、早くまたあのマウンドに立ちたい、そう思っている。
「うん、好きだよ。野球。中学でもやるんだ」
そう言うと親父はいつもの様に頭をくしゃくしゃっと撫でた。