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別れ

 母が亡くなった時の事は叔母から聞いた話しか知らない。叔母からこの話を聞いたのは、やはり私が妻を初めて紹介した時だった。


 母の死は突然だったらしい。その日、私が熱を出し、病院に連れていかなければならなかった。しかし、タイミングの悪い事に母もその前日から体調が優れず、とても私を病院に連れて行けそうになかったと言う。そこで母は、近くに住んでいた叔母に連絡をして、叔母に私を病院に連れて行って欲しいとお願いしたらしい。

 叔母は当時新婚で、甥っ子である私をすごく可愛がってくれていたというのは親父からも祖父母からも聞いていた。

 叔母が家に着いた時の光景は、今でも脳裏に焼き付いて離れないと言う。汗をかいて横たわっている母を、私が不思議そうに見つめながら、横たわっている母の顔をペタペタと叩いていたらしい。「お母さん起きて」そんな声が聞こえそうだったと叔母は言う。











「普通だったら疲れて眠ってしまったのか、とか思うと思うんだけど、その光景を見て、私はすぐに嫌な予感がした」


 叔母はすぐに救急車を呼んだ。母の心臓は既に止まっていたらしく、曖昧な知識で必死に心臓マッサージをしたらしい。あまりの状況に、赤子ながらに私も何かを感じたのではないだろうか。必死に母に心臓マッサージをする叔母の手を泣きながら抑えていたらしい。「お母さんを助けて!」と訴えるかのように。


 病院に運ばれた後の記憶はあまりないらしい。私を抱っこして、目の前に親父が現れた時から叔母の記憶は再開する。


「お義兄さん、その場で泣き崩れちゃってね。病室で何も言わなくなったお姉ちゃんにしがみついて病院中に響き渡るかってくらい大声で泣いてた。ウチのお父さんがそんなお義兄さんの肩を抱いて、真一がいるんだ、しっかりしないと、と何度も怒鳴ってた。そんな状況を察したのか、今まで私の腕の中で大人しくしていた真一が急に泣き出してね、お義兄さんの方を見て手を差し出すのよ。それを見て、あなたをお義兄さんに渡すと、お義兄さんとあなたはがっちりと抱き合ってまた声をあげて泣いていたわ」


 当時の親父の気持ちを思うと、胸の奥がすごく苦しくなる。誰よりも、息子よりも大事にすると誓った最愛の妻を、ある日突然失ってしまったのだから。


「その後、お義兄さんは完全に抜け殻になっちゃって。お葬式の準備も全く出来なくて、お義兄さんの両親が全部取り仕切ってくれたの。お義兄さん、あなたの事も見れなくてずっと一人で、ずっと黙ってた。そんな様子を見兼ねた私達は、しばらくあなたの事を預かろうと思ってたのよ。いや、一時はあなたの事を養子にしようって事も考えてたの」


「え!?」


「ね」


 叔母はそう言って、隣に座る夫である賢治おじさんを見た。子供のいない叔母と叔父は、小さい頃から私を本当の子供のように可愛がってくれていたが、まさか本当に自分達の子にする事を考えていたとは思わなかった。黙ってずっと叔母と私の話を聞いていた賢治おじさんが久しぶりに口を開いた。


「ウチには子供が出来なかったからね。真一の事は本当に可愛かったよ。お義兄さんから奪うなんてつもりは勿論なかったけど、あの時のお義兄さんに真一を任せるのは危険だと思ったんだ。それくらいお義兄さんは絶望してた」


「そうね。でも、不思議ね。どれだけ私達があやしても、お義兄さんには敵わなかった。だって、あんなに落ち込んで、無表情なままでいるお義兄さんの顔を見せるだけで、あなたは微笑むんだもの」


「あれは参ったよなぁ。あの時、真一がお義兄さんに向けてニコっとした時、空気が変わったんだよ。お義姉さんを失った悲しみは当然お義兄さん以外の人にもあった。その悲しみが一瞬それで和んだんだ」


「やっぱり子供ってすごいわよね」


 子供を望まない夫婦がいるのは知っているが、欲しくても出来ない、そんな夫婦もいる。彼等の悲しみはその状況になってみなければきっと本当の意味で理解する事は出来ないだろう。いや、悲しみなんて、それを言うなら感情の全ては、その状況になってみなければ当人以外に理解なんて出来ない筈だ。その事を私はよく知っている。


「それで、結局俺と親父はどうなったの?」


「お義兄さんを立ち直らせたのはやっぱりあなただったのよ。お姉ちゃんの火葬が終わって、骨を拾って、本当に最後のお別れだって火葬場から車に乗ろうとした時、お義姉さんに抱かれたあなたが空に向かって言ったの。ばいばいって」


 自分の事とはいえ、涙が出そうになった。私自身、記憶にもない事だが、その時の私は私なりに母が天国へ旅立ってしまった事を理解し、純真な心で、天国にいる母に手を振ったのだろう。


「泣いたわ。みんなで。泣いていなかったのは、あなたと、そしてお義兄さんだけ。きっと単なる偶然だったわ。あなたが空に向かってさよならをしたのは。あなたがばいばいってお姉ちゃんに向かって言った後、お義兄さんはあなたの目をじっと見て、そして空を見て言ったの。ありがとう、さようならって。みんながその二人を見て、涙を流している時もあなたとお義兄さんは二人ですごく素敵な顔をしてたわ。あ、これが親子なんだ、これが家族なんだ。お姉ちゃんが僅か一年間で築いたこの家族の絆はこんなに深いものなんだってみんな思った。それを見て、みんな思ったの。誰よりも深い傷を負った二人が、誰よりも必死に前を見ている。これならあなたをお義兄さんに任せて大丈夫だ、みんなで二人を支えようって」


 その言葉通り、私達親子は、叔父さん、叔母さん、祖父母、みんなに支えられ、愛された。


「親父…」


 そう言って、私は涙を堪える事が出来なかった。

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