佐藤真一
これは親父から聞いた話で、私には一欠片の記憶もない事だ。
私が生まれた日は、真夏の暑い夜だった。予定日を二週間後に控え、親父と母は夫婦二人でいる最後の晩餐と称して焼肉を食べに行ったらしい。何でも、出産直前に肉を食べると出産に必要な体力がつく、という話を親父が会社から聞いてきたんだとか。奮発して上等な肉を満腹になるまで食べ、帰宅すると、肉の効果が早く来すぎてしまったからなのか、すぐに陣痛が始まったそうだ。母は私を産むことよりも、焼肉と一緒に食べたにんにくの臭いが気になって仕方がなかった、と後で親父に言ったらしい。それから十時間後、私はこの世に生まれた。約三二〇〇グラムの大きな赤ちゃんだった。
当時は立ち会い出産というのがまだ世間に浸透しておらず、親父は分娩室の外で待っていたらしい。親父の両親にとっても、母の両親にとっても初孫だったからか、家族総出で私の誕生を病院で迎えたそうだ。
生まれてすぐに、親父は私に名前をつけた。名前は真一。佐藤真一。一見、平凡な名前だが、親父は特別な思いをかけて付けた名前だ。最も、その由来は親父から直接聞いた事はないのだが。
親父は今でいうイクメンだ。私が生まれて以来、外に酒を飲みに行く事は少なくなり、毎日遊んでくれていたらしい。泣いた私をあやすことも、寝かしつけることも、そして男親誰もが躊躇するうんちのオムツ替えも、親父は積極的にやっていたと聞く。親父の話では母よりも上手だったようだ。私があくびをしたり、くしゃみをしたり、差し出した親父の人差し指を掴んだりすると、親父は大はしゃぎでその様子を写真に撮るよう母に頼んだんだとか。当時、男は仕事、女は家事育児というような風潮が当たり前な社会だった。そういう意味では親父は元祖イクメンと言ってもおかしくない筈だ。
私が妻と結婚する事が決まった後、その報告をする為に妻を連れて母の妹、つまり叔母に紹介した時に、叔母からこんな話を聞いたことがあった。
「お父さんはね、お姉ちゃんの事が好きで好きで堪らなかったんだって。それでね、プロポーズした時にこう言ったらしいの。<いつか二人の間に子供が出来たら、君はいつでも子供を一番に考えて欲しい。そうすれば、僕はいつまでも君を一番に考えることが出来るから>って」
「へぇ。親父らしいな。そういう歯の浮いたような台詞言うなんて」
「でもね、実際に真一が生まれてきたら全然違ったらしいわよ。真一、真一ってずーっと真一にべったり。よく愚痴ってたわ、お姉ちゃん。プロポーズの時と話が違う、録音しておけばよかったって」
その話を聞いて、初めて親父が私に真一という名前を付けた理由が分かった様な気がした。母の名前は真美という。単純に私は母の名前から一字取って、それに何となく語呂や雰囲気が合うから真一なのかな、と考えていた。だが、それはどうも違うようだ。
真美が一番に思う子。真一。
これは親父に直接確認した訳ではないので、私の単なる妄想と言えばそれまで。ただ、あの親父なら、そんな少し照れ臭いような事を考えそうだ。
叔母さんはこの話を、昔の笑い話として話してくれたが、私が後日この話を親父にした時、親父はこのプロポーズをしたことを凄く後悔していると、聞いた。
それは、私が生まれて一年が過ぎた頃、母が病気で亡くなったからだ。