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第九話 : はなればなれ

 いきなり後ろから抱き締められた。

 否、抱きしめるなんて、そんなに優しいものじゃない。

 この行為はもっと強引で、乱暴だ。


「見つけたぞ。俺の花嫁」


 背筋が泡立つようなよく響く低音が鼓膜を震わす。

 知らない声、腹に回された腕の持ち主を辿って深月(みづき)は凍りつく。

 深月を抱いているのは、腕や胸元に鎧を付けた、まるで物語に出てくる騎士のような恰好をした長身の青年。

 友弥(ゆうや)ではない。

 夜を集めたような、切れ長の紫紺の眸。

 深月の頬に触れる漆黒の長い髪。

 恐ろしいほど整った(かお)は傲慢な空気を孕み、深月を見下ろしている。


「だ……れ」


 深月の誰何(すいか)に、青年は口角を上げた。


「見てわからないか、お前の夫となる男だ」


(夫!?)


「実際に会ったのは初めてか。だが、噂は幾らでも聞いたろう」


 俺は有名人だからな、と青年は嘲う。


「私、知らな……」

「――――――深月ッ!」


 友弥に名前を呼ばれ、深月は助けを求めて振り返った。


 刹那。


「――――――――」


 友弥の喉元に、刃が突きつけられる。

 鈍く光る真っ黒な刀身、一目で本物だとわかるそれに深月は短く息を呑む。


「……ミヅキ?」


 青年の声がますます低くなる。


「それがお前の、私から逃げる為の名か」


 深月は答えられない。意味が分からないし、あまりの恐怖に声が出ない。


これ(・・)がお前の恋人だとでも言うのか」


 不機嫌な声とともに、切っ先がさらに友弥の肌に近づいた。


「やめて……っ!」


 深月は柄を握る青年の腕にしがみ付く。


「トモは私の幼馴染よ!」

「おさななじみ?」

「それに私はあなたを知らないッ! 人違いです!!」


 必死に訴える深月に視線をやった青年を、友弥は見逃さなかった。


「その通りだ」


 今度は青年の首筋に刃物が突き付けられた。

 一瞬の隙を突いた友弥が、青年の腰に下がった刀剣らしきものを奪ったのだ。


「深月を放せ」


 氷のように冷たい声音は、それとは逆に相手を殺しかねない怒気を放っている。


「ほお……」


 青年は面白そうに口元を歪め、そして。


「――――――!」


 すばやく身を翻し、深月を抱えたまま友弥に斬りかかった。


「トモっ!!」


 深月は堪らず悲鳴を上げたが、友弥は身を捩って剣を(かわ)した。

 距離を図りつつ青年を睨みつける。


「あれを躱すか。まさかとは思うが、貴様リラムの近衛か?」

「五月蠅い」


 友弥は男の問いを一蹴する。


「それ以上、深月に触るな」


 友弥は剣を頭上に振り上げ、構える。


「これは俺のものだ。が、そうだな」


 青年は剣の切っ先を再び友弥に向ける。


「相手くらいはしてやろう」


 普段は取らない攻撃的な姿勢のまま、友弥はためらいなく地を蹴った。

 一瞬で青年の間合いに入る。

 入る、筈だった。


 ――――ドスッ


 何の前触れもなく、友弥の肩に、鉄の矢が突き刺さる。


「――――――トモっ!!」


 友弥の膝が崩れ、制服のシャツに赤黒い染みが広がった。



「――――殿下、ご無事ですか?!」


 背後から複数の足音。

 深月たちはあっという間に囲んだのは、青年と同じように鎧に身を包んだ男たちだった。


「姫を連れ去ったのは貴様だな」

「殿下に刃を向けた罪、己の首で贖え」


 男たちは口ぐちに言い、手にした弓や剣を友弥に向けた。

 このままでは、友弥は間違いなく殺される。


「――――――やめてっ!!」

「姫様、しかし……。――――ッ」


 深月の悲痛とも言える声に男たちは一斉に振り返り、そして硬直した。


「大事な人なの、殺さないでッ」

「姫様……そのお姿は」


 一人が深月を指さし、じりっと後ずさる。

 それはたちまち伝染し、男たちはみな顔を引き攣らせた。


「あの髪、それに瞳」

「姫様が……」


 声はどれも脅え、震えている。

 友弥の一番近くにいた男が、叫んだ。




「王女殿下が、闇に染まった……ッ」




「――――やみ?」


 瞬間、反射で聞き返した深月の、視界の隅から何かが飛び出した。

 男たちの間から姿を現したのは、見慣れた剣道着。

 被った布から覗く、短い銀の髪。

 あっという間に近づいたそれは友弥の手を取りこちらを振り返って――――深緑の眸と目が合った。


(昨日の)


「――――――」



 袴の裾が翻る。

 少女は深月の目の前で、友弥を連れて崖から飛び降りた。


 その光景はやけにゆっくり、まるでスローモーションのように流れた。

 友弥(ゆうや)が少女に導かれ、崖の向こうへ吸い込まれて消える。

 絶対に生きてはいられない、そんな絶望的な場所へと。



「――――――トモーーーーー!!」



(嘘だ……)


 深月(みづき)は呆然とした。


(これはきっと、悪い夢だ)


『これは、きっと夢だよ』


 そう、友弥も言っていた。


『起きたら病院のベッドの上にいて』


(そう、私たちは事故にあって)


『目が覚めたら一番に、深月の顔が見たい』


 そう言っていた。


 だからこれは、きっと。


「おい」


 不機嫌そうな低音に耳朶を打たれ、深月はびくりと身を震わせた。


(聞こえない、だってここは病院だもの)


 深月はきつく目を瞑り、耳を塞いで繰り返す。


「これは悪い夢、夢なの、夢……」

「夢?」


 声は怪訝そうに呟いて、それからぐいと深月の腕を引いた。


「痛……ッ」


 顎を掴まれ無理やり上向かされる。

 そして。


「夢だというなら覚ましてやろう」

「―――――――――」


 深月は突然、強引に唇を奪われた。


「――――やッ」


 青年の腕から逃れようと、深月は腕を突っぱねる。


「放してッ」


 暴れる深月をしかし青年は軽々と抑え込む。


「そう何度も、俺から逃げられると思うな」

「嫌だ、嫌っ、―――トモッ」


 なおも友弥を求める深月に、不快とばかりに青年が顔を歪めた。


「またあの男の名を呼ぶか」


 耳障りだ、と地を這うような声が響いて、伸ばされた手が視界を覆う。


 深月の意識はそこで途切れた。




◇◇◇




(イリーゼが戻った)


 知らせを受けて、アークは回廊を足早に進んだ。


 五日前、この神興国の王女が城から姿を消した。

 聡明で思慮深く、たおやかな美しさで人々を魅了する“神国(しんこく)月姫つきひめ”が。


 国の主たる重臣と神官が集められ、議会は混乱を極めた。

 最初は誘拐や暗殺など色々な憶測が飛び交ったが、巫女姫でもある王女がそう簡単に連れ去られたり殺されたりすることは考えにくい。


 王女には自らを守る力が、そして何者にも侵せないだけの価値がある。

 長時間に及ぶ議論の結果、王女は自らの意思で城を出たのだとされた。


 そして彼女の意思に逆らえるのは、この国においては国王のみ。

 今は亡き、王女の父王ただ一人だった。



『俺が連れ戻してやろう』


 そう言ったのは“闇”の異名を持つ傲慢な男。

 身分上逆らうことの許されないアークは、男の言葉に頷くことしか出来なかった。


 例え彼女が、それを望んでいなくても。



 応接間にたどり着いたアークに、部屋の警護をしていた騎士は扉の前を譲った。

 呼吸を整えて、それをゆっくりと叩く。

「入れ」と不遜な声が返り、アークは息を詰めて中へ入った。


「殿下、王女が見つかったと――――」


 言葉はそこで切れた。


 彼女は確かにそこにいた。

 暗い美貌の長身の男――――紫紺の瞳を持つ皇太子の腕に抱かれて。

 その身体は見るからに力が入っておらず、瞼は固く閉ざされている。


「殿下、これは一体どういう」

「少々煩いので黙らせた。転移を使うのに暴れられては面倒だからな。それに」


 皇太子はにやりと笑う。


疵物(きずもの)になるにはまだ早い」

「――――ッ」

「王女はその時まで大切に、玻璃の箱にでも入れておくんだな」


 皇太子は愉快そうに言うと、王女をアークへと差し出し部屋を出て行った。



 アークは王女をソファへ寝かせると、女官に部屋を整えさせるよう騎士に告げた。

 背後で扉が閉まるのを確認し、ソファへと近づき彼女の傍に跪く。


「イリーゼ……」


 噛み締めるようにその名を呼ぶ。


「無事でよかった……ッ」


 白い頬に、一粒の雫が零れ落ちた。



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