第五十三話 : 証
※一部無理やりな描写があります。苦手な方は次話へ移動して頂くようお願いします。
世界は裏切り続けるもの。
揺るぎない事実は魂の奥底に。
消えることのない疵として、幾重にも幾重にも刻まれている。
◆
「……あれは」
賓客として与えられた一室、窓の外を何の感慨もなく見やっていたライズは、視界の端を過ぎる影に軽く眉を上げた。
降り出した雨と帳の降りた庭園に人の姿はなく、静かに雨音が響くのみのはずだ。けれど今、そこに繋がる回廊を、確かに進むものがあった。
白い布に包まれた、何か。
人気のない回廊を、灯りさえ避けるかのようをこそこそと、しかし足早に移動している。
「…………」
他国の間者か。あるいは暗がりに乗じた、何かを企む輩達か。
考えるより先にライズは立ち上がり、外套を放り投げると剣を掴んで扉を押した。あからさまに警戒する警備兵には目もくれず、影の消えた回廊へと足を向ける。
リラムに於ける貴族王族間に走る亀裂。神殿への不満、王太子を取り巻く重鎮たちの暴走。
“神興国”と呼ばれるこの国の内部事情は既に他国の知れるところであり、もちろんライズとて例外ではない。
ある程度の権力を持つ国は皆、内乱に乗じてリラムを手に入れようと目論んでいる。弱まっているとはいえ光に対する民の信頼は厚い。その頂点であるこの国には、まだまだ利用価値があるのだ。
が、ライズはそんなものには欠片も興味がなかった。
自ら治める帝国は列国が認める軍事強国であり、国土も群を抜いて広い。資源は豊富とは言えないまでもそれなりに採掘が見込め、気候も悪くない。
何より、わざわざ手を出すまでもなく神興国には終わりが見えていた。
力を増す闇、増えていく被害、離れていくであろう民の心。
光に縋る無様な姿、その最たるものである神官たちと、頂点に立つ巫女姫という存在――――。
不可侵とされ崇められてきたその者が、己の無力を悟った時。“月姫”と呼ばれるその躰に、何の価値も見いだせなくなった時。
輝かしい顔が苦悶に歪められるのは、何よりも楽しい見世物であるに違いない。
そちらのほうがよっぽど、ライズにとっては関心を惹かれる事柄であった。
だからこそライズは、巫女姫であるこの国の王女に会いに来たのだ。
絶望に染まるその前の、麗しいと言われるその貌を確かめる為に。場合によってはライズ自ら、背を押す役目をしてやろうと。
奈落の底に突き落とす、えもいわれぬあの感覚。
単身この国に足を運んだのはそんな、悪趣味な暇つぶしの一環だった。
(――――あれだな)
城を抜けた先、神殿とは反対側の緑深い一角。外へと繋がる林の中に、ライズは目的のモノを見つけた。
辺りを忙しなく見回す影は降り続く雨などものともせず、一心不乱に奥を目指すその背は小さい――否、華奢という表現が最も相応しい。
そしてライズは、己の直感が正しかったという確信を得た。注意深いようで無警戒な、その背後に腕を伸ばした。
「――――……っ」
白い布を無造作に掴み払い退ければ、思った通りの者が姿を露わにした。
「こんな時間に何処へ行く、ミヅキ?」
「……………皇太子、さま……」
呆然といった様子で呟かれたのはまたしても敬称。名を呼ぶという誓いは何処へやら、それとも最早口癖になりつつあるのか。
いつものライズであれば、真っ先にその呼び方を否定するところだ。
けれど、この時に於いてはその範疇ではなかった。
それよりも目を引くものが、今目の前に広がっているからだ。
「……その恰好はなんだ? ミヅキ」
取り払った布の下から現れたのは、まったく見慣れぬものの数々。否、一度だけ見たことがある。
深緑の襟とタイ、同色のスカート。腕も脚も剥き出しにしたその恰好は、目の前の少女と初めて会ったとき、本人が身に着けていたものだ。
故に、何よりもライズの目を引いた。
「……いつもの服はどうした。さっきまで身に着けていたものは? こんな雨の中、わざわざ着替えてどこへ行く?」
「こ、これは……散歩、みたいなもので……」
問い詰めるかの如く質問を浴びせかけるライズに少女は口ごもる。荷物の紐を握りしめ、俯いてこちらから視線を逸らす。そうしている間にも雨粒は降り続け、少女の小さな肩を濡らす。
「ほお……こんな夜に、供もつけずに、か?」
ライズは口端を吊り上げ、少女の手首を取った。もう片方の手で細い顎を掴み、強引に上げさせる。
「こ……っ」
「もう一度訊こう、ミヅキ。どこへ行く?」
覗き込めば、少女は濡れた睫を小さく震わせた。ライズより遥かに深い漆黒の眸は、自らを捕らえた者への驚きで大きく見開かれていた。
しかしそれも一瞬で、少女ははっと我に返ると腕を振るって枷から逃れる。
払われた腕。射抜くような――否、怯えたような揺れる眸。
「……なんのつもりだ」
「か、帰るんです」
つっかえながら、少女が口にする。距離を取ろうとしているのかじりじり後退しながら、それでも視線が反らされることはない。
その行為は何故か、ライズの神経に酷く障った。
「帰るだと? どこにだ? お前の国にか?」
ざり、と一歩踏み出せば、開いた距離が一気に縮む。動揺そのままに躰を揺らした少女は、逃げ場を探すかのように背後に視線をさ迷わせる。
「それはどこだ? ディズラスか? シーダか? それとも辺境の二ランか?」
「し、知らない……」
答える声は寒さからかわずかに震え、いつもの威勢の良さは微塵もなかった。ただただこの状況に戸惑い、一刻も早く抜け出そうともがいている。
そんな少女の姿はライズに、更なる苛立ちを募らせた。
「――――帰すと思っているのか? この俺が、みすみすお前を手放すとでも?」
告げた瞬間に、自らの貌が意地悪く歪むのを感じた。“虐帝”と呼ばれる自分のそれはさぞかし凶悪で、酷薄に映ったことだろう。その証拠に、少女は弾かれたように踵を返した。
そのまま走り去ろうとする姿の、なんと愚かなことか。
逃がさないと、言っているのに。
「――――あっ」
濡れた肩を強く掴みぐいと引けば、小さな躰は簡単に、ライズの胸に収まった。
「こ、皇太子さま、離し……」
「この国が嫌だというのならレスティアに来い。妃として迎え入れてやる」
からかうようにそう口にすれば、少女の肩がぴくりと跳ねた。強く抱いている為顔は見えない。故に、少女の思考は読み取れない。
なぜ今、この時になって「帰りたい」などと言い出すのか。言われるままに王女を演じていた少女が、誰からも隠れるように、その身一つで城を抜け出すのか。
少なくとも朝の時点では、そして剣を合わせたその後も、そんな兆候は一切見えなかった。
では神殿に帰ってから、何かが起こったというのだろうか。
まあライズにとって、そんなことはどうでも良い。
重要なのは、少女を何処へも行かせない――自分から離れさせないことなのだ。
なのに。
「お断りします」
両の掌でライズの胸を押し、少女は再び距離を図る。
拒絶の言葉とその行動に、ライズの苛立ちはいや増した。
「何故だ? 神気臭いこの国が、嫌になったのだろう?」
「……この国を出たいわけではありません。私はただ、アークさんと」
何かを訴えようと動く、小さな唇。
その言葉を、少女の真意を。
ライズが聞くことはなかった。
「え――――っ?」
抱き寄せた少女の腕を掴み、引きずるようにして歩き出す。狼狽える気配には一向に構わずに、手近な幹に目をつけると細い躰を無造作に放った。少女は雨に濡れた背中を、同じく湿気た幹に打ち付ける。
「…………かっ」
はっ、と少女の唇から空気が漏れた。苦しそうに息を吐き、潤んだ漆黒の瞳を痛みに歪めてライズを見つめる。
「こ、た……し、さま……?」
どうして突き飛ばされたのか、そんな疑問をありありと浮かべたその顔に。腹立たしいまでに愚鈍さに。
ライズは腹の底が冷えていくのを感じた。
「その名を口にするなと、何度言えばわかる? ミヅキ」
否、聞きたくないのはその名前だけではない。他のどの男の名前も、この少女の口からだけは聞きたくはない。
自分以外の男がその傍らに寄ること自体、想像することも厭わしくて堪らない。
これは自分のもの。
他でもない、ライズ自身が決めたこと。誰であろうと、逆らうことは許さない。
少女本人が拒むのであれば、それは――――。
「皇太子、さま……」
「聞かぬな、本当に。やはりお前は……」
一切の感情を切り捨てたような声が自らの内から生まれる。冷え切った少女の躰を覆うように、幹にどんと拳を当てた。そして。
「躾が必要だな」
花嫁殿、と。
耳元で低く囁いて、ライズは少女に歯を立てた。
「――や……っ、っだ、痛いっ」
噛まれた耳朶を庇うように上がってきた華奢な手を、ライズのそれが捕らえる。次いで上がったもう片方の腕も掴み、幹を挟んで少女の背後で一つに束ねる。呻く少女に再び唇を寄せ食んだところを舐め上げれば、「ひゃっ」と何とも色気のない声が上がる。
もう一度、今度は先程よりも強く咬みつけば、少女は堪らず悲鳴を上げた。
「痛っ、や、皇太子さまやめ」
「問題ない。“躾”だからな」
言って鼓膜に息を送れば、少女の躰がびくりと震えた。ああ、とライズは口端を緩める。
望んだモノが手の内に在る。己が意思ひとつで、どうとでもなる。
それは何と甘美な感覚なのか。
女を抱くのは初めてではない。数えきれないくらい床に入れてきたし、その中には手練れの女も何人もいた。
帝国一の権威を前に、女は幾らでも寄ってきた。
でも。
「……甘いな?」
「え?……っ」
鎖骨をゆっくりと撫でながら、白い首筋に唇を這わせる。強く吸い上げれば、少女はひあっ、と声を上げた。
その声も、そして肌も。少女の纏う匂いさえも。
何もかもが、酷く甘い。
それは欲した相手故か、あるいは男を知らぬ躰だからか。
「や、いた、痛いの、ほんとに……」
もう嫌だと訴える少女は、自由になる両足を必死にばたつかせる。しかしそんなものは何の抵抗にもならない。露わになった脚の間に、ライズは自らの膝を差し入れる。
それだけでもう、少女の動きは封じてしまえた。自由を失った少女は諦めずに身を捩るが、そんなことで振りほどかれるほどライズの腕は弱くはない。単純な男女の体格差と、そして軍人として鍛えたライズの力だ。
「無駄だ。どう足掻いてもお前は俺に敵わない」
ひとつ、ふたつ。少女の身じろぎをすべて封じて、その白い皮膚に赤い華を咲かせていく。少女がライズの者であることを刻んでいく。
女を悦ばせる術は熟知していたが、ライズは敢えて少女を乱暴に扱った。
ライズが唇で嬲る度に少女は身を震わせ、熱を含んだ声で鳴く。それが、ライズには堪らなく心地よい。
穏やかさなど必要ない、無防備に開かれた唇を塞がないのは少女の嬌声を聞く為なのだ。
「う、や……っ、も、やめ」
「この状況でその台詞。煽っているようにしか見えんな」
瞳を潤ませ頬を濡らし、紅くなった唇でか細く懇願する。
そんな少女の姿はどんな娼婦達よりも扇情的で、ライズは欲の赴くままに火照った柔肌に顔を埋めた。