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第五十一話 : カントリー・ロード

 見上げた天井は染みひとつないクリーム色で、疲れた体を包むのは柔らかくて上質な寝具。同じく柔らかい塊は確かな熱を持って、深月の頬をそっと温める。ふにふにとした肉球は慰めるように、何度も何度も肌を辿った。

「シシィ……」

 自ら与えた名前を呼ぶと、白い塊は動きを止めた。なんぞ? と覗き込む瞳はつぶらで愛らしく、紅玉のように美しい。お留守番を余儀なくされた白狐は飛び出したい衝動を何とか堪え、主の不在中ずぅっと、じっとぬいぐるみのフリに徹していたらしい。


 例え好ましくない相手アークに無造作に掴まれようと、置かれた窓枠のガラスを無遠慮な鳥たちにゴツゴツつつかれようと。視線鋭い侍女ユハに話しかけられようと、ただただ黙ってやり過ごしていたという。

 自分はぬいぐるみ。主に拾われ名づけられたぬいぐるみ。決して動いたり、ひげを揺らしたりしてはならない。何故ならぬいぐるみだからだ。

 と、しつこいくらいに己はぬいぐるみだと言い聞かせていたかは定かではないが、狐は主の帰還にその任を放り投げたらしく、ついでに自分の体も宙に躍らせた。その後ろにユハを見つけた時は、もうどうしようもなかったのだろう。柔い体は深月の顔面にもふりと着地し、とっさにしがみついた腕は失敗を悟ったのかプルプル震えていた。


『…………………………』

『…………………………』

『…………………………』


 訪れた沈黙は重く、深月はいろんな意味で息苦しかった。ぬいぐるみに戻るか逡巡しているのか単に固まっているのか、呼吸器に張り付いたもふもふした生き物(?)を深月はそっと引き剥がし、新鮮な空気を存分に取り込むと大きく吐き出した。そんな深月にユハは物言いたげな視線を寄越したが、結局は何も言わず一人(と一匹)にしてくれた。

 何かあったら呼んで下さいと手渡された手のひらサイズのベルは、そのまま居間のテーブルに置いてきた。きっとインテリアよろしく、使われることはないだろう。


 深月は一人になりたかった。


 この世界で誰かに関わるということは、それだけで人の手を借りるということ。そんなことはとっくにわかっていたはずなのに、本当の意味は理解できていなかった。

 ルーウィンにはルーウィンの、そしてリラムにはリラムの。日本とは違う法や常識、風習がある。深月がいくら頑張っても、それらを無視していては全く意味がない。むしろ迷惑だ。


「守って見せる、なんて……」

 思い違いもいいところだ。守られていたのはいつだって自分で、優しい人たちは何も言わずに傷ついていた。

 知らなかった。アークとリゼの関係が、そんなにも危ういものだったなんて。

 知らなかった。想い合うことで追い詰められることがあるなんて。


 知らなかった。知らなかった。知らなかった。



 だから何だと言うのだろう。


 

 知らなかったから仕方ない、そんな無神経なことは深月には言えない。

 異世界に迷い込んでしまった自分を危ぶんで、保護してくれたその優しさに。甘えきっていたのは確かなのだ。少しでも返せたら、何か出来ることがあったら。本物の“救世主”になれたなら。


「なれるわけなかったのに……っ」

 ここにいるだけでもう、迷惑をかけてしまうのだ。そう思うと悲しくて、情けなくて、深月はくしゃりと顔を歪めた。苦しくて堪らない。喉を掻きむしりたい、叫びだしたい。でもそれは出来ない。口を開けば深月は言ってしまうだろう。

 帰りたい、と。そして部屋を飛び出すだろう。我慢する自信なんて今の深月には欠片もなかった。


 覗き込むキツネをぎゅううと抱きしめて、深月は自らの口を塞ぐ。叫びたい思いも、逃げたい気持ちも、全部。

(忘れてしまおう)

 大丈夫、嫌なことがあったらたくさん食べて、思いっきり眠ればいいのだ。そうすればきっと、少しは楽になるだろう。キレイさっぱりとまではいかなくても、多少はマシになるだろう。

 瞼を閉じる。強く、固く。

 これ以上、つらい現実を見なくてもいいように。

 けれど。



「…………トモ」

 思わず零れた最愛の名前に、鼻の奥がつんと痛くなる。堪えようとすればするほど、想いは溢れて止められない。

「会いたいよ、トモ。帰りたいよ、颯希(さつき)……」

 心細くて、寂しくてたまらない。三人で居るのが当たり前だったのに、ひとりっきりになることなど想像もしていなかったのに。一緒に笑っていた毎日が、今は遠い昔みたいだ。

「帰りたい、帰りたいよ」

 繰り返す言葉はとめどなく溢れて、熱い塊となって深月の頬を伝った。大粒の涙は次から次へと生まれ出して、深月の視界をぼんやりと蝕む。瞼が熱い。胸は痛くて息をするのも苦しくて。


「独りは、いやだよ……」


 助けてほしくて、でも誰にも聞かれたくなくて。深月はシシィを抱きしめて、声を殺してひたすら泣いた。






「何をしているのですか、ユーヤ?」

 問いかける声に、石段に腰を下ろしていた友弥は携帯電話から顔を上げる。

「リゼ。報告は終わったの?」

「はい、思ったより時間がかかってしまいましたが」

 すみません、と申し訳なさそうに頭を下げるので「大丈夫だよ」と笑みで答えれば、同じように笑みが返ってくる。それからリゼは腰を折り、興味深そうに友弥の手元を覗き込んだ。

「それは確か、ユーヤたちの国の道具でしたよね?」

 不思議そうに首を傾げる。

「ケイタイデンワ、でしたか? 遠く離れた人々と話が出来る」

「そう。同じものを持った人となら、ね」

 具体的な説明はあまり意味を成さないだろうと、友弥はざっくり説明をしていた。日本ではとてつもなく便利な代物だが、使えなければもはや何の価値もない。

神力(じんりょく)が使えるようになったから、もしかしたら繋がるかもと思ったんだけど」

 ことはそう上手くはいかないらしい。相変わらず電波は一本も立っておらず、ディスプレイには「圏外」の文字。当然と言えば当然なのだが。


「でも、電池は切れないんだよねぇ」

 どういうわけだか、と友弥はひとり呟く。消えない光に喜ぶべきか、変わらない電波状況を嘆くべきなのか。

「まあ、気長に待ってみるよ」

「?」

「何でもない。ディディウスはお店を見つけたかな?」

 きょとんと目を丸くするリゼに微笑んで、友弥は自身も立ち上がると大通りへと視線を移した。

 時刻は午後三時。林道の“闇”を一掃し、先の街へ入った友弥たちの足取りはすこぶる軽い。覚醒した神力(チカラ)は絶大で、万能とまではいかなくとも十分な可能性を見せている。


 可能性――この世界を闇から救えるのではないかいう、一縷の希望。先程までは絶望的と言えたその未来も、今ならば少しは信じることが出来る。そしてそれは友弥と深月、二人の入れ替わりについても同じことが言えた。

 入れ替わりまであと一時間半。昨日までは焦るばかりだったこの時間帯だが、今日からはその必要性はなくなったと言って良い。

 神官長である友人の言葉は、希望的憶測ではなかった。日が暮れようと入れ替わりは二度と起こらない。友弥には確信があった。

 何故だかは自分でも分からない、まだ結果が出た訳でもない。けれど。


「こうなったら、一刻も早く塔へとたどり着かないとね」

 そうしてすべてを解決したら、深月を迎えに神殿へと戻る。悪を倒した騎士のように、堂々と胸を張って彼女を迎えにいく。

 それから二人一緒に、元の世界に帰るのだ。

「……ユーヤは変わりましたね」

 隣を歩くリゼが頬を緩めて友弥を見上げる。雨は上がり、雲間から差した光が白い肌を照らした。

「そう、かな?」

「ええ。先を急ぐのはいつも私で、ユーヤはどちらかといえば……」

「どちらかといえば?」

「今晩の宿に気を遣っていましたもの」

 言葉を促す友弥の、その正面、開けた大通りに目を向けて、リゼはふふっと小さく笑った。立ち並ぶ建物は曇り空の所為で締め切られてはいるが、中からは明るい光が漏れていた。看板にはこの世界の文字と、分かりやすい絵柄が彫られている。ベッドを描いた宿屋、お酒とカラトリーの大衆食堂、得物と盾の武器屋。巻物とシャツはおそらく、衣裳店か何かだろう。


「確かに。でもこれからも、宿には気を遣うと思うけれどね」

「そうなんですか?」

「もちろん。きっと今頃ディディウスが……」

 深月がこちら側にならないとは言えリゼだって女性であり、しかも正真正銘の“姫君”なのだ。そもそも彼女の“聖獣”が、粗悪な環境を許さないだろう。街に入るなり今晩の宿を探しに行ったディディウスだ、きっともう目的を果たして、こちらに向かっているに違いない。


「ディディウスが、なんですか?」

 きょとんと深緑の瞳を丸くするリゼに、友弥はいたずらっぽく目を細める。

「きっと、お腹を空かせて叫んでいると思うよ」

 食べ盛り真っ最中といったディディウスの姿を思い浮かべ、友弥は口角を緩ませる。主である少女も、つられるように破顔する。

「そうかもしれませんね。急いでディディウスを探さなければ」

 行きましょう、とリゼが大通りの先を示す。今日初めての陽光はすでに傾きを見せていたが、それでも十分に、友弥たちの行く道を明るく照らしていた。








 そうして時は満ちる。

 異世界ルーウィンにて5日目を数える、夕刻。


 深月と友弥は入れ替わらず、この世界において初めて、自らの躰で夜を迎えた。






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