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第五十話 : 交錯 ~ side友弥 last~

 焼け焦げた大地にやさしい雨が降り注ぐ。すべての痛みを癒すようなそれは耳に心地芳く、疲弊した躰を包み込むようにしっとりと濡らしていく。

 紅い方陣も黒い獣も跡形もなく消え、林道は本来の静けさを取り戻す。


「……………………」

 自らの掌を、異形の居た場所を友弥は静かに見つめた。

 方陣は消えた。生み出した大槍(やいば)も、焼き尽くす業火も。けれど、目覚めた神力(チカラ)は変わらずここ(・・)にある。

 友弥の身の内に、知らず宿った神力が渦巻いている。

 自分を、誰かを守る為の、剣道に次ぐ新しい力。否、こちらの方が圧倒的に強大なのだろう。

 それは頼もしくもあり、情けなくもあった。

 

「それなりに、稽古を積んできたんだけど、な」

 剣ではまったく歯が立たなかった、その事実に友弥は思わず苦笑した。

 その時。



   ぱしんっ



 雨に似つかわしくない乾いた音が響く。顔を上げた友弥が見たのは、憤りも顕わに主を見下ろすディディウスと、座り込んだまま頬を押さえ俯くリゼだった。

 状況から見て恐らく、ディディウスがリゼの頬を打ったのだろう。が、友弥にはその理由が分からなかった。


「ディディウス……?」

「最低だよ」

 ディディウスの口から発せられた言葉は友弥ではなく、主であるリゼに向けられていた。

「姫。あの状況で、どうして」

 ぐ、とディディウスは拳を握り締め、悔しそうに顔を歪める。

「ディディウス?」

 言わんとすることが理解出来ず、再度呼び掛けた友弥の耳に届いたのは。

「どうして、気を失ったフリなんてしたの?!」

 怒りを抑えきれないディディウスの――――予想もつかない一言だった。



「気を失った……ふり?」

「あの時。ユーヤが方陣を呼び起こしたとき。姫は目覚めていたよね。ううん、本当はもっと前から。起き上がることも、逃げることも出来た。違う?」

「………………」

 リゼは答えない。雨で額に張り付いた前髪は、彼女の姿勢も相まってその表情を隠した。

 優しいはずの旋律(あまおと)が、静けさが、今は心を苛むようだ。

「姫……どうして何も言わないの? 答えないの? それとも」

 ディディウスが、目線を合わせるように主の前に膝をつく。リゼは顔を俯けたまま、主従の視線は交わらない。交わらないかと思われた、刹那。


「ユーヤに真実を知られるのが怖いの? ――救世主を目覚めさせるために、わざと自分を差し出した、って」

「――――――」

 聖獣の告げる“真実”に、リゼがハッとしたように顔を上げた。怯えたように揺れる深緑の眸は、肯定以外の何物でもないと友弥は思った。

 そして思い出す。

 神力(チカラ)を使った契機(きっかけ)を。友弥の感情を振り切らせた、彼女の一言を。




『とも……』




 リゼは友弥をそう呼んだ。深月だけが使う呼称で、友弥に助けを求めたのだ。

 神力(じんりょく)など使えない友弥に。呪いを前に絶望的なまでに無力だった自分に。

 深月と瓜二つの姿で。

 全く同じ声で。

 言い訳など出来るはずがない、友弥を「ユーヤ」と呼ぶリゼがたまたま、あの瞬間にだけ、深月と同じ呼び方をしたなどあるはずがないのだ。


 だとしたら、そういうことなのだろう。

 ディディウスの言う通り、覚醒したのは運が良かったからでも、時が満ちた訳でもない。

 巫女姫によって半ば強制的に、引き起こされた結果なのだ。


「リゼ……」

 名を呼ぶと、リゼはびくりと肩を揺らした。ぎこちない動きで、視線をディディウスから、立ち尽くした友弥に移す。怯えと痛みが入り混じった眸は今にも泣き出しそうで、見ている友弥の胸も痛んだ。震える肩は細く、世界を背負うというには小さい。普通の少女と変わらないと、友弥には思えた。穏やかな時間を許されていた自分たちと、彼女の違いは何だろう。

 王女という立場か。生まれた世界か。あるいは巫女姫という役割か。

「……ごめんね、リゼ」

 口をついて出たのは謝罪だった。

「どうして……ユーヤが謝るのですか?」

「僕が弱いから。……弱くて情けないから」

 瞼を伏せる。彼女が抱えているものは、彼女が望んだものではない。そんなことは聞かなくても分かる。分かるから、友弥は責める気にはなれなかった。世界を救いたいと願う彼女は壊したいとも望むのに、決して旅をやめようとはしない。神殿に籠り、守られるだけの存在にはならない。

 そんなリゼを友弥は眩しくも、そして悲しくも感じた。


「僕がしっかりしていれば、強い意志を持てていれば。もっと早くに神力(チカラ)を使えていたら、こんな状況は生まずに済んだ」

「ユーヤ……」

 呆然と、今度はディディウスが名を呼んだ。信じられないというように、琥珀色の瞳を見開いている。

「僕の弱さが窮地を招いた。だから、ごめん」

「そんな……止めてください、頭を上げて!」

 悲鳴に近い声を上げたリゼが、慌てて友弥に手を伸ばす。細い腕が、雨に冷やされた友弥の肩に触れようとして、直前で止まる。

「やめてください、私が、私が愚かなのです。浅はかな考えで、あなたを無理やり闘わせた。謝るべきは私です。何もかも、私が悪いのです。だから……」

 声は続かない。続かないよう、友弥が塞いだ。紙のように顔を白くしたリゼの、同じように色を失くした唇を揃えた指でそっと制止する。必要なのは謝罪でも、ましてや懺悔でもない。


 限界まで見張られた深緑の眸を、わずかに屈んで覗き込む。宝玉のようなそれに移る自分の姿はずぶ濡れで、ぼろぼろで、やっぱり酷く情けない。望むような逞しさも、精悍さも窺えない。それでも。


神力(じんりょく)が使えるようになった。自分でどうにも出来なかったから、リゼが扉をこじ開けてくれた。結果、闇を打ち負かすことが出来た」

 それで十分だ。友弥は笑った。青にも緑にも映える、友弥の特徴ともいえる碧い眸を穏やかに細めた。

 リゼの顔が歪む。泣きたいような、怒りたいような、嬉しいような。巫女姫が初めて見せた、複雑な表情だ。

「怒っても、いいのに……」

 どこか子供じみたリゼの物言いに友弥はさらに頬を緩める。そうだね、と軽く答えた友弥は「寝たふりはもうしないように」とやんわりと釘を刺した。真っ白だったリゼの頬に、サッと朱が走る。

「ね、寝たふりでは……」

「あれはかなり焦ったからね。今度からは極力控えて」

 わざと茶化すようにそう言うと、リゼはますます肩を落とした。

「本当に、申し訳ありませんでした……」

「ホントに、二度としないでよね。焦ったなんてもんじゃない、寿命が100年は縮んだよ」

 つんと顎を反らしたディディウスの言う「100年」が、聖獣である彼にとってどれほどの長さを意味するのは友弥には分からない。分からないが、じろりとリゼを一睨みして「約束してよ」と自らの腕を差し出したディディウスは、すっかりいつもの調子に戻っていた。否、激昂したことが恥ずかしいのか、通常時よりさらに輪をかけてぶっきらぼうだ。思わずふっと笑みをこぼすと、目ざとい彼は眉を寄せて声を張り上げた。


「ちょっと! あんたにも責はあるんだからね!」

「わかってる、ごめん」

 謝るも、友弥の笑みは広がるばかり。友弥は気付いている、先程のディディウスの怒りは主の不誠実な行為を諌めただけではないと。

 大切なひと、唯一無二の存在を失うことへの恐怖。それを手繰り寄せるような行動への憤り。守りたい相手にその気持ちを裏切られることへの悲しみ。

「次からは頑張る。足手まといにならないように、頼りにされるように」

 笑いをおさめて真摯に告げると、ディディウスはふんっと鼻を鳴らした。

「その言葉、忘れるなよ」

「もちろん」

「じゃあ」

 に、と聖獣の口角が上がる。意地悪く歪められた頬には余裕の笑み、琥珀の眸が見据える先は、相変わらず薄暗い林道。そして。


「――――――おいでなすった」

 これも増援部隊っていうのかねぇ、とのんびりこぼす聖獣。その手を取って立ち上がった、銀の輝きを取り戻した巫女姫。主従に背中を預けた友弥は、地に()ませていた剣を再び手に取る。

 風など一切感じない林道で、濡れて色を深めた木々がざわざわと騒ぎ出す。雨に耐えた青々とした葉が、枝から無残に引き剥がされ三人の上にはらはらと降り注いだ。漂う気配はむせ返るように濃厚で、和んだ空気を一瞬で押し流す。

 静かな雨音、騒がしい葉擦れ。それに紛れて密やかに、しかし確実に近づくものたち。ああ、と友弥は胸中で呟く。まだこんなにも残っていたのか。それとも引き寄せられたのか。

 醜く哀しい、幻獣のなれの果てに。仄暗い憎悪に。闇に心地よいこの林道に。暗くて黒い塊が、ぬるりぬるりと距離を縮める。

「お手並み拝見と行こうか。――――救世主サマ」

 からかうような口調でこちらを振り返ったディディウスに、友弥はわずかな笑みで以って応える。リゼが紡ぎ出す方陣に呼応するかのように、足元が淡黄色に光り始めた。

 友弥は視界を閉ざし、神経を研ぎ澄ませて内に宿る力を手繰った。躰が熱を孕む、うっすらと目を開けると、陽炎のようにゆらりと揺れる光があった。得物を掴んだ腕が紅い。

「ユーヤ」

「大丈夫。さあ」

 ほんのり汗ばむ頬を緩め、友弥はリゼの背中に告げる。

「始めよう」

 その言葉を合図とばかりにディディウスが大きく両手を打ち鳴らした。光が上がる、眩く神々しい、光の柱。溶け合うような銀色と、逆らうような鮮やかな紅。


 人里離れた静まる林道は、訪れた瘴気をすべて焼き尽くすように。

 喰らい尽くそうとするように燃えた神力によって、瞬く間に清められていった――――――。

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