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第四十八話 : 届かない ~ side友弥 7~

 林道に入れば中はさらに薄暗かった。高低のまばらな木々、苔をびっしりと生やした大岩、小さなせせらぎに掛けられた丸太の端はぬらぬらと気味悪く光り、ところどころ欠けた石段がそこかしこに小さながれきの山を作っている。

 普段から使われていないのか手入れの行き届いていないその空間は、前を行く“異形”にあまりにも似つかわしく、まるでこの奥に家があるとでも言うように、その足取りにも迷いがない。


 背丈は3メートルほど、相変わらずぐにゃぐにゃとして安定しない躰。巨大で凶悪な熊の、その頭だけを切り落として片腕を捥ぎ、もう片方を無理やり引き延ばしたような歪な形。色はヘドロのような濁った緑色と、虚のような闇色の(まだら)


 街で見たものに負けず劣らず醜悪な姿と、撒き散らされる臭気に友弥は思わず眉根を寄せ、外套の袖で鼻と口を覆う。右手は自然と腰に伸びた。



「出るだろうなと思ってたけど、期待をうらぎらないっつーか。案の定だな」

「…………リゼはどうするつもりなの?」


自然と殿(しんがり)を務める形になった友弥は、眼前を行くディディウスに問いかけた。鬱蒼とした林道にあってなお輝かしい金色の聖獣は、首の後ろで組んだ腕にもたせ掛けた頭を上半身ごと友弥に向け、


「倒すに決まってんじゃん」

と、事も無げに言って見せる。



「倒すって言うのは、前みたいに神力(じんりょく)を使って?」

「ほかにどんな方法があるんだよ。お」


 呆れたように肩を竦めるディディウスの、その肩越しで。



「始めるみたいだな」

 進むことをやめた異形――闇の獣と呼ばれるそれの周りに、銀色の粒子が舞い始めた。対峙したリゼはフードを払い落し、露わになった髪と同じ色の方陣を次々に作り出す。

 ディディウスも一歩前に出た。


「結界を張る。下がれ」

「……僕に出来ることは?」

「ない」


 両腕を広げたディディウスが、きっぱりと言い切る。当然だろう、友弥に神力は使えず、どう見ても剣が通じる相手ではない。



「――――けど」


 友弥が言い募るより早く聖獣は振り返り、再び言葉を紡ぐ。



「あのバカ女に負けたくないんなら、その剣で何とかしてみたら?」


 何もしないよりマシでしょ? と友弥の得物を顎で指し、ディディウスはにやりと意地悪く笑う。



「……そう、だね」

 何とも言えない気持ちでそれでも頷いた友弥の、その返事に満足げに鼻を鳴らしディディウスは両の手を打ち鳴らした。



 ぱあん、と小気味よい音が響き、瞬間――――。




「――――――――ッ」

 淡黄色の方陣がいくつも地に現れ、息を呑む友弥を越え上に伸び、暗い林道を照らすように壁を作り出した。太い柱のようなそれは融合し、さらに容量を増して輝き。


 一瞬にして、辺りを明るく染め上げた。







「ユーヤ、避けて!」

 鋭い声に弾かれるように、友弥は太い幹を利用して右に跳んだ。すぐ脇をどす黒い粘液が飛散する。


「ディディウス、結界をっ」

「張ってるよ! でも雨に邪魔されて」

「リゼっ」

 今度は友弥が声を上げる。

 気付いたリゼが襲い掛かる瘴気に気づき、弾かれたように後ろに下がる。拍子に、ぬかるんだ土に足を取られリゼは古木に背中から倒れこむ。



「姫!」


 ディディウスが叫ぶ。その足元に、今度は獣本体の腕が伸びた。

 異様に長いそれが足首を捕らえるより一瞬だけ早く跳躍したディディウスは、焼け焦げた地面を見てチッと短く舌を打ち、そのまま空中で後転、獣から距離を取る。




 ――――林道に入って既に半時。



 降り続く雨に光を遮る緑、泥と化した足場。

 急速に冷やされる体、奪われる体力――反比例するように、活発になる闇の獣とその体液。獣が発する粘着質なそれは、いったん獣から離れると意志を持ったかのように単体で蠢き、各々がばらばらの動きでもって友弥たちに襲い掛かる。

 

 想像していたよりもずっと、状況は悪く戦闘は過酷だった。

 倒れた拍子に頭を打ち付けたのか、地面に腰をつけたリゼは瞼を閉じ、ピクリとも動かない。が、助け起こそうにも友弥、ディディウス、そしてリゼの間には異形がその巨体を滑り込ませ、緩慢な動きで、しかし絶えることなく体液と瘴気をほとばしらせている。

 動けたとしても、無事にリゼにたどり着ける可能性は低い。

 友弥はぎり、と唇を噛んだ。 


 最初は闇の出現に驚いた友弥は、何だかんだと言って今回もきっと、光の主従があっという間に倒してしまうのではないかと思っていた。

 何かしたいと願うばかりで何もできない自分には、おそらく出番はないのだろうと。


 しかしそれは、単なる甘えでしかなかった。



「姫、姫…………っ」


 ディディウスがその安否を確かめようと、何度も必死に呼びかける。が、主である少女は全く反応しない。それを嘲笑うかのように、異形はくるりと躰の向きを変える。

 黒く焦げた大地を、腐臭を連れた塊が移動する。ズル……と不気味な音を立てて、銀色の少女に近づいていく。


 路地に現れたものよりもずっと大きいそれは、呪いに取り込まれた幻獣の一種だという。

 世界を取り込み出した闇の勢いは凄まじく、神力を持った者でさえ抗え切れないことも出て来ている、この獣はまさしくその一部なのだと。

 永きを生きたものだからこそ闇を打ち滅ぼすに長けていたが、一度浸食されてしまうと、神力はすべてが呪いに姿を変えてしまうと。


 先のものとは比べ物にならない呪力、故に完全な封印は、巫女である自分でも難しいとリゼは言った。

 輝かしい神力(ちから)で多くの方陣を展開しながらも、巫女姫は苦悶の表情を浮かべていた。



 その意味を今、友弥は身を以て知らされている。



 リゼが放った銀色は本体に届く前に、吐き出される瘴気に消えてしまう。否、先に瘴気を消してしまわなければ己の身が危ないのだ。触れてしまえばそこから浸食は始まってしまう。

 異形が動くたびに飛散する体液もまた、同じ毒を孕んで絶え間なく友弥たちに迫る。

 闇の触手から全員を守るリゼに、本体を攻撃する余裕はなかった。


 そしてもう一つの戦力、ディディウスの神力(ちから)はまさしく“結界”だった。

 あらゆる命を喰らおうとするものを、この林道という空間から一歩も出られぬよう閉じ込める。

 リゼが本体を、ディディウスがその他を受け持つはずだったのだ――――いつもそうしてきたように。


 だが今回に限ってそのやり方は通用しなかった。

 幻獣のなれの果て、問題なのはそれだけではなかった。



 暗雲に隠されて遮られた光。

 人里離れ、火の灯りさえも届かない長い林道。

 容赦ない雨に弛んでいく地盤。

 もたらされる、夜にも似た気配。


 闇に有利な条件が揃い過ぎている。

 もう、打つ手がない。



「…………っ」

 友弥はぶんぶんと頭を振り、情けない思考をすぐさま追い出して顔を上げた。


 手にした長剣を両手で構えなおす。雨を吸った外套がまとわりついて腕が重い。

 息を吐く、降り注ぐ大粒の水粒が唇を伝って口の中に流れ込む。

 傘のない雨の中は、呼吸さえままならない。


 それでも。


「ッ――――――――ぁああああああああ!」


 走り出した友弥は全力で地を蹴り、得物を振り上げて異形本体に切りかかった。

 ――――切りかかろうと、した。



「――――ユーヤッ」

 焦ったようなディディウスの声、次の瞬間、斑の異形が素早く向きを変え――。

 捻られた本体から繰り出された触手が、友弥を剣ごと弾き飛ばした。


「――ッ………がっ」

 とてつもなく固い――おそらく岩石か何かに背中を強打した友弥は、圧迫する衝撃に胸を押さえて歯を食いしばる。細かな石粒や折れた枝、砂礫が後頭部や首や肩、伸びた足にばらばらと落ち躰を嬲っていく。


 骨が折れたか、あるいはヒビが入ったか。かすかに喘ぐだけで背中と肺に激痛を感じ、酸素を求めても浅い呼吸しか望めない。

 それでも友弥は顔を上げた。


「…………、ゼ……」

 視界には、おぞましく身を滑らせる呪いの塊。目標を戻して向きを変えたものが、ずるりと目指す湿った古木。闇に煌めく銀色の少女。

「――――――姫ッ」

 悲痛な呼び声も、少女を目覚めさせるには値しない。固く閉じられた瞼が揺れることはない。

「お願いだから、目を開けて!」

 どんなに名を呼んでも、懇願しても、その願いは通じない。

「姫ーーーーっ」

 堪えきれなくなったディディウスが淡黄色の結界を解き、主である少女へと駆け出すが、どう見ても間に合わない。瘴気を吐き出す本体が、リゼのすぐ傍まで迫っている。

 

 その清らかさを妬むように。

 染め上げようとするかのように、歪な躰を伸ばし、そして。


「――――た、すけ…………」


 うっすらと目を開けたリゼが、唇を震わせて。



「とも…………」



 いとしい少女だけが呼ぶ呼称で、友弥を見つめた。



 刹那。






 友弥の視界が、真っ赤に染まった。








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