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第四十四話 : 翳りゆく部屋

「つ……疲れた」

 皇太子との手合わせの、その後。

 深月は悲鳴を上げる体を引き摺り、神殿への回廊を進んでいる。半時にも満たない稽古だったというのに、久しぶりの運動、加えて慣れない真剣を用いた為に上腕と足が異様に重い。腕はぴりぴりと痛むし、腿とふくらはぎはおろか足裏までダメージを受けている気がする。これはもう、筋肉痛間違いなしだ。


「だ、大丈夫ですか? 姫様」

 ふらりふらりとよたつく深月を覗き込むのは、明るい鳶色の眸。行き同様に王女の案内を申し出た、純情少年騎士レヴィンだ。彼は心配そうな顔で、少しだけ高い位置からこちらを見下ろしている。


「何だかすごくお疲れのようですけど……。皇太子殿下とのお食事は、それほどまでに大変でしたか?」

 気遣いに溢れた声色、そして瞳に深月はぎくりと足を止めた。


「えーと……」

 レヴィンは知らない。深月が皇太子と稽古をしていたことを。否、知らないのは彼だけではない。

 むしろ深月とライズ以外、その事実を知るものは誰ひとりとしていないのだ。





『真剣を使うんですか?』

『恐いのか?』

 揶揄するように唇を歪めた皇太子、しかし深月が躊躇ったのはそんなことではなかった。

『ていうか、こんなの使ったら外の人に気づかれちゃいますよ』


 金属と金属の打ち合い。

 そんな場面(シーン)は映画やドラマでしか見たことはないが、結構な音がしたと記憶している。当然だろう、剣道で使う竹刀ですら合わせれば、静かとは全く言えないのだ。むしろ騒がしいことこの上ない。

 そしてこの部屋の外には、警備を受け持つ騎士たちが控えているのだ。


 軍事帝国の皇太子、実質その頂点に立つライズの不興を買わぬよう極力干渉してこない彼らだが、それでも室内から剣戟が聞こえたとなればその範疇ではないことは確かだ。

 干渉どころか突撃しかねない。

 それではお互いが面倒を被ることになる、それが分かったのか、ライズは顎に手をやり考え込むように扉に視線を投げる。

『ね? だから稽古はやめま』

『問題ない』

 ぱんっと手を合わせた深月の、その言葉を遮って笑う皇太子。その顔はいつも通り意地悪く歪み、冷たい容貌を一層引き立たせる。深月は頬を引き攣らせた。


『問題ないことないですよ。もしかしてライズ様、騒ぎになっても構わないとか言いません?』

 むしろ乱闘上等とか言い出しそうだ。そしてそうなった場合、甚大な被害損害が出るのは火を見るより明らかだ。

『それでも良いが』

『良くないですっ、二重の意味でパワハラですよ!』

 荒技力技のごり押し皇太子に帝国の権威まで濫用されては、深月としては堪ったものではない。

 思わず叫んで頭を抱え、ぬおおぉと唸りだす深月。その様子に笑いをかみ殺す皇太子は、クッと短く息を漏らすと小さな頭に手を伸ばした。

 自らの頭を抱え込む、白くて華奢な手を握る。


『“ぱわはら”とはお前の国の言葉か?』

『そうです。意味は内緒です』

『そそられるな。が、案ずる必要はない。結界を張ってやる』

『結界?』

 意味が分からず首を傾げた深月を高い位置から見下ろしたライズは。


『いわゆる防音だな』

 この上なくざっくりとした説明をすると、掌を天井へと向けた。軍人に相応しい大きなソレの上に、紫紺の方陣が生まれ、平板状のそれが室内に広がる。かと思うと方陣は一瞬して消え去り、瞬く間に「結界」は完成した。らしい。視覚的に変わったところが見つけられなかった為、そうだと言われれば深月は信じるしかなかった。

 こうしてライズは、深月との稽古を実行に移したのだった。


 最初は半信半疑だった深月だが、この結界という代物、効果はなかなかだったらしい。打ち合いの音はそれなりに派手だったのにも関わらず、誰かが部屋に踏み込むようなことは起きなかった。つまり、こちらの音は外には一切漏れていなかったということになる。

 そしてそれ故にこの稽古は、迎え役のレヴィンが賓客室の扉を叩くまで遠慮なく、実に堂々と続けられたのだった。




 が、それをレヴィンに正直に話すわけにもいかない深月は眉根を寄せてうーんと唸った。

(さて、何と言ったら良いかしら)

 純粋に心配してくれているレヴィンには申し訳ないが、ここは何としても誤魔化さねばならない。ライズと剣を合わせたなど、知られる訳には……。


「リゼ=ヴィーラ様」


 考え込むあまり丸まり始めた深月の背に、声が掛けられた。


「…………はい?」

 呼ばれ慣れないその名に軽く戸惑いつつ、深月は声の主を振り返る。果たしてそこには、派手な身なりの初老の男が、薄い笑いを浮かべて立っていた。見覚えは全くないが、恐らくは上流階級の人間だろう。

 金褐色の髪を後ろに撫でつけ、露わになった耳には紅い宝石飾り。外套の肩口には金の釦に豪奢な彩房、内に纏うシャツは光沢があり、見るからに上質だ。が、趣味はあまり良くない。


「おはようございます、リゼ=ヴィーラ様。ご機嫌は如何ですかな?」

「お、はよう……ございます」

 何とか挨拶を絞り出した深月は、ヴェールの下で頬を引きつらせた。


(誰、この人?)


 そう、深月は正面の男を知らなかった。当たり前だ、この城に来て早三日、表向きは王女として過ごしてきた深月だが、その実立派な引きこもりなのだ。顔を合わすのも話すのも事情を知っている者のみと、かなりの制限をかけられている。

 あるいは「王女として振舞わずに済むように」というアークなりの配慮だったのかもしれないが、今はバッチリ裏目に出ている。はっきり言って大ピンチだ。


(どうしよう……)

 出来れば「忙しいので~」とか適当な理由をつけてトンズラしたいが、そうするには相手の身分が高そうだ。噂の“貴族”というやつか、はたまた政治家か。あるいはそのどちらもか。


「お顔を拝見したのはいつぶりでありましょう。どうですか、お変りはございませんか」


 そうこう悩んでいるうちに話しかけられてしまった。

 深月は思わず左右に目を泳がせ――――そして腹を括った。



「そうですね、変わりありません。あなたも息災そうで何よりです」


 男に対し堂々と、深月は「にっこり」笑いかける。

 逃げられないのならば真っ向から対峙するより他にないし、身分が分からなければ見抜けばいいだけのこと。適当な態度はそれこそ、後々取り返しのつかない事態に陥りかねないだろう。

 それに深月は「お姫様の真似ごと」に関しては、少しばかり自信があった。




『淑やかに、華やかに。誰もを魅了するように、慎ましくも艶やかであれ』




 片割れ(さつき)の言葉が活かされる時が来た、と、深月はぐっと拳を握った。



「おお、このような老いぼれにまでそのようなお言葉を下さるとは。リゼ=ヴィーラ様は、本当にお優しい」

「何を言います。あなた達の支えあっての、この国の安定でしょう。私など、皆に心労を掛けるばかり」

 言ってしおらしく俯いて見せれば、男は「おお」と大仰に声を上げる。深月はこっそり口元を緩めた。


 これは一種の駆け引き。明らかに身分の高いこの男が、実際はどの地位に居る者なのか。王女(リゼ)をどれほど知っているのか、また、どう思っているのか。それさえ分かれば、今はどうとでもなる。

 上品に振る舞うだけ(・・)なら、深月はお手のものなのだ。“お姫様計画”の名は伊達ではない、研究DVD(しりょう)だってこの数年で(そら)んじられるほど見た。

 今何よりも肝心なのは、相手の内を暴くことだろう。


「いやいや、行方不明と聞いた時には本当に肝が縮む思いでしたぞ。ご無事なようで何より、このロシュア、安心致しました」

「心配を掛けました。せめて一言でも、誰かに残して行くべきでした」

「そうですなあ。ああいう時こそ、宰相であるワシを頼って欲しいものです」

「そうでしたね、申し訳ありません」

 それっぽく謝罪を述べた深月はしかし大いに拍子抜けし、ヴェールの下で目を瞬いた。思ったよりもあっさりと、簡単に情報が得られてしまった。

 勿論ありがたいことではあるのだが、それでいいのかと心配になる。目の前の男が言うにはこの国の宰相――――つまり政治において参謀となる役割を担うのが、他でもない自分なのだという。こんな駆け引き皆無、タヌキ丸出しの男が、だ。

 煌びやかな装飾に(へりくだ)るように見せた、それでも隠しきらない尊大な態度。相手の腹の内を見透かそうとするもったいぶった話し方。まるで時代劇に出てくる悪代官そのものだ。はっきり言って、どこを取っても好感が持てない。


 深月は早々に立ち去ることにした。


「今回の件、あなたにもきちんと詫びねばと思っていました。ここで会えて良かった」

 では、と。駄目押しとばかりにもう一度微笑んで、深月はさっさと踵を返す。


 「失礼致します」

 深月の後ろに控えて居た近衛騎士、レヴィンもまた主に(なら)い、礼を取ると外套を翻す。

 こうして、予期せぬハプニングは幕を閉じた。


 と、深月は油断していた。



 刹那。




「流石はリゼ=ヴィーラ様。レスティアに嫁ぐと決めた方は、余程時間が惜しいと見える」

「…………え?」


 投げつけるかのような口調、耳を疑うロシュアの発言に、深月は思わず足を止めて振り返った。


「誰が……誰に嫁ぐ、と?」

「それはもちろん、リゼ=ヴィーラ様。あなた様が、ライズ皇太子殿下に、ですよ」

 に、と下卑た笑みを浮かべる宰相に、先ほどまでの(うやうや)しさはない。


「だからこそ、足繁く通ってらっしゃるのでしょう?巫女であるあなた様自ら、皇太子殿の御許へ」

「私、は」


「リゼ=ヴィーラ様がかの帝国に嫁がれれば、この国はさぞ、安泰でしょうなぁ」


 振り向いた王女に瞳を細め、ロシュアは満足気に唇を歪めた。






 それはこの世界で初めて感じる、王女への明確な悪意だった。





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