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第三十九話 : 彼の名は

 本日も雲ひとつない晴空、降り注ぐ天日は眩く、木々や居並ぶ建造物がきらきらと光を弾く。

 

 夏真っ盛りのルーウィンはしかし日本とは違いジメジメしておらず、日差しは強いながらも吹く風は実に涼やかだ。

 開け放たれた窓には若苗色のカーテンがたなびき、空気は一層清らかに感じられた。



「おはようございます、アークさん」

 戻ったユハの手を借りて着替えを済ませた深月は、応接室に入ると丁寧に腰を折った。

 未だ早い時間、私室内ということでヴェールを被っていない深月の、三つ編みにされた黒髪がお辞儀に合わせて肩口で跳ねる。

 ゆったりと腰掛けた卯の花色のソファからそれを見やったアークが、やがていつものように姿勢を正す。

「おはよう」 

 返ったのは耳に心地よく、険のない挨拶だった。美麗な顔にも特に厳しさは漂っていない。

 深月はほっと息を吐き、緊張を緩めて自身もソファに腰を下ろした。

 どうやらお説教モードは解除されているらしい。


「今朝はずいぶん早いんですね。何かありましたか?」

 喧嘩の続きではないのなら、深月に心当たりはない。またその話以外では全く後ろめたい気持ちのない深月は、何の衒いもなく率直に問いかけた。

 刹那、アークの懐が小さく光ったかと思うと、真っ白な塊が深月めがけて飛び出す。

「――――っのわ!?」

 咄嗟に両手を出した深月は、胸元に受け止めたものを確認して目を丸めた。

 染み一つない、真綿のようなそれには尖った耳とふさふさの尻尾、紅玉のような愛くるしい瞳――――。

「シシィ!」

 意思を宿したぬいぐるみのキツネ――シシィは目を輝かせ、ピッ、と前足を上げて返事をする。

「おはようシシィ~」

 元気だった? と頬ずりし、その肌触りを堪能する深月。

 昨夜は「ユーヤが驚く」という理由で取り上げられた為、半日ぶりの再会だ。

「大丈夫? いじめられたりしなかった? ちゃんとベッドに入れてもらえた? まさか枕にされたりなんか」 

「お前は私を何だと思っている」

 愛犬、もとい愛キツネに矢継ぎ早に質問を浴びせる深月に、アークの厳しい声が飛んだ。

 見ると眉間に深い皺を刻んだアークが、限界近くまで細めた瞳でこちらを睨んでいる。


「すっ、いま、せんっ」

 つい、と頬を引き攣らせた深月を胡乱な眼差しで見やるアーク。しかしそれも長くは続かず、アークはいつものように盛大なため息を吐いた後、再び口を開いた。

「そのキツネは専用の籠を取り寄せ、一晩そこで大人しくしていた。持ち主(おまえ)よりも余程賢いと見える」

「カゴ? その扱いはちょっと不満な気もしますが……ていうか何気に私、貶されてます?」

「事実だ」

 スパッと歯切れの良い返事に、深月の眉根もぐぐっと寄る。

 シシィを褒められて嬉しい気持ちもあるが、それはそれ、これはこれだ。

「朝から失礼ですよ、アークさん。私はお馬鹿じゃありません」

 つんと顎を反らす深月。腕の中のキツネがそれに倣う。

「では訊くが。――――昨夜は大人しくしていたか?」

「え”っ」

 びくぅ、と深月の肩が上がる、それをアークは見逃さなかった。目つきが一層厳しいものへと変わる。


「昨日、ユーヤと入れ替わる直前。私は言ったな? 神力(じんりょく)を使うな、と」

「え、と」

「その反応――やはり」

 不穏な空気を醸し出しつつ、アークがゆらりと立ち上がる。その天色の眸が今や闇より深い黒に染まっている気がして、深月はますます身を竦ませた。

(ま ず い)

 怒ってる。アークは紛れもなく怒っている。

 が、深月は正しくは言いつけを破ってはいない。アークが危惧するように、チカラをぶっ放したりはしていないのだ。

 理由は言わずもがな、出現したのが水鉄砲で、深月の試みは失敗に終わったからだ。

 そしてそれ故に、突っこまれる訳には尚更いかなかった。


「あ――アークさんこそ、わっ、私に言うことがあるでしょう?!」

 テーブルを強く叩きつつ、自分も負けじと立ち上がる深月。その拍子に膝からキツネがころりと転がり、用意されたティーセットが音を立てた。

 しかし当の深月は気にしない。否、する余裕がない。

(これ以上深く聞かれてはだめ!)

 特に結果については、いたたまれなさ過ぎていけない。

 深月の中で「ドヤ顔不発事件」と名づけられた昨夜の事件は、金輪際誰にも触れさせないものとして、記憶の奥底に封印することに決めているのだ。

 間違っても、新しく刻まれる事があってはならない。


「だから言っているだろう、チカラを使うなと」

「そ、それではなくてっ。私が言っているのは、アークさんの隠し事についてです」

「……隠し事? 身に覚えがないが」

 そんなことより、と話を戻そうとするアークに、深月は慌てて言葉を繋いだ。

 しつこいようだが突っこまれるわけにはいかない。

 深月にも恥というものがあるのだ。

「誤魔化そうたってそうはいきませんよ、こうなったら洗いざらい吐いてもらいます」

「待て、何の話だ」

「待ちませんっ」

 ずい、と身を乗り出した深月の、その頭をアークが抑え込んだ。



「落ち付けと言うに。お前は一体、何の話をしている」

「リゼから聞きましたよアークさん、お二人は従兄妹だそうでっ」

 ぐぐぐ、と頭を突き出す深月、そして押し戻すアーク。まさに「押し問答」を体現する二人は、そのまま真正面で睨み合う。

「今は関係ないだろう。それより」

「何で黙ってたんですか? 内緒なんて水くさいです」

「隠していたわけではない、聞かれなかったから言わなかったまで」

「そんな常套句が通用するとお思いですか?」

「何の話だ? お前こそ、何をそんなにむきになっている」

「えっ」

 それは単に、突っこまれたくないからです。

 などと正直に言えるはずもなく、深月は冷や汗をかきながら尚もしらを切る。

(ここまできたら本当に、洗いざらい吐いてもらおう)

 まるでベテランの刑事のような台詞を胸に、深月はキッと顔を上げた。


「アークさん、アークさんの本当の名前は、アレクさんと言うそうですね?」

「は?」

 突拍子もない問いかけに、アークがいとも間抜けな声を上げる。

「は? ではありませんよアークさん。聞けばアーク=レイというのは洗礼名だって言うじゃないですか」

「それは事実だが……。だから何だと言うのだ」

「なんだ、ではないです。どうして自己紹介の時、本名を教えてくれなかったのですか?」

「…………」

 多少なりともたじろいだアークにもう一歩、と深月が身を乗り出す。相変わらず頭は押さえられているものの、その力は最初よりもずっと弱まっていた。

 そして。


「王族であれば話は違ったということか?」

「え? ――――っわ!」

 唐突に平常に戻る声、それと同時にアークの腕が引っ込められた。

 突然支えをなくした深月の身体が、ぐらりと前のめりになる。慌ててバランスを取った深月が抗議の声を上げようと目線をやると、アークの視線と真っ向からぶつかった。

 天色の眸には、氷のような冷ややかさ。

「アーク……さん?」

 思いもよらないその眼差しに、深月の喉がひくりと震えた。中腰に近い体制の自分を、立ち上がったアークが見下ろしている。

 その視線は高圧的で、いつもの彼の雰囲気とは全く違った。

 アークの唇が動く。


「名乗らなかったのは必要が無かったから。しかし、私の判断は間違っていたようだな?」

「い……え、そういうわけじゃ」

「知りたいと言うのなら教えてやる。私の名はアレクセイ。アレクセイ=シウォン=セル=リラム。この神興国の、王位継承権を持つ名だ」

「王位、継承権……?」

「左様」

 答える声は無機質だが、その態度は王族というに相応しい、傲然たるものだった。

「この国の、王女に次ぐ地位だ」

 そこに用があるのだろう? とアークは深月を睥睨する。あからさまな侮蔑と揶揄に、深月の顔は青ざめた。

(もしかして、これは……)

 訊いてはいけないことだったのではないか。

 早くも後悔し始めた深月、その眼前にアークの腕が再び伸びる。

(――――怒らせたっ)

 びくり、と肩を震わせた深月は、咄嗟に顔を俯けきつく両目を閉じ、そして――――――。



「――った」

 ぴんっと額を弾かれて、くぐもった悲鳴を上げた。

「何すんですか?!」

 一拍遅れてやって来た鈍い痛みを手のひらで押さえながら、アークを睨む深月。その漆黒の眸に映ったのは、通常(いつも)と何ら変わりない、澄まされた綺麗な顔だった。

「あれ?」

 そこに先程の苛立ちは微塵も感じられない。

「アークさん、怒ってたんじゃ……?」

 目尻をわずかに潤ませる深月を見やり、アークは大仰に息を吐く。

「怒ってなどいない」

「でも」

「今のは仕置きだ」

「仕置き?」

 それはなんぞ? と眉根を寄せる深月。その眉間をもう一度弾いて、アークは「どうせ」と口を歪めた。

「昨夜は大人しくなどしていなかったのだろう?」

「…………私はリゼと部屋にいました」

「ほう」

「出陣したのはディーだけです」

「そうか……」

「………………」

「…………。まぁ、良いだろう」

 どうやら大事もなかったようだしな、と。


 いつもの調子に戻ったアークはソファに座り直し、冷めきった紅茶に手を伸ばした。

 

 

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