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第三十六話 : 大好きだよ


 ぴゅう、ぴゅう、と。

 小さな銃口から花緑青の光が吹き出す。

「ディディウスなら大丈夫ですよ、ミヅキ」

 ぴゅっ、ぴゅっ。

 まるで本物の水のように、光のチカラが飛沫を上げる。


「だからミヅキ、そんなに気を落とさないで」

 ぴゅー。


「ミヅキ……」

 根負けして逆に肩を落とす――そんなリゼに、深月は水鉄砲を「はい」と渡した。

 ん? と首を傾げる彼女には答えず、そのまま深月は膝を抱える。


 ベッドで体育座りという、梅雨時にも匹敵する湿っぽさ。

 深月は盛大に落ち込んでいた。

「私は世界一、ううん、銀河一の役立たずだわ」

「そんなことありません」

「そんなことだらけだわ」

「誰にでも、うまくいかない時くらいあります」

「でも……あんな大見栄切ったのに。ディーだってものすごく呆れてたわ」


『もういいから、お前はここで大人しくしてろ』

 そう言ったディディウスの、心底残念そうな顔を思い出す。

 否。あれは“残念なものを見る顔”だ。


『……心意義だけは、認めてやるよ』

 出て行きざまに掛けられた一言が、深月の心を更にえぐった。

 きっと彼なりの慰めなのだろうが、喧嘩相手にそんな言葉を貰っては、いよいよ情けなくなってしまう。


「アークさんの言った通りだ」

「アレクが?」

 うる、と涙ぐむ深月に手巾(ハンカチ)を差し出したリゼが、ぱちと目を瞬いた。

「アレク? ……って、アークさんのことですか?」

 聞き覚えのない名前に、今度は深月が目を見張る。

「そうですよ」

「え、でもアークさん、アーク=レイさんて言う名前じゃ……」

  アーク=レイ、略してアレク。

(いやいや違うでしょ)

 ぶんぶんと首を振る深月、そんな彼女を見たリゼが不思議そうに首を傾げ、それから「そうでした」と呟く。


「そう呼ぶのは、昔も今も、私だけでした」

 答えたリゼが小さく微笑む――その頬は少しだけ紅い。

「もしかして、アークさんてばリゼの恋人ですか?」

(そうだ、そうに違いない!)

 深月は決めつけた。

 何故ならアークも、リゼのことを「イリーゼ」と呼んでいたのだ。

 お互いだけの特別な呼び名。それは何も、日本に限定されることではないだろう。

(あんな朴念仁みたいな顔をしているくせに、しっかりと思い合う彼女がいたなんて)

 思いきり失礼な深月にしかしツッコミ役は不在で、アイアンクローの心配もない。

 深月はむふふ、と大和撫子にあるまじき笑いを浮かべた。

 が、しかし。


「アレクは従兄ですよ?」

 深月の妄想は見事に粉砕された。


「――――――い?! とこっ?」

「はい。先代の王であった私の父、その弟である公爵が、アレクの父なのです」

「え、え? じゃあイリーゼっていうのは」

「私の本当の名前です」

 リゼ=ヴィーラとは洗礼名ですから、と。

 にこやかに笑うリゼに、深月はがっかりを体現するかのようにベッドに突っ伏した。


「なぁんだ~」

 お尻だけ上げた状態で、ベッドの上をもぞもぞ移動する。その様は最早イモ虫だ。

「ミ……ミヅキ」

 つまらないと顔に書いてうぞうぞと動く深月に、リゼは頬を引き攣らせた。

 躰は友弥、でも中身は間違いなく深月。

 頭では分かっているリゼだが、昼とのあまりの違いに戸惑わずにはいられない。

 そして当の本人である深月に、今、外見が友弥だという自覚はほとんどなかった。



 彼の本当の名前を呼べるのは、この神殿では私だけ。

 それは、幼かった自分のひそかな自慢だった。 


「ねえ、リゼ」

「っはい。何でしょう?」

 名を呼ばれ、遠い昔に心を馳せていたリゼは上ずった返事をした。

 見やるといつの間にか体を起こした深月が、じっと視線を注いでいる。

「……な、何でしょう?」

 不必要だと思えるほどに鋭い視線、動揺する心を悟られないようリゼは精一杯面を澄ます。

 そんなリゼに、深月の目は細くなる。

「ほんっとーに、アークさんとは何にもないの?」

「何も、とは?」

 どういう意味でしょう、とリゼは首を傾げる。

「例えば従兄以上恋人未満、みたいな」

「……えーと」

 どういう意味でしょう。

 困った、深月の言いたいことがさっぱりわからない。

 眉根を寄せてそう表現するリゼは、実は深月の言いたいことなどとうにわかっている。

 彼女が聞きたいこと、それは。


「アークさんに対して、恋愛感情は全くないの?」

 やっぱり。

 思った通りの問いかけに、リゼは心の中で溜め息を吐いた。

 アークとリゼは従兄であり、同時に幼馴染みでもあった。

 生まれてすぐに神殿に引き取られたリゼだが、その時点では既に、アークもそちらに籍を移していたのだ。

 

『イリーゼ』

 名前を呼んでくれるのは、彼だけだった。

 次代巫女姫という地位が、リゼから本当の名を奪ったから。


『おいで、イリーゼ』

 そう言ってくれるのも、彼だけ。

 王女という身分もまた、リゼから人を遠ざけた。


『いいこだね』

 頭を撫でてくれたのも、いつも傍にいてくれたのも。

 寂しくないと思えたのは、すべて彼がいたからだった。

 だからこの気持ちが芽生えたのも、きっと自然なことなのだ。


「私にとって、アレクは」

「アークさんは?」

「……アレクは、兄のような存在です」

 言って、リゼは静かに目を伏せた。

 嘘ではない、肉親の情は勿論ある。

「恋愛感情を抱くことはありません」

 今度は真っ直ぐ顔を上げ、深月の目を見てにこりと笑った。十九年間で染み付いた、自分を守るための笑顔だ。

 完璧に、どこも不自然にならないように。

 誰にも隙を見せないように。

 この世界で生きて行く、それは容易いことではないから。

 私は私を殺すことで、大切なものを守ってゆく。

 そう、決めたのだ。



「……わかった」

 しぶしぶ、といった様子で深月が呟いた。

 言葉とは裏腹にその表情は猜疑と不満に満ちていてるが、これ以上は追及しても無駄だと思ったらしい。大人しく身を引き――――否、寝台から枕を引き寄せ、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 そうしてカーテンを閉じたままの窓を見やり、やがて何も話さなくなった。


 もしかしたら心の内を明かさない自分に、不信感を抱いたのかもしれない。リゼは思った。

 こちらは深月たちを頼るばかりで、しかし詳しい話は一切していないのだ。加えて、先程の拒絶とも言える答え。

 信を欠いたとしても、何ら不思議ではなかった。

 私は人を疑いすぎているのだろうか。だとしたらどう返せば良かったのか。

 省みても正解は見えず、リゼは静かに唇を噛んだ。


 深月が口を閉ざしリゼもあえて話しかけることはしない、否、出来ない状況で、しかし室内が静まり返ることはなかった。

 少し離れた食堂から、音楽やら話し声やらが届くのだ。

 笑い声、響く楽器の音、調子の外れた陽気な歌――――それらは一種の(まじな)い。

 明かりを絶やさず大勢で騒ぎ、闇を寄せ付けないようにしているのだ。

 ルーウィンの人々にとって静かな夜は、恐れの対象でしかなかった。


 少しだけ月の出始めた――それでも光が差し込む夜。

 今この時にも闇は暴れ、抑えるべくリゼの聖獣は戦っている。彼はきっと危なげなく、事を成し遂げてくるだろう。

 それだけの神力(じんりょく)を、リゼは彼に与えていた。

 心配などは元から不要だった。

 そう経たないうちに、ディディウスはこの部屋に戻ってくる。

 リゼは視線を深月と同じく、窓に掛かったカーテンに向けた。


 依然会話はなく、同じ方向を見つめているにも関わらず深月との間に壁が感じられた。

 どうすればこの状態から抜けられるのだろう。

 何か話せばよいのか、それともディディウスの帰りを待てばいいのか。

 そもそも自分は何故、あんな態度を取ってしまったのか。

 守ると約束してくれた深月。 

 皆で乗り越えようと言ってくれた彼女に、私は――――。


「……私には、弟がいるの」

 ぽつりと、深月が言った。

「……え?」

 深月から口を開くとは思いもしなかったリゼは、その呟きに俯いていた顔を上げた。しかし彼女はこちらを見ず、頭は枕に乗せたままカーテンを眺めている。

颯希(さつき)っていう名前でね、私とは双子なの。昔は身体が弱くて、小さくて、色も白かった。どこから見ても弱っちそうで、よくいじめられてた」

 戸惑うリゼは置き去り、返事も求めていないのか深月は一人で喋り続ける。

「私が守ってあげなきゃ、って。ずっとそう思ってた。いじめっこはみーんなやっつけたし、いつも近くに居た。子供の頃も、高校生になった今も」

 今では颯希の方がしっかりしてるかも、と深月は笑う。

 その表情(かお)は穏やかで、少し寂しい。

「何でも相談に乗ってくれたし、私も、昔ほどは無理でも、頼って欲しいって思ってた」

「そう……ですか」

「うん」

 深月が今、こんな話をしだしたのは何故なのか。

 その答えは、彼女自身がくれた。

「ねえ、リゼ。……私ね、お姉ちゃんなんだ」

「……はい」

 彼女が何を言わんとしているのか。

 それを聞き逃すまいと背筋を正し、リゼは息を呑む。

 深月が伝えたいこと、それは。

「だからね、リゼ」

 ゆっくりと、深月がこちらを向いた。その口元は緩く上がり、瞳は優しく和らげられて――。


「いつでも私を頼ってね」

 全部じゃなくてもいいから、と微笑む深月。その笑みはとても綺麗でリゼは一瞬目を奪われた。

 が、リゼはすぐに我に返り、同時に下を向いてしまう。

 胸がじんわりと温かくなる感覚。何故だかとても泣きたくなった。

「ありがとう……ございます」

 やっとのことで絞り出した声はか細く、相手に聞こえるかも分からないほど小さく。


 それでも深月は「うん」と頷き、嬉しそうに相好を崩した。

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