第三十二話 : 親愛なるあなたへ
発動したチカラ、少女から放たれた神力が、砲弾となって呪いを撃った。
穿たれた穴を中心に赤黒い塊がじりじりと焼け、一層醜く歪んでいく。
方陣が煌めき、緑青の光は勢いを増す。まるで火を鎮める雨の如く、散り散りになった呪いに降り注ぐ。
「これで、最後」
呟いた深月のポニーテールが、神気を纏って舞い上がる。
「い――――っけーーーー!!」
叫んで、深月はもう一度引き金を引いた。
銃口から吹き出す、闇を清める眩い輝き。
煌く花緑青の光は幾筋にも分かれて空に向かい、呪いの残骸を跡形もなく消し去った。
「……で……きた」
はっ、はっ、と荒い呼吸を繰り返す少女の額を汗が伝う。
綺麗に晴れた空、それを硝子越しに眺めて、深月はその場にへたりと座り込んだ。
(やった。呪い、やっつけれた…)
自分にも出来たと感動しつつ、そっと右手に視線を移す。
白い指にしっかりと握られたのは、自ら作り出した武器。漆黒の体に翡翠の装飾、華麗な金色の房が揺れる――――。
「銃……」
それもハンドガンのような短筒ではなく、長い銃身を備えたショットガンだ。
(う、っわーい……)
まじかー、と深月は頬を引き攣らせる。
確かに武器なら何でも良いと願ったし、距離を考えて飛び道具をとも考えた。
しかし、さすがに銃器が出てくるとは思っていなかったのだ。それもこんな、常人には扱いきれないようなものが――。
「なんてアグレッシブ」
うーん、と頭をもたげる深月。その呟きに応えるかのように、左腕に抱えられたものがピクッと動く。
「ん? ……あ」
そこにあったのは、呪いから出てきた黒い塊――ではなく、真っ白なキツネのぬいぐるみ。
赤い目が印象的なそれは、深月が闇の中で見たものと全く同じだ。
孤独な子供が大事にしていた、つぶらな瞳の愛くるしい人形。
(ああ、そうか、呪いが解けて……)
深月は祭殿の奥に視線を投げる。初めに“呪物”が置かれていた場所には、今はもう何も乗っていない。まるで端からそうだったかのように、浄化された祭壇が白く輝くのみ。
「そっかぁ……。よかったぁ」
しみじみと呟いて、腕に収まったキツネを優しく撫でる。ふわふわと触り心地の良いそれに、深月はふっと息を吐いて相好を崩した。
そうして。
ごいんっ
ぬいぐるみを愛でていた深月の、その頭に鉄拳が見舞われた。
かつてないほどの重さと衝撃、目の前に星が散る。
「――――ったーーーーーーいっ!」
唐突に与えられた凄まじい痛みに、深月はその場で悶絶する。
「痛いっ、本気で痛いっ、痛すぎる!」
「当り前だアホ娘。これは仕置きではない、躾だからな」
憤怒を凝縮したような声――恐るべきゲンコツを繰り出したその人に、深月はヒッと息を呑む。
「あああ、アークさん」
恐々と振り返る深月の、その瞳に映ったのは相変わらず隙のない神官――――ではなかった。
「アークさん……」
綺麗な顔を歪めた彼が膝を突き、深月の顔を見つめる。
陽の光を集めたような髪が、汗ばむ額に張り付いている。
真摯な瞳、頭上の空と同じ色に、深月は釘付けになった。
「覚悟を、と。確かに私はそう言った。だがそれは、無茶をしろという意味ではない」
わかるな、とアークは問う。その言葉には怒りだけではなく、憂いも多分に含まれている。
きっとたくさん心配させたのだろう。
しかしそれが分かっても、深月は素直に頷けない。頷けないから俯いてしまう。
「約束……しましたから」
「約束? ……光になるというアレか?」
「それもあります、けど……」
『約束して』
リゼの声が耳に蘇る。
彼女の願いはきっと、その後に続いた言葉だけではない。
信じることを願う王女、慈愛に満ちた巫女姫が望むのは、信じた先に見えるもの。
何者にも覆されない、穏やかな未来。
この世界で最初に出会ったひと、自分と同じ顔をした彼女は、想像もつかない過酷な運命をその背に負っている。
そしてそんなリゼを、深月はどうしても放っておけないと思った。
「リゼに言ったんです。守って見せるって。強くなるって。だから……」
ぐっと唇を噛む。アークの言いたいことは分かる。不安にさせたことも。
でもそれ以上に深月は、情けない自分は許せなかった。
「今回は、結果オーライです」
真っ直ぐに、顔を上げて。
深月は屈託なく笑って見せた。
ところが。
「……………………」
いっそ清々しいほど開き直った深月に対し、美貌の神官は眉間の皺を一層深くした。
最終的には深月の気持ちを尊重してくれるアークだが、どうやら今回は怒りの感情が上回っているらしい。天色の眸は限界まで細められ、無言ながら凄まじい圧力を放っている。
(目は口ほどに物を言う!)
やだこわい、と深月は胸元のぬいぐるみをぎゅうっと抱き締めた。間違いなく、今の彼は「お説教モード」だ。
無意識に身構えた深月の覚悟を読み取ったかのように、形の良い唇が動き――。
「お前という娘は……――ッ」
ぽふ、と。
言葉を発したアークはしかしすぐさま、柔らかいものに口を塞がれた。瞬間、瞠目したのは塞がれた当人だけではない。
深月もだ。
となれば、犯人はおのずと決まってくるもので……。
「……………………」
「…………うごいた」
深月の腕に収まる、幼児ほどの大きさのぬいぐるみ。
驚きの白さを誇るキツネの前足が、美貌の神官の呼吸器を覆っていた。
◇
「決めたっ。あなたの名前はシシィ。シシィよ」
いい名前でしょう? と深月は上機嫌でぬいぐるみに問いかける。
「あなたのご主人さまの名前から取ったのよ」
笑いかけると、真っ白なキツネは嬉しそうにこくこく頷く。嬉しそうといっても表情は変わらないので、飽くまでも深月の推測でしかないのだが。
「わぁ。可愛いですねぇ、そのぬいぐるみ」
給仕役としてワゴンを押してきたユハが、深月の膝元を覗き込む。
「そうでしょう、可愛いでしょう?」
「はい、とっても。お名前を付けられたのですね?」
「うん。この子の、前の持ち主が『シーリン』っていう名前でね。それをもじったの」
得意満面な深月に、ユハは「そうなんですか~」と笑い、それから「ところで」と目を瞬かせる。
「さっき動きませんでしたか? そのぬいぐるみ」
ユハのツッコミに、深月はびくっ、と身を強張らせる。
「え、えっとー……」
「動きましたよね? 首振ってましたよね?」
「違うのよユハ、今のは」
「自分で、振ってましたよね?」
「…………ハイ」
言い逃れを許さない口調に深月は持ち上げていたぬいぐるみを膝の上に下ろし、そっと両手で隠す。
見られた後では全く意味のないその行動に、テーブルの向こうに腰かけたアークが呆れたように息を吐いた。
否、実際に呆れているのだろう。
つい先ほどまで怨念をふんだんに詰めていたキツネのぬいぐるみは、深月が呪詛を払ったことで綺麗さっぱり浄化された。
ところが、その内に宿った魂とも言える情念は何故かその柔らかい体に残った。
一身に主人を慕う純粋な心。世界を恨んでいたのは死んだ子供ではない。
肌身離さず抱かれていた、人形そのものだったのだ。
そんな“彼”の想いを深月は理解し、呪物として壊すのではなく、闇だけを消して救った。そして“彼”は、恩人である深月を新しい主と認識し、彼女の為に尽くそうとしているらしい。
例えば先程のように。
今からほんの少し前、祭殿にて「お説教態勢」に入ろうとしていたアークを、キツネのぬいぐるみは文字通り「腕づく」で止めた。
ふわふわの前足で言葉を止め、次いでもう片方の前足で眉間の皺を押さえつけた。
ぬいぐるみに制された麗しの神官長。
その光景は何ともシュールで、アークはおろか深月さえ、微動だに出来なかった。
が、それも一時のこと。
がちゃり
神剣を掴んだアークの腕が、ゆっくりと持ち上げられ――。
「――――ちょーーーっと待ったぁあ!」
我に返った深月は大慌てで、アークの暴行を止めることになったのだ。
その後、アークに事の詳細を話して剣を収めさせることに成功、キツネのぬいぐるみは深月の所有物として、王女の私室に持ち帰られることとなったのだ。
が、しかし。
いわゆる“いわくつき”であるこの人形、幾ら王女の希望といえど快くは受け入れてもらえないだろう。神殿ならなおさらだ。
(さて、何て説明しよう)
要は危険ではないと分かってもらえれば良いのだが、これがなかなか難しい。
(命を持ったぬいぐるみ。見た目は愛らしい。ご主人様すきー)
後は何が有効だろうか、と一人百面相をする深月をよそにアークは
「言ったろう、そんな危険なものは持ち歩くな」
冷めた眼差しでぬいぐるみを見やる。そこに感情は全くもって窺えず、それが逆に相性の悪さを表している。
「いきなり人に襲い掛かるようなもの、封じてしまうのが最善だ」
「お言葉ですがアークさん、それに関してはお互い様です」
今度は深月が、キツネのぬいぐるみを庇う。
何せアークは、神剣でぬいぐるみの腹を刺しているのだ。
結局祭壇にあったのは呪詛が見せた偽物で、本体であるこちらには傷一つないがそれでも良い感情は持てないだろう。
深月の言葉に、キツネはたしっ、とテーブルに前足を置いた。
「ほら。シシィだってご立腹です。謝ってください」
「必要ないだろう。私が貫いたのはそれではない」
「アークさんてば。良いですか、世の中には喧嘩両成敗という言葉がありまして」
「喧嘩などした覚えはない。故に不要だ」
「あーもー」
このわからず屋、と頭を掻きむしりたくなった深月を、「もういいよ」と言うようにキツネがポンポンと叩く。その姿には哀愁が漂っているように見えて、深月は眉尻を下げるとむぎゅうっとキツネを抱きしめた。
「ごめんねシシィっ。アークさんはちょっと気が短くて坊っちゃん気質だけど、悪い人ではないのよっ」
「おい」
すかさず苛立ちを露わにしたアークを綺麗に無視して、深月はぬいぐるみの背中を撫でる。
その間に入り込むように、ユハは忙しなく料理を並べ始めた。
こうして、幾分遅めの本日の朝食が始まる。
◇◇◇
文官や騎士、神官・侍従に貴族や女官たちなど、回廊には様々な人々が行きかっている。朝の支度に訓練にと、この時間帯の城内は特に慌ただしい。
そんな中を焦るでも気後れするでもなく歩むのは、年端もいかない小柄な少女。本来なら自分も主の世話をしているはず少女は、今はそちらには目もくれず、城内を速足で進む。
「あら、珍しい。こんな時間にどうしたの? 一人?」
「用事がありまして」
顔見知りの女官に淡々と返しつつ、少女は目的の場所を目指した。
「遅かったな」
薄暗い部屋に響いたのは、一切の熱を持たない冷たい声音。
「人を呼び出しておいてこの有様とは。舐められたものだな」
背筋が泡立つように低いそれはひどく高圧的で、常に聞く者に恐怖を与える。が、相対する少女は顔色を少しも変えなかった。
声の主に向き合い、背筋を伸ばすのみ。
「申し訳ありません、皇太子殿下」
機械的に謝罪を口にする少女に、壁にもたれた人物――ライズは紫紺の眸をうっすらと細めた。
それは苛立ちではなく、興味の現れ。
「俺を前にして脅えぬとは。主人に似て強かだな」
口端を吊り上げたライズに、しかし少女は答えなかった。
無機質な表情はそのままに、まだ華奢とも言えぬ幼い指が自らの腰帯に触れる。飾り紐を解き、腰帯を抜いて床に落とす。仕着せの釦を外せば、あとは単衣を纏うのみだ。
「……何をしている?」
「皇太子殿下に、ご覧頂きたいのです」
当初の冷酷さを取り戻した声音、凍った空気にたじろぐことなく少女は言う。媚びるでも、傅くでもない凛とした姿勢。
何をだ、と。
ライズが訊ねるより早く、少女は単衣に手を掛ける。
少女の素肌が露わになる、その刹那。
高く結わえた銀鼠色の髪が、細い鎖骨の上をなぞった。