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第三十話 : 純真可憐狂詩曲(ラプソディ)

「ほんっとーに、信じられない!」

 ごしごしごしごし。

 深月は単衣の袖を引っ張り、自らのこめかみを思いっきり擦る。

 荒々しいその仕草は真っ赤な顔も相まって、今にも火を起こしそうだ。

「あんなに軽々しくチュッチュちゅっちゅっチュッチュちゅっちゅっ――――ここはアメリカか!」

 恥ずかしいやら腹立たしいやら、深月は既に居ない人物に向かってぶつぶつと文句をこぼす。

「生憎こっちはツツシミブカイ日本人なのよ。経験ゼロのうら若き乙女っ。至ってデリケートなんだから!」

 ごしごしごしごし。

 深月はまるで泥でも塗られたかのように、何度も何度も肌を拭う。

 その手を、アークが掴む。


「あまり強く擦るな。傷が付くぞ」

「アークさ……」

「お前が被害者なのはよく分かった」

 だから落ちつけ、と。

 アークは深月の頭に手をやると、ぽしぽしと軽く叩く。

 単調なリズムとわずかに伝わる熱が、深月の波立った心を静めていく。

 いつもは必殺技を繰り出す彼の手、それが今はひたすら心地よい。

 深月は目を閉じて深く息を吐き出し、ゆっくりと瞼を持ち上げた。


「落ちついたか?」

「……はい。ありがとうございます」

 見上げれば、アークは小さく微笑して腕を引いた。

「ならいい。しかし、油断はするなよ」

 フォローしつつもしっかりと釘を刺すアーク。

 その言葉に、深月は眉間に皺を寄せこぶしを握る。

「もちろんです。次は負けません」

 少女が何をもって「勝負」としているのかはさっぱりわからない神官は、それでも突っ込むことはせず鷹揚に頷く。

「その意気だ。では、私は仕事に戻る」

「お仕事ですか?」

 深月はきょとん、と目を丸くする。

「なんだその顔は。私が働いていてはおかしいか?」

「いいえまさか。しっかり頑張ってください」

 何たって神官長サマですもの、と手と首を同時に振って、「でも」と深月は口ごもる。


「何だ? 言いたいことははっきり言いなさい」

「いえ、あの、その。朝ごはん、なんですけど」

 そろそろと見上げる深月に、アークは「あぁ」と合点がいったというように頷き。

「今日はこちらに運ばせるから、ゆっくりしているといい」

「いえ、そうではなくて。……アークさんは、一緒に食べませんか?」

「――――私が?」

 上目づかいな深月の問いかけに、今度はアークが天色の眸を丸くした。



 実は深月は、このリラムに来てから一度もアークと食事をしていない。

 一昨日この城に預けられ、その日の夜は食事の前に友弥と入れ変わった。

 昨日の朝は言うまでもなく皇太子とご一緒、昼は私室に戻り一人で、そして夜はまた、友弥と交替となったのだ。

 もともと深月は両親共働きで、夕飯は片割れである颯希と二人きりが多かったので、一人が寂しいということはない。

 というか私室ではユハやセレーンが控えてくれているので、まるっきり一人ということでもない。

 ないのだが。

(やっぱりご飯は、誰かと食べる方が美味しいと思うのよね)

 行儀は悪いかもしれないが、深月はおしゃべりを楽しみながら食事をしたいと思うのだ。

 とはいえ、侍女役に徹しているユハやセレーンが同席してくれるとは到底思えない。

 なので深月は、残り唯一の顔見知りであるアークにダメもとでお願いしたのだ。


「だめ、ですか?」

 懇願の眼差しで見上げる深月――その眉は不安げに寄せられて弱々しく、頬は先ほどの余韻で少しばかり朱い。

 そんな深月を前にして、アークは。



「…………………………仕事だ」



 たっぷりとした沈黙の後、ばさりと裾を翻して扉に向かった。


 まさかそんなにあっさりと去られるとは思いもしなかった深月は、慌ててその背を追う。

「ちょっと待ってくださいアークさん」

「私は今忙しい。故に無理だ」

 言って扉を押し、アークはそのまま回廊へ出て行ってしまった。

 が、深月もすぐに部屋を飛び出す。



「アークさんてば! 何も今すぐにとは言ってません。終わるまで待ちますっ」

「終わらない」

「終わらない!? じゃあお手伝いします」

「結構だ」

 するすると爽やかな衣擦れと共に移動するアークは、しかしながら歩くスピードが結構速い。

 それでも深月は長衣の裾を持ち上げて、必死に付いていく。

「そう仰らずに。事務仕事くらい出来ますよ?」

「書類整理ではない。お前には出来ない」

「でもほら、『猫の手も借りたい』って言葉もありますし」

「聞いたことない。誰の手も要らん」

「そんな~」

 何故かだんだんと上がる歩調に深月は涙ぐみそうになる。

 そんな二人の追いかけっこ――もとい遣り取りを、朝早くから出仕している騎士たちが興味深そうに眺める。

 神官たちに至っては戸惑いの色を濃く表し、中にはオロオロと意味もなく右往左往する者までいた。

 そうして。





「ふわぁ、広ーい」

 二人がたどり着いたのは神殿の最奥部、離れに建てられた祭殿だった。

 神殿と同じく石造りの建物は、短い階を登ると入口があり、中は一つの部屋になっている。

 四方を太い柱と真っ白な壁に囲まれ、天井は一枚のガラス張り、差し込む光に照らされた室内は隅々まで明るく、清浄な空気で満たされている。

 そしてここには、神殿と違って“あるもの”がない。

「アークさんアークさん」

 深月はアークのローブをちょいちょいと引く。

「何だ」

 追いかけっこがよほど疲れたのか、額を押さえて項垂れる神官は、面倒そうに返事を返す。


「ここの壁には、模様はないんですかね?」

「模様? ああ、神紋(しんもん)のことか」

「しんもん?」

 聞きなれない言葉に深月は首を傾げる。

「そうだ。神殿内を神聖に保つための、謂わば刻印だな」

 ふんふんと説明を聞く深月は「ん?」と再び頭を倒す。

「ここにはしないんですか?」

「必要ない。ここは神器が保管されている。故に、それだけで聖域は保たれる」

 言って、アークは顔を上げる。

 視線の先には祭壇、同じく真っ白なその上に、ひと振りの剣が祀られていた。



「あれが……」

「そうだ。天地創造の際、全能神より賜った神の呪具だ」

「呪? それはまた、物騒ですね」

 てっきり「日本における三種の神器」のようなものだと思った深月は、アークの表現に顔を顰めた。

 呪具といわれて思い浮かぶのは藁人形に五寸釘、そして蝋燭かんむりと、日本ではある意味ポピュラーな「丑の刻参りセット」だ。

 そしてそれらは紛れもなく“禍々しいもの”。

 どんな力が備わっているのかは知らないが、仮にも「神器」と呼ばれるものをそんな風に言っていいのだろうか。

 そんな深月の心中を汲んだのか、美貌の神官は苦笑すると首を振る。

「そうではない。それにあれは、闇を封じるものだ」

「闇を封じる?」

「そうだ。このルーウィンになくてはならない物」

 言いつつ、アークは祭壇へと近づいていく。

 その後を追って短い階を登り――――深月はビタっと動きを止めた。

 深月が目にしたもの、それは。


「アークさん、それは……」

「ミヅキ」

 問いかけを遮って、アークが名を呼ぶ。

 その声は真摯。

「はい」

 疑問より何より先に、深月は返事をしていた。

 祭殿に響く鈴のようなそれに、アークは振り返って少女を見下ろす。

「お前に、覚悟はあるか?」

 射貫く眸は鋭く、その手は祭壇の上、祀られた神器を握っている。

 深月は僅かに身じろぎ、喘ぐように問い返す。


「覚悟……ですか?」

「お前は言ったな。『この世界の光になる』と。覚えているな?」

 それはつい昨日のこと、忘れるはずがない。

 それでなくとも深月には、この世界を――リゼやアークたちを救いたいと言う強い想いがある。

「忘れたりしません」

 きっぱりと、深月は答える。

「その気持ちに変わりはないか?」

「ありません。……覚悟は、今、しました」

 ごくりと喉を鳴らす、その音がやけに耳について、深月は思わず目を閉じた。

 それから、ゆっくりと祭壇を。否、その後ろを見る。



 神剣を掴むアークの背後、祭壇の陰になっていたモノ(・・)

 ここまで近づいてやっと目に入ったのは、もう一つの祭壇。

 幾分か低い高さのそれに、安置されていたのは――――――。



(動物……?)

 否、恐らくは生きてはいない、ぬいぐるみか何かだ。

 何か、とはっきり断定できないのは、それ自体が良く見えないから。

「これ……」

 真白の祭壇に置かれたそれは両腕で抱えるほどの大きさで、黒い靄に包まれていた。

(ううん、違う)

 正確には、吹き出している、だ。


「アークさん」

「これはある村から持ち込まれた『呪物』だ。この人形に、呪いが詰まっている」

 感情の籠らない瞳で、アークは祭壇を見下ろす。

「詰まってる? この、黒い靄みたいのですか?」

「そう。昨日話した、闇の皇子に因る世界への呪詛だ。闇は物や命、人の弱き心を狙う。依代(よりしろ)を得て動き出し、また人や動物を襲って悲劇を作り、次なる怨嗟を生み出す」

 そうして、呪いはまた強くなる。

 淡々と語られる恐ろしい内容に、深月は知らずぶるりと震えた。

「愛するものを死へ追いやった世界への、徹底的なまでの報復」

「そ、んな」

「そして」

 深月の言葉を遮って、アークは神器を持ち上げる。

「食い止めるのが、私たちの役目だ」

 すらりと神剣を抜く。

 如何にも祀られる為といったその刀身は白銀、真っ過ぐ先に向かって細くなり錆ひとつない輝きを放つ。

 そして。


「――――」

 ずぶり、と。

 何の躊躇いもなく、切っ先が人形に沈んだ。

 ちょうど腹の辺りに突き刺された剣――そうした張本人である神官の姿が、陽炎のように揺らめく。

 その躰はあっという間に光に包まれ、次の瞬間、人形から何かが飛び出し宙を駆けた。

「――――――ッ」

 悲鳴を呑みこんだ深月の、その頭上を越えて祭殿の中心に躍り出たのは赤黒い塊。

 形は一見巨大な勾玉だが、もっとずっと醜怪で、真ん中には大きな闇が渦巻いている。



「あ、アークさん、これは……」

「“本体”だ」

 答えるアークは冷静そのもの、開いた距離など問題ではないかのように、改めて呪いに向き合う。

「でも、あんなに遠くちゃ剣が」

 届かない。

 そう言おうとした深月を一瞥すると、アークは構えていた剣を下ろした。

 両手から左手、柄を杖のように握り直し、振り下ろす。

 抜き身の剣が石床を突き――――それはアークの手の中で、黄金の弓に変わった。

「問題ない」

 言うと同時に、勾玉の前に幾重にも重なった方陣が現れる。

 アークが弓を持ち上げ、その外見に相応しい優雅さで矢を番えた。

 弓矢と同じく金色に煌めいた方陣、的の役割を果たすそれに狙いを定めて真っ直ぐ腕を引く。

「これが――――覚悟だ」

 グロテスクな闇に向かって、アークは光を放った。



 立ち尽くす深月の遥か上部でそれぞれが衝突し、衝撃を伴う爆発音が弾ける。

 煙幕のような靄が祭殿の中心に立ち上り、視界を塞ぐ。

 あまりの異常事態に、深月は動くことはおろか悲鳴すら上げられなかった。

(これが……呪い?)

 計り知れない未知への脅え、人として当然であり、なくてはならない恐怖。


 “危機感”とも呼ばれる感情を、しかし深月は恥ずかしいと感じた。


(偉そうなことを言ったのに、怖いと思うなんて)

 情けなさに身体が震える――――それに突き動かされるように、気付けば深月は歩き出していた。

 部屋の中央、光と闇の交わる場所へと。



 それが、仇となった。



「駄目だ、戻れミヅキ――ッ」



 鋭く呼び止めるアークの声に、深月が振り返る。

 その刹那。




「――――――え?」

 深月の胸元が黒く染まる。





 靄から伸びた赤黒い闇――細い銅線のようなものが、少女の華奢な躰を背後から突き刺していた。


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