第三話 : お姫様になりたい
世の中には王子様という生き物がいる。
それを深月は、小学五年生で初めて知った。
深月の前に現れた王子様は保坂友弥と名乗った。
にこりと笑ったその笑顔は後光がさしてとても眩しく、深月は一瞬でノックアウト(古い)された。
「彼に見合うお姫様になりたいの!」
家に帰るなり叫んだ深月に、彼女の片割れはこう言った。
「大和撫子になれ」
と。
「やまとなでしこ? なにそれ」
「お姫様の親戚」
親戚じゃなくてお姫様そのものになりたいのだよと訴える深月に、
「日本式のお姫様だよ。……たぶん」
と片割れは言い、大和撫子のなんたるかを語って聞かせた。
聞けば聞くほど自分からは程遠いそれに深月は非常にショックを受けたが、片割れはそれはいい笑顔で
「大丈夫、深月の過去は、前の家に捨てといたから」
だから、生まれ変わりなさいね――――と、そう言った。
その日から、深月の「お姫様計画」はスタートした。
深月の計画はまず、真面目に授業に参加することから始まった。
常識をわきまえろ、むやみに走るな、登るな、転がるな――。
「お姫様計画」の参謀たる片割れはやたらと細かく、あれもするなこれもやめろと口うるさかった。
しまいにはたくさんの本とマンガ、アニメのDVDまで持ち出して深月を教育した。
「どうしよう、颯希」
「何が?」
「お姫様はみんな、髪の毛が金色なの」
「…そこは気にするな?」
外国アニメに唸った深月に、今度は大河ドラマのDVDを借りて来てくれた。
古い言葉が難しいと言えば、そのたび辞書を引いて教えてくれた。
ある時は雪の降る寒い中、一緒にチョコレートを買いに行ってくれた。
徹夜のお菓子作りにも付き合ってくれた。
剣道場にも一緒に通ってくれた。
知恵熱が出れば看病をかって出てくれ、、出かける服がないと言えばお店を探してトータルコーディネートまでしてくれた。
そんな片割れの尽力のおかげで、無事高校生となった現在、深月は。
「白崎さんは本当に、大和撫子だね」
と持て囃されるようになれていた。
――――ただし、参謀である片割れを除いては、だが。
◇◇◇
玄関を開ける前に一呼吸置くこと。
それは【大和撫子】たる落ち着きを得るためと、颯希から言い渡された掟だった。
(しまった!勢いよく飛び出しちゃった!)
門の先、狭い道路を正面に立つ人物に、深月は慌てた。
せっかくきちんと身なりを整えたというのに、ここでしくじっては意味がない。
彼に気づかれる前に、何とか体裁を整えなければと深月はアワアワもがく。が。
バタンッ
背後の扉は大きな音を立てて閉まる。
(ああああああっ、もうっ、シーっ!)
動転のあまり深月は扉に人差し指を立てるが、もちろん意味はなかった。
「おはよう深月」
背後からかけられた穏やかな声に、深月は思わず身を竦ませる。
落ち着け、落ち着け、と暴れる心臓をなだめ、必死に呼吸を整える。
「今日は何だか元気だね」
続いた言葉に深月は救いを見出した。
(そう、これは慌てたんじゃないの、元気が溢れてとまらなかっただけなの――――)
わけの分からないこじ付けで何とか持ち直した深月は、ゆっくりと幼馴染を振り返り。
「おはよう、トモ」
思い切って、大好きな幼馴染に駆け寄った。
「終業式だから、わくわくしてしまって」
隣に並んだ深月に友弥は笑う。
「深月でも、そういうことがあるんだね」
「ええ、そうなの。……私らしくない?」
もしや大和撫子失格? と上目遣いになった深月に、友弥は緩く首を振る。
「そんなことないよ。普段は深月、しおらしいから」
うっ、と言葉に詰まった深月を見下ろした友弥は、にっこりと笑った。
「元気な深月も可愛いよ」
(――――――出たああああああ!)
不意打ちを食らった深月は心の中で悶絶した。
(可愛い! 可愛いって言われた! ぐはぁっ!)
油断すればじたばたと動き出しそうな手足を懸命に堪えるが、これはいけない。
(王子様スマイルであんなこと……サラッと言う!? いやいや言わないよ、そのコンボはダメだって!)
この天然王子め、と心うちで毒づいて、深月は幼馴染みをキッと睨み――たいところだが、それはやめてそっと見上げる。
「もう。からかわないで。恥ずかしい」
「本当なんだけどな。でも恥ずかしがらせたならごめん」
苦笑しながら、じゃあ行こうかと友弥は先を歩き出した。
◇
「本校の生徒として、節度をもった行動を心がけ――」
講堂に堂々と響く穏やかな声。
壇上に上がる友弥を熱心に見つめていた深月は、後ろからツンツンと肩をつつかれた。
「保坂先輩、やっぱりかっこいいよね」
潜めた声と裏腹に紅潮した顔は、クラスメイトの女子の一人だ。
(確か西田……違う西野?)
微妙に思い出せない。
「白崎さん、保坂先輩とは幼馴染なんでしょ? いいなぁ〜」
キラキラと見上げられるが、やはり深月には分からない。
「弟くんもいいよね! 颯希くんだっけ?」
(西口? 西村? いや違う)
「あんなイケメン二人に挟まれて、すっごく羨ましい」
盛り上がる彼女に、その名字すら思い出せない深月はうーんと眉根を寄せる。
「ねねっ、白崎さん、良かったらこの後、四人でカラオケでも行かない?」
(にし西にしにし……いや、いっそ東?)
深月が途方にくれていると
「その辺で辞めとけよ、仁科。白崎さん困ってんじゃん」
話に入ってきた男子生徒が、難なくその名を口にした。
(ああそうだ! 仁科! 仁科さんだ!)
「白崎さんはお前と違って大和撫子なんだ。カラオケとか行かないよ」
「えー、そんなのわかんないじゃん。ねえ白崎さん、お願い!」
ぱん、と手を合わせるクラスメイト仁科さんに、スッキリした深月は首を振った。
「ごめんなさい仁科さん。私、今日はこのまま稽古に行くから」
あたかも最初から知っていたという態で、深月はさらっと名前を呼んだ。
「稽古? 何の?」
「剣道よ」
(……ん?)
後ろから視線を感じて目を向けると、隣のクラスから颯希がこちらを見ている。
「剣道?! お花とかお茶とかじゃないんだ?」
「イメージ違う〜」
ああそうか、と深月は納得する。
後ろのクラスメイト二人、仁科さんと東君(仮。思い出せないので勝手に命名)の声がだんだん大きくなっているのだ。
「二人とも、もう少し声を落として……」
「あっ、でもそっかあ! 確か保坂先輩んちって剣道場なんだよね!」
「え? じゃあ白崎さん、先輩と一緒に?」
二人の声はますます大きく、周りの注目が集まり出す。
「だから声を……。正確には、指南役はお父様ですが」
「お父様?!」
「まさか白崎さん、先輩の許嫁~~!?」
さらにヒートアップする二人に深月が青ざめたその時。
キィン、と耳障りなマイクノイズが講堂に響いた。
「生徒の皆さん」
静まり返った講堂に不似合いな、穏やかな呼びかけ。
それまでの騒がしさを一掃した声の主―深月の王子様である幼馴染みは、極上のスマイルでこう言った。
「良い夏休みを」