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第二十九話 : ゆずれない願い

 強くなりたい。それはきっと皆の願いで。

 だからこそ、考えている暇はないのだ。


「というわけで、剣の稽古をさせてください」

「…………今朝はきちんと挨拶に出て来たかと思えば」

 お前は何を言っているんだ。

 例のごとく応接室で茶を飲むアークは、現れた深月に美麗な顔を思いっきり顰めた。

 相変わらずひとつの乱れも見当たらない完璧な身だしなみの神官長。

 そしてそれに対抗すべく、本日の深月は戦闘モードだ。


「今日の私は一味違いますよアークさん。何たってポニーテールです」

「異世界の言葉をまぜるなアホ娘。お前のような者に剣が持てるか」

 ますます胡乱な眼差しを向けるアークに、深月は人差し指を立てると「ちっちっち」と舌を鳴らして見せる。


「それが持てちゃうんですねー。それどころか使えたりもしちゃうんです」

「嘘つけ」

「んなっ?!」

 ドヤ顔全開だった深月は水を差すアークの一言に目を剥いた。

 確かに深月は筋骨隆々ではないが、一蹴するのはあまりにも酷い。

「前にも言いましたけど、アークさん。人の話は最後まで聞きましょう。私の頭にはアークさんの知らない貴重な知識がいっぱい詰まって」

「必要ない」

「何ですとぉ!?」

 ぬおおおぉ! と深月は怒りの咆哮を上げるが、アークは素知らぬ顔でカップを揺らしている。

 長く繊細な指がゆるゆると円を描く様はなんとも優美だが、今はそれが腹立たしい。

 深月は二人の間に挟まれたテーブルを、力いっぱい殴った。ドンッ、と大きな音が立ち、置かれた茶器がガチャリとぶつかる――その直前に、麗しの神官が絶妙のタイミングでソーサーを持ち上げ、被害を避ける。


「いいですかアークさん? 人の話は邪魔をせずにきちんと聞く。これは常識です」

「知らんな」

 またしても一蹴。

「そんな訳ないでしょう、幼稚園の先生に習いませんでしたか?」

「私の師は先の大神官ただ一人だ」

「その人は教えてくれなかったんですか? だとしたら重大なミスです」

「犯人はお前だ!」とばかりに指を突きつける深月。しかしそのポーズこそが「人を指差してはいけません」という教えに思いっきり背いている。

 対するアークは涼しげな態度を少しも崩さなかった。

「師から学んだのは必要な情報は己で判断するということだ。何も間違っていない」

 きっぱり言い切る。

 そんなアークに、眉間に深い皺を刻んだ深月はぺしぺしと机を叩いた。


「お師匠様のおっしゃることはごもっともかもしれませんが、ここは敢えて言わせてもらいます」

「何だ」

「アークさんは神官たちを纏める、いわば頂点に立つ人でしょう?」

「そうだな」

 だから? とでも言いたげな顔に深月はむぅと唇を尖らせ――るのはやめて、その綺麗な顔を正面から睨み付ける。

「だったらやっぱり、きちんと話を聞くべきです。判断力は確かに必要でしょうが、行きすぎると独裁になります。下々の話を聞けて初めて、王というのは成り立つのですよ」

(まぁ、アークさんは王様ではないですけど!)

 この神興国の国王――つまりリゼの父親は、二年ほど前に流行病で亡くなったらしい。

 病はその後、残った臣下とリゼの采配、アークら神職たちの尽力によって治まったが、リゼ自身は巫女姫の地位にあった為王位には就かず、それ以降も玉座は空のままなのだという。これは昨夜、リゼ本人から聞いた話だ。

 まあそれはともかく。


「人の上に立つ人間には、聞く耳というものが必要不可欠なんです」

 バン、と深月は今度は両手で机を叩いた。

 加減を忘れて叩いたせいで手のひらが若干痛い気がしなくもないが、そこは根性で堪える。

(どうだ?!)

 深月はカッと目を見開いてアークとの距離を詰めた。


 アークは“とてもいい人”。

 そこは間違いない。疑いようもない。が、そんな彼は時々というか常日頃から ちょっと偉そうだ。

 地位や権威と言ってしまえばそれまでだが、深月にだって我慢の限界というものがある。というかもともと余り我慢の利かない性質(タチ)なのだ。

 言いたいことははっきり言う深月がアークに対してそうでないのはただ単に言い負けるからであって、怖いからではない。と、思いたい。

 いつも正しいことを口にするアークに反論しきれない深月だが、今回は違う。

(そう、これは絶対に譲れない。だって)

 頑張ると、約束した。

 守って見せると。だから引くわけに行かない。


 そんな深月の並々ならぬ意気込みが伝わったのか、アークはカップとソーサーをテーブルに戻すとこちらに視線を寄こした。

 澄んだ晴れ空のような眸が真っ直ぐに深月を見上げる。

「――お前の言うとおりだ」

「おっ?」

「お前にはお前の考えがあるのだったな。勝手に判断してすまなかった」

 素直に謝るアークはぶすくれるでもなく、ただ苦笑している。

 かの神官はそんな表情も大変麗しく、深月はすっかり毒気を抜かれた。


「分かってくださればそれで」

 萎んだ勢いそのままに腰を落ち着けようとする深月の、そのお尻がふかふかのクッションに沈む。

 刹那。

「だが剣の修業は駄目だ」

 希望はあっさりと却下された。

 流れから許可してもらえることを疑わなかった深月は、否定の言葉に再び前のめって叫ぶ。

「何でですかアークさん!?」

「決まっているだろう、王女が剣を振りまわすなど、前代未聞だ」

「ちゃんと場所は弁えますよ!」

 何も深月は神殿内のそこかしこで振るいたいと言っているわけではない。

 むしろ竹刀が振れる程度の天井の高さと、僅かばかりの広さがあれば良いのだ。


「鍛練場で騎士たちに混じるつもりか?」

「あ、それでもオッケーです」

「何が“おっけー”だ」

「大丈夫という意味ですよ」

 深月は親指と人差し指で“マル”を表してみせるが、アークによって即座にはたき落される。

「説明しなくても表情でわかる。しかも全然『大丈夫』ではない」

「下手な騎士たちよりも強いかもですよ?」

 腰に手をやり貫頭衣の胸を反らす深月にアークは無表情を纏い、一言。

「馬鹿たれ」

「――っな!」

 アホ娘はさんざん言われてきた深月だが、馬鹿たれは初めてだ。

 さすがに言葉に詰まる少女に、アークが盛大なため息を吐く。


「お前が良くても騎士たちはそうはいかない。王女に対して剣を向けるなど、それだけで極刑だ」

「そこはホラ、稽古ですし」

「そう言う問題ではない。仮に稽古に混じったとして、誰が好き好んで相手をする? 扱いづらいことに変わりはない」

「うっ」

「お前が居ては騎士たちの気が散る。士気も下がる。故に却下だ」

 畳みかけるような言葉、アークは話は終わったとばかりに立ち上がる。

 優々とした足取りで回廊への扉に向かい、かと思うと手前でゆるりと振り返った。

「言っておくが、間違っても近衛と手合わせなどするなよ。素性が露見すればそれこそ大騒ぎになる」

「わかりました」

「ならば」

「じゃあアークさんが相手してください」

「――――は?」

 挑むような目、深月は裾をたくし上げてずんずんとアークに詰め寄る。


「神官とはいえアークさんは男の人だもの。剣の一つや二つ、いいえ三つ四つ扱えるでしょう?」

「扱えるか。言っていることが無茶苦茶だぞ」

「無茶でも何でもいいんです。してくださいったらしてください」

「無理を言うな」

「何故ですか? まさかペンより重いものは持てないとか言うんじゃないでしょうね」

「そのくだらない発想はどこから来るんだ」

 深月とアークのやりとりは会話の域を跨ぎ、声は大きくなっていく。


「ひょろっとした人はみんな言います。貧弱さんの常套句です」

「待て。私は確かに屈強ではないが、そんなに柔でもない」

「どっからどう見てももやしっ子です」

「意味は分からんが馬鹿にされていることだけは良く分かった」

 伸ばされたアークの手、その手首を咄嗟に掴んで、深月は後方へ仰け反る。

 互いの腕に通された宝珠がこすれ合い、ジャラリと鳴いた。

「ちょっ! ――危ない危ない、鷲掴みはさせませんよ!」

 向かい合う神官は美麗な眉を寄せて「何故避ける」などとのたまう。

 深月はぺいっとぞんざいに、アークの腕を放した。


「私に触りたかったら剣を取ることです! さぁっ」

「だから相手はしないと言っている」

「じゃあ誰がしてくれるんですかーーーーーー!」

 可憐な外見からは想像もつかない程の大音声。

 口から炎を吐き出す勢いでわめき散らす深月に、アークは両袖で耳を塞ぐ。

 その、刹那。


 がちゃり、と向こう側から扉が押され、開いた。


「俺がしてやろう」


 現れた紫紺の眸、薄い唇が愉快そうに細められる。

 彼の帝国の皇太子、このタイミングで最も会いたくないひとの登場に深月は飛び上がった。

「こっ、こここ皇太」

「名を呼べと言っただろう――俺の花嫁」

「――――ッ」

 素早く腰を抱き寄せられ、耳元で低く囁かれる。

 その声はやはり艶っぽく熱を帯び、深月の身体を震わせた。

 こうなってはもう抵抗は奪われたも同然、とはいえこのまま固まっていることは出来ない。


(だって居るもん)


 最も“会って欲しくないひと”も、一緒に。

 何なら今、自分たちを絶賛凝視中だ。


「殿下、王女をお放し下さい」

(ひいっ)

 背後からかかった声に、深月は心中で悲鳴を上げた。

 昨日に引き続き今朝も、陽気な天気を綺麗に無視した吹雪が部屋中に吹き荒れる。

 深月は振り返れず、かといって無視も出来ず、ただただ荒れ狂う空気に肌を刺される。

「またお前か。相変わらず邪魔な神官だ」

「殿下こそ何故こちらに? 皇族とは言え他国の方の出入りは許可されておりません」

「花嫁に会いに来ただけだ。お前の出る幕はない」

「神殿は私の管轄です。ご用件をお伺い致します」


「…………」

 かちゃり、と。

 つい先刻と似た、しかしもっと小さな音を深月は聞き逃さなかった。

 腰に佩いた剣にかかる皇太子の指――それを上から覆うように素早く握る。

 ライズの動きがぴたりと止まる。

(気が短すぎるってばもーーーー!)

 というのはおくびにも出さないで、深月はにっこりと笑みを作って顔を上げた。


 引き攣ったのはご愛敬、流れる汗は後で拭うとして、現状をどうにかせねば。

 深月はするりとライズの腕から抜け出し、柏手を打って双方の視線を集める。

 結論の早い神官(坊っちゃん気質)と堪忍袋が存在しない(つまりすぐキレる)皇太子、史上最悪のコンビを交互に見やって、深月は口を開いた。



「とりあえず、朝食に致しましょう」

 言葉に出した瞬間、忠実な腹がぐぐぅと応えた。



 そこからは実にいたたまれなかった。

 提案を必死に絞り出した深月だが、アークは「こいつマジか」といううんざり顔を惜しげもなく露わにし、ライズに至っては俯いてくつくつと笑い出す始末。

 深月は自分の腹を呪う。

 が、そんな捨て身(?)の行動も無駄ではなかったらしい。

 先程柄尻に触れていた手が深月の肩に置かれ、軽く引かれた。

 

「皇太子さま」

「魅惑的な申し出だ、俺の花嫁」

「では」

「だが今日は無理だ、用事が出来たからな」

「え? じゃあそれを伝える為に?」

 わざわざ自ら足を運んだというのか。

(明らかに俺様気質のこの人が?)

 嘘くさいなぁとじっとり見上げた深月の、その顎にライズが指を添える。

「顔を見に来た、では不満か?」

 真上から見下ろされ、濃い夜色の眸に囚われそうになる。

 アークとはまた違った種の美青年は狂気めいた、それでも美しいと感じさせる笑みを浮かべて上体を折る。

 豹のようなしなやかな動きで、深月の顎をくいと上げる。

 ――そうして。


「楽しみは取っておく」


 言って、ライズは深月のこめかみに軽く口づけ、応接室を出て行った。

 ――――凍りつく深月をその場に残して。



「………………」

「………………」

「………………」

「………………」

 訪れる沈黙。広くもない部屋には不機嫌な神官と哀れな少女。

「……ミヅキ」

「……違います」

「……ミヅキ」

「……被害者です」

「ミヅ」

「―――――っ。またやられた……っ」

 ぎりぎりぎり、と歯を食いしばる深月、その顔は完熟トマトもかくやというほどに赤い。

 耳も赤い。首まで赤い。


「ミ」

(あ……っんの)


「――――ドスケベ皇太子ーーーーーーーーーーーーー!!」



 少女の絶叫はフルボリュームの目覚ましよりもやかましく、静謐な神殿の空気を大いに震わせた。

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