第二十七話 : 今宵、月が見えなくても
守りたいものが在る時は、いつだって人は、形振りなんて構っていない。
☆
目を開けて一番に見たのは制服ではなく、前回とは打って変わった見慣れない衣装だった。
恐らくルーウィンでは一般的なのだろう裾の長いシャツと、すっきりとした動きやすそうなズボン。
腰にはベルトに剣を差した状態で、深月はベッドの縁に腰掛けている。
「着替えたんだ……」
「あのカッコだと目立つからな」
「……ディー?」
独り言のつもりだった深月は返った声に目線を上げた。
そこには不機嫌も露わな金色の少年。
「ディーって呼ぶなっつったろ」
「だって長いんだもの」
間髪置かずに返すと、ディディウスのこめかみがピクリと動いた。
入れ替わって早々口喧嘩かしらと軽く身構えた深月に、しかしディディウスは言い返してこない。
口元を引き攣らせたかと思うと、大きくため息を吐くに留めた。
「……まぁ、区別がつくからよしとする」
本当は納得していないのを全開の表情で、ディディウスは深月の隣に寄った。
「……なぁ」
「なに?」
「アイツって……」
ディディウスは何か言おうとして止める。
しかし唇は薄く開いたまま、言いたいことがあるというのは明白だ。
「ディー」
「…………」
名を呼ぶが返事はない。
王女の聖獣は何かを考えるように顎に手をやり、難しい顔をしている。
仕方がないので、深月は大人しく様子を窺うことにする。
(こうしていると、本当に普通の子なんだけどなぁ)
ディディウスが“聖獣”という稀な生き物だということは、昨日リゼから聞いた。
確かに目の前の少年は人ならざる美しさとでも言うのか、とても綺麗な容姿をしている。
蜂蜜を溶かしたような髪と澄んだ瞳が印象的で、見ようによっては神秘的と言えなくもない。
が、しかし。
(聖獣、ねぇ)
ベッドに手をついて足をぷらぷらさせながら、ちらりとディディウスを一瞥する。
深月は昨日から少年スタイルの彼しか目撃していない。
つまり“聖獣”本来の姿を見ていないのだ。
(トモは見たのかな)
そんな疑問が頭を過り――深月の中に、むくむくと悪戯心が湧き出した。
予想外なことが起こる時、人は咄嗟に自分を繕えずありのままをさらけ出す。
モチロン冷静な人間が居ないでもないが、目の前の彼はどう見てもその類ではない。
(だったら)
やるしかない。
深月はそろりとベッドから降りると、ありがちな泥棒の動きそのものでディディウスに忍び寄る。
(ホントのお姿、拝見させてもらいますよ~)
普通ならここで、背後に回った瞬間に「わっ」と大声を上げるなりして驚かす。
しかし深月はそれには留まらない。深月にはやりたいことがあったのだ。
それは。
「ってい!」
「――――?!」
小さな掛け声のもと、深月はディディウスの膝裏を自分のそれで思い切り突いた。
いわゆる“膝カックン”である。
友弥がディディウスより背が高いので、今の深月にとっては少々やり辛くもあったがそれでも効果は抜群だった。
声を上げることすらなく、ディディウスはベッドに吸い込まれていく。
――それも、顔面から。
深月はぐっと拳を握った。
「よっしゃぁ!」
そうしてベットに沈む、その時。
ぼうん、と効果音と共に小さな煙が上がり少年はその姿を変えた。
黄金色に輝く美少年の居たその場所に現れたのは――――。
「……黄色い、球体?」
ベットにうつ伏せの状態で突っ伏している、バスケットボールのようなもの。
大きさと丸さはまさにそのもの、と言える。が、当然違う。
黄色いし、明らかにモフモフしているし、良く見れば羽がある。
球体の左右でばたばたと動くそれはまるで手の様で。
(これは、もしや……)
「鳥?」
それにしては異様に丸い、と深月は興味津津でベッドに近づいた。
思いがけない形状に、ソレが何であったのかも忘れて。
その隙を、しかし“彼”は逃さなかった。
「――――っにすんだお前ーーーーっ!」
シャーと怒りの声を上げた球体が、勢いよく襲い掛かる。
「った、いたたたたっ! ちょ、やめっ」
「人が真剣に考え事してるってのにお前はっ」
「痛いいたい! だって正体が気になって」
「正体とか言うなっていうかそうならそうと言え! 頼め!」
「だってそれじゃ面白みがな……痛っ、痛いってばディーっ、ちっさい足で蹴らないで!」
「面白みってなんだ、それに一言余計だ!」
「大丈夫大丈夫、小さい足は纏足といって昔はそれなりに需要が」
「うるせーーーっ!」
宙に浮いた黄色い球体――もとい鳥になったディディウスは、深月の肩や頭をげしげしと蹴る。
それはもう、容赦なく足蹴にする。羽で叩いたりもする。
「ちょっとディ―、本気で痛いんですけど!?」
「俺様も本気だからな!」
「なっ。言っとくけど、トモの端正な顔に傷を付けたら許さないんだから」
「俺様には良いってーのかよ!」
「大げさね、ちょっとベッドに倒れただけじゃない」
「何おぅ!?」
「ディーと違ってトモは繊細なのよ、見た目も、そして中身もね!」
言い放った深月に、攻撃的だったディディウスがぴたりと動きを止めた。
ばさり、と羽を下げてベッドの上に着地する。
「……ディ―?」
急に静かになった聖獣は、顔をベッドに向けて再び黙り込む。
それは何かを考えているというより、言いたいことを堪えているように深月には見える。
「ねぇ、ディ―?」
「なぁ、ミヅキ」
ディディウスが、名前を呼んだ。
驚いた深月はまんまるく見開いた目をぱちぱちと瞬くが、本人はそれに構うことなく続ける。
「アイツは、本当に」
「――ディディウス、ミヅキは……って、どうしたのですか?」
部屋の入口に、リゼが現れた。
フードを深く被った彼女が、慌てた様子で自らの聖獣に駆け寄る。
「姫……」
「このような場所で術を解除するなんて。何か非常事態ですか? まさか」
「いや、あの……」
思っていたよりずっと深刻な状況を作り出してしまったらしい、深月はひくりと頬を引き攣らせる。
(これは、言えない)
悪ふざけなどとは、口が裂けても。
「また“呪い”ですか? もしや昼のものが……」
(まずい、早く弁解しなきゃ)
「あのですね、リゼ、これは……」
「違うよ、姫。ちょっと疲れが出ただけ」
しどろもどろになる深月に、被せるように答えるディディウス。
彼はすぐに少年に戻り、ベッドから降りると主である少女を見つめる。
「何ともないから。何も起きてないし、俺だってこの通り」
「……本当ですか?」
「ホントホント」
軽い調子で頷いて、ディディウスはうーんと伸びをした。
「姫が来たってことは、夕食の準備が出来たってこと?」
「あ、え、ええ。そうです」
わざとなのか、あっけらかんとした態度を取るディディウスにリゼが笑みを作る。
「奥様がご馳走を作ってくださって。せっかくだから、下で一緒に食べようと」
「っそ、なら早く行かなきゃね」
言うなりすたすたと扉に向かうディディウス。
その背は、何者をも拒むかのようにまっすぐ伸びて揺るぎない。
ややあって、リゼが深月を振り返った。
「私たちも行きましょう、ミヅキ」
今日あったことをお話します、と微笑む王女に深月は「うん」と頷いて歩きだした。
もうディディウスは見えない。恐らく先に降りたのだろう。
(さっき、ディ―は)
何を言おうとしていたのか。
内心首を傾げたまま、深月は自身も廊下を進んで行った。
「さぁ、たんと食ってくれ」
そう言ったのは口髭を生やした、“ガタイのいいおじさん”だった。
リゼの話によると商人ということだが、どう見ても工事現場の方が似合いそうだ。
「 さぁ、遠慮しないで」
いかにも女将さん、といった女性が深月に皿を差し出す。
陶器の器には草木の模様が描かれ、中には葉物のお浸しが盛られている。
「ありがとうございます……った!」
礼を言って受け取ると、ぱしんと背中を叩かれた。
「お兄さん細いからねぇ、いっぱい食べて強くなっとくれ」
「あはは」
危うく皿を落としかけた深月は苦笑いしか出てこない。
隣に座ったリゼがフードの影でふふと笑った。
「で、しばらくは何事もなく進んだんだけどよ」
スープに沈んだ大振りの野菜を頬張りながら、男の話に耳を傾ける。
座っていても背の高いこの男はマドと言って、口髭のオルフの息子らしい。
最初から気の良さそうな人物ではあったが今は酒も入って更に上機嫌、語る口は止まらない。
「何と言っても商人の道だ、すんなり終わるわけがねぇ。案の定、森の出口で待ち構えて居やがった」
口を曲げたマドはまたぐいと酒を煽る。正面の深月にまで、強い酒の香りが届いた。
リゼの話によると今日は移動の為、目の前にいる商人たちの護衛を買って出たと言うが……。
「で、今日は何人だったんだい」
女将が訊ねながら、深月の皿に分厚い肉を取り分ける。
さっそく口に運ぶと、甘辛く煮込まれたそれはさっと溶けてなくなった。
「美味しい!」
話の途中であるにも関わらず、深月は思わず声を上げていた。
もともとお米が大好物な深月は、それに合う濃い味付けを好むのだ。
片割れに言わせると「将来は高血圧まっしぐら」らしいのだが、今を楽しむことに全力を出している深月には全く気にならない苦言である。
(惜しむらくは、ここにお米がないことだなぁ……)
などど思っていると。
「そうかい、嬉しいねぇ。でもね、しょっぱいおかずにはコレがなくっちゃ」
そう言って、女将が手のひらサイズの器を差し出した。
その中によそられていたものは……。
「――――お米!」
昨日のお粥に続きまたしても予想外な登場に、深月は歓声を上げた。
茶碗でこそないものの、深めの器に盛られているのは間違いなく白米だ。
炊きたてであろうそれは一粒一粒がきらきらと輝き、立ち上る湯気が香りよい。
両手で掲げるように受け取り、フォークで掬って口に入れた。
お米は大粒で甘く、単体でも十分に美味しい。
「そんな風に食べてもらえると作った甲斐があるってもんだよ。おかわりもあるから、お腹一杯食べとくれ」
「はい!」
得意気に笑う女将に大きく頷いて、深月のフォークはスピードを上げた。
「…………。良い食べっぷりだな」
「そうだな、それでこそ凄腕の剣士サマだ」
呆気に取られていた商人父子の会話に、女将が「そうだった」と振り返る。
「で、結局今日は何人だったんだい?」
「おう、母さん、それだよそれ!」
「一体何人だったと思う?」
女将の質問を待ってましたとばかりに、父子が身を乗り出す。
どうやら彼らは、その先を語りたくて仕方がないらしい。
「もったいぶってないで早くお言いよ。どうせあんたたちは活躍してないんだから」
女将の痛烈な一言に深月は食事の手が止まったが男たちは慣れているらしく、気にも留めずに自慢げに両手を突きだした。
「なんと二人組が二つと四人組の、合計八人だ」
「奴ら柄にもなく、徒党を組んできやがったのよ」
言うなりオルフがだん、と円卓を打った。
並べられた皿同士がぶつかり、がちゃんと音を立てる。
が、やはり二人は――というか女将さえも気にしていない。
「へえ。よくもまあ、無事にすんだものだ。そんだけいりゃあ積荷の一つや二つ、持ってかれてもおかしくないってのに」
「そーれーが」
目を見張る女将に、息子であるマドは「ちちちっ」と指を振る。
かと思うと身を乗り出し、食事を再開していた深月のその肩をぐっと引き寄せた。
「この剣士サマが、強いのなんのって! あっという間に全員を斬り伏せちまって!」
マドの言葉に、深月はフォークに刺していた肉をぽろっと落とした。
「斬り……伏せた?」
(トモが?)
確かに友弥は強い。
剣道場の跡継ぎとあって、大会などで負けたところを見たことがない。
それは知り合った頃からずっとそうで、だからこそ、同年代には敵無しとまで言われていた。
(言われてはいたけど……)
それは“剣道”であって、実際に人を斬ることではない。
普段の友弥は柔和な微笑みを浮かべる、とても穏やかなひとなのだ。そんな彼が、まさか。
「そうそう、目にも止まらねえような動きでさ。奴らびびって手も足も出なかったもんなぁ」
がはははは、と笑うオルフの声は、最早深月の耳には届いていない。
(トモが、人を)
斬った。傷付けた。
その事実に、深月の食欲は一気に失せてなくなり。
それまで堪能していた料理の味も全く分からなくなって、ついにはフォークを置いて俯いた。
「うん? どうしたんだいお兄さん?」
「お腹……いっぱいで」
不審に思われないように精一杯笑みを作る。
そんな深月を、リゼの向こうに座ったディディウスが静かに見据えていた。