第二十六話 : 矛盾の上に咲く花 ~ side 友弥 4 ~
「世界を……壊す……?」
口をついて出たのは呆然とした問い掛け、言葉の意味を友弥はすぐに理解出来ない。
眼前の少女はこの国の王女であり、同時に世界を守る巫女でもある。
銀の髪に深緑の眸、月神の寵愛を一身に受ける容貌はその証であると。
自慢げに話す武器屋の主人に、リゼは笑って頷いていた。
そうですねと相槌を打って、少しだけ照れくさそうにしていた。
なのに今、彼女はなんと言ったのか。
「リゼ、それは」
「そろそろ行くか」
真意を訊こうとした友弥よりも早く、ディディウスが動いた。
「のんびりしてたら夕方までに次の街に着かない。最悪野宿だ。それは避けたいんだろ?」
「あ、ああ、うん。それはそうだけど……」
「じゃあ行くぞ。姫も」
言ってディディウスはリゼに手を差し出す。
暗い色を瞳に宿した王女はぼんやりとそれを眺め、それからゆっくりと友弥を見上げる。
その双眸に涙はないが、目尻は少し赤く瞼は熱っぽかった。
「ユーヤ……」
「リゼ?」
「……おかしなことを、言ってしまいました」
すみません、と頭を下げてリゼはディディウスの手を取った。
腰を上げた彼女は友弥の視線を避けるように背を向けて、そのまま宿に向かって歩き出した。
(さっきの言葉は、どう言う意味だろう)
前を歩く小さな背を見つめながら友弥は考える。
リゼは王女、月を戴く神興国の巫女姫。
それは違えようのない事実であり、また彼女自身も、その責務を果たそうとしている。
この世界を守るために「塔」と呼ばれる場所を目指している。
そう、言っていたのに。
『私は世界を、壊したい』
(それが、彼女の)
本当の望みだというのだろうか。
だったら今までの彼女は何だったというのか。
一緒に塔を目指して欲しいと言った、あの言葉は。
「おい」
考えに沈みそうになる友弥を引き戻したのは、横に並んだディディウスだった。
「あんまり深く考えんなよ。あれは姫の本心じゃない」
「……本当に?」
人の心は複雑だ。表面に見えているものなんてアテにならない。
それを誰よりも知っている友弥は、つい疑いの眼差しを向けた。
そんな友弥の頭を、ジャンプしたディディウスがぱしんと叩く。
「っ」
小さく呻いた友弥に、幾分背の低い彼は口をへの字に曲げてフンと鼻を鳴らす。
「ったりめーだ。姫が塔を目指すのは世界を正す為なんだぞ」
「正す?」
「そうだ、だいたい光は」
何かを訴えようとしたディディウスは、路地裏でふと足を止めた。
「ディディウス?」
「…………」
「ディ」
「黙れ。――――こんな時間から」
「え?」
何が、と尋ねる前に、友弥は思いっきり突き飛ばされた。
壁にぶつかる前に受身を取った友弥の、その瞳に映ったのは異様な――――超現実。
高い建物に阻まれて陽光が届かないそこは、しかし薄暗いだけの普通の路地裏だった。
特別汚いわけでも、ありがちな“ゴロツキ”的な者たちが屯している訳でもない。
ひっそりとした静かなだけの場所だ。
否、そういう場所だった。つい先程までは。
でも今は。
「な……んだ、これ」
友弥が居た地には影よりも濃く黒い塊。
濁った瘴気を吐き出す、大きなゼリー状の物体。
友弥の背丈を軽く上回るそれはぐにゃぐにゃと不気味に蠢き、墨のような、しかしもっと粘着質な液体を撒き散らしている。
「ぼけっとしてんなよ。取り込まれるぞ」
「ディディウス、これは」
「闇の獣。呪いの凝固体だな」
緊迫した状況に焦りもせず、ディディウスが友弥の前に立つ。
「この時間帯に出てくるなんて、随分と力を付けたらしい」
「いいえ、そうではないわ」
いつの間にか戻ったのか、傍らには凛と背を伸ばすリゼの姿。
彼女は怯える素振りも見せず、友弥を庇うように前に進み出る。
「弱くなったのは光。でも」
外套に包まれたリゼの、その躰が銀色の光を纏い出す。
光はいくつもの球となって彼女の周りを固め、縦横に広がると眩い方陣を展開する。
リゼを中心に風が巻き起こり、フードがはだけて銀糸の髪が露わになった。
短い銀髪が風に遊ばれたなびく中、両腕を広げたリゼは正面から“呪い”を迎える。
「好きにはさせない」
言うとともに大きく腕を振るう。
オーケストラの指揮者さながら、頭上に上げられたそれに従うように銀色の方陣が輝き出す。
「闇は地に、光は天に」
歌うように紡がれる音、巫女姫は悪しき存在を見据えて目を細める。
「今は安らかに眠りなさい」
命じる声、方陣が呪いに向かって一斉に動いた。
そこから先は圧倒的だった。
光の粒子を纏った方陣が呪いを取り囲み、その距離を縮めていく。
散りばめられる体液ごと、禍々しい本体に迫っていく。
逃れようと這いずる触手も銀の光に吸い寄せられ、跡形もなく消えてゆく。
「おやすみなさい」
無慈悲にも聞こえる別れの言葉、方陣は一層光を増して拡大し、一気に呪いを覆った。
ぱちん、と。
まるでシャボン玉を叩くように呆気なく、呪いは光に挟まれて消えた。
「大丈夫ですか?」
呆然と膝をつく友弥を、リゼが振り返る。
そこに呪いの姿はなく、立ち込めていた瘴気すらキレイに払われている。
夢か幻か、おおよそ現実味のない光景を目の当たりにした友弥は、それでも何とか声を絞り出す。
「今、のは……」
「神力を使いました。ディディウスが結界を張っていますので、 外には漏れていない筈です。でも」
路地の先に目をやり、リゼは外套の胸元をきつく掴む。
「――――急がなければ」
「何」
「姫!」
いつ離れたのか、入口近くからディディウスが駆けてくる。
「街の方には異常なし、結界ももう解いたけど」
「それなら大丈夫。ありがとう、ディディウス」
「俺は全然。でも……ん?」
相変わらず膝立ちの友弥に、ディディウスが眉根を寄せて近づいてくる。
「何やってんのお前」
「え、っと……」
何をやっているのかと問われても、友弥を突き飛ばしたのは他でもないディディウスだ。
「いつまでも座ってると置いてくぞ。姫、とりあえず一回宿に戻ろう」
「そうね。――――あまりゆっくりもしていられない」
目を合わせた二人は深刻な顔をして黙り込む。
友弥はよろりと立ち上がって足元の砂を払いながら、二人の遣り取りをただ見つめる。
『異世界より救世主来られたし』
それはリゼが受けたという神託。
『救世主になれるかは分からないけど、よろしくお願いします』
それが自分の出した答え。
けれど。
(本当に、僕たちが……)
闇、呪い、結界――――神力。
そんなものを並べられて、友弥の常識ではあり得ない戦闘を見せ付けられて。
当り前のように異形に対峙したリゼとサポートをしていたと言うディディウスに、友弥は思わずにはいられない。
(本当に自分は)
世界を守るという救世主なのだろうか?
『あなたたちは気づいていない。内に秘められた力に』
『私には、眩しいほどに感じられるのに』
巫女姫は確かに告げた。けれど、友弥にはそうは思えない。
“具現化した呪い”を前に、一歩たりとも動けなかったのだ。
今起こった事象がなかったかのように、平然と佇む王女。
傍らに立つのは黄金色の聖獣。
二人は路地の先から差し込んだ陽光に照らされ、神々しいまでに輝いていた。
(きっと、彼らは……)
友弥には計り知れない未知――聖域に坐す生き物なのだ。
◇
「うっし、行くか」
全ての荷物をカバンに詰めたディディウスが、肩掛けながら振り返る。
「また森を行くの?」
次の街は交易の為に移動する商人たちの居住区らしく、そちらに進めば進むほど人の手の入った道は少なくなるという。
「まあな。でも今日中、それも夕方までに次に着くなら歩きじゃ絶対ムリだ」
「ではどうしますか?」
フードを被り直したリゼが、自身も荷物を背負いながら問う。友弥はちらりと腕時計を確認した。
(十一時四十分)
もうすぐ正午、深月と入れ替わるまでは五時間を切っている。
もし間に合わないと言うならば、今日はこのまま動かない方が良いのではないか。
そんな友弥の心配を察してか、ディディウスは戸口に立つと顎を反らしてふんぞり返った。
「まあ心配すんなって。この俺サマが、とっておきの方法を考えてやったからさ」
にんまりと口角を上げて。
ディディウスは、勢いよく宿の扉を押した。
「じゃあ、町までよろしく頼むよ」
そう言ったのは如何にも商人と言った体の、線が細く背だけがひょろりと高い男だった。
「こっから先は森といっても獣は出ねえ、明るい道なんだけどよ。何せ商業用の道だからな、盗賊が多いんだよ」
「盗賊、ですか……」
またしても耳慣れない名詞に友弥は思わず瞬く。
「そう、盗賊だ。積荷と女を奪う最低の奴らでね、俺ら商人は、用心棒なしに移動は出来ないってわけよ」
「てめえの身は守れても、荷物を奪われりゃ明日はねえからな」
よっ、と御者台から降りて来た口髭の男が、にかっと人の良い笑みを浮かべた。
「俺ぁオルフ、ここらではちったあ名の知れた織物屋だ。こっちは息子のマド」
「初めまして、友弥です」
「ユーヤね。依頼主から聞いてるよ、なんでも凄腕の剣士だとか」
「その若さで大したもんだ」
頼りにしてるぜ、と肩を叩かれて友弥は曖昧な笑みを浮かべた。
依頼主とは間違いなく、黄金色の少年――に変じた聖獣だろう。
確かに彼らの護衛に付けば、一緒に馬車で移動が出来る。
夕方までに町に着くことだって十分可能だろう。
とはいえ。
(凄腕の……剣士?)
実家は剣道場で父は師範代、友弥も幼い頃から剣術を学んでいたがそれとこれとは話が別だ。
剣道の試合に勝てていたとしても、実戦で必ずしも強いとは限らないのだ。
(それなのに)
なんということを言ってくれたのか。
呆れとも恨みともつかない視線を向ける友弥を、しかしディディウスは見もしない。
絶対気付いているだろうに、荷台に繋がれた馬の隣で餌などやったりしている。
しかし他に方法がないのも事実だ。
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
嘆息して頭を垂れた友弥にオルフはがははと笑う。
「いやあ、見た目通り丁寧な兄ちゃんだな。依頼主もそうだが、綺麗な顔をしている。あんたら、本当はどこぞの王侯貴族か?」
冗談めいた口調、だがその内容に友弥はぎくりと身を強張らせた。
自分は貴族などではもちろんないが、連れは歴とした王女とその聖獣だ。
「いや……」
「身分ある方に仕えたこともありますが、僕たちは一介の流れ者に過ぎませんよ」
黙り込んでしまいそうになる友弥に助け舟を出したのは、他ならぬ王女であるその人だった。
「り」
「お初にお目にかかります。僕はリズ、神司です」
リゼは性別も隠すつもりなのか、声の音調を落として答える。
フードを目深に被っている為、成長期の少年に見えなくもない。
「おお、神官さままでご一緒とは心強い」
「全くだ。これで夜になっても一安心だな」
「え」
思わずその顔を凝視した友弥に、オルフは「冗談だよ」と言って豪快に笑う。
「ほんじゃ自己紹介も終わったことだし」
「そろそろ参りますか」
商人父子に促され、リゼも荷馬車へと歩き出す。
友弥は腰に下げた得物に手をやり、道の先を睨み据えた。
きっとここからが、本当の旅の始まりだ。
鍵を握るのは間違いなく――――。
(リゼ)
世界を導く運命を持ち、相反する願いを抱えた神国の巫女姫。
何も知らない友弥の璽今も、彼女が大きく変えるだろう。
だから友弥は心に誓う。
「僕はもう、迷わない」
それがきっと、自分と彼女の未来に繋がると信じて。