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第二十五話 : あの日の空に

 彼女の幸せを、誰よりも願っていた。


『私は月の巫女だから』

 それはかつて、彼女が口にした言葉。

『この世界を隅々まで照らせるような、何よりも強い光になるの』

 そう言った彼女の、曇りのない笑顔がまざまざと蘇る。

『だから、アレク』

 そんなことを今更思い出しているのは、目の前の少女があまりにも似すぎている為だろうか。

『ずっと傍にいてね』

 その言葉に、自分は何と答えたのだったか。



「光になる、とは……」

 何かを考えるようにしばらく沈黙していたアークは、顔を上げると深月に問うた。

「具体的にはどうするのだ?」

 天色(あまいろ)の双眸に先程の悲壮さは見当たらず、かといって明るいわけでもない。

 救いを期待するでも無力を蔑むでもない、ただ真意を質しているのだと分かる眸。

 アークのそんな表情(かお)は初めてで、深月は無意識に喉を鳴らす。

 まるでこの部屋だけ、時が止まってしまったかのようだ。


「ぐ、具体案は……」

 背中を伝う汗の、ひんやりとした感触。

 高ぶっていた感情が次第に冷えて行き、嫌でも緊張感が増した。

「具体案は?」

 重ねられる言葉、アークはぐっと身を乗り出す。

 今までとは全く違う空気に深月の口中がからからに乾く。

「具体案、は……」

 真摯な瞳、その美麗な(かんばせ)を前に、、深月は思わず拳を握った。

「くわしくは」

「詳しくは?」

 三度目の問いかけ、深月意を決して言葉を紡ぎ出した。



「アークさんが一緒に考えてください!」

 一息に言い切った深月は、瞬間がばりと机に突っ伏した。

 両腕はヴェールの上、庇うように自らの頭を抱え込んでいる。

 それは深月が考え得る最大の危機――――アークの必殺技を回避するための防御態勢だ。

(アークさんいやアーク様、どうか怒らないで!)

 深月は心の中で必死に願った。



 はっきり言って、深月はこの世界に関係のない謂わば部外者だ。

 自分たちは何かの拍子に迷い込んだ、このルーウィンに於いては異物のような存在。


 深月たちがやらなければいけないのは戻る方法を探すこと、家族が居る日本に一刻も早く帰ることであって、この世界に深入りすることではない。

 深入りできる立場でもない。

(でも)

 深月はあえて、それらを考えないようにしていた。

 友弥や颯希、離れてしまった大切な人たちのこと。

 どうにもならない現状を嘆くことはせず、今を当り前と受け入れるようにした。


(だって)

 一度考えれば、寂しくなってしまう。

 寂しくなれば、不安になってしまう。

 不安を感じれば、自分の足元は崩れてしまう。

 それがわかっていたから、想うことを自然と止めた。


 何もかもが異なる世界で、それでも自分は大丈夫なのだと深月は無理やり前を向いた。


 例えば魔法のような力があったり。

 人が簡単に剣を抜いたり。

 髪や目の色が違ったり。

 ここが深月の場所ではないことを思い知らせるような現実を、何度も何度も突きつけられても。

(それでも)

 今、深月は立っていられる。

 確かな足取りで歩けるし、差し出されたものをすんなり受け取れる。

 でもそれは、深月の気持ちだけではない。


 例えば今ここにある温かいお茶を、素直に美味しいと思えるのは。

 甘くて安心できる、そんな風に思えるのは、(ひとえ)に出会った人たちが優しいからだ。

 何も知らない、何も出来ない、そのくせ王女にそっくりでおまけに黒髪黒瞳。

 このルーウィンでは厄介者でしかない深月を、アークが引き受けてくれたからだ。


 だから自分は、それを返したいと思う。

 貰った分の優しさを、この世界に渡したい。

 ルーウィンに来たのはほんの2日前で、アークたちに出会ってからはまだ1日しか 経っていないけれど。

 貰ったものはたくさんある。


 温かな食事、綺麗な着物、安心して眠れる場所。

 そして。

(私を本当に心配してくれる)

 それは誰にでも出来ることではないと、深月は思う。

(だから私も)

 アークや王女、そしてこの世界が困っているというのなら、深月は力になりたい。

 微力でも、支えになりたい。

 それが自分なりに出した答えだ。


「一緒、に……」

 まるでうわごとのようにアークが繰り返す。

 そこには何の感情も宿ってはいないように感じる。

 きっと呆れているに違いない。また、思い付きで発言していると。

 深く考えずに勢いだけで口走ったと、もしかしたら怒ったかもしれない。

 否、きっと怒っただろう。

 それでも。

 それでも深月は。


「一緒に、です」

 もう一度、祈るように口にする。

 けっして軽はずみに言った訳ではないのだ。

 この世界を見くびっているわけではないのだ。

(だから、どうか)

「仲間に、入れてください」

 口を衝いて出たのは、そんな言葉だった。



「…………………………………………」

(じゅ、熟考)

 あれからどれほどの時が経ったのか。

 十分、いや三十分、もしかしたら一時間。

 本当は五分もないその時間が、深月にはとにかく長く感じられた。

 そうして堪え性のない深月はあっさり降参した。

 頭蓋骨に響くアイアンクローを覚悟で腕を下げ、そろそろと目線を上げる。

 その、刹那。


「――――わひゃっ」

 ぽふ、と頭を押さえられた。

 正確に言うと額、もっと言えば瞼のほど近くを、そのままぽふぽふと叩かれる。

 おかげで深月は顔を上げられない、アークの顔も見れない。

「あああアークさん」

 呼び掛けるが返事はない。

 ただひたすらに、一定のリズムで大きな手が降りてくるのみだ。

「あの、アークさん……」

 ぽふぽふ。

「あの……」

 ぽふぽふ。

「…………」

 ぽふ、ぽふ、ぽふ、ぽふ……。

「…………」

(これは新手のお仕置きかしら)

 ある意味、今の状況では無言は一番の拷問と言える。

 しかも謎の行動付き、現に深月は少しばかり混乱している。

 そして。


「――――――っだああぁぁぁぁっ!」

 やはり堪え性のない深月は、両腕を振り上げてアークのそれを払う。

「何すんですかアークさん、いくら私の発言が突拍子もないからってこんな…………て、あれ?」

 一気にまくしたてようとした深月は、アークを見て万歳の格好のまま固まった。

「……どうした?」

 (たず)ねる声は、穏やか。

 そしてその表情は。


「アークさん、微笑(わら)ってる……」

「私が笑っては可笑しいか?」

「い、いえ、そう意味じゃ」

「分かってる」

 また深月の頭をポンと叩いて、アークは立ち上がる。

 その顔は相変わらず美しく、そして晴れやかだ。


「私としたことが弱気になってしまった。そんなものを感じて良い立場ではないというのに」

「そんなことないです。人は誰でも不安になります」

 即座に否定した深月にアークは更に目元を和らげる。

「そうだな。しかし私は最高神官長(ファイス)だ。私の(おそ)れはこのリラム、即ちルーウィンの惧れとなる。それではいけない」

「でも」

「だから」

 眉根を寄せた深月の、その眉間にアークは指を寄せる。

「この世界が憂えることのないよう、一緒に考えてくれると助かる」

 そう言って、アークはつんと深月の額を突いた。

「アークさん、それって……」

 言葉は続かなかった。

 理解した瞬間、深月の胸に喜びが滲み出す。

 じわじわと広がる嬉しさに、飛び上がってしまいそうだ。

「アークさん……」

「ん?」

「―――――アークさんアークさんアークさんっ!」

「だから何」

「でりゃっ」

「うわっ」

 嬉しさの余りは体当たりした深月に、アークはいとも簡単にソファに倒された。

 それでも止まらない勢いに、しまいにはくるくると回り出す。

 まるで雪にはしゃぐ犬のような深月に、アークはしばし呆気に取られそして――――。


「――――この、アホ娘ーーーーーーっ!」

「っきゃーーーっ!」

 危ないだろうが、と拳を振り上げたアークに、深月は再び頭を庇ってソファから逃げ出すのだった。





「いたた、いたたた、アークさん手加減、手加減してくださいっ」

 半泣きで訴える深月の、小さな頭をぎりぎりと締めながらアークは思う。

(半分でも、彼女が私に頼ってくれたら)

 この少女と瓜二つである彼女は、しかしその感情の全てを晒すことはしない。

 何故なら彼女は自分と同じく、それを許されない立場だから。

 自分を殺してその他を生かす、宿業とも言える運命(さだめ)を受け継ぐ者だから。

(それでも、私は願う)

 彼女が、誰よりも幸せになれるように、と。



「アークさん、ギブギブ! 頭割れちゃいますーーー!」

「ん? あぁ、すまない」

 軽い謝罪と共に解放された深月は、ぐいぐいとヴェールを引っ張って髪を整えると今度はうーんと伸びをする。

 その自由な様に小さく吹き出し、アークは机の本を全て抱えた。


「アークさん?」

 お勉強は? と首を傾ぐ深月に、アークはまた笑う。

「座っているのは飽きたのだろう? 難しい話はまた明日にして、今日はもう部屋を出よう」

「と、言いますと?」

「城内を案内しよう」

 思いがけないアークの言葉に、深月の瞳がぱあぁぁ、と輝く。


「いいんですか?!」

「ただし、勝手な行動はしないこと。私の傍から離れないこと。――約束出来るか?」

「~~~~~~っ」

 アークの出した条件に、深月はこくこくと頷く。

 朝食以外では神殿を出られないと思っていた深月は嬉しくて仕方なく、その喜びは隠されることなく(かお)に出た。

 緩んで仕方ないその口元につられるかの如く、アークもまた、相好を崩す。

「では、行くとしよう」


 真っ白な柱や壁、回廊。深い緑に囲まれた白亜の城。

 施された精緻な細工、調和のとれた絵画や花の飾り、陽が射す大きな窓。

 深月が想像していたような壺や甲冑などは置かれていなかったが、長く敷かれた絨毯や掛けられた天鵞絨毯(ビロード)のカーテンは光沢があり上品で、まさしく「お城」に相応しい。

 そのほかにも女神を象った彫像だったり、天井に描かれた創世の神話だったりとリラムの城は見所がいっぱいだった。


「アークさん、あれ、あれは何ですか?」

「ああ、あれは……」

 好奇心旺盛で興味の尽きない深月に、アークはひとつひとつ丁寧に答える。

 そうして思い出す。


『アレク、あれは? あれは何だと思う?』

 遠い過去を。

『アレクが一緒だと、見慣れた景色も新鮮に見えるの』

 何も知らなかった幼い日々を。

『アレク、私たちが』

「この景色を、守ってゆく」

 そう誓った眩しい笑顔を。


(そうだな、イリーゼ……)

 あの頃一緒に見上げた空は一点の曇りもなく。

「アークさん、こっち、早く来てくださーい!」

 彼女と同じ、光輝く少女がここにいる。

 ならばきっと、叶えられる。

 あの日の誓いを現実のものに、この世界に安寧をもたらせるように。

「アークさーん」

 無邪気に手を振る異世界の少女を、何があっても導いていく。

 もう迷ったりしない。


「今、行く」

 それまでの自分を振り切るように、アークは眩しい外界へと足を踏み出した。


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