第二十四話 : きみのこえ
『どうして……どうしてこんな……』
絶望的な声、暗い森の真ん中で、あの人が泣いている。
辛くて堪らないと、一人ぼっちで泣いている。
(ごめんなさい)
私の声は届かない。
『どうしてきみが』
(どうしてあなたが)
『こんな想いをしなくてはならないのだろう――――』
「巫女の自害によって光の魂は二つに分かれ、闇の皇子は私兵を連れてリラムを強襲した。『世界が巫女を殺した』と、そう叫んで。集落ごと因習を潰そうとした。だが」
リラムは光の柱。世界を平安に保つもののひとつ。
生命にとってなくてはならないもの。
そしてそれは全ての人に言えることであり、レスティアとて例外ではなかった。
「皇子は塔の中で、時の皇太子――――実の兄によってその命を散らせた」
そこは巫女が最期を迎えた場所であり、二人が出会った場所だった。
呪いの始まり、皇子は残った全ての力で世界に呪いを掛けた。
『世界が闇に落ちる時、その眷族が地上を蔓延り全ての生命を喰らうだろう』
(それが、あの人の最期の言葉だった)
熱い雫が頬を伝う。
世界は夜の加護を失った。
「その後、リラムは様々な国より庇護を受け、やがて小国を纏めて一つの国を成した。光を象徴とし、その魂を受け継ぐ神興国を」
それが今のリラム。
光の象徴――――月と太陽を司る、祈りで世界を支える国だ。
そして。
「闇は皇子を失い、その制御をも失った。安寧をもたらすことはなく、今はただ、一族によってその力を封ずるのみ」
塔は当時のままの形で、その場所に存在する。
神の建造物であるそれを破壊することは不可能だったからだ。
故に、リラムの一族の半数はその地に残った。
闇を少しでも抑えるべく、方陣を敷いて封印を施し、今も塔を守り続けている。
レスティアは、世界は闇を失ったまま。
◇
説明を終えたアークは振り返って視線を戻し、深月を見やって大きく目を見張った。
深月の身体は淡い光に包まれ、圧倒されるほどの神気を放っている。
「ミヅキ……」
アークの呼びかけに、しかし少女はぴくりとも反応しない。
それどころか、ここではないどこかを見つめはらはらと涙を零している。
その眸は漆黒――――ではなく。
光を集めたような、かの聖獣と同じ琥珀色だ。
(これは、一体何だ?)
何が起こっているのか、アークには理解できない。
異世界から渡った者たちの記録にも、このような症状は記されていない。
少女の桃色の唇が、震えながら何かを紡ぐ。
「――――――」
聞き取れないほど小さな声、それを契機に彼女の纏う光が強まる。
「これは……どういうことだ」
漆黒を纏う、異世界からの迷い子。
その内から溢れだす膨大な神力に、アークは成す術もなく立ち尽くした。
◇
悲しくて、涙が止まらない。
どうしてこんな風になってしまったのか、いくら考えても分からない。
光に満たされた世界は平穏で、夜になると優しい宵闇を月光が照らして。
自分は誰よりも、そんな世界を愛していた。
この世界は自分が守るのだと、幼いころからそう思っていた。
周りの子供たちのように遊べはしなかったけど、それでも毎日が充実していた。
だって私は光だから。
世界を照らす為に生まれて来た、その為だけの存在。
光であることだけが、私の価値。
光であれば、誰からも必要とされる。
光は世界を支えるもの。なくてはならない存在だから。
だから自分は、世界の為に祈り続けた。
それだけで十分だった。
それだけで、良かったのに。
(私は求めてしまった)
巫女ではない自分を、それを愛してくれる存在を。
それが禁忌だと知っていながら、彼を拒むことが出来なかった。
それだけは、どうしても出来なかった。
(あぁ、結局、私は……)
「誰の光にも、なれていない」
縋る手を振り払い、差し出された手は拒絶して。
誰の手も取ることはなかったのだ。
(ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい)
「ごめんなさいッ」
悲鳴じみた声は、もう誰にも届かない。
今更謝ってももう遅い、誰も自分を許さない。
「ごめんなさい……」
それでも繰り返すのは、誰かに聞こえると思っているからだろうか。
救ってもらえると、どうしようもなく醜い自分でも希望はあると。
そんな身勝手な妄想に、未だにしがみ付いているからか。
(だとしたら、なんて穢い)
それでも口は勝手に廻る。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさ」
「――――もう、いい」
とめどなく溢れる涙ごと、誰かに口を塞がれた。
同時に伝わる、微かな温もりと力強い腕。
――――塞がれたのではない、抱きしめられたのだ。
「もういいから。もう謝るな」
誰かの手が、宥めるように頭を撫でる。
一回、二回、三回……。
慰めるように、慈しむように、温かさを与えられる。
『お前だけを、愛している』
そう言ってくれた人は、もういないのに。
『いつまでも、一緒にいよう』
その言葉は叶わなかったのに。
「戻って来い――――俺の元に」
(あぁ、どうして……)
「ミヅキ」
呼ばれた名前、もう一つの意識がはっきりと覚醒していくのを、自分はどこか諦めに似た気持ちで感じていた。
◇
「――――ミヅキ」
「あれ……アークさん?」
ぱちぱちと目を瞬いて、深月はその人の名を呼んだ。
「――――って、わぁ! ちょっとアークさん、何してるんですか?!」
息がかかるほど近い距離――アークに抱きしめられていると理解して深月は思いきり動揺した。
麗しの顔がとてつもなく近くて、それが何よりも驚きでその身体をぐいと押しやる。
「ミヅキ……」
呆然と、アークが深月を呼ぶ。
「はいはい、聞こえてます! んもう、何だって急にハグ……って、あれ?」
ひんやりとした感触――深月は自分の頬に手をやり、それが濡れていることを知って声を上げる。
「何で私、泣いてるの?」
否、正しくは泣いていたのか、だ。
何故なら今、深月は涙を流していない。
流してはいないのだが、まるで水でも浴びたかのように顔はぐっしょり濡れている。
心なしか瞼も熱い。
「アークさん……」
「……何だ」
上目づかいにアークを見上げ、深月は恐る恐る尋ねる。
「――――私に、何か変なことしましたか?」
例えばいたずら的な、と続けた深月。
刹那。
ごいんっ
「――――ったーーーい!」
強烈な一撃が、深月の頭頂部に落とされた。
「まったく、お前というヤツは」
お茶を淹れながらぶつぶつ言うアークに、深月は口をへの字に曲げて押し黙る。
「いきなり神力をダダ漏れにし、泣き出したかと思ったら今度は謝罪。一体何だというのだ」
「……覚えがありません」
「しかも何故だか、謝るごとに神気が強まる」
「知りません」
「あのままだったら、きっとこの部屋ごと、お前自身も消滅していた」
「すいませーん」
「本当に思っているのか?」
適当に返事を返す深月に憤りながらも、アークはカップを差し出した。
熱そうな湯気を立てるそれは昨日と同じ、独特の香りがするお茶だ。
「本当に何も覚えていないのか?」
「はい、ほんとにもう、潔いくらいさっぱりと――熱っ!」
両手で受け取ったお茶をさっそく口元に運んだ深月は、自分が猫舌だということを失念していた。
火傷をしたのだろう、舌先がひりひりと痛む。
「……何をやってるんだ、お前は」
「忘れてました、私熱いの苦手なんです」
「どうやったらそんなことを忘れるんだ……」
ふぅふぅとカップに息を吹き掛ける深月に、アークはげんなりと肩を落とす。
「……で、話はどこまで聞いていた? 意識があったのは?」
「一応……最後まで聞いていたと思います。レスティアの代わりに、残ったリラムの人たちが闇を封じている。ですよね?」
「そうだ」
軽く息を吐いたアークは、椅子に凭れるとカップを手に取りお茶に口を付ける。
熱くないのか、猫舌ではないからなのか、彼の仕草は相変わらず優雅だ。
「ってことは、今はこのリラムが世界の頂点ですか?」
「違う。リラムはむしろ、支配される側だ」
「えっ! どうしてですか?」
光がなければ平和を保てないというのなら、その力を持つリラムこそが、実質世界を握っているのではないのか。
深月の疑問にアークはカップをテーブルに置き、正面から視線を合わせた。
「いいか、ミヅキ。我々リラムは、光によって生かされている。この神興国がどの国にも侵されない理由はただ一つ。この世界を保つだけの神力を持つが故だ。神職たちが居るから、このルーウィンに於いてその地位を認められている」
「つまり」
「闇を抑えられないのであれば用済み。鉱物に恵まれるでも、産業に富んでいるわけでもないこの国は、簡単に潰される。かの帝国の前に、リラムの軍事力など無いに等しい」
「oh……」
きっぱりと言い切ったアークに、深月は少し――否、かなりたじろいだ。
神力がなければ何もない。
そんな風に言われる国も、その国民もかなり可哀想だ。
そう言ってやりたいが、それは紛れもない事実なのだろう。
何ならその無力感は、他でもないアークが一番感じているのかもしれない。
そう思うほどに、アークの表情は険しかった。
「この国の王女は光の要。現在の“巫女”だ。巫女は必ずしも血脈が重視されるわけではないが、現王女は先代の巫女より直々に指名され、生まれてすぐに神殿に入った」
「ってことは、巫女は指名制なんですか?」
それだと生徒会くらいのイメージになる。
深月の学校は生徒会長のみ、前期の会長によって指名され受け継がれるのだ。
ちなみに友弥も、前会長により指名されている。
「そう言うと少し語弊があるな。巫女自身による指名というより、神の――全能神の神託によって次代が示され、巫女に伝えられるのだ。王女は母親である王妃の、その胎内に宿る頃に神託を受けている」
「つまり、リゼはすごいってことですね?」
「そうだな」
首肯したアークは浮かない表情で俯く。
「この国の未来は、王女の肩にかかっている」
そしてそれは世界も同じなのだろう。
だからこそ、アークは無理に王女を探さないのだ。
彼女が自ら動いたから。
何も望まない、純粋に民だけを想うその心で、王女は城を飛び出した。
ならば。
「……世界は、ルーウィンはもう」
「……はい?」
何ですか、と顔を上げた深月は、しかし何も言えなくなった。
机上で組んだ両手に顔をつけ、アークはぼんやりとテーブルを眺めている。
「ルーウィンは、既に全能神の寵を失っているのかもしれない……」
その声は飽くまでも淡々としているのに、何故だか深月は胸が痛くなった。
推測なのか憶測なのか、感情の籠らないそれが深月には悲鳴に聞こえる。
『お願い、わたしたちを助けて』
頭に蘇る誰かの声。
幼い抑揚。
「この世界に、ルーウィンに闇を取り戻す……」
ぽつりと呟く。
「……ミヅキ?」
「アークさん!」
呼びかけたアークに、深月はがばりと顔を上げる。
漆黒の瞳は星空のように輝き、わずかに熱を込めてアークのそれを射た。
「な……んだ?」
「アークさん。世界に闇を取り戻すことって、出来ると思いますか?!」
「――――――」
深月の唐突な発言――その内容に、アークは大きく目を見開いた。
何を――今、この少女は何と言ったのか。
「アークさん、さっき言いましたよね。私に神力があるって。神気も強くなったって。よくわからないけれどそれって、私にも力があるってことでしょう?」
真っ直ぐに伸びた背筋、問い質す深月の口調はいつになく強く、そして真摯だ。
「今この世界を支えるのは光、それは今、一人の巫女に託されてる。でもそれでは駄目、このままだとルーウィンは、また巫女ごと潰れてしまう」
「お前……」
「アークさん、私は――――」
深月の双眸がアークに向けられた。
◇
異世界の者である証、漆黒の眸と溢れだす清高な神気。
この少女はきっと知らない。
世界が残酷に出来ていることを。
誰も救われていないことを。
神に仕える者でさえ、見え始めた終焉に脅えていることを。
闇が欠けた世界、なのに誰もが、暗い深淵に囚われている。
(知らないのだ)
震えるような孤独も、深く根付いた絶望も。
(でなければ、このように輝けはしない)
「アークさん、さっき言いましたよね。私に神力があるって。神気も強くなったって。よくわからないけれどそれって、私にも力があるってことでしょう?」
あるなんてものではない。
彼女たち渡来者には、この世界では持ち得ない目が眩むように高潔な神力が宿っている。
「今この世界を支えるのは光、それは今、一人の巫女に託されてる。でもそれでは駄目、このままだとルーウィンは、また巫女ごと潰れてしまう」
少女の言葉は託宣のように清らかに響き、アークの胸を貫いた。
「お前……」
「アークさん、私は――――」
少女の身体がほんのりと淡い光を放つ。
それは先程のような危ういものではなく、もっと鮮やかな生命力に満ちていてアークは目が離せなかった。
「私はこの世界の、光になりたい」