第二十二話 : キミと僕の関係 ~ side 友弥 3 ~
セピアに近い天然の茶髪と、光の加減で碧に見える眸。
一人でも、家族と一緒でも、外を歩けば必ず人目を引いた。
『ゆうやのかみのけ、いろがへんだよ』
『めも、あたしたちとはちがうもん』
『へんなのー』
物心ついた頃には、他人との間に壁があって。
『どうして友弥はああなの』
『母親は普通なのに』
『混血だなんて恥ずかしい』
周りの声は煩くて。
祖父から継いだというこの色を、好きになれなかった。
『まるで動物園みたいね』
遠巻きに眺めてくる連中と俺を身比べて、母は言った。
悲しそうに笑う母が可哀想で、それを慰める自分が惨めで、酷く傷ついた日々を覚えている。
自分が見せ物だなんて思いたくなくて。
溢れる声を跳ね返したくて、必死に強くなろうとした。
何を言われても愛想よく笑った。
穏やかな振りをして“良い子”を演じた。
居場所が欲しくて、受け入れて欲しくて堪らなかった。
『トモはきれいね』
違うよ、深月。
綺麗なのは君。
『そのままで十分だよ』
駄目だよ。もっと強くならないと。
だって、君は救ってくれたから。
どうしようもなく震えていた、俺の弱さを受け止めてくれたから。
だから今度は守ってみせるよ。
傷つける全てのものから、君を守ってみせるから。
今はまだ頼りないかもしれないけど、もっともっと強くなるから。
ずっと傍にいて、一緒に笑って欲しいんだ。
その為なら何だってする。
ほんとだよ。
◇
「おい、聞いてんのかよっ」
「聞いてるよ、深月の話でしょう? ギルドに行くって言い出して、それで?」
大振りの剣を両手で持ち上げ、その感触を確かめながら友弥は促す。
「『世の中は金だ!』とか言い出して、訳の分からない言葉を並べたくって俺に噛みついてきやがった!」
「ふんふん。うーん、これはさすがに重いなあ」
「俺だって金が要らないなんて思ってないけど、それにしたっていきなり言うことがそれとか」
「そうだなぁ。こっちは持ちやすいけど」
「サーベルよりやはりこちらの方が使えるかと。軽量化されているので、、幾分使いやすいですよ」
「はっきり言ってアイツは馬鹿だ。無謀だ。向こう見ずだ」
「ほんとだ。随分軽いね」
「騎馬兵用ですので。斬るにも突くにも不自由のないものですよ」
「この俺を子供扱いしやがって。傲岸不遜極まりないと思わないか?」
「そのとおりだね。これにしようかな」
「では支払いを済ませてきますね」
「最後は座ったまま眠り出して、結局俺が横にしてシーツを掛けたんだぜ」
「ありがとう。後でちゃんと返すから」
「いいえ、構いません。……と言っても納得されないんでしたね。分かりました、頂きます」
「腹が立ちすぎて、俺は一睡も出来なかった。お陰で朝から気分が悪い」
「毎度! お目が高いですねぇ。これは太陽神の加護があるといわれる、神力の高いものなんですよ」
「そうなんですか?」
「おう、そうだとも」
「その分多少値が上がりますが」
「構いません、それをください」
「いやいや良くない、全然良くないよ姫」
「毎度~。ちょっと待ってくださいね、すぐ包みますから」
「ああ、そのままでいいです。すぐに持ちますので」
「…………」
「そうですか? じゃあこっちの、帯剣用のベルトも付けときますね」
「まぁ、いいんですか?」
「もちろんです。さあ」
「……俺の」
「すみません、ありがとございます」
「お似合いですよ、旅のお方」
「そうですか? では」
「話を聞っけええぇぇーーー!!」
人で賑わう店内に、ディディウスの絶叫がこだました。
「ったく。お前のせいで散々な目にあった」
爆発したディディウスにより注目を集めた友弥たちは、逃げるようにして街の広場に移動した。
「ディディウスが、あんなに大きな声を出したからでしょう? ユーヤのせいではないわ」
途中屋台で購入した昼食を手渡しながら、リゼが窘める。
「……何だよ、姫はそいつの味方なの」
「そういうわけではないけれど」
「良いよ別に」
ふいっと顔を背けるディディウス。
かの聖獣は昨夜深月と盛大に喧嘩をし、最後は部屋から出て行ったという。
王女の護衛の為遠くには行っていなかったらしいが、友弥が目覚めた時にもその姿はなかった。
そこには身なりを整えたリゼだけがいて、友弥は彼女と二人、旅をする為の買い物に出たのだ。
リネンシャツにベルト、ズボンと外套という簡単な着替えを購入して着替えたところで、ディディウスに声を掛けられた。
おそらくずっと傍にいたであろう彼は、不機嫌も露わに友弥に言った。
「腹減った」
と。
それからは愚痴のオンパレードだった。
(まあ、合わないかなとは思っていたけど)
湯気を立てる紙包みを受け取りながら友弥は苦笑する。
思ったことを爽々と口に出すのが、本来の深月の性格だ。
どういうわけか外ではめっきり大人しくなる深月だが、だからといって気が弱いわけではない。
それは彼女の剣道にも表れているし、何ならたまに、片割れである颯希と言い合っている声も聞こえる。
距離があるとはいえ、双子の家と友弥の家は隣同士。おまけにそれぞれの部屋はお向かいさんなのだ。
『颯希のばか! 分からずや!』
『どっちが! 深月の言うことはいちいちおかしい!』
『おかしくないもん! 颯希の意地悪!』
そんなやり取りを度々耳にした。
可憐な見た目とは裏腹に、何事にも物怖じしない。
自分の意見をはっきりと口にする。
独特の感性を持つ彼女だが、それこそが白崎深月という、友弥の幼馴染の最大の魅力だ。
しかしそれは友弥の考えなわけで、誰にとってもそうであるとは限らない。現に目の前の聖獣は完全に拗ねてしまった。
よって、友弥はフォローをする。
「深月はまっすぐだから、よく考えずに言ってしまうこともあるんだ。不快にさせたならごめん」
「……何でお前が謝るんだよ。謝るべきはアイツだろ」
「それはそうだけど。でも、深月は僕の大切な娘だから」
何の躊躇いもなくそう言うと、膝を抱えたディディウスがゆっくりと振り返った。
琥珀の眸と目が合う。
「また無茶を言ったり、暴走してしまうかもしれない。だから、その時はディディウスが止めてあげて欲しい」
「……勝手なことを」
「うん、ごめん。でもディディウスは頼りになるって、アークが言っていたから」
「――アークが?」
ディディウスが驚きに目を見張る。
「知恵も力もあるからって」
「その通りです。ディディウスは強くて賢い、私の自慢のパートナーですもの」
間に入ったリゼが、ディディウスに笑いかける。
「そ、うかな」
「ええ、もちろん」
リゼの肯定にディディウスの頬が紅潮する。
分かりやすいくらい素直に、ディディウスの口角がにんまりと上がった。
「しょうがねーなぁ。お子様なアイツのことは、俺が面倒みてやるよ」
「そうしてくれると助かる。くれぐれも無茶をしないように」
「おうっ! しっかり手綱を握っててやるぜ!」
胸を張って宣言したディディウスは、改めて昼食を受け取ると分厚いサンドイッチを上機嫌に頬張る。
友弥はリゼと声なく笑い、小さく息をつくと異世界のファーストフードを口にするのだった。
◇
昼食を終えた友弥は、購入した地図を広げた。
リゼとディディウスと頭を付き合わせて覗き込むそれは、やはり友弥にとって馴染みのないもの。
一つの大陸がいくつもの国に分かれている。
「ここが神興国、つまりリラムで、出会ったのがこの森。昨日歩いたのがここで、今いるのはセネル。城下より少し離れた、けれど比較的大きな街です」
地図を指差しながら、リゼが説明する。
「私たちが目指しているのは……」
「あれ?」
リゼが示したのはリラムの、何も書かれていない場所だった。
てっきり国を跨いだ大移動だと思っていた友弥は軽く面食らう。
「リゼのいう“塔”っていうのは、リラム国内にあるの?」
「そうです」
「国内って言っても端の端。こっから何十日もかかるし、移動にも手間がかかる。見てみ」
ディディウスが指したのは、地図に描かれた細い線。
「……川?」
「そう。塔があるのは聖域と呼ばれる区分で、手前にあるこれが結界の役割を果たしてる。むやみに近づこうものなら拒絶されるし、渡るには船が必要だ。まぁ、今回は俺が飛ぶけどな」
「結界に……拒絶される」
「塔には護人と呼ばれる一族がいて、聖域は彼らによって守られているのです」
「聖域には、塔には何が?」
「闇を封じているのです」
リゼが声を落とし、遠くを見つめた。
全身を生成りの外套で覆い、短い銀髪をフードで隠した王女。
その姿を気に止める者は、誰も居ない。
「ユーヤは、この世界をどう思いますか?」
「どう、とは?」
リゼの問いは抽象的すぎて、友弥は咄嗟に答えられない。
「平和だと思いますか?皆が安心して暮らせていると」
「それは……」
友弥は辺りを見渡す。
広場は友弥たちのほかにも大勢の人が集まっている。
棒に巻かれた菓子を手にはしゃぐ子供、その頭を撫でる父親。
装飾品を並べる商人とうっとり眺める若い娘たち。
彼女たちの持つ籠はどれも花でいっぱいで、そばを通る男たちがそれを褒めるように娘たちと言葉を交わす。
済んだ音が空に響き、道化に扮した者たちが笛や手風琴やタンバリンの様な打楽器を手に歌い出す。
子供たちが歓声を上げ、大人の手を引いて走っていく。
負けじと声を張り上げる露店商、寄りそう恋人たち。
街は活気に溢れ、人々は楽しそうに笑っている。
友弥は自然と微笑みをこぼした。
「僕はここに来たばかりで、まだ何も分からないけど」
「……そうですか」
「でも、良い所だと思います。子供は元気で人々は笑っている」
それは安心して暮らせているということだろう。
幸せだということだろう。
友弥がそう伝えると、リゼは自分も広場を見渡し、頬を緩めると首をもたげた。
深緑の眸には、痛み。
それは友弥の良く知るものととても似ている。
「リゼ?」
「ユーヤの言うとおり。この世界は平和です。人々は笑い、安息の日々を送れている。住む場所、食べること、着るものを選び、それぞれが各々の生きたいように生きる。当り前の毎日が、当り前に過ぎていく。それはとても、幸せなことです」
でも、とリゼは苦しそうに眉根を寄せる。
「全てはまやかし」
「まやかし?」
「人々が安穏としていられるのは、こうして光が満ちている間だけ。夜になれば闇に脅え、遠ざけようと灯をともす。家の中に籠り、祈りを口にして身を寄せ合うのです」
その言葉に友弥は思い出す。
街の様子は分からないが、友弥が夜を過ごした神殿は確かに明るく、寝室自体も
真っ暗にはなっていなかった。
「ルーウィンは光が全て。闇は忌むべきもの、退けられる存在。それが、この世界の“理”。私たちは光がなければ生きていけないのです」
「それは僕の世界でも同じだけど」
「いいえ、違う」
リゼは鋭く否定した。
「だって私たちは知っている。闇が悪ではないことを、光に縋っていることを。知っていて、縋ることを止められなかった」
言い募るリゼの表情は切なく、哀しみに満ちていた。
「故に、世界は呪われてしまった」
「呪われた?」
「そう。だからユーヤ。私は……」
胸元できつく組まれた白い指、リゼは唇を噛み締めて俯く。
いたずらに起こった小さな竜巻が、広場の砂を巻き上げた。
リゼの輝く銀の髪が、風に遊ばれフードから零れる。
広場を揺らす風に、街の喧騒が遠ざかった。
それはまるで潮騒に似て、友弥の耳に、一つの音のみを届ける。
「私は、世界を」
「壊したい」