第二十一話 : ルーウィンで朝食を
お前は誰だ――――と。
皇太子の言葉が鼓膜に響いた。
深月はぱちぱちと目を瞬く。
「えっと……それはどういう意味でしょう?」
深月の問いかけに、ライズは身を引くと片膝を立てて胡坐をかいた。
少し開いたその距離に、しかし深月は安心できない。
(今……このひと……)
とてもさらっと聞き流せないことを言われた。
深月の聞き間違いでなければ大問題な一言を。
(聞き間違いと思いたい。むしろそうであってくださ)
「お前は何者だ?」
「直球ですね?!」
容赦のない誰何に深月は思わず頭を抱える。
(えっ? ばれてる? これってばれてる? 私が王女――リゼじゃないってばれちゃってる?)
アークの声が頭を過る。
『絶対だぞ』
そう念を押した、超絶美形の過保護な神官。
(そうだ、そうだった。少なくとも今は王女のフリをしなきゃ)
深月は顔を上げると寝台の上で正座をした。
「私は正真正銘、この神興国の王女です」
「まだ言うか。では訊こう、お前の名は?」
「リゼ=ヴィーラです」
自信満々に即答した深月にライズは嗤った。
「確かに。しかしそれは“巫女姫”としての名だろう」
「え……」
「俺が訊いているのは、王族としての正式な名だ」
教えてもらおうか、とライズは口角を吊り上げた。
「えっと……」
たら、と深月の額を汗が伝う。
( き い て な い ! 他に名前があるなんて聞いてないよっ)
アークさーーーーん、と深月は絶叫したくなった。
(絶対にばれるなとか言ったのに、情報量少ないよ! ていうかこの国のこととか私何も知らない!)
ぬおおぉぉ、と深月は頭を抱えたくなったが、それも今は躊躇われる。
深月は視線をさまよわせた。
「言っておくが、お前が王女だと言い張ればそれは身分を詐称したことになる。レスティアの皇太子であるこの俺にな」
「それ、は……」
「俺の言葉一つで、国同士の争い――つまり戦にだって出来る」
「――――っ」
戦という単語に、深月の肩がびくっと震える。その反応が愉しいのか、または侮蔑しているのか。
紫紺の眸は、嘲りとも愉悦ともつかない色を宿している。
「それとも」
「そ、それとも……?」
思わず鸚鵡返しに訊ねる深月、その瞳に映るのは、残虐さを隠さない狂気の笑み。
「この国のものでないお前には、民が死のうが関係ないか?」
「―――馬鹿にしないでください!」
揶揄するようなライズの言葉に深月は顔を上げた。
紫紺の眸をまっすぐに睨みつける。
「確かに私はリゼじゃない。この国の人でもない。けれど、自分の為に他の人や国が犠牲になっていいなんてこれっぽっちも思わない。見くびらないで」
「では認めるのだな、王女ではないと」
「…………」
(アークさん、ホントにすみません)
せめてもと心の中で謝罪し、深月は名乗った。
「私の名前は深月。白崎深月です」
「ミヅキ」
ライズが繰り返す。
「それがお前の名か」
「はい」
「では」
ライズはふいと視線を逸らし、寝台から降りると深月に向かって手を差し出した。
「行こうか」
「へ? 行くってどこに」
「隣だ。食事をするのだからな」
そう言ったライズの後ろで、コンコン、とノックの音がした。
回廊に続く扉、その向こうにはセレーンが、相変わらずの無表情で立っていた。
しかしその額にはわずかに汗が滲み、急いで用意をしてきたのだとわかる。
「遅くなって、申し訳ありません」
「ううん、大丈夫……」
「もっと遅くなっても良いくらいだったがな」
頭上から降った声に深月は顔を上げたが、既にライズの姿はない。
「入れ」
それだけ言うと、皇太子はさっさと居室に戻って行った。
深月はライズの感情を読み取ろうと、その背を睨みつける。
「……不気味だ」
「何かありましたか?」
「ううん、何でもない」
慌てて否定した深月は、逃げるように自分も居室への扉をくぐった。
「座れ」
とライズに示されたのは、彼の正面――ではなく、テーブルの角を挟んだ左隣だった。
こういう場合は向かい合って座るのだと思っていた深月は、その距離の近さに思わず唸る。
「……近くないですか?」
「気のせいだ」
「いや、明らかに。ていうかこの椅子、さっきまで向かい合ってませんでしたっけ」
「気のせいだ」
「だって入って来た時扉を背にして」
「気のせいだ」
「…………」
(ダメだ会話にならない)
諦めた深月はライズの言うままに椅子に腰掛けた。
それを合図にセレーンがワゴンから朝食を移して行く。
彩りの良いサラダ、温かいスープ、香ばしく薫るパンに風味豊かなバター、瑞々しいフルーツ。メインに、薄くスライスされた牛肉。
全てを並べ終えると、セレーンは一礼して扉の近くまで下がった。
どうしようかと躊躇う深月をよそにライズはさっさと食事を始める。
「あの」
「何だ」
「いえ、あの……」
(うーん)
何だと言われると何もない。
むしろ何か言いたいのは、騙されていたライズの方ではないか。
なのに彼は何も言わない。
騙したことを怒るでもなく、深月がここにいる理由を問い詰めるわけでもない。
まるで先程のことなどなかったかのようだ。
おまけに。
「食べないのか?」
平然と勧める皇太子は、本当に考えが読めない。
「昨日の様子を見ると、あまり燃費が良いようには見えない」
「余計なお世話です!!」
深月は顔を真っ赤にして叫び。
「~~~~~~~っいただきます!」
手を合わせるとフォークに手を伸ばした。
「では、またお迎えに上がります」
空になった食器を全てワゴンに乗せ、温かいお茶を淹れてセレーンは厨房へと戻って行った。
再び二人きりになった部屋で、しかしライズは何も言わない。
それがとても居心地が悪く、深月はちらちらとライズを盗み見た。
「何だ」
「いえ、あの」
何と切り出したらよいのか分からない深月はもごもごと口ごもる。
そんな深月に、長い脚を組みかえた皇太子は言う。
「俺に惚れたか?」
「――――はいィ?!」
あまりにも突拍子もないその発言に深月は椅子から転げ落ちそうになった。
「ななな、何を言い出すんですか何を!」
「違うのか」
「違うに決まっているでしょう!」
(訳が分からん!)
「そうか、それは残念だな」
「へ?」
深月の頬を、ライズの指が滑る。
「ミヅキ。俺はお前が気に入った」
「え」
「お前は面白い。その言動も行動も全て。……“虐帝”に平然と言い返すのはお前くらいのものだ」
「それは……」
褒められているのだろうか? と深月は首を傾いだ。
「ありがとうございます?」
「何故疑問形なんだ」
「この状況がよくわかっていないからです」
きっぱり言い切る深月に、ライズがクッと笑った。
「そうか」
「そうです」
「ではこれから理解すればいい。何せ、これから毎朝食事を共にするのだからな」
ライズの言葉に深月は「あっ」と声を上げる。
(そうだ、忘れてた)
「あの」
「却下だ」
「まだ何も言ってませんけど?!」
「言わなくてもわかる。今日限りと言おうとしたのだろう」
ずばり良い当てられて深月はうっと言葉に詰まる。
「あの神官だな。俺に近づくなとでも言われたか」
「いえあのそういうわけじゃ」
「構わない。俺は“虐帝”だからな。あの神官はお前の何だ?」
「…………………………保護者、でしょうか?」
またしても疑問形で深月は答えた。
アークは深月にとって、双子の片割れである颯希に近い。
誰よりも世話焼きで、口うるさいけどお人よし。
面倒見がよいのか放っておけない性質なのか、損な役回りは御免だと言いながら率先して突っ込んでいくタイプ。
そんな彼に預けられたからこそ、深月は今、こうしてのほほんとしていられるのだ。
「うん、保護者ですね」
「保護者か。では、あの神官には黙っていることだ」
「何をですか?」
「お前の正体に、俺が気付いたということを。そうと分かればヤツはますます引き離しにかかる」
ライズは深月から手を離し、気だるげに椅子に凭れる。
「それは……」
「それに」
深月の言葉を遮ったライズは、ひじ掛けに頬杖をつくと頭をもたげた。
唇が、弓張月の形に歪む。
「お前は俺が恐ろしいか? もう二度と、顔も見たくないと思うほどに」
「そんなことは……ないです、けど」
何といってもまだ会って二日目。
出会いやその後は確かに衝撃的だったが、だからと言って「怖い」とか「大嫌い」という程の感情は持っていない。
深月からすればライズは“虐帝”というより“強引な俺様気質”でしかない。
「では好きか」
「極端! 皇太子さまは怖くないけど、アークさんが怖いんですっ」
(あっ)
しまった、と口を押さえるがもう遅い。
「俺と会うとこっぴどく叱られる、と言ったところか。――――面白い」
「面白い?」
どこがだ、と顔を険しくした深月に、皇太子は意地の悪い笑みを浮かべるととんでもないことを言い出した。
「ではこうしよう。俺はお前を王女として扱う。その代わり、お前は俺と朝食を共にする」
「――――へ?」
「交換条件だな」
「え? いえいえ待ってください、そんな勝手に」
「悪い話ではないだろう。叱られずに済む」
「済みませんよ! とりあえず朝食の約束はなしにしてくださいっ」
「却下だ。大概諦めが悪いな」
「そのまま返します! だいたいアークさんが……――――ッ」
深月の言葉は続かなかった。
ライズから、それまでとはまったく違う空気を感じたからだ。
さきほどまでののらりくらりとした態度から一変、紫紺の眸は冷めた熱を孕み深月を見据えている。
「そこまでにしておけ。お前の口から男の名前を聞くのは、正直あまり気分が良くない」
ゆらりと立ち上がったライズは、真上から深月を見下ろして続けた。
「あの神官のことなどどうでもいい。お前に触れるのにヤツの許可など必要ない。最高神官長といえどただの神官、皇太子である俺に意見など出来まい」
(ということは)
「いよいよという時には斬り捨てれば済むことだ」
そう言ったライズはその台詞と同じく、酷薄な笑みを浮かべていた。
立ち上る殺気はまさに“虐帝”そのもので、深月は思わず身を引いた。
しかしライズは逃がさない。
逃がしてくれない。
「――――ッ」
「お前は“花嫁”だ。俺がそう決めた。何者にも逆らうことは許さない。お前自身であっても」
顎をきつく捕えられた深月のその頬に、ライズの長い髪がこぼれて触れる。
ゆっくりと降りてきた唇が、深月のそれに触れる。
その、直前。
コンコン
再び扉が叩かれた
「――――っ!」
一瞬の隙をついて身をよじり、深月はライズの脇をすり抜けた。
応接室の扉に向かい全力で走り、ドアノブを掴む。
刹那、背筋が凍りつくような冷たい声が響いた。
「今は逃がしてやる。が、二度はない」
振り返った深月の瞳に“虐帝”が映りこむ。
「また明日」
そう言った皇太子は、逆光に照らされて狂気を纏い。
一層その残虐さを深月に見せつけていた。