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第二十話 : 黒を纏いし外来者(エトランゼ)

 セレーンに案内されたのは神殿ではなく、その向かいに位置するお城だった。

 長い回廊を衣の裾を踏まないように進んでいく。


「神殿じゃないんだね。どこに行くの?」

「来賓用の客間です。他国の方が神殿内を歩くのはあまり良いとは言えませんから」

「なるほど……」

 はっきりとしたセレーンの言葉に納得しつつも深月は少しうんざりした。

 正面とは言え、神殿と城の間にはそれなりに距離がある。

 階段の上り下りも坂道だってあるのだ。

 それをこれから毎日、朝食の度に、否、朝食の為だけに通うというのか。


「面倒くさい……」

「はい?」

「あ、ううん、何でもないです! その、一緒に来てもらっちゃってごめんね」

 つい本音を溢した深月は慌ててそれを打ち消した。

 本人よりも付き添いを指名された方が、よっぽど嫌だと感じているだろう。

(わがまま言ってすみません……)


「いいえ、お気になさらず。私が申し出たのです」

「えっ? そうなの?」

「お一人では心もとないかと思いまして」

「そうだったんだ〜。ありがとう」

「それに、巫女姫である王女殿下が一対一で異性と食事をされるというのも問題ですので」

「そっかそっか」

(なるほどなるほど。セレーンはツンデレさんなのね)


 笑顔が地顔なのかと思わせるほどにこにこ笑っているユハとは対照的に、セレーンは常に無表情。

 猫のような大きな瞳は見るからに気が強そうで、きびきびとした動きや口調が冷たい印象を与えるのだ。

 深月も、疎まれているとまではいかなくても面倒だと思われているのかも、と少し不安だった。

 でも、そんな深月をセレーンは心配してくれていたのだ。

 それはとても嬉しい。


「セレーンは優しいんだね~」

 深月は少し早歩きでセレーンの隣に並んだ。

「別に。普通です」

 覗きこもうとする深月に対し、セレーンは壁側に顔を向けた。

 その頬はほんのり赤い。

(デレてる!)

 可愛い! 抱きしめたい! と深月は両手をわきわきさせた。

(いざっ)

 深月はセレーンに飛びつこうと足を浮かせる。


 しかしひょいっと、深月の身体は抱き上げられた。

 お腹に回された逞しい腕に、クレーンゲームの景品よろしく抱えられる。

「遅かったな」

「皇太子殿下」

 深月より先に反応したセレーンは今さっきの赤面などなかったかのように、無表情に背筋を伸ばしている。

「使いが参りませんでしたか」

「ああ、賓客室で待てと言っていたな。支度が整い次第王女も来る、と」

 頭上で交わされる会話に入れず、深月はぷらんと垂れた自らの両手足を見つめた。

 その時。

「では」

「だが」


 ぐい、と顎を引かれた深月の、その頬に柔らかいものが押し当てられた。

(――え?)

「――――――――」

「迎えに来た」

 何が起こったのかをぼんやり理解しかけて、深月の頭は真っ白になった。

(今……一体何が……)

 何か熱を持ったもの、真近にあった紫紺の眸、意地悪く釣り上がった唇―――――。

「皇太」

「――――にゅあぁぁぁぁっぁああ!」

 びよんと勢いよく反り返った深月は、そのままライズの腕から逃れた。


「な! なななっ! な!」

「ということだ」

「――ぅやっ」

 反射的に逃げようとした深月は、背中を向けた瞬間に捕まり、ライズの肩に押しつけられる。

「またしても米俵抱き! じゃなくて、下ろしてください!」

「却下だ。食事は俺の部屋で取る」

「それこそ却下です! いいから下ろし」

「二人分運ぶように。ではな」

「待っ――――」

 反論する間もなく、ライズはくるりと向きを変えると廊下を歩きだした。

 その場に残されたセレーンを目で負うが、彼女はすでに来た道を戻り出している。

 神殿に行ったのだとしたらそれは、アークに知らせる為だろう。

 深月は色んな意味で大ピンチだ。


「――セレーン!」

 セレーンが足を止める。

 深月は可能な限りの大声を出した。

「私は平気だから! だから朝ごはん、お部屋に運んできて! お腹すいたから!」

 一刻も早く、と付け加える。

(アークさんをこれ以上刺激しちゃ駄目!)

「お願い!」

 ぱんっと皇太子の背で両手を合わせた深月に、セレーンはゆっくりと振り返り。

「……わかりました」

 厨房に行ってきます、とセレーンは神殿とはまた違う方向へと足を向けた。

 ほっと息を吐いた深月はとほほと首をもたげる。


(敵陣に突っ込むようなものじゃん。もう。もうっ!)

「勇敢だな。婚約者とは言え、男の部屋に一人でとは」

 そんなことを口にする皇太子に、深月はその肩に両手をつくと身体をひねって睨みつけた。

「婚約者じゃありませんてば。誰のせいですか」

「さて、覚えがない」

 飄々と躱すライズ。

「ないわけないでしょう、なんならたった今」

「隙がないのは可愛くないが、ありすぎるのも問題だな」

「そんなことは訊いてませんっ。それより」

「何が言いたいのか皆目わからない」

「っもう!」

 そんな全く身にならない問答を繰り返しながら、深月たちは回廊を進む。

 正確には進んだのはライズなのだが。

 ライズは入り組んだ城内を迷いない足取りで進み、飾り彫りが施された扉の前で止まった。

 扉の脇には左右それぞれに騎士が立っている。

 騎士たちは皇太子に抱えられた深月に気づくと、大きく目を見張った。


(まずい!)


「すぐにセレーンが食事を運んできます! そうしたら、入れてあげてくださいね! セレーンが来ますから!」

 だからアークに知らせてくれるなよ、と。

 胸中で付け加えると、深月は“にっこり”と笑った。

 アーク直伝の「有無を言わさぬ怖い笑顔」だ。

「か、畏まりました……」

「姫様の、仰せのままに」

「ありがとう」

 よろしくね、と今度は邪気のない顔で笑う。

 騎士たちはわずかに頬を染めながら頷くと扉を開けた。

(とりあえずはこれでよし)

 ふう、と再び息を吐いた深月を抱えて、ライズは無言のまま部屋へと入った。


 部屋の作りは王女の私室と似ている。手前に応接室、奥に居室、右の扉は衣装室で、左はおそらく寝室だろう。

「およっ?」

 てっきり応接室で食べると思っていた深月は、椅子を素通りしたライズに声を上げた。

「どこで食べるんですか? もしや居室――ってちょっと待ってください、そこは寝室じゃ」

「問題ない」

 きっぱりと言い切ったライズは何の躊躇いもなく寝室の扉を開けた。

 深月の視界に、豪奢な造りの大きな寝台が飛び込んでくる。

「え。いえ、だからあの」

 大問題です、と言おうとした深月は、無造作に寝台に放られた。

 結構な高さから、宙に投げ出される。

「――――っ」

(なっ)

 ぼふっ、と柔らかいそれに深月の身体は受け止められた。

 最上級のマットのおかげで痛みはないがそれなりに驚いた深月は、後ろに手をついて身体を起こすとライズを睨みつけた。

「何すんです」

「俺の前で」

 ぎし、と寝台が軋む。


 顔を上げた深月の、その上に被さるようにしてライズが膝をついている。

「他の男に笑いかけるとは、本当にお前は」

「え」

 そのまま肩を押される。

「何があっても文句は言えないな?」

 花嫁、と。


 深月はわけがわからぬまま、広い寝台に押し倒されていた。



 逆さまになった視界に、冷たい美貌が映りこむ。

 切れ長の、夜の空色――紫紺の双眸にも、驚いた顔の自分が映っている。

 そう確認できるのは、それだけ距離が近いからだ。

 

「お前のそれはわざとなのか?」

「な、にが」

 緊張で口の中が渇く。

「他の男と逃げてみたり、神官に庇われたり、騎士どもに笑いかけたり」

 言いながら、ライズは深月に手を伸ばす。

「嫉妬をさせようとしているのか? それとも俺の反応を見ているだけなのか」

「そんなこと……――――っ」

 頬に触れられ、深月はびくりと身を竦ませた。


「……俺が触れるのは拒むというのに。お前は、自分の立場が分かっているのか?」

「立……場?」

 互いの息がかかる距離で、ライズは怖いほど真剣に深月を見つめている。

「そう。立場だ。これほど弱まった光で“神国”とは、誰も認めまい。今やリラムは、縋るものを失った民たちの藁でしかない」

 告げられても、深月には何のことか理解できない。

 だからどうだというのだろう。

 それは今のこの状況に関係しているのか。

 深月の頭は疑問符でいっぱいだ。


「俺と婚姻を結べば、帝国の力を手にすれば、もう誰もお前に逆らえない。このルーウィンに於いて“神国の月姫”は絶対的な存在になれる」

 何を迷う、と皇太子の唇が歪む。混乱する頭を必死に働かせ、深月は考えた。

 蠱惑的な声が誘っているのは、本当に王女が望んでいる道なのか。

「絶対的な存在……」

 王女――リゼとは結局、あまり話をしていない。

 ディディウスと言い合って昨夜は終わってしまったからだ。


(でも)

 そんなものを欲しがっているようには見えなかった。

 リゼはもっと純粋に、世界を救おうとしていた。

 少なくとも深月にはそう感じられた。

(それに)

 権力が欲しいのなら、王女は端から逃げたりしない。

 だからこそ、深月は確信した。


「そんなものに興味はありません」

「ほお。では何を望む。俺を拒むのは“気高き巫女姫”故か。それとも――」

 皇太子は覗きこむように上体を折った。

 深月の首筋に、吐息がかかる。

「――――っ」

「“虐帝”故か」

「――っや」

 耳元に響く低音に、深月は小さく悲鳴を上げた。


「お前が俺を拒むのは許さない。何度も言ったろう、お前は俺の花嫁だと」

「やっ、本当に違っ」

 全身が粟立つ。

 ざわざわとしたこの感覚は、鳥肌どころではない

「何故拒む? 色彩(いろ)など関係ないと言ったお前が、そうまでも」

「これは、だって、そんなの……」



(――――拒むでしょうが!)

 いきなり寝台に押し倒されて「受け入れろ」と言われているようなこの状況、相手が友弥だとしても深月は突き飛ばす自信がある。

(この状態は、最早)

「そんなに俺が」

「――――好きとか、嫌いとか、そんな問題じゃないでしょーがっ!!」


 全力で叫ぶと、深月はあらん限りの力でライズを突き飛ばした。

 ――が、ライズはわずかに後方へ下がっただけで、反動を受けた深月はぽて、とまたしても寝台に倒れる。

 悲しきかな、体格差というやつだ。

 それでも深月はめげず、すばやく身体を起こすとお尻をシーツにつけたまま寝台の端まで移動した。

 そこで一気にまくし立てる。


「立場とか力とか触れるとか拒むとか、そんな事はもっと後の話! いーい、触る方は簡単でも触られる方はそれなりの準備がいるの! 心構えとか……そ、それ以外にもとにかくいっぱい! 不用意に触るとか、おおお押し倒すなんてもってのほかよ! 論外なんだからっ!」

 動揺と溜まった鬱憤で、敬語なんて概念深月にはない。

 ライズは訝しげに、しかし黙って深月を見ている。

「不意打ちなんて、HR(ホームルーム)の抜き打ちテストくらい迷惑だわ! 許されるのは準備万端の時だけよ!」

 それはもう「不意打ち」でもなんでもない。

 しかし深月は譲らない。

 そんな些細なことは今はどうだっていいのだ。

事前交渉(アポイントメント)は大切なんです!」

 力いっぱい、深月は拳を握って。


(―――はっ! 違う!)


 思いっきり話がずれたことに気付き、慌てて顔を俯けた。

 じわじわと熱が集まる頬を抑えたいが今は無理だ。



(誰か誰か――アークさん以外の誰か、助けてください)



 他力本願なうえにワガママな深月は勿論助けて貰えない。

 ううう、と呻きながら深月はゆっくりと皇太子の様子を窺った。

「――――――」

 果たしてそこには、何かを堪えるように顔を押さえて俯くライズの姿。


(これは本気で怒らせたかもしれない)

 深月はごくりと喉を鳴らす。

「あ……の」

「お前は……本当に」

 低い、それこそ聞き取れないほど低い声でライズは呟く。

 が、その声はくぐもって深月には聞き取れない。

「今」

 なんて、と身を乗り出した深月は。


  ぼふっ


 シーツに膝を取られ顔面から寝台に突っ伏した。

「………………」

「………………」

 気まずい沈黙。

 そして。


「――――クッ」

「?」

「ははっ! はははははっ!」

 皇太子はまたしても豪快に笑い出した。

「お前は、本当に、本っ当に飽きないな!」

「ふへ?」

シーツから顔だけを上げた深月を見もせずに、ライズは笑っている。



「あのー……」

「やめろ、喋るな。いや、もっと話せ」

「どっちなんですかっ」

 このワガママ皇太子! と言ってやりたい気持ちを堪えて、深月は寝台に座り直す。

 そうしてライズが落ち着くのを待つことにしようと。

 呑気にも、深月は思った。

 しかしライズはそうさせない。


 皇太子は、口端を緩く釣り上げ「そうだな」と言いながら深月に近づく。

 きし、と寝台が鳴き、またしてもライズとの距離がなくなった。

「では聞こう」

 鼓膜に掛かる、艶を帯びた低音。深月が身構えた、刹那。

 皇太子は囁いた。


「黒の花嫁殿。――――王女ではない、お前は一体どこの誰だ」


 ――――と。


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