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第十九話 : 真夏のブリザード

(アークさんの後ろが吹雪いているように見えるのは、私だけでしょうか……)


 ライズにしっかりと「抱っこ」された深月は、遠い目をした。

(いないいない、怖い人なんて)


「殿下の言う通りですよ、王女殿下。そのような格好では風邪を召されます。さぁ、こちらへ」

 両手を広げて「おいで」をするアークは、微笑んでいるのに目が笑っていない。


 どこも映していない。

 それが深月は何より怖い。


(ヤられる! 今行ったら確実にヤられる!)


「ええと、アークさん、これはその……」

「さあ」

「………………」


 深月は大人しく従うことにした。

 ここで逆らうのは危険だと、本能が告げている。

「すみません、下ろしてください」

 何もかも諦めたように言うと、意外にもすんなりと、ライズは深月を下ろした。

 皇太子の顔に先程までの愉悦は欠片もなく、ただただ、無表情に深月を見下ろしている。

 その手は腰に――帯びている剣に添えられている。

「あ、あの……」

 まさかまたアークに斬りかかるつもりでは、と危惧した深月の、その頭に大きな手が置かれた。

 皇太子の長い指が、ゆっくりと深月の髪を撫ぜる。

「こ、皇太子さま?」

「……では」

 後ほど、と言って、ライズはアークの横をすれ違って行った。

 一度も振り返ることはなく、その姿は次第に小さくなって庭の緑に紛れる。

 深月はしばし呆然とした。



(……さっきは全然放してくれなかったのに)

 むしろ深月が抵抗するのを楽しんでいたように見えた。


「なんですかもう、あまのじゃくですか? 私別にツンデレとか求めてないんですけど」

 唇を尖らせた深月は次の瞬間、見えない速さでもって正面から頬を掴まれた。


「――――う?!」

 否、顔を、と言った方が正しい。

 深月の頬はアークの美しい手によって挟みこまれている。しかも片手で、だ。

 つまりものすごく不細工な顔にされている。

「さて、アホ娘」

 ブリザードを伴った美々しい神官は極上の笑顔を張り付けたまま、深月の間近に迫っていた。


「言い訳を、聞かせてもらおうか」

「ぅたたたた、ふいまへんふいまへんっひはふんへふっ」

(痛い痛い顔歪むっ、顔歪むから!)

「言い訳が、あるのだろう?」

「うぅ~~~!」

「さぁ、どうぞ」

(どうぞって何だ! どうぞって、この状態じゃ、まともに喋れもしないってーの! て言うか怖い! 喋った瞬間に頬骨砕かれそう! 誰か~)

 助けてーと祈った深月の願いは届かない。

 届かないと思われた、その時。


「とりあえずお召し替えを」


 天女かと思える救いの声は、深月が居た部屋、パステルグリーンのカーテン越しに掛けられた。

「セレーン」

「あの、そのままでは本当に体調を崩してしまわれますしっ」

 続くユハの声に、アークはやっと、深月を解放したのだった。




 一端部屋へと戻る深月に

「着替えたら、応接間に来るように。もしも逃げたら……」

 わかっているな? と言外に含みつつ、アークは去って行った。


 深月はどうしようかと考えて、結果窓枠をよじ登る。

 王女としてその行動はどうかとも思ったが、廊下に出て誰かに出くわしては敵わない。

 今の深月はベビードールを着ているようなものなのだ。


「よいしょ、っと」

 ふぅ、と息を吐いた深月の肩にすかさず羽織りが掛けられる。

「ありがとう、ユハ」

「いいえ。でもミヅキ様、急ぎましょう。応接室でアーク様がお待ちです」

「え゛!?」

 それは早すぎないか、と顔を引き攣らせる深月にセレーンが「ここは王女の寝室で」と説明する。

 曰く王女の私室は六つの小部屋から構成されており、今深月が居る寝室、隣に王女が寛ぐ居間、その奥に衣装室。そして居間と回廊の間にもう一つ、来客用の応接室があるらしい。

 つまりアークは表から回っただけなのだ。

「あれ? あと二つは?」

「あちらです」

 セレーンが指し示すのはベッドの枕元にあった目立たない扉だ。


 クリーム色の壁に溶け込むようにひっそりと存在するそこが、衣装室とは別になった支度室であり、さらに奥は王女しか入れない書斎になっている、と。

 一通り説明を終えると、セレーンは先に支度室に入って行った。

「さ、参りましょ」

 ユハに導かれ、深月はクリーム色の扉をくぐった。


 そこはいわゆる「メイク室」のようなもので、美容室のように大きな鏡台が置かれている。

 ユハに促されて椅子に座った深月の、その髪をユハが丁寧に梳いていく。

 長い黒髪は細かく編まれ、複雑に結い上げられていく。

 仕上げに小さな琥珀の髪留め、そして頭全体を覆うようにヴェールを付けられる。

 ユハは「完成です」と言って深月の手を取った。


「お召し替えです」

 振り返ると、いつの間にか衣裳を手にしたセレーンが立っていた。

 今度は手際よくそれらを着せられていく。

 首の詰まった絹の長袖、同じく絹の単衣に、締め帯び、裾の長い貫頭衣。

 その上から太めの帯を締め、最後に帯締めのような飾りを付けて、深月の着替えは完了した。


「なんか所々和風……」

「え?」

「あ、ううん。何でもない。何から何までありがとう」

 ユハとセレーン、有能な二人を振り返り、深月は丁寧に頭を下げた。


「では……。頑張ってきます!」

 ぐっと拳を握り、深月は勢いよく支度室の扉を開けた。




「お待たせしましたー」

 身支度を済ませて応接室に出ると、アークは椅子に腰かけて優雅にお茶を飲んでいた。

 きちっとローブを着こなしたその姿は悠然として美しく、先程の怒りはすっかりないように見えた。

 見えたのだが。


「遅かったな」


 開かれた天色の眸は、やっぱりちっとも笑っていなかった。

(ぎゃ、あああああぁぁぁぁ)

「座れ」

「はい!」

 良い返事をして深月はすぐさま正面に座った。

「言い訳を聞こうか、ミヅキ?」

「ここ今度は笑顔のサービスもなしですね」

 脅えに脅えた深月は余計なことを口走った。

「笑顔?」


 アークは「にこり」と笑う。

 さっきと寸分違わない、最上級の笑顔。

 ただし相変わらず目だけは無表情だ。


「すいません! やっぱり結構です!」

(余計怖いッ)

 深月はすぐさま謝罪し、ことの次第を話した。



 昨夜のこと、友弥との入れ替わり、宿屋でのこと、王女たちのこと。

 笑顔を収めたアークはその話を真剣に聞いていた。

 特に王女の下りは情報を一つも取りこぼさないというように、前屈みになって。

 そんなアークは深月が目覚めてからの話に移ると、その綺麗な顔を俯けた。



「それで、昨夜の夕食の話になって。事情が分からなかったんでとりあえず埋め合わせの約束を……」

「……埋め合わせ」

 それはとても低い声。

「えっと、はい。朝食の約束を――――ったたたた!」

 そこで深月は、またしても頭を鷲掴みされた。


「いたたたたっ、いた、痛いですアークさん!」

「お前は。皇太子には近寄るなという私の言葉を忘れたか」

「違うんですアークさん、これには海より深ーいわけが」

「やかましい。問答無用だ」

「いたたたたたたっ」

 相変わらず手加減なしのアイアンクローに深月はぱしぱしとアークの腕を叩いた。

 が、ちっとも効いていない。


「能天気なお前のことだ。何の根拠もなしに『大丈夫』だとか思っているのだろう」

「ちょっ、能天気ってひど」

「真実だろうが。いいか、これ以上皇太子と接点を持つな。関わるな」

「や、それは無理かな~。何たってもう約束しちゃいましたし――ってぎゃああぁぁ!」

(アークさんの怒りが全てその右手に集約されている!)

 遠慮なしにぎりぎり締められる頭がもう限界寸前だ。

「ではせめて、正体がばれないようにしろ。いいな」

「はい! 分かりました! 分かりましたから!」

 もう放してくれと深月は懸命に訴えた。

「絶対だぞ」

 もう一度念を押してからアークは深月の頭を解放する。


「ううう、暴力反対……」

 目に涙を溜めた深月はヴェールの上から左右のこめかみをさすった。

「自業自得だ」

 ぴしゃりと言い放ったアークはローブの裾を払って立ち上がる。

「皇太子はお前自身に興味を引かれているように感じる。異世界の人間だと知れば、興味は更に増すだろう」

 そうなっては今以上に面倒だと、アークは息を吐く。


「お前は忘れているかもしれないが、皇太子は“虐帝”だ。つまらないと判断した瞬間に、斬られることだって有り得る。そうなってからでは遅いのだ」

 真摯な眸、アークは改めて深月に向き直った。

「今日だけ何とかやりすごせば、その後はなるべく関わらずに済むよう取り計らおう。だから今日だけは王女を意識しろ」

 いいな、と子供に言い聞かすようなアークに、深月は素直に頷いた。


「わかりました。やってみます」

「よし」

 アークはふわりと笑った。

 初めて見るその優しい微笑みは、その美貌を最大限に発揮してとても眩しい。

 深月は思わず顔を紅潮させた。


「本物の笑顔……だ」


 その笑顔に、背中に大量の汗が流れる。

 深月はまだ、アークに伝えていないのだ。

 皇太子との約束が“毎朝”であるということを。


(まずいなぁ……)

 冷たい汗をだらだらと掻きながら深月は必死に笑顔を保った。

(言えない。この状態では絶対に)

 だったらどうするか。

(どうにかして、約束を今日だけに! ……出来る、かなぁ)

 相手はあの皇太子だ。

 嫌だと言ったら喜んで行使するような彼に、深月のお願いが通用するだろうか。

(俺様だしなぁ、あの人。でもこっちも暴君入ってるし)

「どうした?」

「どうしましたか?!」

 顔を覗きこまれた深月はそっくりそのまま質問を返した。


「……私が訊いている。黙り込んだかと思えば突如百面相をし出す。本当に、お前の頭の中はどうなってるんだ」

「よ良ければお見せしますが」

「いらん。いいからさっさと行って来い。――セレーンを付ける」

 予想外なその言葉に深月は椅子から立ち上がった。

「セレーンも一緒に、ですか?」

「昨日の夕食の約束、皇太子に話をつけたのはセレーンだ。うまく対応してくれるだろう」

「なんと……」


 それは思ってもみなかった。


 セレーンは確かに優秀な侍女だとは思うが、まだまだ幼い印象の拭えない、どう見ても年下の少女だ。

 そのセレーンが、あの皇太子と直接話をし、納得させたと言うのか。

「セレーンは誰よりも冷静で、また、神力(じんりょく)も知恵ある」

「でも」

「一緒に参ります」

 深月の背後で扉が開く。

 少しも揺るがない無表情で立つツインテールの少女は、凛とした雰囲気を纏って深月を見下ろす。


「有事の際は必ず助けになりますので」

 断言し、呆気にとられる深月に構うことなくセレーンは回廊への扉に手を掛けた。


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