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第十七話 : サマータイム・ブルー


 浴場に現れたのが少女だったことに友弥はひとまずほっと息を吐いた。


 深月のその後について、リゼは「城で保護されている」と言っていた。

 皇太子は確かに王女を手に入れようとしているが、護衛騎士の前で攫ったりはしないと。

 今は皇太子が帝国そのものと言っても過言ではない。だからこそ、他国の王女を堂々とかどわかすような、一気に戦争に突入するような行動には出ないと。

 リゼの言葉には確信があった。


「彼はただ、王女が逃げたというその事実が気に食わなかっただけでしょう。だから自ら追いかけてきた。それだけです」

 それに、とリゼは続ける。


「彼は私自身に、何の興味もありませんから」

 リゼはその時、何も映していない暗い瞳をしていた。

 思考の淵に沈んでいたのかそれとも違う感情が渦巻いていたのか、友弥には分からない。

 友弥はそれ以上は追及せず、また、深月が無事だというその一点のみを確認してこの話を終わらせたのだ。

 リゼを信用していないわけではないが、不安は拭えなかった。


「ミヅキ様、もうよろしいのですか?」

 栗色の髪の少女が大きなタオルを抱えて歩いてくる。

 その後ろにはもう一人、銀鼠色の髪の少女もいて、そちらは入り口からこちらの様子を伺っていた。

 友弥は浴槽から上がると目を伏せる。

 肌に張り付く黒髪から、ポタポタと滴が垂れた。


「すみません……」

「はい?」

 栗色の髪の少女が、小さく首を傾げる。

「着替えを――――手伝って下さい」

 いっそ全部お願いします、と。

 心中で願いつつ、友弥は浴室を後にした。



 快く手伝いを承諾してくれた少女は、友弥の願い通り、一通りのことを済ませてくれた。

 まず身体全体をバスタオルのようなもので覆い、濡れた衣を取る。

 水滴を拭いて髪を上げ、単を着せ、上衣を重ねる。最後に濡れた髪を手に取り、乾かす。

 どうやっているのか、少女の手から生まれた温かい風があっという間に長い黒髪を乾かしてしまった。


「終了です」

 着替えの全てを手際良くこなした少女は、にっこりと笑う。

 ちなみにこの間、友弥は一度たりとも目を開けていない。


「ありがとう」

 ほっと息を吐いた友弥は、瞼を持ち上げて少女を見た。

 浅緑の眸を細めて、少女はまたにこにこと笑った。

「いいえ。私たちはミヅキ様の侍女ですから、何でも仰って下さい」

「あー、うん」

 中身が深月でないことには全く気付かぬ様子の少女に、友弥は曖昧に答えた。その時。


「――――最高神官長(ファイス)を呼んできます」


 それまで無言を貫いていた銀鼠色の髪の少女が、不意に踵を返した。

 栗色の髪の少女は目を丸くし、慌てて制止する。

「待ってセレーン。アーク様は部屋にご案内するように、と」

「だからユハはその通りにして。私はアーク様と一緒に行くから」

 異論を許さない口調で言いつけると、銀鼠色の髪の少女――セレーンは衝立ての向こうに消える。次いでパタンと扉が閉まる音。

 室内には栗色の髪の少女ユハと、呆然とする友弥だけが残された。





 執務室で書類を捌いていたアークは、ふと立ち上がると席を立った。

 アークの作業室であるこの部屋には、多くの本と無数の文献が収められた本棚が所狭しと並んでいる。

 その中の一つ、歴史の書物が並べられた本棚の前で立ち止まったアークは、上段から一冊の本を取り出し、窓際へと移動した。

 飾り気のない表紙をぱらりと捲る。

 そこには過去、異世界から現れた者たちの特徴とその時期、場所、またその者たちがどのような影響を与えたかなどが記されている。


 ある者は民主主義を唱え。

 ある者はこの地に貨幣の利便性を示した。

 ある者は子供の教育義務を訴えた。

 またある者は何も働きかけず、またある者は短期間で行方知れずとなった。

 何かを成し遂げた者。

 何も残さなかった者。

 その生き方も、そして時代も様々だ。

 ただ一つ、共通点が有るとすればそれは――――――――眸が漆黒だということ。


 彼らはその一点に於いて人々から恐れられ、また表舞台を避けたとも言われている。



 だからこそ人々は知らない。



 そういう世界が有るのだということを。

 黒が闇とイコールではないことを。


 アークは眼裏に、異世界の少女を浮かべた。

 王女に良く似た美しい少女。

 異世界人らしい漆黒の眸と同色の髪を持つ、無知で無邪気で無防備な少女。

 少女はその見た目を裏切るように、不浄など一切知らぬというような眩い神気をその内から放っている。

 それも、異世界の者の特性。


 彼らはそれ故、この世界で生きていられた。

 その存在が“闇”でないことを、神職たちが証明したから。


最高神官長(ファイス)

 考えに耽っていたアークはノックの音に顔を上げ、入室した少女に軽く目を見張った。


「セレーン」


 そこにいたのはアークの幼馴染であり、現在は巫女姫付きの侍女という肩書を持つセレーン。

 彼女は元々物怖じしない性格だが、分を弁えている為身分が上であるアークに自ら声を掛けてくることなど殆どない。

 それもこうして、執務室を訪ねるなど。

 ということは、考えられる理由は一つだ。


「ミヅキに何か有ったか」

「中身が変わりました」

 端的な答え。アークは目を細めた。

「どういうことだ」

「言葉のままです。外見は確かに彼女ですが、神力(じんりょく)の質が違う。別人です」

「……部屋にいるのか?」

「はい」

「行こう」

 アークは手にした本を戻して書類を机の端によせた。



 銀鼠色の髪と青緑の眸を持つセレーンは、その色彩が示すとおり神力(じんりょく)が強い。

 また、月神の加護を多く受ける為、こうして陽が落ちた後でもその力に翳りはない。

 そのセレーンが判断したのなら、まず間違いないだろう。


(では一体誰だというのか)

 深く息を吐いて、アークは椅子に掛けてあった外套を羽織る。

「いつからだ」

「禊の後、(きよ)め場にて」

 二人は執務室を出ると異世界の少女を目指し、長い回廊を歩き出した。




 王女の私室にたどり着いたアークは、一度呼吸を整えるとゆっくりと扉を叩いた。

 すぐに「はい」とユハの声が返り、扉が内側へと開かれる。



 そうして現れたのは、主の人柄をそのまま表したかのような白を基調とした部屋。

 テーブルや椅子やソファ、チェスト、窓枠に至るまで家具は全て卯の花色で統一されており、絨毯やテーブルクロスは萌黄や若苗色で温かみがある。

 主の気配を強く残すその部屋に、アークの胸がずきりと痛んだ。


『いらっしゃい、アレク』

 時たま、本当に必要な時にだけ訪れるアークを、王女はいつも、本当に嬉しそうに迎えた。

 他愛無い話をすることはなくても。

 それが神事に関することのみの遣り取りであっても。

 愛想もない、突き放した態度しか取れない自分であっても。

『だって、一緒にお茶が出来たのですもの』

 そう言って、幸せそうに笑っていた。

 彼女は今、笑えているのだろうか。


(イリーゼ……)


「アーク様」

「……ああ」

 セレーンの声に意識を引き戻され、アークは絨毯を踏みしめて奥へと進んだ。

 いつも王女が座っていた窓際のソファ。

 今そこに腰かけているのは王女ではない。

 異世界から迷い込んだ少女――ミヅキだ。


「待たせてすまない。ミヅ……――――」

 少女の顔を見やったアークは、瞬間、言葉を詰まらせた。

 艶めく漆黒の長い髪、意志の強そうな漆黒の眸。

 王女と良く似た顔立ちの少女は、アークに気付くとソファから立ち上がった。

「――アーク=レイ様……ですね」

 良く通る声は品が有り、その物腰は優雅。

 眸には知的な光が宿り、整った容姿も相まって少女を聡明に見せる。

 そして決定的に違う、圧倒的な神気。


「初めまして、保坂(ほさか)友弥(ゆうや)と申します」

 告げられた名前に、アークは言葉を失って立ち尽くした。





(失敗したかもしれない)

 挨拶と共に差し出した手は、いつまでたっても取られない。

 眼前の、金髪碧眼の青年。

 精巧に作られた芸術品のような容貌と「ファイス」という呼び名から、友弥は相手を「アーク=レイ」だと判断した。

 リゼから聞いていた“信頼できる人物”の筆頭が、神官たちを纏めるという彼だ。

 深月が彼と何を話したのか、そもそも顔を合わせているのかすら今の友弥には分からない。

 だからこそ下手なことをせず、正直に名乗りをあげることにしたのだが……。


(これは……もしかしたら)

 彼は何も知らないのでは、と。

 友弥が手を引っ込めたようとした瞬間、彼はがっしりとその手首を掴んだ。

「話を……詳しく聞こう」

 形の良い唇から発せられたその声は耳に心地よく―――しかし多分に怒りを含んでいた。




 一通りの説明を聞き終えたアークの感想は。


「あのアホ娘……」


 の一言だった。

 友弥の思った通り、アークは深月から何も聞いていなかった。

 入れ替わりのこと、そして友弥のこと。

「連れがいるとは言っていたが」

 年齢も性別すら聞いていないと言われた友弥は自分は一体何と説明されたのか非常に気になったが、重要なのはそこではない。

 問題は二人の中身が入れ替わるということ、そしてこれからのことだ。


「今、王女たちは街に出て、宿で休んでいます。私の身体もそこに。きっと今頃、深月も目覚めていることでしょう」

「宿に……。そうか、では彼女たちは」

「今日はもう動かないようにと。深月にも、そう言伝(ことづて)を」

「賢明だな」

 アークはほっと息をついた。

 実は中身が入れ替わったと聞いた時から心底心配していたのだ。

 深月の行動(・・・・・)を。

「あの娘は思いも寄らない行動をとるからな」

「深月は無茶をするから」

 そう言って、友弥は穏やかに――とても愛おし気に笑った。


 それを見たアークは何とも言えない顔をして、白磁のカップを手に取る。

 ユハが淹れたそれは、昼間深月が飲んだものと同じ、気分を落ち着ける薬草茶だ。


 暖かい湯気をたてるそれを、深月は美味しそうに飲んでいた。そして友弥は。


「……………」

 ものすごく微妙な顔をしていた。

「……味はどうだ?」

「……すごく、甘いです」

 友弥は躊躇いながらもう一度口を付け、かと思うとそっとテーブルに戻した。

 どうやら口に合わなかったらしい。

 折角入れてもらったのに、という顔でカップを見つめている。

 それを見たアークは――――思わず笑みを溢した。


「そなたが付いているのであれば大丈夫かもしれないな」

「――――え?」

「ディディウスはあれでとても頼りになる。年月を重ねた分だけ知恵も神力も強い。王女が塔を目指す上で不足はないだろう。そなたも――」

「――僕が、何か?」

「常識があり、分を弁えている。それで十分だと言えよう」

 一瞬警戒した友弥をよそに、アークは表情を和らげ立ち上げる。

「王女が何故塔を目指したかは私には分からない。が、それもきっと、王女の責故なのであろう。すぐに駆けつけたい所だが、立場上それも無理だ。だから」

 そなたが力になってくれると嬉しい。

 そう言ってアークは眉尻を下げた。


 その表情は思いがけず優しく、過ぎるほど美しい神官をとても人らしいものに見せた。

 アークはただ、王女を想って友弥に頼っている。

 それはとても純粋で、揺るぎないものに思えた。

 だから友弥はもう一度手を伸ばす。

「こちらこそ。深月が無茶をしないよう、宜しくお願いします」

 友弥の右手は、今度はしっかりと握られた。



「では私はこれで失礼する。今日は疲れたろう。ゆっくり休むといい」

 では、とアークが踵を返すと同時に、入口に人影が現れた。

 銀鼠色のツインテール――セレーンだ。


最高神官長(ファイス)

「もう行くところだ。長居してすまなかった」

「それは良いのですが」

「アーク様ッ」


 次に現れたのは騎士の格好をした少年だった。

 慌ただしく駆けて来たかと思えば柱に手をつき、ゼイゼイと肩で荒い呼吸を繰り返す。

 その様子に、アークが柳眉を寄せた。


「ここは王女殿下の私室。幾ら近衛と言えど、このような時間に軽々しく訪れるのは感心しない」

 厳しい口調に少年はびくりと肩を揺らして俯く。が、アークはすぐにそれを和らげた。

「それで、何があった、レヴィン? 何か火急の用なのだろう?」

 いきなりの入室を咎めはしてもきちんと話は聞く。それがアークの姿勢の常だ。

 頭ごなしに相手を叱ったり、理不尽な押し付けをしない。

 レヴィンと呼ばれた少年騎士はそろそろと頭を上げ、それから背筋を伸ばす。

 アークの天色(あまいろ)(空の青)の眸をまっすぐに見て、レヴィンは告げた。

「レスティアの皇太子殿下より王女殿下へ。『夕食の支度は整ったか?』と、言付かって参りました」

 その言葉に友弥は漆黒の眸を大きく見開く。

 そしてアークは。



「……あのアホ娘め」



 怒りとも諦めともつかぬ声色で、額を抑えると白い天井を見上げたのだった。



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