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第十六話 : 星が瞬くこんな夜は

 温かいお風呂は、いつしか固いベッドに変わっていた。


 視界にあるのは濃茶のチェックズボンと白いカッターシャツ。

 深緑と黒と白、学校指定のストライプのネクタイ。

 ふわふわと柔らかい前髪は長い睫毛に触れて、少しくすぐったい。

(入れ替わってる……)

 俯いたままそれをぼんやりと眺めていた深月(みづき)は、カッと目を見開いた。


「――――やっぱりこの展開かーーーーー!!」

 叫んで深月はベッドにダイブする。

「うあー、もー、夢だと思ったのに夢だと思いたかったのに夢であって欲しかったのにっ。よりにも寄ってあのタイミング!」

 何でよー、とベッドを勢いよく転がり始めた深月は間もなく。



  ゴッ



 後頭部から壁に激突した。



「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ」

(いっ、たーーーーい)

 頭に星が散るとはまさにこのことか。

 後頭部に手をやった深月は身体をくの字に折って悶絶した。

(痛い。ものすごく痛い)

 それは先程受けたアークのアイアンクローが優しく思える痛さだった。


「あの……大丈夫ですか?」

「……う?」


 鈴のような凛とした声に深月はベッドから顔を上げた。


 そこにいたのは琥珀色の眸に小麦のように濃い金髪の綺麗な少年。

 そして深緑の眸で深月を窺う、鏡のような少女だった。


「ミヅキ、ですね? ユーヤから話を聞いています」

(わぁ……)

 にこりと微笑む少女はやはり深月と同じ顔だ。

 なのにその神秘的な色彩、清らかな笑顔が、彼女を美しいと深月に感じさせる。

 頭を抱えたまま蛙のポーズで見蕩れる深月に、少女は手を差し伸べた。


「私はリゼ=ヴィーラ。神興国の王女です。どうぞリゼと呼んでください」

「あ、すみません! 白崎(しらさき)深月です、どうぞ好きに呼んでください!」


(……ん?)


 居住まいを正し慌てて自己紹介をした深月だが、慌てすぎてニュアンスが微妙だ。

 深月はむむむと眉間に皺を寄せた。

 そんな深月に銀髪の王女――リゼはくすくす笑うと小さく首を傾げた。

「ではミヅキ、と。――ところでミヅキ、お腹は空いていませんか?」

「え? お腹? ええと今は―」



  ぐきゅううぅ…



 大丈夫、と言おうとしていた深月は、代わりに答えたお腹を抱えて再びベッドに突っ伏すのだった。





「ほらよ」

 あの後ディディウスと名乗った金髪の少年は、深月に両手で持てるくらいの大きな木の椀を差し出した。

 何でも宿を見つけて食事を取ろうとしたところ、友弥と深月が入れ替わったらしい。

「物足りないかもしれませんが、今日は何も食べていないと伺っておりますので……」

「ありがとうございます」

 究極にお腹を空かせていた深月は、受け取った椀の中身を見て目を輝かせた。


(――――お粥だあぁぁぁ)

 深月の脳内でサンバのリズムが弾ける。

 自称“お米ニスト”である深月にとって、お米は在って当たり前、なくてはならないもの。

 しかしここは異世界。それもどう見ても洋風な街並みや人々。ご飯やお味噌汁なんて到底似合わない。

 だから深月は、この世界限定でパン生活を覚悟していたのだ。

 そこにきて、まさかのお粥。

 その喜びは計り知れない。


「いただきます!」

 深月は両手を合わせると木匙でそっとお粥を掬った。

 香り良い湯気を立てるそれをふーふーと冷まし、ゆっくり口に運ぶ。

 口中に広がる旨味と、確かなお米の食感。

「~~~~~っ」

 温かいものが喉を滑り、じんわりとお腹に溜まっていく。

 しょうが、出汁、葱などなど、その味はとても優しい。

「美味しい~」

 深月はもぐもぐと至福の顔でお粥を頬張った。



「……全然物足りなくなさそうだよ、姫」

「それは……良かったです」

 自身もお粥を口にしながら、リゼは少し、ほんの少しだけ身を引いていた。



「ごちそうさまでした」

 椀の中を綺麗に平らげた深月は、満足満足、とお腹をさすった。

 ほぼ丸2日何も食べていない状態だった為、食べ終わった今も、お腹はきゅるきゅる鳴いている。

(これは違う! 腸が活発化してるだけ! 頑張って消化してるだけ!)

 キリッと精一杯凛々しい表情を作る深月だが、そんなものは誰も求めていない。故に、突っ込みが入る。


「何百面相してんだ」

「ぅおう!」

 突然声をかけられ深月は大仰にのけ反った。

 その様子に金髪の少年――ディディウスは顔を背けるとは-、とため息をついた。

 それを目ざとく見ていた深月はぴしっと人差し指を立てる。


「ため息禁止。幸せが逃げるよ」

 数時間前にアークにしたのと同じ忠告をした深月を、ディディウスはうんざりと見やる。

「誰のせいだと思ってんの……。ねぇ姫、やっぱ間違いじゃないかな。アイツも相当意味不明だけど、こっちは明らかに頭が悪そう」

「おい」

 アークの更に上をいくストレートさで暴言を吐いたディディウスに、深月はビシッと床を示した。

「ちょっとキミここ座んなさい」

 日本には礼儀というものがある。

 年上を敬うのは人として当り前であり、常識なのだ。

(こっちではどうだか知らないけど)

「は? 何でだよ」

「教育的指導です。良いから座んなさい」

(場合によっては“愛のムチ”も発動よ)


「姫。やっぱり違うみたいだよ。他を探そう」

 眉間に皺を寄せたかと思うと拳を温めだした深月に、ディディウスは胡乱な眼差しを向けたままリゼに訴える。

「こんなのが“救世主”なわけない」

「救世主?」

 何それ、と深月は拳を説いて瞬きをした。

「別にアンタには」

「ディディウス」

 関係ない、と言おうとしたのだろうディディウスを制して、リゼは深月を見据える。

 強い意志を宿した深緑の眸が、深月を射貫いた。


「救世主のこと、私たちのこと。そしてあなたと別れた後のユーヤのこと。全てお話しします」







 最初に感じたのは温かさだった。

 次いで水の感触。

 次第に目線を下げた友弥(ゆうや)は、そのまま凍りついた。


「お……風呂?」

 深月(みづき)が制服のままだと思い込んでいた友弥は、現状を把握して素早く湯船に浸かった。

 身体に張り付いた真っ白な衣に、濡れた黒髪が束になって垂れている。

「……なんでこのタイミングでお風呂なんだ」

 友弥が呻くのも無理はない。

 例え中身が自分とは言え、この状態を何とも思わないはずがない。


「とりあえずこの状況を何とかしないとなー」

 とはいってもどうすればいいのか。

 今この場に自分しかいない上に、誰が側に居るのか、それが味方なのか敵なのか、友弥は何もわからないのだ。

「ひとまずここから上がって服を着よう。そうしよう」

 王子様などと呼ばれたりもする友弥だが、至って普通の、健康な高校生男子なのだ。

 おまけに相手が深月とあっては、ぶつぶつと独り言を言ってしまう友弥はむしろ仕方が無いと言えた。


 それでも生真面目な友弥は中々動けない。

 昨日あれほど着替えを拒んだ深月だ、勝手に着替えたとわかったら悶絶しかねない。

 友弥とて本気では無かったが、狼狽える姿が可愛くてつい意地悪をしてしまった。

 本人は隠しているみたいだが、友弥は深月は素のままが一番だと常々思っていた。

 なのに何故か、一生懸命“しおらしく”いようとしている。

 何の為に【大和撫子】を保ち続けているのか。


(それが僕の為ならいいのに……)

 もしそうだったら「そのままで十分だよ」と伝えるのに。



「って、そんな場合じゃなかった」

 このままでは湯冷めはしなくても、確実にのぼせる。

「すいませーん、誰かいませんかー?」

 意を決して、友弥は外に向かって呼びかけた。







「なるほど、それで救世主……」

 一通り話を聴き終えた深月の感想は。

(無理だなー)

 の一言だった。

 深月に出来ることは、料理、洗濯などの家事とピアノ、剣道が少々。

 と言っても料理はあくまで家庭レベルだし、ピアノは昔ちょっとかじった程度、剣道においてはそれなりに自信はあるものの、友弥ほどではない。何たって彼は全国区。

 そう考えると深月には本当に何もないのだ。


(待てよ。もしかすると)


「救世主ってトモのことですか?」

「いいえ、ミヅキもです」

 あっさり否定された。

 深月はフラフラと立ち上がると扉に手をついて落ち込んだ。


「ミヅキ、どうしたんですか?」

「いえ。私ってばホントどこにでもいる普通の女子高生で。救世主って言われるほどの何かがないんですよねー」

 とほほ、と深月は途方に暮れる。

 そしてそんな深月を嘲笑うかのように――――目の前の扉が何の前触れもなく開いた。


  ゴッ……。


 激しく額を打ち付ける深月。

「あ、悪い」

 食器を下げに階下に降りていたディディウスは、あまり悪いと思っていないのが丸わかりの態度で謝った。

 が、床にしゃがみ込んで激痛に堪える深月にとって、そんなことはどうでも良い。

(なんか最近、こんなのばっか……)

 じんじん疼く額を押さえていると、ふと、冷たい感触が手に触れた。

 何事かと見上げると、そこには心配そうに深月を覗き込むリゼの姿。


「診せてください」

 そう言って深月の手を退かし、じっと見つめる。

「…………。」

「赤くなっていますので、治療しますね」

 今度は自分の手を深月の額に翳すリゼ。ほわ、と額が暖かくなった。


「綺麗……」

 思わず深月は呟いた。

 自ら出現させた光で淡く輝くリゼは、神秘的でとても綺麗だ。

 そして。

(何でだろう。私、この子を知ってる気がする……)

 顔が似ているからなのか、深月は随分前から彼女に会っているような錯覚を覚えた。


 どれくらいそうしていただろうか。


「はい、もういいですよ」

 やがて光が消え、リゼは額から手を離した。

「痛くない……」

 額をすりすり撫でた深月は立ち上がるとリゼにお礼を言った。

「ありがとうリゼ。すごい」

「ふふ、いいえ。――ディディウス、あなたはきちんと謝りなさい」

 そっと扉を出てゆこうとするディディウスに、リゼの厳しい叱咤が飛んだ。

 そのまま無視するかと思われたディディウスはしかしリゼには素直であるらしい。

 深月の前に来ると少しだけ頭を下げた。


「悪かった」

 深月はぱちぱちと目を瞬いた。

「いいよ、あんなところにいた私も悪いもの」

 あっけらかんとした深月の態度に、今度はディディウスが目を見張る。


「では、仲直りということで。今後の予定を話し合いましょうか」

 リゼがぱん、と手を叩いて席に戻る。

 それを見た二人はお互いの顔を見て――小さく吹き出すと、それぞれの席についた。



「とりあえず……」

「お金を稼ぎましょう」

 話を切り出したリゼの、その言葉を奪って深月は発言した。

 唐突すぎるその内容に、それを聞いた二人は目を丸くする。


「――――――は?」

「え、っと?」


 リゼは戸惑ったように首を傾げディディウスは「何を言い出すんだ」とばかりに こちらを凝視している。

 そんな二人に深月はにっと口端をつり上げ、右手を前に突き出した。

「さあ、ギルドに行きましょう!」

 ゴーゴー、と息巻く深月に、二人は揃ってぽかんと口を開ける。

 ディディウスに至っては口を開けたまま眉根を引き絞り、片目だけ見張るという妙技を編み出している。

 分かりやすく言うならチンピラなどがよくする「ぁあん?!」の顔だ。



 しかし深月は大真面目だった。



 先ほどリゼに聞いた話では、この一行は“塔”を目指しているらしい。

 それが五重の塔なのかスカイツリー並みに高い塔なのか深月にはわからないが、一日二日で着く距離ではないらしい。

 つまりは遠い。そして遠いということは“目指す”を通り越して“旅をする”ということなのだ。

 旅には支度がいる。服やら食料やら何やら、そして交通機関を利用するとしたら切符代金だって居るだろう。

 しかし深月は勿論、友弥もこの世界のお金は持っていないのだ。

 出発どころの話ではない。

 即ち、「路銀を稼ぎましょう」と深月は言いたかったのだが――――――。



「ちょっとディー、何そのブサイクな顔」

 言葉が足りなさ過ぎる深月の真意を、王女と少年は当然読み取ることが出来なかった。

 限界まで眉根を引き絞るディディウスの、その皺を伸ばそうと深月は眉間に人差し指を近づけた。

 が、指は目標のはるか手前でがっしと掴まれる。


「ディーって呼ぶな。ブサイク言うなっ。俺に触るなーーーー! 一瞬でも、欠片でもお前をマトモだと思った俺が馬鹿だった!」

「なーーっ! 失礼ね、私のどこがまともじゃないってのよ」

「これからのことを話し合おうってのに何が『稼ぎましょう』だ! 頓珍漢にもほどがあるわ!」

「何ですってぇ?! いーい、世の中お金なのよ!」

「涼しい顔して何てこと言いやがる?! お前さては、欲望に忠実に生きてきた下等な人間だな?」

「まさかとは思うけど、『愛はお金じゃ買えない』とか言い出すんじゃないでしょうね? お子様には分からないかもしれないけど、『愛だけじゃ食っていけない』なのよ!」

「お子様?!」

「そうよ! あなたみたいに夢見がちな男が、結局は三十代で脱サラして借金を抱えたりするんだわ。今から反省なさい!」

「何の話だ!!」

 ぎゃあぎゃあと言いあう二人。

 その様はまさにゴ◯ラ対キングギ◯ラだ。


「お前本物の馬鹿か?! つーか馬鹿だ、間違いない!」

「それはディーの方でしょう? そうよそうに決まってるわ! 馬鹿っていう方が馬鹿なんですー」

 べー、と深月は舌を出す深月に、ディディウス頭の血管が爆発寸前だ。


「リゼ、リゼは分かってくれるよね?」

「え? ええと……」

 事の成り行きを只々見守っていたリゼは深月の問いかけに目を泳がせた。


 きっとこの場にアークが居たなら、双方の頭を鷲掴みにした後長々とした説教が始まり、口喧嘩は終わりを迎えたことだろう。

 真っ当な意見を延々と聞かされるのは、深月やディディウスのように感情で動くタイプの人間には特に辛いものだ。

 しかし残念なことに今現在二人を除けばここにはリゼしかいない。

 どうしようと頬に手を添えたリゼは――――思い出した。

 深月と長くを過ごしていた、“彼”の言葉を。


「ミヅキ」

「何なに?!」

 期待に爛々と輝く瞳を見つめて、リゼは口を開いた。

 二人の不毛な戦いを終わらせる、その為に。


「ユーヤから、伝言を預かってます」

「――――トモから?」

「はい」


 予想外な名前が出たことに目を丸くした深月。

 リゼは頭の中に彼の姿を思い浮かべる。

 聡明で理知的な眸、柔らかい物腰、穏やかな声――――。

 それらを脳裏に描き、一呼吸してリゼは告げた。


「何も考えず、もう寝てしまいなさい――だそうです」

「――――へ?」

「暗くなってしまってはもう何も出来ない。だから、寝てしまいなさい、と。ユーヤはそう言ってました」


 深月にとってそれは、昨夜も言われた言葉。

 これは全て夢かもしれないから、もう寝てしまおうと友弥は言った。


(でも)


 今は意味合いが少し、否、だいぶ違うように思うのは気のせいだろうか。


「ほら見ろ。余計なことすんなって、アイツも言ってんじゃん。お前信用ないねー」

「うううるさい! そんなこと言ってないでしょ!」

 今まさに同じことを考えていた深月は、ディディウスの言葉に過剰に反応した。

 そしてそれはそのまま深月の弱点(ウィークポイント)となり、反撃が始まる。

 即ち。

「だーかーらー、考えたり動いたりは自分がやるから。お前は大人しくしとけってこった」

「な、ちがっ」

「アイツの言うこと分かるね。すごくよくわかる。お前放っておいたらとんでもないことしでかしそうだもん」

「う、そんなこと」

「あるね。あるある。実際あったから、何もするなって言われてるんだよ」


 ご愁傷さまーと意地悪く笑うディディウス。

 そんなディディウスに深月は悔しそうに唇を噛み、やがてしょんぼりと肩を落とした。

 そのまますごすごとベッドに退散する深月。

 ディディウスはふふん、と鼻を鳴らし、勝ち誇ったような顔をした。



 ――――瞬間、ブン、という何かが風を切る音がして。



「―――――うぶッ」

 気を抜いたディディウスの顔面に、固い枕が命中(ヒット)した。


「て……めぇ」

「人生は油断大敵よ。またひとつ勉強になったわね」

 お姉さまに感謝なさい、とふんぞり返る深月と、額に青筋を立てるディディウス。

 そして。



「――――誰がお姉さまだーーーーっ!!」



 力の限り叫ぶ聖獣に、リゼは両手で顔を覆うと肩を落とした。




 こうして、宿屋の夜は騒がしく更けていく。


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