第十四話 : その声の近くに ~ side 友弥 ~
「――――――――トモーーーーー!!」
深月の声が、遠くに聞こえる。
銀色の少女に手を引かれ、友弥の身体は宙に投げ出された。
世界は逆さまになり、雲ひとつない青空が視界に飛び込んでくる。
穏やかなそれとは逆に、深月の泣き声が耳に届く。
友弥にはどうすることもできなかった。
「見つからないところまで下ります」
勢い良く落下しているにもかかわらず少女は落ち着いている。
「キミは」
「舌を噛みますよ。少しお待ち下さい。――――ディディウス!」
崖の中ほど、森に差し掛かろうかというところで少女は叫んだ。少女の道着がキラリと光り、まばゆい閃光が放たれる。
――刹那。
――――もふっ
友弥の身体は、何か柔らかいものに受け止められた。
ふわふわとした手触りの、暖かくて黄色い何か。
上体を起こした友弥は、それが2メートル程もある大きな鳥であることを知る。
「このまま森に下ります。お話はそれから」
鳥の背に膝をつき、前を見つめたまま少女は告げた。
(深月……)
友弥は遠くなって行く崖上を見つめた。
泣いていた。泣きながら、友弥を呼んでいた。今すぐ側に行って大丈夫だと言ってあげたいけれど、それはどうしたって叶わない。
今はただ、祈ることしかできない。
「どうか無事で」
そんな友弥に、隣の少女は手を伸ばした。白い指が、友弥の肩に深く刺さった矢を握る。
少女が触れた瞬間に矢は霧散した。同時に鈍く疼いていた痛みが消える。
「――――――」
「彼女は大丈夫です。あの場に居たのは私の護衛騎士。彼女を害をなすようなことはありません」
信じられない光景に言葉を失う友弥に顔を向け、少女は言った。
「 手荒な真似をして申し訳ありませんでした」
銀色の髪と深緑の眸を持つ少女は、森に降り立つと深々と頭を下げた。
「このようなことになってしまって、本当にごめんなさい」
「深月は」
「きっと城に。彼女は私と間違われていますので」
「あの男は?」
友弥の声がぐっと低くなる。
闇をそのまま人に変えたような、漆黒の男。友弥の目の前で、深月はあの男に奪われた。
「彼はレスティアの皇太子です」
「皇太子?」
友弥は眉根を寄せる。
それを見た銀髪の少女は、背筋を伸ばして友弥に向き直った。
「申し遅れました。私はリゼ=ヴィーラ。光を支える、神興国の王女です」
「……保坂友弥です。日本の……学生です」
王女だという彼女に何と自己紹介していいのか分からないままに、とりあえず友弥は名乗った。
「ユーヤ、ですね。私のことはリゼと呼んで下さい」
王女ーーリゼはにこと笑った。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳に 朱い唇、白い肌。小さな鼻に薔薇色の頬。
見れば見るほど、彼女は深月に瓜二つだ。
それでもその色彩や纏う雰囲気が全く違う為、別人だというのは一目瞭然なのだが。
「ニホン、というのはあなた方の世界の名前ですか?」
リゼの言葉に彼女を注視していた友弥は反応が遅れた。
その瞬間。
「姫が聞いてんだろ。答えろ一般人」
黄色い鳥が、喋った。
森に降り立つ際に半分ほどのサイズまで小さくなった不思議な鳥は、その後はリゼの後ろに伏せよろしく丸まっていたのだ。
今まで微動だにしなかった黄色い鳥が突如頭を上げたかと思うと、てしてしと友弥に近づく。
友弥は目を丸めた。
「……鳥が喋った」
「鳥じゃねーよ、聖獣だ! ったく」
ふぅ、とやけに人間臭い仕草で溜息を吐くと、巨大な鳥はブルブルと頭を振った。
そして。
「ほれ見ろ」
そこに現れたのは詰襟に水干のような羽織、アラジンのような膨らんだパンツという不思議な出で立ちに。
濃い金色の髪に琥珀色の眸の、目鼻立ちのはっきりした少年。
「聖獣も知らないとか言うなよ。ったく、王女が連れてるのは黄金の聖獣! 常識だろ」
「さっきは黄色かったけど」
つい本音を漏らした友弥はすぐにぎろりと睨まれた。
「そこまでになさい、ディディウス」
制止の声にディディウスと呼ばれた少年は憮然と口を尖らせる。
「でも」
「お願い」
リゼの言葉に少年はむうと頬を膨らせまた友弥を睨みつけた。
が、ぼぅん、という音と共に鳥に戻るとあさっての方向にどしどしと歩いていく。
「姫は甘いよ。色々甘い。俺はもう知らないから」
ふん、と黄色い鳥ーディディウスはそっぽを向いて、そのまま飛び去ってしまった。
「夕方までには街に出なければならないというのに」
しょうがないですね、と苦く笑い、リゼは友弥の後ろに回り込んだ。
振り向いた友弥に森の先を指し示し、また笑う。
「歩きながらお話しします」
行きましょうと言って、リゼは先を歩き出した。
「何からお話ししましょう」
先を歩くリゼは前を向いたまま話し出した。
「……ここはどこですか?」
友弥はまず、根本的な問いを口にした。
バス事故の後に目覚めてから、ずっと拭えない違和感。
昨日のバス事故は、間違いなく大きな事故だった。
咄嗟に深月を庇った友弥の、その目に映ったのはガードレールだけではない。
あれは運悪く、交差点に差し掛かろうという時だった。
人も車も多く、バスの先には大型トラックとコンテナ貨物が走っていたのだ。
即死は免れなかったはずだ。
それなのに友弥の身体はほぼ無傷だった。深月もだ。
そんなことは、いくら奇跡が起きたとしてもあり得ない。
トラックは、友弥たちの乗った右側から突っ込んでいったのだから。
(それに)
目が覚めてからずっと、大自然の中にいる。
都内の学校から、自然公園まではそう距離はない。
が、帰宅デートの定番であるそこは至って普通の公園で、こんな、どこまでも先の見えない森などではない。
では自分たちはどこにいるのか。どこに飛ばされたというのか。
「ここは、国で言うならリラム。……世界で言うなら、ルーウィン」
「ルーウィン?」
友弥は出身地を、“世界”と形容することはまずないが、その括りで言うと“地球”と表すのが一番近いのではないだろうか。その答えは、足を止めたリゼが口にした。
「ユーヤ。あなたは異世界の人ですね」
「……異世界」
やはり、と友弥は半ば呆然と口にした。
振り返ったリゼは、そんな友弥の姿をじっと見つめる。
「あなたは、いえ、あなたたちはこの世界の人間ではない。私はそれを知っている」
「なぜ」
「神託がありました」
何の躊躇いもなく口にしたリゼに、友弥は眉根を寄せた。
異世界、王女、聖獣。そして神託。
そのどれもが「そうですか」と頷けるものではない。
空想あるいは夢物語の中の出来事だ。
しかし、自身の身に起きたこと、そして何より目の前の少女が、その真摯な瞳がそれを否定する。
「『異世界より救世主来られたし。汝、その者を助け共に塔を目指せ』と」
「救世主? 塔?」
それは何のことか。
「一目見て分かりました。あなたが、いえ、あなたたちがそうなのだと」
「なぜ」
友弥は訝しむ。いきなり「救世主」などと言われても、ただの学生でしかない友弥には何も出来ない。深月も同じだ。
二人はこの世界の内情も、ここに来た原因も何一つ知りはしないのだ。
それなのに。
「あなたたちは気づいていない。内に秘められた力に。私には、眩しいほどに感じられるのに」
リゼは凛と背を伸ばして言うが、友弥にはそうは思えなかった。
「僕には……何の力もない」
現に、大切な少女一人守れなかった。
リゼに手を引かれなくとも、否、引かれなければきっと死んでいただろう。
「救世主であるはずがない」
きっぱりと友弥は断言する。
「……そうですか」
リゼは静かに背を向けると再び歩き出す。
それきり二人の間に会話は無くなり、ジャリ、と小石を踏む音だけがやけに響いた。
◇
どれくらい歩いただろうか。
日が随分高くなった気がする。
友弥は額に浮かんだ汗を拭い、先を行くリゼを見つめる。
リゼは当初と同じ、全く疲れを感じさせない足取りで進んでいる。
その背に迷いはなくまるでこの森が彼女の庭であるかのようだ。
正直友弥には、今自分がどこにいるのか、どれほどで森を抜けられるのかさえ分からない。
友弥一人なら間違いなく迷子だ。
(そういえば、神託を授かったと言っていたっけ……)
ならば不可思議な力が、道の先を示しているのかもしれない。
木漏れ日に照らされたリゼの横顔は神秘的で、そしてとても儚い。
(色々なものを背負っているのか)
だったら、自分はあまりにも冷たかったかもしれない。特別なことは出来なくても、何か協力することくらいなら。でも。
(何が出来るというのだろう)
深月一人守れなかった自分に。
再び暗い思考に落ちようとしていた友弥は、ばさっ、ばさっという羽音に顔を上げた。
そこには黄色い胴体をした巨大な鳥。
「ひーめっ」
「ディディウス! 戻ってきてくれたのですか」
素直に喜色を浮かべるリゼはその瞬間、とても幼い印象に変わった。
今までとは明らかに違うその様子に軽く目を見張った友弥は、すぐにその理由を知る。
「遠くで見てようと思ったら、全然違う方に進むんだもの」
え、と友弥はリゼを見た。彼女は首を竦めてバツの悪そうな表情になる。
「……前に進んでいれば、取り敢えず着くかなと」
「着かないよ! まったく、姫は本当に方向音痴なんだからっ」
ディディウスは少年の姿になったかと思うとリゼの手を取り、来た道を引き返し始める。
後ろを歩いていた友弥の横を二人がすれ違う、刹那。
「ごめんなさい」
しょんぼりと頭を下げたリゼの姿に、友弥は自身も深く反省する。
(やっぱり……)
特別な力はなくても、出来ることは協力しようと。
そう心に決めた友弥だった。