FILE6「招原柚子 上」
空が夕焼けに染まり、人通りの少なくなったとある住宅街の一角で、一人の男が携帯電話を片手に電信柱によりかかっていた。
「ああ、問題ない。用意は出来ている」
通話をしているらしく、男は携帯電話に向かって静かにそう言った。
『本当にやるのか? リーダーには何も言っていないんだろう?』
「ああ。わざわざ言う必要もないだろう。不言実行だ」
笑みを浮かべ、男はそう答えた。
「また近い内に連絡する。それじゃあ」
そう言って通話を切ると、男は携帯電話をポケットの中に押し込み、静かに嘆息しながら赤い空を見上げた。
「……殺す」
誰に言うでもなくそう呟き、男は再び笑みを浮かべた。
「いやね、良い店知ってんだよマジで。絶対後悔させないからさ、これから食べに行こ?」
爽やかな笑顔で声をかける男に、声をかけられた女性は嬉しそうに微笑んだ。
「そ、それじゃあ……ちょっとだけ……」
女性がそう答えたのを聞き、男が見えないように小さくガッツポーズをするのとほぼ同時に、ボクは男の腹部に右拳を叩き込んだ。
「うッ……」
「あ、すいません。コイツボクの連れです。お騒がせしました」
男が呻き声を上げている内に、ボクは女性に頭を下げた。すると、彼女は気まずそうな表情でそそくさとその場を去って行った。
「ひ、酷いじゃないか……」
ボクに殴られた腹部をさすりながら、男はボクへ視線を向けた。
「ナンパすんなって何度言えばわかるんだよこのアホ!」
「五回中五回ともほぼ成功しかけてたのに、君は何故邪魔をする!?」
「ナンパしてる場合じゃないからだよ! 事務所に戻るぞ」
ボクの言葉に、男は不満そうな表情でえー、と言葉を漏らす。
「よし、じゃあ君の言う通り僕は事務所に戻ろう。その代わり由乃ちゃんは僕と……」
「何もしないよ!」
舌打ちする男――晴義をから視線を逸らし、ボクは小さく嘆息した。
この男、晴義は七重探偵事務所の探偵、七重家綱の人格の内の一人である。肩まで伸ばしたサラサラの髪と、女性を誘惑する甘いマスク。黙っていれば文句なしのイケメンなんだけど、これがまた非常に色欲の強い奴で、綺麗な女性とあれば節操なく口説こうとするナンパ野郎なのだ。
「ほら、事務所で依頼人が待ってるかもよ?」
事務所は基本、営業中は開けっ放しにしてある。事務所自体には盗まれて困るものはあるにはあるけど、盗まれそうなものがほとんどないし、貴重品やお金は二階の生活スペースに丁重に保管してある。
「どうせ来るわけないじゃん依頼人なんてさ……。あ、でもどうせ来るなら女の子が良いなー」
ニヤニヤとした笑みを浮かべる晴義に、呆れて溜息を吐きつつ、ボクは晴義と共に事務所へ戻った。
ガチャリと事務所のドアを開けると、ソファに誰かが座っているのが見えた。どうやら依頼人が来ているらしい。
「あの、すみません……。外に『いない時は中で待っていて下さい』と書かれた紙が貼ってあったので……」
申し訳なさそうに、ソファから立ち上がって頭を下げる彼女。
「やあこんにちは。七重探偵事務所へようこそ」
目を見張る程のスピードで晴義は彼女の元へ歩み寄り、ナンパの時と同じ爽やかな笑みを浮かべて彼女の右手を取った。
「は、はあ……」
依頼人は、女性だった。
依頼人の彼女の名前は、招原柚子。ピンク色の女性用スーツに身を包んだ若い女性で、アップにまとめられた髪と、知的な顔によく似合った眼鏡が特徴的でいかにも「出来る女」といった感じの女性だ。持っているショルダーバッグの中には、仕事に関連するものが入っているのだろうと推測出来る。
それにしても彼女、どこかで見たことあるような気がするんだけど、どうにも思い出せない。どこで見たんだっけ……?
それはさておき彼女、招原さんからのボク達への依頼は――ボディガードだった。
「ボディガード……ですか?」
招原さんの言葉を繰り返し、そう問うたボクに、招原さんは静かに頷いた。
「あ、先に名刺を渡しておきますね」
知的な風貌から、硬いイメージを持っていたけど、招原さんは思いの外ラフな感じに微笑んだ。
家綱ならここで自分の名刺と交換するんだろうけど、晴義は名刺交換なんてことはしないし、そもそも名刺を持っていない。
「亜人人間共生社会推進委員会会長って……あ、思い出した!」
パンとボクが手を叩くと、晴義はキョトンとした表情で何を? と問う。
「招原さんってどこかで見たことあると思ったら、ボクこの人テレビで見てたんだ! ほら、ニュースとかによく出てるじゃない!」
「まあ、よくは知らないが……有名人ってわけか」
晴義は尚更テンション上がる! とかわけのわからないことを言いながらガッツポーズをすると、再び爽やかな笑みを浮かべて招原さんへ視線を向けた。
「それで、ボディガードとは?」
「はい。私、亜人と人間が共生出来るような社会を作っていくのが目標で、そういう活動をしている内に共生会(亜人人間共生推進委員会)、亜人法が制定されて以来、反亜人派集団の人間から度々襲撃されるようになってしまったんです」
亜人法の制定により、亜人と人間は共生出来るようになった。でも、そのことをよく思わない人間は沢山いて、そういう人達は反亜人派と呼ばれ、更にその中で団体を作り、テロ活動やデモなどを行っている人達のことを反亜人派集団と呼ぶ。反亜人派にとっては、共生会の会長である招原さんは排除すべき「敵」なのだろう。
「それで、今度罷波町民会館で亜人と人間の共生に関する講演を行う予定なんですが、先日こういうものが届いて……」
招原さんがショルダーバッグから取り出したのは、一枚の手紙だった。黒い便箋の中に赤い紙。まるで不幸の手紙とでも言わんばかりのデザインだった。赤い紙には、黒い文字で「講演を中止しろ」とだけ書かれている。筆跡鑑定をされないためか、どうやらこれはワープロで作ったものらしいことがわかる。
「この手紙を、反亜人派が?」
晴義が手紙に視線を落としたままそう問うと、招原さんは恐らく、と答えた。
「この命令に従わないと、彼らは恐らく私を殺そうとするでしょう。そうじゃないにしても、ただではすまないのは確かです……」
「それで、ボクたちに依頼を?」
ボクがそう問うと、招原さんははい、と頷いた。
「僕としては嬉しいんですが、警備なら警察で十分なんじゃないですか? 何故わざわざ余分なお金を使って僕達に依頼を?」
「反亜人派集団の中に、超能力者ばかりを集めた『リジェクション』と呼ばれる団体が存在するのをご存知ですか?」
「リジェクション?」
聞き覚えのない名前に、ボクは首を傾げる。
「今回の手紙は、その『リジェクション』からの手紙なんです」
「……ここの署名ですね」
晴義が指差した手紙の裏の端っこには、確かに「RejectioN」とかかれていた。最初と最後の文字を大文字にしたのは彼らのこだわりだろうか。
「警察は現在、超能力に対応出来る課が存在するには存在しますが、対超能力訓練を受けているとはいえ、超能力を持った警官が非常に不足しています」
「で、各地で引っ張りだこの忙しい超能力警官を無理に働かせるより、僕達に依頼しよう、と考えたわけですね?」
晴義の言葉に、招原さんはコクリと頷いた。
「貴方達には超能力犯罪を解決した実績があると聞いています。先日のストーカーが逮捕された件も貴方達が解決したものでしょう?」
ストーカー……というと、三井秀太朗の件のことだろう。確かに彼も超能力で、あのストーキング行為は超能力を使わなければ成立しない「超能力犯罪」だった。
「他にも、麻薬密売組織に雇われていた刈谷という男が逮捕された件にも、貴方達が関係していると聞いています。この二件だけでも、実績は十分だと私は思いました」
確かに、超能力関連の依頼は今までに何度か受けている。彼女の言う通り、ボク達には実績があると言っても過言ではないかも知れない。忙しい超能力警官を無理に働かせるより、暇そうなボク達に頼むというのはすごく正しい。
「お願いします。講演が終わるまでの間、私のボディガードを請け負ってくれませんか?」
「はい、わかりました。受けましょう」
二つ返事で了承した晴義に、ボクは良いの? と問う。
「勝手に晴義がオッケーしちゃって大丈夫?」
「ああ。僕じゃなくて家綱が表に出てたってこの依頼は受けただろうし、アイツは基本的に依頼を拒まないだろう?」
「まあ、それもそうだけどね」
こうして、ボクと晴義は招原さんからの依頼を受けることになった。
「本当にやるのか?」
そう問うてきたニット帽の男に、問われた男はああ、とだけ答えた。
「リーダーの許可なく行動を起こすのは規則違反のハズだが?」
「……問題ない。招原を殺せば、リーダーもさぞお喜びになるだろう。事後承諾で構わん」
そう答えた男に対して、ニット帽の男は深く溜息を吐いた。
「どうなっても知らんぞ……」
「お気遣いどうも。だが俺は確実に成功させる自信がある」
「成功失敗の問題じゃない。リーダーの指示を――」
ニット帽の男が言い終わらない内に、男は背を向けた。これ以上お前の話を聞くつもりはない、という意思表示である。
「人間と亜人の共生などさせない。そのためには、まずあの共生会から潰す。リーダーも、そう考えているハズだ」
男の言葉に、ニット帽の男は再び深い溜息を吐いた。