FILE38「これから先も」
七重探偵事務所。そう書かれた看板のある建物が、この罷波町には存在する。見るからに古くて、事務所と呼ぶにはちょっと粗末な感じだけど、歴とした探偵事務所だ。知名度は低くないけど、決して高くはない。町に住んでいれば知っていてもおかしくないんだけど、知らなくても別におかしくない。そんなレベルの知名度だった。
そんな、知名度だった。
だけどそれは、ここ数年でガラリと変わってしまった。
反亜人組織であるRejectioNによる大規模なテロの阻止や、町の中で危険なカードを売りさばいていた男……Cの逮捕に貢献するなど、七重探偵事務所はなんだかんだで大きな功績を上げていた。
結果、その知名度は前と比べてうなぎ上り。自然、依頼の数は前と比べて格段に増えていた。
C――――千代原紀彦は、あの後すぐに逮捕された。ビルの地下室を警察が捜査し、彼が人造人間を造ろうとしていたことも、自分の能力によって生み出したカードを複数所持していたことが明らかになった。
カード自体は千代原の能力だし、人造人間の創造自体を縛る法律は存在しない。千代原が逮捕されたのは、カード売買以外にもかなり酷いやり方でお金を稼いでいたからだった。カードの売買や、人造人間の創造……それらについては、現在様々な場所で、様々な人達が議論を行っている。
どの道、千代原が裁かれる。という事実に変わりはない。ただ、それが重くなるのか軽くなるのか、それだけの違い。
彼のしたことは、簡単に許されて良いことじゃない。だけど、彼の気持ちもわからないわけじゃない。
憶測の域を出ていないし、彼から直接確認が取れたわけじゃないけど……多分彼は、人造人間を生み出すことで、自分の母親そっくりの人造人間を造ろうとしたんだと思う。
彼は「この世はお金で出来ている」という自伝を、ひっそりと出版していた。それも自費出版で。出版当時の千代原グループはまだそれ程大きくなく、知名度も低かったため、その本は日の目を浴びることなく、短期間で本屋から姿を消していた。重版もされておらず、非常に入手困難ではあったけど、和登家の図書室には保管されていた。
そこに書かれていたのは、お母さんのことばかりだった。
てっきり、千代原邦治に養子にとられてからのサクセスストーリーだと思ったんだけど、それは大違いだった。本の中で語られていたのは、千代原邦治に養子にとられる前……病死した実の母親と一緒にいた頃のことばかりだった。
お金があれば、お金さえあれば。
まるで呪詛のように書かれた「お金があれば」には狂気すら感じられた。
だけどそれでも……千代原は、裁かれるべきだと思う。
とにかく、Cの事件もほぼ解決し、馬鹿みたいに増えていた依頼も落ち着き始め、七重探偵事務所には昔みたいな……暇そうな雰囲気が戻っていた。
とは言っても、依頼はよくくるんだけどね。
今日も、午後から依頼人が事務所に来客する予定。
だから、いい加減アイツも目を覚ますと良いんだけど……。
「いつまで寝てる気だよ……」
既に午前十二時半を過ぎているというのに、アイツは一向に起きる気配がない。前からだらしない奴ではあったけど、予定がある時くらいはちゃんと起きてほしい。
そんなことを考えつつ、デスクに腰かけて嘆息していると……
「うぃーっす」
覇気のない声が、事務所の入り口から聞こえた。
「……やっと起きたの?」
「おう」
眠そうな顔で頭をポリポリとかきながら、この事務所の探偵――七重家綱は自分のデスクに腰かけた。
そしてすぐに突っ伏して、眠そうにあくびをする。びっくりする程だらしない姿だった。
「もう、ちゃんとしてよ。午後から依頼人が来るんだから……」
「はいはい……」
だらしない声でそう答えて、家綱は身体を起こした後、目を丸くしてジッとこちらを見つめていた。
「……何?」
「いや、髪」
「ああ、髪ね」
そう答えて、ボクは短く切った髪の毛先を触った。
背中にかかるくらいまで伸ばしていた髪を、今朝ボクは思い切って散髪した。
美容師さんはちょっと驚いて「良いんですか?」って聞いてきたけど、ボクは迷わず頷いた。
美容師さんに丁寧に切ってもらって、バッサリと長い髪を切ったボクを鏡で見た時、言いようのない安心感があった。
やっぱり、これがボクだ。
昔は、和登家から逃げるために、昔の自分から逃げるために髪を切った。だから少し名残惜しくもあったし、またいつか伸ばそうとも考えた。でも今は違う。やっぱりこの髪型の方がボクらしい。
ついでに、喋り方も元に戻した。「私」だなんて慣れない一人称を、よくもまあ一年も使っていたと自分で思う。
服も変えた。別にスカートが落ち着かないわけじゃないけど、やっぱりボクはズボンの方が落ち着くし、この髪型なら多分ズボンの方が似合ってる。気が付けば、ボクは一年前とあまり変わらない格好をしていた。
願掛けはもう、必要ない。
ボクの願いは、叶ったから。
家綱はしばらくボクのことを見つめた後、ニコリと笑みを浮かべた。
「へ、変……かな?」
「いんや、全然」
むしろ。と言葉を付け足して、家綱はゆっくりと立ち上がると、ボクの方へ歩み寄ってきて――
「わっ」
ポンと。ボクの頭の上に手を乗せた。
「そっちの方が由乃らしいぜ」
「……でしょ?」
ボクも、そう思う。
「あ!」
ふと、家綱に頼みたいことがあったのを思い出して、ボクはパンと両手を叩いた。
「ん、どした?」
デスクに戻り、気持ち良さそうに身体を伸ばしながら家綱はボクへ再び視線を向けた。
「えっと……ボクね、おいしいファミレス知ってるんだよ」
「へぇ……町内か?」
家綱の問いに、ボクは大きく頷いた。
「特にパスタがおいしくってさ……多分、和登家で食べたやつよりおいしい」
そのことに、家綱は興味を示したのか、少しこちらへ身を乗り出した。
「だ、だからさ……」
「ああ、わかった。後で葛葉呼んでやるよ」
「え、いや、あ、そうじゃなくて……」
あたふたするボクに、家綱は不思議そうな顔を見せた。
「ん、何だ?」
ああもう! 何でわかんないかなぁ!
「ああ、飯代か。葛葉が出ると飯代かかるしなぁ……」
そうじゃなくて!
葛葉さんじゃなくて……!
「あー! もうっ!」
バン! とボクが勢いよくデスクを叩くと、家綱は驚いて肩をびくつかせた。
「そうじゃないってば!」
「な、何怒ってんだよ……」
怒るに決まってるよ!
若干の苛立ちを感じつつ、ボクは息を大きく吸い込み、思い切って叫んだ。
「ボクはファミレスに、葛葉さんじゃなくてお前を誘ってんだよ!」
ポカンと。家綱は口を開けたまま硬直した。
微妙な空気が事務所の中を包み込むと同時に、ボクは自分の顔が真っ赤に染まっていくのを感じた。
だから嫌だったんだよ! こういう風に言うのは!
そして、沈黙。
ボクは顔を真っ赤にしたまま黙り込んでるし、家綱も口を開けたまま何も喋ろうとしない。
どことなく気まずい雰囲気。
「……」
この変な空気をどうしたものか、としばらくボクがうつむいて考えていると、まるでボクのことを助けるかのように事務所のドアが外側からノックされた。
「すいませーん。先日依頼のことで電話した、中津奈木ですけど……」
今日の午後に来ることになっていた依頼人は、中津奈木さんで間違いない。ボクはすぐに、ドアに向かってはーい、と答えた。
「ほら家綱! あんまり待たせたら悪いし、早く出るよ!」
「お、おう……」
やや戸惑った様子の家綱の手を引いて、ボクは急いでドアへ早歩きで近寄り、そのドアをゆっくりと開けた。
アホで、だらしなくて、間抜けで、金遣いが荒くて、すぐギャンブルに手を出すし、ボクの管理してるお金を勝手に持ち出して競馬ですっちゃうようなアホ探偵。
だけど強くて、優しくて、頼りないハズなのに……頼りになる。
葛葉さん、アントン、晴義、ロザリー、纏さん、セドリック、そして――家綱。
一つの身体に七つの人格と姿。
そんな変わった探偵の元で、ボクは助手として働いている。
これから先も、ずっと……ずっと。
一緒に。
いつもならここにあとがきを書くんですが、今回はちょっと書きたいことが沢山あるので活動報告の方に書きます