FILE35「この世はお金で出来ている」
「アンタ……何なんだ? ニヤケ顔で人の事務所ガン見しやがって……」
不機嫌そうにソフト帽の上から頭をポリポリとかく家綱に、男は薄らと笑みを浮かべて見せた。
「まあわからないのも無理はないでしょう。私達はほぼ初対面なのですから」
その人を食ったような男の言葉に、家綱はカチンときたのか、家綱は眉をひそめた。
「依頼ならまた今度にしてくれ。今立て込んでんだ……」
話を切り、早々に男を立ち去らせよう。家綱の言葉には、そんな思いが見え隠れしていたが、男はそれに動じる様子はない。立ち去るどころか、後数分はここにいるであろう雰囲気である。
「依頼……そうですね。私の用件は依頼に近いかも知れませんね……」
勿体ぶった男の物言い。家綱は苛立ちを感じずにはいられなかった。
「いい加減にしろよ……さっさと用件を――」
家綱が言葉を言い切るよりも先に、男が口を開いた。
「取引をしませんか?」
「取引……?」
怪訝な表情で聞き返す家綱に、男ははい、と短く答える。
「この事務所を離れ、私の研究の手伝いをしてもらえないでしょうか?」
男の言葉に、家綱は面食らったような表情でしばらく硬直した後、顔をしかめてハァ? と声を上げた。
「一方的なお前の要求じゃねえか! それのどこが取引だっつーんだよ!」
「親の言うことは、素直に聞くものです」
クスクスと笑みをこぼしながらそう言った男の胸元を、家綱は我慢し切れずに掴みあげると、男の顔を思い切り睨みつけた。
「いつまでわけのわからねぇこと言ってんだ! てめえのどこが俺の――」
「私が、貴方を生み出した研究所のオーナーだと言っても、そんなことが言えますか?」
男のその言葉に、家綱は息を飲んだ。
「だから……何だってんだ……?」
努めて平静を装ってはいるものの、動揺の色は隠せない。その証拠か、家綱は男の胸元から手を離すと、かぶっているソフト帽を深くかぶり直した。
「研究の成功サンプルとして、是非協力……していただけませんかねぇ……?」
ニヤニヤと笑みを浮かべたまま、家綱の顔を覗き込むようにして、男はそう言った。
「それとこれとは関係ねぇ……例えアンタの言うことが真実だとしても、アンタの用件を飲む理由にはならねぇ……!」
「あれ、良いんですか? 簡単なんですよ?」
ゾクリと。寒気を感じた。
男の言葉は要領を得ていない。何が簡単なのかもわからない。それなのにゾクリと、家綱は背筋が凍るような感覚を覚えた。
「彼女を始末するのは……」
そう言ってチラリと、男が視線を向けた先は――七重探偵事務所の窓だった。
すぐに男が何を言おうとしているのかを理解し、すぐに家綱は身構えた。
「あそこ、見えますか?」
そう言って男が目をやったのは、事務所の向かいにあるビルだった。いくつかある窓の内の一つから、一人の黒ずくめの男が身を乗り出している。家綱はそれを凝視し、目を見開いて動揺を示した。
「――――ッ!」
その黒ずくめの男は、ライフルのようなものを構えていた。その照準は恐らく――事務所。
「ねぇ、取引でしょう?」
「テメエ……ッ!」
「協力……してもらえますね?」
男の問いには答えず、家綱は押し黙る。
しばし、沈黙。
周囲の喧騒さえ除けば、その場は無音に等しかった。
「……ってくれ」
沈黙を破ったのは、家綱だった。
「数日だけ……待ってくれ」
ニヤリと。男は嫌らしい笑みを浮かべた。
「承諾……ということでよろしいですね?」
数刻言い淀んだものの、家綱が小声でああ、と答えたのを聞くと、男は満足げに何度か頷いて見せる。
「では、一週間だけ……待ちましょう」
男の胸元には「C」の文字がクッキリと、浮かび上がるようにして見えていた……。
「やっぱこの方法しかないかなぁ……」
リジェクターと面会した次の日の朝、私はいつものようにデスクに腰かけて考え込んでいた。
リジェクターの口から語られた名前……Cの正体。それは信じ難い名前だったけど、それが真実であるなら、確かに全ての辻褄が合う。CがRejectioNに資金援助をし、RejectioNはCに能力者を提供……RejectioNが爆弾の作成や、武器の調達を簡単に行えたのはCがいたからで、Cが今売りさばいているカードにいくつもの種類があるのは、RejectioNとの協力関係があったから……。まさかこんなところで、過去の事件とCが繋がるとは思っても見なかった。
Cの正体はわかった。それと同時に、彼の居場所も特定出来た……出来たからこそ、会うのが難しいことがわかってしまった。
方法はあるにはあるんだけど、ちょっとこれは……あんまり使いたくないというか……。
「でも……これしかないしなぁ……」
まあ、背に腹は変えられないし、それに……
「家綱……」
Cに近づくことはきっと、家綱に近づくことになる。
カードがCの能力であるなら、家綱の能力……アントンや晴義のカードを手に入れるためには、Cは多分家綱本人からカードを生成しなければならないハズ。もしその場にいない人間のカードを生成出来るのなら、RejectioNから能力者を提供してもらう必要はないわけだし……。
やっぱり、Cとは会わなきゃいけない。
町のためにも。
家綱のためにも。
久しぶりに、実家に帰ることになりそうだ。ついでに、調べものもしとかないと。
数回のノックの後、簡単に返事をすると、ガチャリと音を立てて部屋のドアが開かれた。
千代原は書類から目を離し、ドアの方へ目をやる。
「何ですか?」
今にも「今は忙しい」と付け足さんばかりの口調で千代原がそう言うと、中に入ってきた社員の男は答えるよりも先にペコリと頭を下げた。
男は目に見えておどおどしており、中々言葉を発しなかった。よく見れば、千代原の記憶にあまりない顔だ。恐らく最近入社したばかりの社員だろう。
「その……社長と面会したいという客人がいまして……」
「……。後日連絡しますので、連絡先だけ控えておいて下さい。今取り込み中だと伝えて下さい」
千代原がそう答えると、男はそれが……とやや言いにくそうに客人の名を告げた。
「この部屋まで通して下さい」
男の言葉に、千代原は表情を一変させるとすぐにそう指示を出す。すると、男ははい、と短く答え、慌てた様子で部屋を出て行った。
それから数分して、部屋の中へ一人の少女が入ってくる。
「和登家の令嬢……ですか。本日はどのような用件で?」
ニヤリと笑みを浮かべつつそう言った千代原を、少女は――和登由乃は真っ直ぐに見据えた。
「客人に対して挨拶もない……随分な態度ですね」
棘のある由乃の言葉には答えず、千代原はただ笑みを浮かべるだけだった。
千代原グループ本社のビルには、正規社員の知らない地下が存在する。通常のエレベーターでは行くことの出来ないその地下階では、とある研究が行われており、その詳細は前社長である千代原邦治でさえ知らない。
その地下階の一室で、一人の男がベッドの上に座り込んでいた。
研究施設であるこの地下階だが、研究員用に数室だけ個人部屋が存在している。その個人部屋の一室で、その男は――七重家綱はベッドの上に座り込んだまま暗い面持ちで床を見つめていた。
――――アイツはきっと、俺のことを恨んでいる。
勝手に誘って、勝手に出て行って、勝手に行方をくらました。何も伝えないまま、別れも言わないまま。
これで良い。こうすれば、彼女が危険にさらされることはない。彼女が無事でさえあるのなら、それで良い。そう思っているハズなのに、何度もそう言い聞かせている……ハズなのに。
「消えねえ」
笑顔が。声が。仕草が。何気ない一言が。消えない。
忘れてしまえば良い。このままこうして、お互いに記憶から消えて行けば良い。そうするのが一番楽だ。そう思っているのに、拭おうとしても消えようとしなかった。
何度も何度も消しゴムでこすっても、ボールペンで書いた字は消せない。
「俺は……ッ」
言葉の続きを紡がぬまま、家綱はただ歯噛みした。
本当は使いたくなかったんだけど、この男に会うためには「和登家の令嬢」という肩書がどうしても必要だった……。まあ許可をもらいに行く時、久々に友愛に会えたから良いんだけど。
通された部屋は、簡素な部屋だった。
最奥にデスクがあり、その後ろに外を上から見渡すことの出来る巨大な窓ガラスがある。特筆すべきものはそれくらいで、後は空調設備くらいのものだろうか。
そしてその最奥のデスクに座っている男が、千代原紀彦。千代原グループの社長にして、この罷波町でカードを売りさばく、Cと名乗る男。
リジェクターの言っていたことが真実なら、この男こそが一連のカード関連事件の黒幕である男だった。
千代原を見た第一印象だと、とてもそんな風には見えない。眼鏡をかけた穏やかそうな好青年。若くして社長という地位に上り詰めた実力者。そんな風にしか見えなかった。
だけど、千代原が笑みを浮かべた時の表情は――Cの浮かべていた笑みと完全に一致していた。
「単刀直入に、良いかな」
私が敬語を崩したことを咎めようともせず、千代原はどうぞ、と静かに答えた。
「Cと名乗る男を……知らない?」
「知らないも何も、Cは私です。貴女はそれを知っていてここにきたハズです。ですから貴女は、そんな回りくどい問い方をするよりもこう問うべきです。『貴方はCですか?』と」
「――――っ!」
驚く程用意に、千代原はC=千代原を肯定した。私は特に証拠を持ってきているわけでもない、少ししらばっくれられれば簡単に言い逃れることが出来たような状態だ。なのに、千代原はこうも簡単に、自分がCであることを明かしている……。私に対して隠す必要がないと判断したのか、それとも……すぐに始末しよう、そういう考えなのだろうか……? どちらにせよ、警戒はするべきだ。
そう考え、私はポケットの中に入れてあるキャンセラーを握りしめた。
「貴女が御門降矢と面会したのは知っています。大方、彼から私の話を聞いたのでしょう……。別に構いませんよ、貴女一人に正体がバレたところで、貴女一人ではどうにもならない。それは貴女自身もわかっているハズです。警察如き、少し圧力をかければ済む話ですから」
予想外に余裕のある千代原の態度に、戸惑いを隠せない私を嘲笑うかのように、千代原はククッと笑みをもらした。
「……貴方が売っているカードは危険だ……これ以上、町でカードを売るのはやめて……!」
「それに対してはもう答えたハズですが? 貴女は、果物ナイフを危険だと言い張って、製造会社にクレームをつけているようなものです。ただのクレーマーなんですよ、貴女は。別にカードの販売は、法律で禁止されているわけではない……そうでしょう?」
まるで正論であるかのように並べ立てられた千代原の言葉は、私に反論の隙を与えなかった。千代原の言うことが屁理屈なのはわかってるんだけど、うまく反論出来る自信がない。最初に会った時と同じだった。
「そうやってお金を手に入れて……貴方の目的は何……?」
私のその問いに、千代原はキョトンとした表情を浮かべた。
「はい……? 仰る意味が理解出来ませんが……? お金以外に何の目的があると?」
ふざけているのかと、最初は思った。だけど、千代原の表情は至って真剣で、心底私の言っていることの意味がわからない、といった様子だった。
まるで、私がおかしなことでも言ったかのよう。
「表向きでは会社経営で金を得、裏向きにはカードで金を得、その金を研究にあて、その研究の成果を巨額の富に変える……行きつく先は、全てお金です。この世は金で出来ている……そうは思いませんか?」
「研究……?」
「はい、研究です。戦争の役に立てるための生体兵器を作る……そしてそれにより富を得る。それが私の目的です」
生体兵器……?
聞き覚えのある単語に、私は表情をピクリと動かした。
研究所で生まれた……生体兵器。
「それに、良い成功サンプルも手元にあるわけですし……」
「まさか――――っ」
声を上げた私に、千代原はわざとらしく口元を釣り上げて見せた。
「生体兵器……人造人間の唯一の成功例、またの名を――――七重家綱」
家……綱……!
Cの……千代原の持っている家綱のカード。
突如失踪した家綱。
ただの憶測でしか繋がらなかった二つのピースが、繋がった。
やっぱり家綱は、この男の所に……!
「彼をサンプルとして研究を重ね、量産可能な生体兵器を生み出す……そして戦争の役に立てることによって、私は巨額の富を得るのです……!」
悦に浸った笑みを、千代原は浮かべていた。
彼にとって、それは罪でも何でもないのだろう。生体兵器が戦争の役にたっつことが、どれ程の犠牲を生むのかなんてのは彼の頭の中にはないのだと、私は感じた。
無自覚の悪が、そこにあった。
自覚ある悪。それも十分に邪悪だ。だけど、無自覚の悪……自分の行為を悪とすら思っていないことの悪の方が、自覚ある悪の数倍も邪悪に思える。
だけど、彼の目的は多分、お金だけじゃない。
どうも、家綱の代わりに探偵をするようになって、少し推理をする癖がついちゃったみたいだ。私の推理が正しければ、千代原は……
「本当に……お金だけが目的なの……?」
私の問いに、千代原ははい、とわざとらしいくらい大きく頷いて見せた。
「この世はお金で出来ています。この世を構成する物であるお金を手に入れるということは、すなわち世界を創造する力を得るのと同じなのです! お金があれば何でも出来る! 形だけでも、国を作ることだって出来るハズ! そうです! 金とは世界を構成する力! お金は世界を創る! 金さえあれば――――」
「お母さんは、死ななかった?」
千代原の言葉を続けるようにしてそう言うと、千代原はピタリと動きを止めた。
「お金を得るだけなら、わざわざ生体兵器を――人造人間を造る必要なんてないと思う。こうして出世もしてるし、カード販売でだって儲けてる。もうそれ以上お金を手に入れなくたって、もう好きなことが出来るくらいにお金はあるハズだよ」
千代原の言葉を待たずに、私はそのまま語を継いだ。
「それでも貴方が人造人間を造るのには、お金以外に別の理由があるんじゃないかな……?」
ゆらりと。千代原がデスクから腰を上げた。緩慢な動作でこちらへ歩み寄ってくる千代原から、逃げ出そうとする両足を必死に踏んばらせて私は言葉を続けた。
「もしかして貴方は、お母さんを――」
私が言い切るよりも、眼前まで迫ってきた千代原がポケットから一枚のカードを取り出す動作の方が速かった。
裏面にAと書かれたそのカードは、一瞬にして景色に溶けていき、それと同時に千代原の身体は眩い光を放った。
「――――っ!」
光が収まると同時に、姿を現したのは赤髪の男。荒々しく逆立った髪の毛、そして今にも襲いかかってきそうな雰囲気を持ったその男は紛れもなく――――セドリックだった。
「何がわかる……ッ!?」
先程までの千代原からは、考えられない程の怒気が込められたその言葉に気圧されつつも、私はポケットの中のキャンセラーを取り出して千代原へ向けた――けど、キャンセラーはすぐに千代原の右手によって叩き落される。
「あっ――」
そして瞬く間に、床に落ちたキャンセラーは千代原に踏みつぶされた。
クシャリと。呆気ない音と共に砕かれる私の切り札。
セドリックの姿。踏みつぶされるキャンセラー。変貌した千代原。私を動揺させるには、条件が十分過ぎた。
伸ばされた千代原の右腕は、ガッシリと私の首を掴む。
「うっ……!」
私の身体を片手で悠々と持ち上げると、千代原は後ろを――巨大な窓ガラスのある方向へ振り返った。
――――え、嘘……!?
次の瞬間には、ガラスの破壊音が鳴り響いていた。
「ここって……七……階……!」
重力によって地面に吸いつけられる、という感覚を改めて実感しながら、私の身体は急速に落下していった。