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七式探偵七重家綱  作者: シクル
第二部

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33/38

FILE33「一歩踏み出す」

 走って走って。息が切れても、足が疲労を訴えても、それでも走り続けて。気が付けばボクは疲れ果てて公園のベンチに腰をおろしていた。

 黒いスーツで、ソフト帽をかぶったあの男を見つけてから、小一時間程走り回って捜したけど、結局男を見つけ出すことが出来なかった。

 額ににじんでいる汗をゆっくりと拭い、ボクは静かに溜め息を吐いた。

「家綱……」

 ほとんど無意識ではあったんだけど、ボクは思わずそう呟いていた。

 一息吐いて、少しだけ呼吸が落ち着いた後、周囲を見回して初めて、ボクはこの場所があの公園だと気が付いた。

 ――――行くあてがないなら……うちで助手、やらないか? 泊り込みでな。

 何も考えずに和登家を飛び出して、行くあてがなくて途方にくれてこのベンチに座り込んでいたあの日、家綱はボクにそう言ってくれた。どれだけ日が経ったって、あの日のことだけは薄れることなく鮮明に思い出せる。まるで、昨日のことみたいに。

「自分から……誘った癖に……」

 あの日ここで家綱と出会って、七重探偵事務所で助手をやり始めて、ボクは沢山の経験をして、沢山のことを知った。ボクはきっと、家綱と出会って変われたんだと思う。和登家にいた頃の自分とは違う自分に、家綱と一緒に色んな事件に触れることで気が付けたんだ。

 そういう意味でも、他の意味でも、ボクは家綱に感謝してる。感謝してもし足りないくらい、ボクは家綱に感謝してる。

「なんだよ……何で勝手にいなくなっちゃうんだよ……」

 言わせてよ。

「ありがとうくらい……!」

 言ってよ。

「別れの……言葉くらい……!」

 気が付けば、またボクは涙を流していた。今日何度目ともわからない涙に、自分で呆れながらも、あふれてくる涙は止まらなくて、地面を暖かく濡らした。

「反則だよ……! 何も言わずにどっか行っちゃうなんて……っ!」

 勝手に誘って勝手にどっか行って……アイツはすごく自分勝手だ。

 いつもそうだ。勝手な理由で仕事サボるし、勝手な理由でお金使うし、勝手な理由で……勝手に……アイツは……!

 だから、だからボクがついてなきゃダメなのに。アイツに勝手にやらせたら、きっとロクなことにならない。だからボクがついてないと……。

「何、言ってんだろ……」

 途中から理屈がおかしくなってきていることに気が付いて、ボクは独り自嘲気味に笑った。

 ただ、理由をつけようとしただけだ。ボクはただ家綱の傍にいたいだけなのに、合理的な理由を、それこそ「勝手に」付けて今の感情を正当化しようとしてるだけだ。

 家綱がどこに行こうと、それは家綱の勝手なのに。

 家綱がどこかへ行くのに、一々ボクに了承を得る必要なんてない。

 それが……それがわかってるから。

 家綱にとって「一人でどこかへ行く時に、どうしても別れを言っておきたい相手」に、ボクがなれなかったことが、たまらなく悔しくて……悲しいんだ。



 黒いスーツのあの男は、多分見間違いか何かだ。そう考えることにして、ボクはベンチから立ち上がった。

 見た瞬間は家綱だと断言しちゃったけど、違う可能性だって十分にある。それに、家綱が町のどこかにいるなら、近い内に会えるハズだ。

 家綱がボクに会いたいと思っていない時に、無理して会うべきじゃない。

 濡れた顔をごしごしと袖で拭いて、ボクが公園を後にしようとした……その時だった。

「逃がさないわよ!」

 公園に響き渡る凛々しい女性の声。見れば、入口の方で一人の女性が、一人の男の手を掴んでいる。最初はカップルか何かの喧嘩じゃないかと思ったけど、女性の方が片手に手錠を持っているのを見て、ボクは事態を把握した。

「……えっ」

 そして女性に手を掴まれている男……その男は、黒いスーツに身を包み、黒いソフト帽を目深に被った――――レストランにいる時に見たあの男だった。

「――――家綱っ!」

 何も考えずに飛び出して、気が付いたらボクは手錠を持った警官らしき女性に飛びついていた。

「え、ちょっ――」

 戸惑う女性の手を掴み、必死に男から話そうとひっぱるけど、そう簡単に女性の手は離れない。

「待って下さい! コイツは身勝手だし、挙動は時々怪しいかも知れないし、すぐにギャンブルとかでお金をすっちゃう奴だけど、犯罪をするような奴じゃないんです! きっと何かの間違いなんです!」

「な、何を言っているの……!?」

 勢い余って、ボクの方がスーツの男へぶつかった――と同時に、男のかぶっていたソフト帽は地面へと落ちて行く。

 ソフト帽が外れて、露わになった男の顔を見て、ボクは愕然とした。

 短く刈り込まれた金髪、お世辞にも整っているとは言えない顔。

 違う。これじゃない。

「家綱じゃ……ない」

 掴んでいた手を放して、ボクはその場にドサリと音を立てて両膝をついていた。





 カール・エイトケン。それが黒スーツで黒ソフト帽のあの外人の名前だった。あの女性警官の話によると、カールは数ヶ月前に不法入国し、日本で麻薬を密売していた男で、つい最近この罷波町に逃げ込んできていたらしい。あの女性は本物の警官で、カールを捜すために私服で町を捜索していた私服警官だったのだ。

 岩肌成子と名乗った彼女は、カールの処理を済ませた後、ボクに何か事情があるんじゃないかと察して、喫茶店へと連れて行ってくれた。

 放心状態だったボクは、特に何も考えずに彼女へついていき、喫茶店のボックス席へ彼女と向かい合うようにして座った。

 岩肌さんは、意思の強そうな雰囲気を持った人で、そのキリッとした瞳は、彼女の人となりをよく知らないボクでも「頼りになりそうだ」と感じてしまったし、肩まで伸ばされた岩肌さんのストレートロングヘアは、彼女の意思の強さと真っ直ぐさを表しているかのように見えた。

 こんな風に、強くなりたい。そんな風に、ボクは彼女を見て思った。

「ごめんね。お節介かも知れないけど、もしかしたら力になれるかも知れない」

 そう言って、彼女は真っ直ぐにボクを見た。

「あの……」

 ボクは気が付いたら、初対面であるハズの彼女に――岩肌成子に、事情を話してしまっていた。

 ボクのことも、家綱のことも。全部。



 一しきり話し終えた頃には、既に岩肌さんの飲んでいた紅茶のカップは空になっていた。おごりだと言って、岩肌さんが頼んでくれたボクの分の紅茶も、もう既に半分くらいになっている。

 岩肌さんはほとんど口を挟まず、たまに頷いたり、相槌を打ったりして、ただ静かにボクの話を聞いてくれていた。

「ごめんなさい……。どうしようもないですよね、こんな話しても……」

 肩を落とすボクに、岩肌さんはそんなことないわ、と言ってくれた。

「でもボク、どうしたら良いかわからないんです。アイツが突然いなくなって、今まで当り前だったものが急に目の前からなくなって……。なんだかどうしたら良いのかわかんなくなっちゃって……」

 アイツには、ボクがいなきゃダメだって思ってた。だけどその実、ボクにもアイツがいなきゃダメだったんだ。

「アイツには、ボクが必要なハズで、ボクには、アイツが必要で……。これまでずっと、一緒にやってきたんです。だから、アイツがいなくなったってことは、アイツにとって……ボクは……」

 必要なくなっちゃったんじゃないかって。

 だから、もう帰ってこないんじゃないかって、思ったんだ。

 ありがとうも、さよならも言えずに。

「見当違いのことを言うかも知れないけど、良い?」

 岩肌さんの言葉に、ボクはコクリと頷いた。

「貴女は、やれることをやれば良いわ」

「やれる……こと?」

 ボクが言葉を繰り返すと、岩肌さんは静かに頷いた。


「その探偵さんが帰ってきた時に恥ずかしくないように。『自分は頑張ったんだ』って、探偵さんに胸を張って言えるように、やれば良い。もし、探偵さんにとって貴女が必要じゃなくなったのなら、もう一度必要だって思わせられるくらい、貴女が変われば良いの。帰ってきた時に『なんだよ今更!』って怒鳴りつけられるくらいに……ね」


 それは最後まで、家綱が戻ってくることを前提とした言葉だった。

 可能性の、肯定。

 ボク以外の誰かが、家綱の帰ってくる可能性を肯定した瞬間だった。





 散らかっていた事務所を、片づけた。

 あの日以来、何一つ整理していなかったものを一気に整理した。アイツが散らかしたまま出て行ったデスクも、しばらく処理していなかった書類やら何やらも出来る限り整理して、事務所を綺麗にした。

 ボクは、ボクに出来ることをすれば良い。

 アイツが帰ってきた時、胸を張っておかえりって言えるように。

 それにボクは、元々待ち続けるのは得意じゃない。ジッと待ってるより、何か行動を起こした方が性に合ってる。

 こうしてればいつか、見つけ出せるかも知れない。

 ボクを、アイツが見つけたみたいに。



 入口に張られていた「休業中」の張り紙は、もうくしゃくしゃに丸まってゴミ箱の中に収まっている。

 どこまでやれるかわからないけど、これがボクの出した答え。

 トントンと叩かれた事務所のドアを開けて、中に入ってきた依頼人に、ボクはぺこりと頭を下げた。


「初めまして。がこの七重探偵事務所の探偵、和登由乃です」


 一歩だけ、踏み出せた気がした。


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