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七式探偵七重家綱  作者: シクル
第二部
32/38

FILE32「ボクは独り」

 これは、少しだけ昔の話。

 アイツが私の目の前から消えて、一ヶ月も経っていないような頃の――まだ私がボクで、ただ悲しみの中に埋もれ続けていた時の話。









 数日前から、入口に「休業中」の張り紙がされている七重探偵事務所は、マスコミやら依頼者やらで賑わっていた数週間前とは違い、驚く程閑散としていた。まるで閑古鳥がないているかのようなこの建物は、中に誰もいないと言われてもおかしくない程だった。

 事務所の二階……そこにある生活スペースの自室のベッドで、ボクは一人うずくまっていた。

 何もする気が起きない。

 何もしたくない。

 何かをしようという気力が起きない。

 ここ数日間はずっとそうで、食事をとることさえ億劫に感じる程だった。いっそのこと、この孤独な空間に永久にい続けても良い……そんな風にさえ、最近は感じるようになった。

 ここでジッとしていれば、もしかするとアイツがそっとドアを開けて「何してんだ?」って言ってくれるかも知れない。それで強引にボクを一階の事務所に連れ出して、書類の整理とかを全部ボクに任せてアイツ自身はデスクでうたた寝して、それで――

 そこまで考えて、ボクは首を左右に振った。

 そんなことはあり得ないって、ボクだってちゃんとわかってる。

 アイツはもう、この事務所にはいない。


 この事務所の探偵、七重家綱が姿を消してから、既に一週間が過ぎた。


 何の前触れもなく、何の書き置きもなく、別れの言葉もなく、家綱はボクの前から突然姿を消した。

 最初の内は、どこかへ出かけているだけだと思った。

 最近依頼が増えてたまってたお金を、勝手にギャンブルか何かですってしまって、ボクと顔が合わせ辛くなって一時的に姿をくらましただけなんだと、そう思ってた。

 だけど、家綱が消えてから三日経った頃には、不安で不安で仕方がなくなって、あてもないのに町の中を駆け回って家綱の姿を捜すようになっていた。

 でも結局、どこを捜しても、誰に聞いても、家綱の行方を知ることは出来なかった。

 どうして家綱が消えたのか、どうしてボクに何も言ってくれなかったのか、どれだけ考えてもわからない。ただ一つ言えるのは、いつもボクの傍にいたアイツが、もうボクの傍にはいないってこと。



 頭の中がボーっとしたまま、一階の事務所へ降りた。

 ボク独りしかいない事務所の中には、静寂と寂寞が詰め込まれており、音を立てることすらはばかられるような空気だった。

 何を期待してたんだろ。

 事務所に来れば、アイツが待っててくれてるとでも思ったのだろうか。

 無人の、デスク。

 いつもアイツがだるそうに突っ伏したり、書類整理しながら昼寝したり、時には真面目に事件のことを考えたり……一目見るだけで、色んなアイツが連想出来るデスク。

 緩慢な動作でデスクへ近づくと、ボクはゆっくりとデスクの回転椅子に座った。

 デスクの上にある小さな帽子掛けに、あのソフト帽は掛けられていない。

 椅子に身を預けると、ほんのりとだけど、アイツの匂いを感じることが出来た。暖かくて、力強くて、どこか間が抜けていて、それで……それで……

「それで……っ」

 込み上げてくるものが、止められなくて。

 溢れ出したものが、せき止められなくて。

 気が付けばボクは、椅子の背もたれに顔を埋めていた。

 懐かしい匂いに包まれて、求めているものの残骸にすがりついて、ボクはいつの間にか泣きわめいていた。

 会いたい。

 会いたいよ。

「家綱……っ!」


 呼んだって、返事はなかった。






 気が付いたらお昼を過ぎてたみたいで、ボクの胃袋が食べ物を求めていた。

 時計を見ると午後一時四十二分。何か適当にあるものですませようかと思ったけど、ここしばらく買い物に行っていないせいで、うちには多分あんまり食べ物がない。かなり面倒だけど、数日ぶりに外出するしかないらしい。

 面倒くさそうにため息を吐いた後、ボクは外に出るために身支度を始めた。



 事務所を出てしばらくは、どこかのスーパーで適当に食材を買って何か作ろうと思ってたんだけど、スーパーに行くまでの道のりの中で段々面倒になってきていて、ボクが気が付いた頃には自然とファミリーレストランの中へと足を運んでいた。

 普段は外食なんて滅多にしないし、そもそも外食出来る程お金に余裕はないんだけど、どうしても何か作るのが面倒で、外食で簡単にすませたかった。

 いや、違う。

 ホントは気を紛らわそうとしてるだけだ。

 誰もいない事務所で、一人で食べるのが嫌なだけなんだ。

「お待たせいたしましたー」

 店員が、ボクの頼んだ料理を机の上へ運んでくる。おいしそうに盛られたパスタの匂いは、ボクの食欲をそそった。

「外食なんて、滅多にしないからね」

 フォークにパスタを巻き付け、口の中へとそっと運ぶ。ソースの絡んだパスタの味が、噛んだ瞬間に口の中に広がり、何とも言えない幸福感で満たされていく。

 今まで食べたことのないような味。和登家にいた頃食べた料理は、きっとこれより豪華なものだったんだろうけど、それでもこのパスタは格別においしいような気がした。

「おいしい、すごくおいしいよ……」

 顔を上げれば、目の前にいる気がして。

「こんなの滅多に食べられないよね」

 向かい側の席に座って、パスタをがっついてるような気がして。

「ゆっくり……味わって食べようね」

 息遣いが聞こえて。

 パスタをちょっと下品にすする音が聞こえて。

 慌ててパスタを頬張ったせいで喉に詰まっちゃって、急いで水を飲み干す姿が、見えたような気がして。

「また一緒に、来ようね」

 ボクの言葉に、おう、って答えてくれるような気がして。

「ねえ、家綱……っ」

 でも、顔を上げても、向かい側には誰もいない。

 パスタだって一人分しか頼んでない。

 ボクはさっきからずっと……独りだ。

 ほんの少し、ポタリとしずくが落ちて、パスタを少しだけしょっぱく味付けした。





 パスタを食べながら、自分が思いの外精神的に参っていることに気が付いた。

 こんなんじゃ駄目だ。もっとしっかりしないと……。

 とりあえず、帰りにスーパーに寄ろう。ここしばらく分の食材をまとめ買いして、これからに備えたい。家綱が帰ってくるまで収入は見込めないから、かなり苦しい生活になるだろうけど、家綱が帰ってくるまでは頑張ろう。最悪、バイトか何かでも始めればボク一人が生活していくには困らないだろうし……。

 そう、ボク一人が生活していく分には。

 事務所に戻っても、家綱はいない。もしこのままアイツが帰ってこなかったら、きっとソレはボクにとっての当たり前になってしまう……。そうなる前に、アイツはちゃんと帰ってきてくれるかな……。

 そんなことを考えながら、ボクが会計を済ませるために席を立った――――その時だった。

「え――――っ」

 窓の外に映る、黒いシルエット。

 黒いスーツに身を包み、黒いソフト帽を目深に被ったその男に、ボクは視線を奪われた。

 硬直したまま身体が動こうとしない。男を視線の先に据えたまま、首を別の方向に動かすことが出来なくなっていた。

 なんだかモヤモヤとした色んな感情がボクの中でない交ぜになって、また溢れ出しそうになったけど、なんとかそれをせき止めた。

「あ……っ!」

 そうこうしている間に、その男はゆっくりとその場を立ち去っていく。そこでボクはハッと我に返って、こんなことをしている場合じゃないことに気付いた。

 急がなきゃ。

 早歩きでレジへ行き、急いで会計を済ませた後、ボクはすぐに店の外へ飛び出した。

 いた!

 アイツだ!

 ソフト帽を目深に被っていたせいで顔はよく見えなかったけど、あの男はきっと……!

 財布をねじ込むようにしてポケットの中に入れ、キョロキョロと辺りを見回したけど、既にあの男の姿はそこにはなかった。

「家綱……家綱ぁっ!」

 ボクが見間違えるハズがない。

 あの男はきっと……家綱だ!


 気が付けば、ボクは何も考えずに走り出していた。



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