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七式探偵七重家綱  作者: シクル
第二部
30/38

FILE30「妖艶な教祖」

 お金がないから死んだ。

 お金があれば死ななかった。

 人の命なんてそれだけのことだ。

 お金という、一見何の意味もなさそうな鉄の塊と薄っぺらい紙は、何よりも重いハズの「人の命」を左右することが出来る。

 世界はお金で出来ている。

 それは、下手をすれば小学生ですら知っているような当たり前のことで、昔から変わらない世界の在り方。


 だから僕が、何よりもお金を欲するのは、当然のことだと思うんだ。










 身体が重かった。

 何をするのも億劫で、食事をとることでさえ面倒に感じる。

 あの日以来、私の身体のいたるところへ枷が付けられてしまったかのように、身体が重く感じられた。

 少しでも気を抜こうものなら、その隙に容赦なく脳裏に甦る光景。


 あの時確かに、家綱アントンは私に拳を振り上げた。


 何の躊躇いもなく、まるでサンドバックか何かでも見るような目で、アントンは私を見て、そして拳を振り上げた。

 私の声が彼に届いていたのか、それとも届いていなかったのか、今となってはわからないけど、確かに彼は私に対して拳を振り上げた。Cという男の指示に従い、私をその場から排除するために。

 何故アントンが私を殴ろうとしたのか、何故アントンがCと一緒にいるのか。わからないことばかりが私の中でない交ぜになって、解けない知恵の輪みたいに私を苛々させた。

 どの方向からアプローチしても、外れる気配すら見せない二つの輪。失意に沈んだ私は、その二つの輪の中に絡まれて、抜け出せなくなっているかのような錯覚を覚えた。

 鉛みたいな溜息がゴトリと床に落ちて、閑散とした事務所の中に音を加えた――その時だった。

 トントンと。事務所のドアが叩かれる。

「はーい」

 動きたがらない足をどうにか動かし、渋々ドアを開けると、そこにいたのは中年くらいに見える女性だった。

「依頼、ですか?」

 私の問いに、女性ははい、と頷いた。



 彼女の名前は笠之場幸恵かさのばゆきえ。家庭を持つ主婦で、この罷波町には五年前に引っ越してきたらしい。

 そんな彼女の依頼は――

「宗教、ですか?」

「はい、恐らく……」

 幸恵さんの息子、笠之場俊哉かさのばとしや君は、数週間前からよくわからない宗教らしきものにハマってしまっているらしい。毎晩毎晩「祈り」と称してどこかへ行ってしまうんだとか……。

 幸恵さんがどれだけ聞いても、俊哉君は答えようとしないらしく、幸恵さんは頭を抱えているようなのだ。

「これ、見てもらえます?」

 そう言って幸恵さんが取り出したのは、一枚の写真だった。

 写真には、紺のブレザーの制服に身を包んだ少年が数人、楽しそうな表情で写っている。その中の真ん中にいる少年を指差して、幸恵さんはこの子が俊哉です、と簡単に説明した。

 言われて見れば幸恵さんに似ているような、似ていないような……。あ、でも目元とかすごく似てるかも。

「次に、これを」

 今度は携帯を取り出すと、幸恵さんは画面をこちらへ向けた。

 画面には、不機嫌そうな顔の「青年」が先程の俊哉君と同じ制服を着て写っている。ストレスでもたまっているのか、頭髪には無数の白髪が混じっており、不機嫌そうではあるけど、表情はどこかくたびれているようにも感じる。

「……俊哉君のお兄さん、ですか?」

 私がそう問うと、幸恵さんは首を左右に振った。

「この写真も……俊哉です」

「……え?」

 思わず、私は声を漏らした。

「最初に見せた写真はこの前の入学式のものです。そして二番目に見せた写真は、一昨日撮影した写真です」

 最初に見た写真に写っているのは、確かに少年だった。だけど、二番目に見せられた写真の男性は、よく似てはいるものの、とても同一人物だとは思えない程に老けて見える。再度見比べたけど、やっぱり二番目の写真は俊哉君の兄に見える。

「この子、ここ数週間で、何故かこんな風になっちゃってて……。それに、階段を上り降りするのがしんどいとか、高い音が聞こえにくいとか、まるで『おじいさん』みたいなことを言うようになったんです……」

「ここ数週間……と言いますと、俊哉君がその変な宗教にハマった時期と重なりますね……」

 私の言葉に、笠之場さんは深刻な表情で頷いた。

「もしかしたら、その宗教のせいなんじゃないかって、私は思うんです……」

 俊哉君が老け始めたのが数週間前で、宗教にハマって「祈り」をするようになったのも数週間前だとすると、確かに辻褄は合う。だけど、宗教にハマってお金を大量に巻き上げられたりするならまだしも「老ける」……というのは少し想像しにくい。

「お願いです……! お金ならいくらでも払いますから、息子を助けてやってもらえないでしょうか!」

 笠之場さんの悲痛な言葉に頷き、私はその依頼を受けることに決めた。





 リリト教。ここ最近罷波町で、少しだけ話題になっている宗教。他にそれらしい宗教もないし、恐らく俊哉君がハマってしまった宗教はそのリリト教だろう。

 リリスと名乗る若い女性が教祖をやっているらしく、彼女の美貌は見る者全てを魅了するのだとか。だけど、そのリリスという女性の写真は一切見つからず、どこを調べても彼女の写真は見当たらない。リリト教の信者の一人によれば、リリスは写真を撮ることを許可してくれないらしいのだ。

 リリト教に入信しているのは、若い男性ばかりのようで、今の所リリト教の信者だという女性は見つかっていない。リリト教の信者はかなりの人数になっているのか、少し街中で聞き込み調査をしただけで、何人ものリリト教信者と話をすることが出来た。

 しかしこれだけ調査をしても、リリト教がどのような活動をしているのかはよくわからなかったし、具体的にどんなことを教えているのかもわからなかった。

 運命が変わるだとか、死後天国に行けるだとか、そういったチャチな宣伝は全くしていないみたいだし、信者に高額で壺やら何やらを売っているわけでもない。事実、笠之場さんに訊いてみた所、俊哉君の部屋にそういったものはないらしいし、お小遣いを要求することもないようだ。

「結局リリト教って何なんだろ……」

 一度事務所へ戻り、デスクへ腰掛けた状態でボソリと呟く。

 外は既に日が落ちつつあり、差し込む夕日が事務所を朱に染めている。そんな真っ赤な世界を眺めつつ、私は嘆息した。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。やはり一度、リリト教が行っている「祈り」とやらに参加してみる必要があるのかも知れない。

 俊哉君が毎晩行っているという、リリト教の「祈り」……。その場所にリリスが現れるのかどうかはわからないけど、一度足を運んでみておく必要があるだろう。

 俊哉君の「老け」が、リリト教の「祈り」によるものなのか、それとも他の原因なのか……。もし前者であるのなら、リリスは超能力者……もしくはそれに準ずる何かだろう。

 どちらにせよ、私が一度「祈り」に参加するべきなのは明白だった。





 罷波町の外れには、小さな廃教会が存在する。随分と昔からあるものらしく、町の人々からは忘れ去られているような存在で、取り壊されることもなくずっとその場所に残っている。勿論手入れなどされているハズもなく、木材は朽ち、壁には無数の蔦が張り付いており、一種のホラースポットみたいになっている。特に夜中は不気味な雰囲気を醸し出しており、幽霊か何かでも出るんじゃないかと怯えてしまう。

 だから私は今すぐにでも帰りたい。

 教会の前で足を止めたまま、私は小さく溜息を吐いた。

 時刻は午後十一時。リリト教による「祈り」が開始される一時間前だ。

 リリト教の「祈り」は、毎晩決まった時間にこの廃教会で行われている。調査の際、リリト教に入るにはどうすれば良いのか? と信者に訊いてみたところ、毎晩廃教会で行われる「祈り」に一度でも参加すれば、リリス様の素晴らしさがわかる上、リリス様からリリト教への入信の許可が降りるのだとか。

 あまりにも怪しい話だけど、これ以外に手がかりは存在しない。だけど「祈り」そのものに参加するつもりはないので、私は物陰に隠れて「祈り」の様子を見ることに決めた。

 なるべく音を立てないよう、ゆっくりと教会の中へ入る。

 礼拝堂の中は酷いもので、椅子やら何やらボロボロに朽ちているし、歩く度に朽ちかけている床がミシミシと音を立てている。

 ステンドグラスから差し込む月光のおかげで、教会の中は随分と明るい。歩く度に鳴るミシミシという音に少し怯えつつも、私は朽ちた椅子へ身を隠した。

 まだリリスも信者も来ていないようで、教会の中は閑散としていた。

 廃教会とは言え、ステンドグラスから差し込む七色の月光は、どこか現実離れした、幻想的な雰囲気を醸し出している。まるで、この世界だけ別世界であるかのような……そんな錯覚を覚える程に。

 気が付けば私は、立ち上がってステンドグラスに見惚れたまま硬直していた。

 アイツが一緒に来てたら、何て言うだろう。綺麗だなって、一緒に見惚れるのかな。でもアイツのことだ、どうでも良さそうに欠伸して、ステンドグラスからすぐ目をそむけちゃうような気もする。

 一緒に、来たかったな……。

 何気なく隣を見るけど、やっぱりそこにアイツはいなくて、私は自嘲気味に溜息を吐いた。

 馬鹿だな私。もう、一年近く経つのに。まだ――

 そんなことを考えている時だった。嫌な音を立てながら、教会のドアが開かれた。

「――!」

 すぐに私は身を屈め、椅子に身を隠す。

 中に入ってきたのは、真っ赤なイブニングドレスに身を包んだ一人の女性だった。艶かしい肢体、流麗な長い金髪、そしてこの世の者とは思えない程に整った顔立ち。同じ女性であるハズの私ですら、一瞬見惚れてしまう程の美貌――彼女が例のリリスだと判断するのに、一秒と時間はかからなかった。

 彼女はゆるやかな動作で歩くと、祭壇の上へ立った。ステンドグラスに装飾され、彼女の美しさは一層引き立てられている。

 数秒すると、一人の男が教会の中へと入ってくる。うつむいているせいで、顔がよく見えない。恐らく信者の一人なのだろうが、彼はしばらく小声で彼女と会話をした後、彼女の後ろで跪いた。

「さあ信者達。今宵も私と、そして己のために祈りなさい」

 彼女がそう言った――その時だった。

 教会のドアが勢いよく開き、何十人もの人々が一列に並んで教会の中へと入ってくる。その誰もが、祭壇に立つ彼女の姿を見た途端「リリス様!」と歓喜の声を上げている。

 やはりあの女性がリリス。そして今一列に並んでいる男達は、リリト教の信者だろう。

 彼ら信者の姿は、まるで女王を崇める奴隷のようにも見えた。

「リリス様! 早く……早く祈らせて下さいッ!」

 列の先頭の男が、口元からよだれをだらだらと垂らしながら床に両膝を付き、リリスへ懇願する。床へボタボタと滴り落ちる唾液を、チラリと険悪な表情で見たリリスは、すぐに笑みを浮かべると――

「――っ!」

 一枚のカードを取り出した。

 この位置からじゃよく見えないけど、アレは間違いなくカードだ。鷺之木が使っていたものと、同じカード……ということは、リリスはカードを利用して超能力を使っている、ということになる。

 信者達はカードのことをよく知らないのか、リリスの取り出したカードに対して特に反応は見せない。やがてリリスの持っているカードは景色に溶けるようにして消えていく。

「さあ、頭をお出し」

 リリスの指示に従い、先頭の男は身を乗り出して頭を突き出した。その頭へ、リリスはそっと右手を乗せる。

「祈りなさい」

 一瞬、男の頭から白い光の玉が現れ、リリスの手の中へと入っていったように見えた。

「ありがとう……ございます……」

 リリスが手を離すと、男は恍惚とした表情を浮かべた状態で立ち上がり、ふらふらとおぼつかない足取りで教会を出て行った。

 何だ……? リリスは今、あの男に何をした?

 次の男も、その次の男も、同じようにリリスへ頭を出し、そして恍惚とした表情でふらふらと帰って行く。リリスが男の頭へ手を乗せる度、最初の男と同じように白い光の玉が現れ、リリスの手の中へと入っていく。

 何かを……吸い取っている……?

「そうよ。祈りなさい。私に祈れば、貴方達は必ず救われる……そうでしょう?」

 妖艶な笑みを浮かべるリリス、恍惚とした表情でふらふらと帰って行く信者達。その怪しい光景を、私は息を呑んで見つめていた。

「リリス様」

 不意に、リリスの後ろで跪いていた男が声を発した。

 どこか聞き覚えのある、その軽薄そうな声に、私は耳を疑った。

「鼠が一匹、入り込んでいるようですが……」

「排除なさい」

 リリスがそう答えると、男はコクリと頷いてポケットから何かを取り出すと、ゆっくりと立ち上がり、それを構えた。

 月光に照らされ、男の顔が露になる。

「え――――」

 思わず私が声を漏らしたのと、椅子を貫通して私の右肩にBB弾が直撃したのはほぼ同時だった。

「つ……っ!」

 左手で右肩をおさえつつ、意を決して立ち上がり、私へ真っ直ぐに視線を向けた。

 肩まで伸びた薄茶色の髪、やや軽薄そうに見える顔、そして私へ向けて構えられたエアガン。


 そこにいたのは――――晴義だった。


「晴……義……?」

 私の言葉に、晴義は答えない。ただ黙ったまま、エアガンの銃口を私へ向けている。

 同じだ。あの時と。

 アントンの時と……同じだ。

「う……わ……」

 まともに言葉を紡げない。

 どうしたら良いのかわからない。

「うわあああああ!」

 気が付けば、悲鳴を上げながら晴義に背を向け、走り出していた。


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