FILE29「奴の名はC」
膨大な情報の海――インターネットと呼ばれるソレは、良くも悪くも様々な情報の発信源となり得、同時に、様々なものを生み出すことの出来る場所でもある。
社会現象も、有名人も、お金も――犯罪者も。
「どうですか? 何か見つかりましたか?」
慣れない手つきで懸命にキーボードを叩く隣にちょこんと座り、彼女――慈島紗綺はコースターに乗せられた紅茶をパソコンの隣にそっと置いた。
「うぅん……まだ何も……」
見つかったも何も、この検索エンジンの使い方を今やっと把握し切ったところだ。
グラットンさんからの情報で、この町のどこかであの危険なカードを売っている何者かがいる、ということがわかったのは良いんだけど、問題はそいつをどうやって見つけ出すかだった。
その辺をうろうろして見つかるなら苦労はしないし、あれだけ聞き込みをしてもカードの手がかりは得られなかったのだから、これ以上の聞き込みは無駄だろう。
野々乃木高校の授業が終わったタイミングを見計らって、鷺之木に連絡は一応してみたんだけど、案の定突っぱねられた。少しは私も食い下がったんだけど、鷺之木は何度も、何かに怯えるように――
――――消される。
そう、繰り返していた。
カードに関するこの事件、もしかすると、私が考えるよりも危険で、深いのかも知れない。
調べる方法は色々考えてみたけど、最終的にパソコンを使って調べてみることにした。とはいっても、うちの事務所にパソコンなんて高価な物はないので、紗綺さんに借りることにしたわけだった。
インターネットで調べるとなると、ガセネタばかり掴まされる可能性もあったけど、カードとかのような怪しい感じの情報は、アナログよりもデジタルの方が蔓延しやすい。だからこそ、パソコンという手段を選んでみたんだけど――
「由乃さん……もしかして、パソコンあんまり使ったことないんですか?」
「う、うん……」
人生の内で十回以内ってとこかな。
和登家で教えられていたのは、パソコンの扱い方よりも、国語やら英語やらの一般的な勉強や礼儀作法ばかりで、パソコンの使い方は教わらなかった……というより、さあそろそろパソコンの使い方を学ぼうかって時に私が家出しただけなんだけども。
「あの……もし差し支えがなければ私がやりましょうか……?」
申し訳なさそうにおずおずと身を乗り出す紗綺さんに、私はよろしくお願いします、と頭を下げながら即答した。
紗綺さんが調べ始めて数十分。淹れてもらった紅茶がそろそろ空になる頃、紗綺さんはあ! と声を上げた。
「もしかして、このスレじゃないですか?」
スレ。という聞き慣れない単語に首を傾げつつ、紗綺さんが指差している画面へ目を向けると、そこには「カード持ってる奴買い方教えろ」というタイトルが表示されていた。
「このページって……」
「罷波町の非公式掲示板です。罷波ちゃんねるっていうんですけど、その中の隠しページの中に『裏罷波ちゃんねる』ってところがあるんです。その中のスレの一つなんですけど……」
うわ、紗綺さん意外にディープ。
「裏だと結構カードのことが話題になってるみたいです」
画面を覗き込むと、掲示板には既に沢山の書き込みが表示されていた。どの書き込みもこの「スレ」を立てた人への言葉なんだろうけど、どれも辛辣なもので「本日のクソスレ」とか「ぐぐれかす」だとか、そんな書き込みばかりだった。
「つい数十分前に立ったばかりのスレみたいですけど、どうします? しばらくこのスレを眺めます?」
紗綺さんの問いに私が頷くと、紗綺さんは私が目で追えるように少しずつ画面をスクロールしていく。
どうやらスレを立てた人はどうしてもカードが欲しいらしく、他の人達の辛辣な対応をものともせず、何度も何度も買い方を教えてくれと頼んでいた。
一体、ここに書き込んでいる人達の内、何人がカードの買い方を知っているんだろう……。買い方を知っているわけでもないのに、ただ冷やかしにきているだけなんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら読んでいる内に、紗綺さんの指が動きを止めた。どうやら画面の一番下までスクロールし終えたらしい。
「この様子じゃわかりそうにないですけど……まだ見ます?」
「うぅん……もうちょっとだけお願い出来る?」
紗綺さんはわかりました、と答えると、画面上部の更新ボタンをクリックした。
一度ページが真っ白になり、再読み込みが開始される。
「あ、新しい書き込みがあるみたいですよ!」
六十七件目のレスポンス。
そこに書いてあった内容を見た瞬間、私も紗綺さんも表情を一気に変えた。
「こ、これって……!」
「こ、コピーしますね!」
少し驚いた様子を見せつつも、紗綺さんは慌ててメモ帳へとコピーする。
「まさかほんとに書いてあるなんて……」
「でも、ガセネタかも知れませんよ……」
そう答えつつ、紗綺さんはもう一度更新ボタンを押す。ページが再び真っ白になり、再読み込みが開始され――
「え――」
67 : Dleted
このレスポンスは削除されました。
「嘘……っ!」
私も紗綺さんも、驚愕を隠せなかった。
ついさっき書き込まれたばかりの書き込みが、書き込まれてから一分と経たない内に削除されてしまっていたからだ。
額を、厭な汗が流れるのを感じる。
恐怖。怯え。戦慄。
明らかな異常に、私も紗綺さんも沈黙したまま動きを止めていた。
ほとんどパソコンの知識がない私にでも、この状態が異常であることくらいは容易に理解出来る。書き込まれたばかりの書き込みが、一分もしない内に削除される……その、異常性が。
「閉じて……良いですか……?」
怯えた様子を隠せないまま、そう問うた紗綺さんへ、私はコクリと頷いた。
カードを売っている場所について書かれた書き込みが、書き込まれて数十秒で削除された……。それはカードを売っている犯人からの警告であり、それと同時にその書き込みが「真実」であるという裏付けでもある。
カードは、週に一度、決まった時間にある場所で販売が行われる。売られている場所は毎週変わるらしく、同じ場所に二度行ってもカードを手に入れることは出来ない。掲示板に書き込まれていたのは、今週の場所。
すぐに書き込みが消されたということは、カードを売っている犯人は「裏罷波ちゃんねる」の管理人……もしくはそれに準ずる権利を持つ何者か、ということになるけど、それを特定するのは現段階では不可能だった。
翌日の明け方、罷波アリーナ付近。
今週、カードが売られるのはその場所だった。
罷波アリーナ。というのは、罷波町にあるイベント会場の一つで、罷波町で行われるイベントは大抵この場所で行われる。罷波町出身のアーティストが会場でライブをやっているのを、何度か見かけたことがあるけど、あまり興味がないのでライブ自体に私が参加したことはなかったし、建物の中に入ったこともなかった。
時刻は午前五時。日はまだ昇り切っておらず、周囲は暗い。事務所からここに来るまでの間に目は慣れているため、見えないということはないんだけど。
白いコンクリートの地面、柱、建物。空以外はコンクリートで埋め尽くされたその景色の中で、私は静かに歩いていた。
あの掲示板の書き込みが本当なら、この時間、確実にカードを販売している犯人は現れるハズだ。
何としてでも、カードの販売をやめさせなければならない。
あんな危険な……それも副作用のあるカードを、この町の中にばら撒かれてはたまったものじゃない。カードの副作用でハイになった使用者は、高確率でカードの力を使って犯罪行為へ走るだろう。そんなカードを町中の人間が手にすれば、この町はグチャグチャにされてしまう。
アイツの守ったこの町が、そんな姿になるところなんて絶対に見たくない。
私は、私に出来る範囲でこの町を守る。
アイツが安心して帰ってこれるように――
「お客様ですかな」
「――っ!」
不意に聞こえる男性の声に、私はピクリと表情を変えた。
声のする方へ視線を向けると、そこには一人の男が立っていた。
黒いスーツを身に纏った男で、薄暗いため顔はよく見えない――しかし、黒いスーツの胸元へ、まるで浮かび上がるようにクッキリ見える「C」という文字……。
カードの……C?
「ようこそいらっしゃいました」
抑揚のない声でペコリと頭を下げた男へ、私はすぐにポケットから取り出したキャンセラーを構えた。
「おや?」
「貴方が……『カード』をこの町にばら撒いている犯人……?」
私の問いに、男はククッと笑い声を漏らした。
「『ばら撒く』……というのはあまり適切ではありません。しかしそれを不適切と呼ぶのは『不適切』かも知れませんね……ですが私はその『ばら撒く』という表現がどうも気に入らない。だからあえて訂正させてもらいましょう……ばら撒いているのはなく『売りさばいて』いるのだと」
そこに、わざわざ訂正する必要性があったようには思えないけど、一々そんなことにつっこんでいる場合じゃない。キャンセラーを構えたまま、私は男を睨みつけた。
「申し送れました。私、カード売人の『C』と申します」
再びペコリと頭を下げる男――C。
「貴方の名前はどうでも良い。それより、その危険なカードを売るのをやめて」
Cから感じる未知の不気味さに対する動揺を隠そうと、私は努めて平静を装いつつCへそう告げた。
「危険? 私はそうは思いませんがね……。貴女の言い方では、私の販売しているカードそのものが危険であるかのような印象を受けますが、それは違います。このカードそのものは危険な存在ではなく、このカードが危険足り得るためには使用者が危険な人物である必要があります。聖人君子のような方がこのカードを手にしても、それは何ら危険ではありません。つまり、このカードは危険ではない、ということです。貴女は果物ナイフを危険な存在として扱い、排除しようとしますか? 違うでしょう。果物ナイフが危険な存在になるのは、果物ナイフを使用する人物が危険な使用方法で果物ナイフを使用した場合なのです。私の売るカードと、この町の様々な場所で容易に購入出来る果物ナイフ……そこにどのような差があるのでしょう?」
「な――」
無茶苦茶だ。
だけど、Cの勢いに圧倒されて、私は反論することが出来ずにいた。
「まあ良いでしょう。貴女が私の邪魔をするというのなら、私もそれなりの対応をしなければなりません……が」
不意に、Cは顔を動かし、私の顔をジロジロと眺めるように顔を動かし、嘆息した。
「誰かと思えば……。貴女は『殺してはいけない』ことになっているので、少々面倒ですね……」
「え……?」
殺しては……いけない? 私を?
一体どんな理由があって、Cにとって私にどんな意味があって、殺してはいけないのだろうか。仮に掲示板での書き込みを削除したのがこの男だとすれば、今私を殺そうとしないのはおかしい。目撃者であり、カードの販売を邪魔する私は早々に抹殺するべきだと思う。だけどCは今「殺してはいけない」と確かにそう言った。「殺せない」じゃなくて「殺してはいけない」……まるで、誰かから言いつけられているかのようなニュアンス……。
そんな思考を私が巡らせていると、Cは指をパチンと鳴らした。
「彼女については貴方に任せておきましょう。適当に帰らせておいて下さいね」
Cがそう言ったのと、Cの傍の柱から一人の男が身を乗り出したのはほぼ同時だった。
大柄な男で、Tシャツにジーンズだけという簡素な服装の男だった。
どこかで見た覚えのあるそのシルエットの男は、短い金髪を少しだけ揺らしつつ、蒼い双眸で私を見つめながら少しずつ近寄ってくる。
「嘘……だ……」
平静という殻は既に破れ、奮えた声を漏らす中身がそこにいた。
「おかしいよ……こんなの……絶対にありえない……」
ポトリと。音を立てて、手に持っていたキャンセラーが地面へ落下した。
「ねえ、嘘でしょ――――アントン……っ!」
私の目の前にいたのは、紛れもなくアントンだった。
お人好しで、亜人と人間のハーフで、エセ外国人で、幼女が大好きで、なんだかアホっぽいけど憎めない。そのアントンが、今私の目の前に立っていた。
「ボクだよ……アントン……!」
次の瞬間、アントンは握り締めた右拳を振り上げた。
「え――――っ!」
私の表情が、驚愕と悲壮で彩られた――その瞬間だった。
「そこまでよ!」
響く、凛々しい女性の声。
見れば、私達の周囲は、武装した警官隊――超能力対策特殊部隊によって囲まれていた。
「ありがとう和登さん……コイツらがカードを販売していた犯人で……間違いないわね」
そうだ。私はいざという時のために、岩肌さんに予め連絡しておいたのだった。
そんな重要なことを、一時ではあるものの忘れてしまうくらいには、私の目の前で起きた事は衝撃的だった。
「困りましたね……」
キャンセラーと銃を向けられたCは、そう言って溜息を漏らす。
アントンがバックステップでCの元へ戻ると、Cはポケットから一枚のカードを取り出した。
「――――カードを使う気よっ!」
「それではまた、機会があればまた会いましょう」
カードが消えると同時にペコリと頭を下げ、Cとアントンはその場から姿を消した……跡形もなく。
「瞬間移動系の能力を使ったのね……」
岩肌さんは舌打ちをすると、すぐに私の方へ安否を確認しに駆け寄ってきた。
だけど、岩肌さんの言葉などまるで頭に入らない程に、私は放心状態だった。
アントンが、私に対して拳を振り上げた。
その事実は、私の中に焼け付くようにして強烈に残っていた。




