FILE25「御門降矢 下」
罷波中央公園、通称――噴水公園。そう、そこはボクと家綱が始めて出会った場所だった。
二年前、和登家を飛び出したは良いものの、行くあてがなくて困り、この公園のベンチでどうすれば良いのかわからないまま座り込んでいたボクに、家綱は「助手をやらないか?」って……。
利用者のマナーが良いのか、それとも誰かが定期的に綺麗にしているのか、罷波中央公園にはゴミの一つすら落ちていなかった。中央に設置された噴水は、二年前と変わらず澄んだ水を空に向かって放ち続け、それによって生じた虹が景色を鮮やかに彩っている。そして噴き出す水に囲まれるようにして、柱のような噴水の上には自由の女神と少しだけ似た像が設置されている。
ボクは、家綱と初めて出会った場所がこんな綺麗な場所で良かったと心から思っている。ボクにとってこの場所は、思い出の場所。始まりの場所。
奇しくも、爆弾はこの場所に――――罷波中央公園に設置されていた。
公園には誰もいなかった。まあそれも当然だろう。こんな状況下で、公園に行ってゆったり過ごすなんてことはまずあり得ないし。今はもういないけど、リジェクターが爆弾を設置したことを告げてから、この公園の中に入ったのは警察くらいだろう。
「間違いねえな……爆弾はこの場所だ……」
公園の中を歩きつつ、自信満々にそう言った家綱へ、ボクは訝しげな表情を向けた。
「何で言い切れるの? 正直ボクはすごい心配なんだけど……」
家綱はピタリと足を止めると、不意にボクの頭へ右手を乗せた。
「いや、お前の推理は間違っちゃいねえ。それに、俺の頼れる相棒がココだっつってんだ……信じなきゃ嘘だろ?」
家綱が微笑するのと、ボクの顔が朱に染まっていった(ように思う)のはほぼ同時だった。
「な、何恥ずかしいこと堂々と言ってんだよっ!」
「お、おい! 何も蹴るこたねえだろコラ!」
思わず家綱のすねを蹴り上げるボクと、痛そうにすねを押さえる家綱。出来ればいつまでもこんな風にしていたいけど、生憎今はそれどころじゃない。それを察してか、家綱はすぐに表情を険しくした。
「この公園にあるってのはわかったけど、公園の中のどこにあるかまではわからないよ……。警察だって見つけられなかったってことは、何か特別な……普通ならあり得ないような場所に隠してあると思うんだけど……」
「いや、心配ねえ。爆弾がどこにあるか――そんなモンは考えなくてもわかる」
そんなことを言いながら、家綱はゆっくりと噴水の傍へ歩み寄る。そんな家綱の背中に、何を根拠に? と問いを投げかけると、家綱は静かに振り返り、得意げな笑みを浮かべた。
「『勘』でな」
「勘……?」
勘……。この状況でそんなアバウトなものに頼るなんて――と家綱を怒鳴ろうとしたけど、ボクの脳裏を一人の少女の顔がかすめた。
――――私の勘は外れませんわ。
「ロザリー……?」
でも、そこにいるのはいつもの家綱で、高飛車で自称お姫様の少女――ロザリーではなかった。
家綱の……勘?
訝しげな表情で家綱の背中を見つめていると、家綱は着ているスーツの内ポケットへ手を突っ込んだ。
「さてと……散々寝てたんだ……そろそろ一仕事するぜ……」
家綱が内ポケットから取り出したのは、纏さんがいつも懐に入れて持ち歩いている物と同じ……脇差だった。家綱は脇差を鞘から抜くと、ゆったりとした動作で噴水へ脇差を構えた。
「家綱……!」
家綱の傍に駆け寄ってそう言ったけど、家綱は応えようとしなかった。
「もしかして……」
切るつもりなのだろうか。あのコンクリートで出来た噴水を。
刀の切れ味は、ボク達一般人が認識しているよりも遥かに良い。名匠によって鍛え上げられた刀は、弾丸すら切り裂く程に鋭い。でもそれは、達人が扱うからこそ出来る芸当。少なくともボクの知っている家綱は、刀の扱いには長けていない。長けているどころか、素人と言っても良いくらいだ。
そう、あくまで家綱は、だ。
家綱の人格の一人――纏さんはどういうわけか刀の扱いに長けている。亜人街での通り魔事件の時だって脇差で戦っていたし、ボクは今までに何度か、刀を扱う纏さんの姿を見たことがある。恐らく家綱はあの状態から纏さんに交代するつもりなのだろう……そう思っていたけど、家綱がクロスチェンジャーを取り出そうとする様子はない。それどころか、噴水を見据えて構えたまま、精神を統一しているようにも見える。いつもの緩い表情からは想像しにくい、一点にだけ集中した家綱の横顔は、とてもふざけているようには見えない。
フッと。家綱が息を吐く音がした。
「――――っ!」
次の瞬間、家綱は跳躍すると、脇差を噴水の上の像目掛けて――――一閃。
「良い感触だ……癖になりそうだなおい」
地面に着地した家綱が軽口を叩きながら脇差を納めるのと、像に切れ目が出来るのはほぼ同時だった。やがて噴水の上部は切れ目からズレていき、轟音と共にその場へ崩れ落ちた。
「う、嘘……」
その光景を、ボクは唖然とした表情で見つめていた。
確かに今、家綱はコンクリートで出来ている像を切った。そこだけでも十分にすごいけど、それよりも「家綱が」像を切ったことの方がすごい。本来なら、刀を使ってものを切るという作業は交代して、纏さんに頼むハズのものだ。それなのに家綱は、纏さんの力を借りずに、自分だけの力で脇差を扱い、象を切り倒したのだ。
家綱がそこまで巧く刃物を扱えるなんて、聞いてない。
「さて、と」
ただただ驚くだけのボクをよそに、家綱は平然と脇差をスーツの内ポケットへ戻すと、スーツが濡れるのも気にせず噴水の水受けの中へ足を突っ込んだ。
「ちょ、ちょっと家綱!」
家綱は噴水から噴き出される水でビショビショに濡れながらも、先程切断した像の断面へ顔をよせ、ニヤリと笑みを浮かべた。
「由乃、見てみろ」
少しためらったけど、結局ボクは家綱と同じように水受けの中へ足を突っ込み、像の切断面へと近寄り――
「これって……!」
驚愕の声を上げた。
「お前の推理通り、爆弾はこの公園にあったっつーことだ」
像の切断面からは、何か白い物体が顔を出していた。家綱が切断した際、ギリギリ像と一緒に切られなかったらしい。
「じゃあこの白いのはやっぱり……」
「ああ。ただの公園の像に、こんなモンが埋まってるハズがねえ……コイツは間違いなく、リジェクターの仕掛けた爆弾だ」
そう言ってすぐに、家綱はゆっくりと振り向いた。
「そうだろ? リジェクターさんよォ」
「リジェクター……!?」
家綱と同じように振り向くと、そこにはテレビに映っていたあの少年――リジェクターと、ボボンを盗んだ張本人――あのニット帽の男が立っていた。
リジェクターは黙ったまま、家綱の質問には答えず、ただ家綱の方をジッと睨んでいた。
何度見ても信じられない。どう見てもボクと同じくらい……いや、下手すればボクより年下かも知れないあの少年が、これまで様々な事件を起こしてきたRejectioNのリーダーであるリジェクターだなんて考えられない。
でも、もしボクの調べたことと、彼の経歴が一致するのなら……彼がリジェクターとなってしまったことに納得がいくのだけど……。
「どうして……どうしてわかったの……?」
年相応の少年らしい、悔しそうな表情を見せると、少年はそう問うてきた。
その問いには、家綱の代わりにボクが答えた。
「ボボンの予測爆発範囲は、この町の直径ギリギリだった……だから、爆弾一つでこの町を爆破するなら、爆弾の設置場所はこの町の『中央』である必要があったんだ」
でも、そこまでなら警察にだってわかる。兼ヶ原さん家へ電話すれば、ボボンの爆発範囲は簡単に知ることが出来る。問題はその『中央』……この公園のどの位置に爆弾が設置されているか。
「お前の能力は恐らく『物体を自由にすり抜けられる』能力。己川を殺した時も、通り魔事件の犯人を殺した時も、お前は肉体をすり抜けて直接相手の心臓を握り潰していたからな……。そんなお前が隠す場所は、普通なら取り出せない『何か』の中だ……ってとこまでは推理だ。後は――勘」
そう言って、家綱は得意げな笑みを浮かべた。
「俺の勘は……外れねえ」
――――私の勘は外れませんわ。
また、重なった。
脇差のことと言い、勘のことと言い、今日の家綱はまるでロザリーと纏さんと同じ能力を持っているかのように見える。いや、見えるだけじゃない。実際に家綱は、ロザリーのような「外れない勘」で爆弾の正確な位置を発見し、纏さんのような「刀の扱い」で像を切断し、見事に爆弾を発見している。
元からこんなことが出来るのなら、今まで一々他の人格に交代しなかったハズだ。それが今出来るってことは……
――――ちょっと野暮用が出来てな……。
あの、一見意味のなさそうな昼寝が、このことと何か関係があるのかも知れない。
「……すごいね。流石は探偵……。強いて間違っている部分を挙げるとすれば、僕の能力は自由にすり抜けられるわけじゃなくて、何かをすり抜けることが出来るのは右手だけってこと……くらいかな」
先程の悔しそうな表情とは打って変わって、穏やかな表情を浮かべているリジェクターは、パチパチと拍手をしながら微笑んだ。
「お前の負けだリジェクター……。さっさとこの爆弾解除して、そこのクサレニット帽と一緒に自首しな」
いや、クサレニット帽って……。
どうやら家綱はニット帽の男にボコられたことを根に持っているらしく、RejectioN関係の事件の黒幕であるリジェクターよりも、ニット帽の方を執拗に睨みつけていた。
こんなとこで中途半端に私情挟むなよ。
「それで僕が頷くと思う?」
「いや、思わねえな」
サラリとそう答えると、家綱は水受けから出、ビショビショに濡れていたスーツを、クロスチェンジャーで別のスーツへ瞬時に着替えた。
そうか、家綱が濡れることに何のためらいも見せなかったのはクロスチェンジャーがあったからだったのか……くそ、ボクだけビショビショじゃないか……。
ちなみにクロスチェンジャーは、この間みたいに牛乳をぶっかけてしまっても大丈夫なように防水カバーをかけてあった。そんな某音楽再生プレイヤーの周辺アイテムみたいなのがクロスチェンジャーにもあったとは……。
とりあえず、ボクもいつまでも濡れっ放しというわけにはいかないので、すぐに噴水から離れた。
「力ずくででも、お前を警察んとこに連れてってやるよ……!」
「どーぞ。出来るんならね」
不適な笑みを浮かべてリジェクターが身構えるのと同時に、隣でニット帽もナイフを取り出して身構えた。
猿無以上の実力を持ち、家綱をいとも容易く倒したあのニット帽の男……やっぱり、戦わなくちゃいけないのか……。
その上、そのニット帽や猿無を従えているあの少年……リジェクターの未知数な実力のことも考えれば、家綱が勝てる可能性は――――
そこまで考えて、ボクはすぐに首を左右に振った。
負けない。家綱は負けない。
何の根拠もないけど、きっと。
そんなボクの期待に応えるかのように、家綱は不適な笑みを浮かべて身構えた。
「俺達七人に……『たった二人』でそう簡単に勝てると思うなよ……?」
七……人……?
確かに家綱の人格は家綱を含めて七人。だけど、それって……あのセドリックもカウントしてるってこと……?
「来いよ……まとめて相手してやらァ!」
家綱のその言葉をゴングに、ニット帽はすかさず家綱目掛けてナイフで切りかかる。家綱はナイフを回避して少しだけ距離を取ると同時に、スーツの内ポケットから再び脇差を取り出して鞘から抜いた。
ニット帽はそれをさほど気にした様子もなく、ナイフで再び家綱へ切りかかる――が、そのナイフは脇差によって防がれる。ニット帽はすぐにナイフを脇差から離し、今度は別の角度から切りかかったが、やはりそれも脇差によって防がれる。ニット帽は流れるような動作で切りかかるけど、家綱はその全てを、脇差一本で防ぎきっている。しかもその表情に焦りはなく、むしろ余裕があるように見える程だった。
ボボンを盗まれた時は手も足も出なかったのに……この差は一体……。と、そんなことを考えていると、いつの間にやら家綱の背後にはリジェクターが忍び寄っていた。どうやら最初からニット帽を囮に使うつもりだったらしく、リジェクターは右腕を構えてニヤリと笑みを作っていた。
「いえつ――」
「後ろにいんのはわかってんだよ……『勘』でなッ!」
ボクが家綱へ伝えるよりも先に、家綱は背を向けたまま背後のリジェクターへそう言うと、左手をポケットへ突っ込んだ。
右手の脇差でニット帽のナイフをさばきつつ、家綱がポケットの中で左手の親指に乗せたのは――
「十円……玉……っ!?」
ボクが驚愕の声を上げると同時に、家綱はニット帽の腹部に前蹴りを入れて怯ませると、首を左に傾け、十円玉を落とさないまま首の横へ左手を持っていき、背後にいるリジェクター目掛けて十円玉を射出。射出された茶色の閃光はリジェクターの顔目掛けて伸びていく。
投げ銭。家綱の中にいる七つの人格の内の一人、葛葉さんが得意とする技。そう、得意としているのは「葛葉さん」であって、決して家綱ではない……のにも関わらず、家綱は葛葉さんと変わらぬ手際と精度で、いとも容易く投げ銭をやってみせたのだ。
「――――ッ!」
リジェクターも流石に予想外だったのか、表情を驚愕に歪めつつ必死に回避しようとしたが、顔面は免れたものの結局右肩へ十円玉は直撃した。
「あァ……ッ!」
右肩を押さえつつ、苦痛に呻くリジェクターへ、家綱は視線を向けようともせず、再び迫り来るニット帽を見据えていた。
家綱の顔面目掛けて、ニット帽は右手のナイフの刃先を突き出す――が、家綱は脇差をポケットへ戻しつつ、それを容易く回避し、伸ばされたニット帽の右腕を、ガッシリと右手で掴んだ。
「しま――ッ」
ニット帽の表情に焦りが浮かび、声を上げた時には既に家綱は笑みを浮かべていた。
「そォらよッ!」
家綱はニット帽の右腕を、まるで旗でも持ち上げるかのように片手で持ち上げ、あろうことかそのままリジェクターのいる背後まで投げ飛ばしたのだ。
「嘘だろ……っ!?」
ボクの記憶が正しければ、家綱にそんな怪力はない。
柔道の技か何かでも使ったのなら、投げ飛ばすことは可能なのかも知れないけど、今家綱がニット帽へ柔道の技をかけたようには見えなかった。ただ強引に、無理矢理力だけで後ろで投げ飛ばしたようにしか、ボクには見えなかった。
アントン。家綱の中にいる七つの人格の一人である彼の怪力なら、あんな風に投げ飛ばすことは可能だと思うけど……。
「ぐ……ッ!」
背中からリジェクターへと激突し、ニット帽とリジェクターの二人はそのままその場へ倒れ伏す。
「どうした? もうおねんねか?」
まるで挑発するかのような家綱の言葉に、二人はすぐさま立ち上がる。
「調子に乗りやがって……!」
つい先程まで見せていた余裕は、二人の表情には全く見られなかった。
……すごい。さっきから家綱は、リジェクターとニット帽の二人を完全に圧倒している。ニット帽にはついこの間までダメージを与えることすら出来なかったのに……今ではこれ程まで差をつけている。
「だから言ったろ? 『たった二人で俺達七人に勝てると思うな』ってよ」
そう言った家綱の顔面目掛けて、素早く水がかけられた。
「家綱っ!」
見れば、いつの間にか噴水へと近づいていたリジェクターが、家綱の視界を奪うために水受けの水を家綱の顔面へかけていたのだ。
「くッ……!」
視界を奪われ、一瞬家綱が怯んだ隙を見逃さず、ニット帽は家綱の心臓部目掛けてナイフを突き出した。
「家綱ぁぁぁっ!」
「ほいっと」
瞬間、ニット帽の表情が驚愕に彩られた。
視界を奪われていたハズの家綱が、まるでリンボーダンスでもするかのように状態を後ろへ逸らし、ニット帽のナイフを避けたのだ。突き出されたナイフは、ニット帽の予想を大幅に反し、家綱のかぶっていたソフト帽のつばへ突き刺さる。
「避け……た……!?」
「ああ、見えなくてもわかんだよ……『勘』でな」
また、勘。
この公園にきてから、家綱の勘は驚くべきことにただの一度も外れていない。そのロザリー並みの勘的中率は、明らかに異常だった。
視界の戻った家綱は、ニット帽が一度右手を引いたのと同時に体勢を立て直し、後退してニット帽から距離を取ると同時に、スーツの内ポケットへ再び手を突っ込んだ。
「アレは……!」
家綱が内ポケットから取り出したソレは、晴義が愛用しているあのエアガンだった。既に弾は込められているらしく、家綱はすぐにトリガーへ指をかけた。
「ちょーっと痛いぜ?」
言うやいなや、家綱はすぐさまニット帽の顔――――否、目に向けてエアガンの弾を発射した。射出されたBB弾は、針の穴に糸を通すかのような精度で、見事にニット帽の眼球へ直撃。ニット帽は激痛に声を上げながら、目を押さえてその場へドサリと倒れた。
エアガンを目に向けるな。とはよく言うけど、実際狙ってあてるというのは中々に難しいハズだ。目の中という狭い空間を狙って、それも動く的を相手にしているのだから、当然難易度は普通の的にあてるよりも格段に上がる。ボクの知っている人間でそんな芸当が出来そうなのは、某有名漫画の小学生と、家綱の人格の一人、晴義くらいのものだ。
しかし家綱は、その高難易度の芸当を、まるで当然の如くやってのけた……。さっきから家綱は、晴義や他の皆と同じ技術を平然と扱っている……。まるで全人格の力を統合したかのように、だ。ロザリーの勘、纏さんの脇差、葛葉さんの投げ銭、アントンの怪力、晴義のエアガン……。どれも、今まで家綱には出来なかったハズのものだ。
「家綱……」
昼寝というちっぽけなヒントだけでは、家綱に何があったのか察することは出来ないけど、今の家綱はまるで、他の人格と一つになったかのようだった。
「ニット君ッ!」
リジェクターは倒れ伏すニット帽へ視線を向けてすぐ、家綱へ素早く接近した――が、
「ウオオオオオッ!」
突如空へと咆哮した家綱の声に気圧され、ピタリと動きを止めた。
天空へと咆哮する、猛々しく荒々しいその姿はまるで……セドリック。まさか家綱は、他の五人だけじゃなく、セドリックの力まで使えるのだろうか……。
考えにくいけど、もし家綱がセドリックの力まで使えるのだとしたら……今の家綱は、七つの人格全ての力を使うことが出来る「家綱最強の状態」なのかも知れない。
「ウオアアアアッ!」
動きを止めているリジェクターへ、家綱は容赦なく拳を叩き込んだ。
獣が如き荒々しさを発しながら叩き込まれた拳は重く、力強い。猿無との戦いの時、セドリックが見せた拳と寸分違わぬものだと、ボクは根拠もないのに何故か理解出来た。
葛葉さん。アントン。晴義。ロザリー。纏さん。セドリック。そして……家綱。今の家綱にはきっと、その七人全員の力が宿っている。何がどうなって今の状態になったのかはわかんないけど、七人全員の力が宿っているなら、ニット帽やリジェクターを圧倒出来るのは当然とも言えた。
「がァァッ」
顔面へ拳を叩き込まれ、リジェクターはそのままこ後方へ吹っ飛ばされて、倒れているニット帽へ背中から直撃し、その場へドサリと倒れた。
「く……!」
「その辺にしとけ。これ以上やっても勝てねえのは、アンタらもわかってんだろ?」
今の家綱にはかなわないと本能的に悟ったのか、リジェクターもニット帽も、立ち上がりはしたものの家綱へ襲いかかろうとはしなかった。
勝負はあった。そう、ボクが判断した時だった。
「御門降矢」
ボソリと。まるで呟くように家綱がそう言うと、リジェクターは表情を一変させた。
「数年前、ワニ種の亜人殺人鬼による一家惨殺事件があった。その後その亜人……イヴィンは逮捕され、事件は幕を閉じたが、その事件唯一の生き残りである少年、御門降矢は事件の直後姿を消していた……」
淡々と語る家綱に視線を固定し、リジェクターは何も言わずにただ家綱を見つめていた。
「由乃がしっかり調べておいてくれたぜ……。リジェクター……いや、御門降矢、アンタのことをな」
そう言って家綱が指差したのは、リジェクター――否、御門降矢だった。
「確かに家族を目の前で惨殺されちゃあ、亜人に恨みを持つのもわからねえでもねえ。でもな、亜人全員が殺人鬼ってわけじゃねえのは、お前だってホントはわかってんだろ?」
リジェクターは肯定も否定もせず、ただ黙ったまま家綱の方を見ていた。
まるで親に怒られている子供のような……そんな表情を浮かべて。
ボクは爆弾の位置を割り出した後、過去の亜人が犯人として関わっている事件を調べていた。リジェクターが何故、こんなことをし始めたのか。過去に亜人との間で何があってそうなってしまったのか……どうしても気になってしまったから。
そして辿り着いたのが、イヴィンという亜人の起こした一家惨殺事件。一人の人間が亜人に対して異常なまでの怒りを抱いてもおかしくないような事件は、それだけだった。だからこそ、失踪したその事件の生き残りである御門降矢=リジェクターという方程式が成り立ったんだ。
「もしかして君は……誰かに止めてほしかったんじゃないかな?」
ボクが口を開くと、リジェクターはすぐにボクの方へ目を向けた。
「違う! 誰にも止めさせはしない! 僕は亜人ごとこの町を――」
「じゃあ、なんで爆弾の位置を探してみろ、だなんてこと、テレビで放映したの?」
リジェクターの返答を待たず、ボクはそのまま語を継ぐ。
「やろうと思えば君は、誰にも言わずにこっそりと爆弾を仕掛けて、罷波町を亜人ごと爆破出来たハズなんだ。でも君はしなかった……」
「それは……!」
「本当は、自分が間違っていることに気付いてて、それを誰かに止めてほしかったんじゃないかな。君は、本当は町を爆破したいだなんて思ってない。君は……こんな風に止めてほしかったんだ」
ボクの言葉に、リジェクターは首を縦にも横にも振らなかった。
「僕は……僕は……」
自分でも自分がよくわからない。そんな表情を浮かべたまま、リジェクターは……御門降矢はその場へ立ち尽くした。
あの後も、しばらくリジェクターとニット帽は抵抗したけど、結局家綱の手によって押さえられ、警察へと引き渡された。リジェクターの能力で手錠を抜けられないか心配したけど、そこは流石警察、といったところで、手錠には超能力対策がしかけられていた。
像の中へ設置されていた爆弾は、無事に取り出され、何とか解除されるに至った。解除された後の爆弾は、しかるべき場所に送られたらしい。
リーダーを失ったRejectioNはすぐに解体され、そのメンバーの内実に八割近くが警察によって逮捕された。
爆弾は解除され、RejectioNは解体された。
そう、この町、罷波町は、しがない私立探偵七重家綱によって見事に救われたのだ。
町を救った英雄である家綱は、一躍有名になり、様々なメディアで取り上げられた。やれ天才探偵だの現代に蘇ったシャーロックホームズだの、基本駄目人間な家綱にはおよそ似つかわしくない言葉と共に、雑誌やテレビで紹介されていた。そういう風に持ち上げられると、いつもの家綱なら調子に乗るハズなんだけど……何故か家綱は、取材にも適当に対応し、おちゃらけたり調子に乗ったりなどは全くしなかった。
爆弾事件から数日。依頼もかなり増え始めてさあこれからだ! とボクが意気込み始めた時――
七重家綱は、七重探偵事務所から忽然と姿を消した。
開け放った窓から、事務所の中に春の心地良い風が吹き込んでくる。その風に長い黒髪を舞わせつつ、その暖かさの中に私は春を感じ取った。
デスクの上には整然と整理された書類。余分なものは一切置かず、完全に業務用として使われているそのデスクには、まだ少しだけ懐かしい匂いが残っている。春風にその匂いがさらわれないかなどと、他愛のない心配をし、私は微笑した。
「もう、一年近く経っちゃったんだ……」
そんなことを呟きつつ、私は懐かしい思い出の中に思考を埋めた――そんな時だった。
トントンと。事務所のドアを叩く音がする。すぐに私はドアに向かってどうぞ、と声をかけた。
ドアを開けて中に入ってきたのは、ショートカットの中年女性だった。私は開け放っていた窓を閉めた後、彼女に微笑みかけ、ソファへ座るように促した。
彼女がソファへ座ったのを確認すると、私も正面のソファへ座った。
「初めまして。七重探偵事務所の探偵――――和登由乃です」
もう、あれから一年近く経っている。
第一部 完