FILE23「御門降矢 上」
震えを抑えるかのように、少年は――リジェクターはギュッと拳を握り締めた。その握り締めた拳もまた、微かではあるが震えていることに、少年は気付かない。
もうすぐだ。そう小さく呟いて、リジェクターは笑みを浮かべた。
「……怖いのか?」
震えているリジェクターの拳を一瞥し、ニット帽の男、三倉二人がそう問うたが、リジェクターはまさか、と鼻を鳴らしながら答えた。
もうすぐだ。
もうすぐ、会いにいけるからね――――皆。
胸の内でそっと呟き、リジェクターは息を吐いた。
事務所の外に出ると、外の道路は大量の車で埋め尽くされていた。前代未聞の大規模交通渋滞……その原因は、RejectioNによって仕掛けれた爆弾だった。
「おいッ! 早くしろォォ!」
鳴り響くクラクションと怒声の中、ボクはただ立ち尽くしたままその光景を見ていた。
この町の人達の大半が、この町から逃げ出そうとしている。爆弾の被害に巻き込まれないよう、遠くへ……遠くへ。渋滞になっているのはこの場所だけじゃなく、恐らく罷波町の道路全体が大渋滞になっているハズだ。
恐らく駅の方も、人で溢れ返っているハズ。狂騒状態に陥った彼らは、ただひたすらに自己を守り抜くために逃亡という道を選んでいるのだろうか……。
――――さあ、既にゲームはスタートしています。皆さん、頑張って下さいね。
テレビ画面に映る、リジェクターの笑顔がボクの脳裏をふと過った。
「ボクの……ボクらのせいだ……」
刺激を与えることで、大規模な爆発を起こす危険物質――ボボン。ボクと家綱がいながら、ボボンはリジェクションによってまんまと盗まれてしまった。そして彼らはボクと家綱の予想通り、この町を亜人ごと吹き飛ばすために、ボボンを利用して造った爆弾をこの町のどこかにしかけた。
チラリと腕時計へ視線を向け、ボクはゴクリと生唾を飲み下す。
タイムリミットは、後九時間三十二分。
車の群れをバックに何かを解説するリポーターが映っているテレビ画面の右端には、赤い文字で爆弾が爆発するまでの残り時間が表示されている。その赤い文字をジッと見つめつつ、家綱は何かを考え込むような表情のまま黙り込んでいた。
「どうするんだよ家綱! このままじゃこの町は……!」
焦るボクとは対照的に、家綱は難しい顔をしてはいるものの、どこか落ち着いているように見えた。
家綱は、何も答えない。微動だにせず、ただ黙考を続けている。
「何でそんなに落ち着いてられるんだよ! 家綱……ねえ家綱ってば!」
ボクの語気が荒くなるのと、家綱が勢いよくデスクを叩きつつ立ち上がったのはほとんど同時だった。
「ご、ごめん……」
思わず反射的に謝ってしまったボクに、家綱はチラリと視線を向けると、任せた、とだけ呟くように言った。
「任せたって……何を……?」
「ちょっと野暮用が出来てな……。リジェクターがしかけた爆弾の位置の特定、お前に任せるぞ」
「え、ちょ――」
その言葉に、ボクは驚愕の声を上げた。
「野暮用って……こんな時に……!?」
「『こんな時』だからこそだ。任せたぜ、由乃」
小さく笑みを浮かべると、家綱はデスクを離れると、ソファの上にゴロリと寝転がった。
一瞬どういうことなのか訳がわからず、ボクは家綱を見つめたまま数秒間硬直し――――すぐに表情を一変させた。
「まさか家綱……野暮用ってそれじゃないよね……?」
仰向けに転がり、目を閉じている家綱は何も答えない。
「おーい、家綱ー」
返事の代わりに、寝息が聞こえた。
「し、信じられない……この非常時に……」
表情がひきつっているのが、自分でもわかる。わなわなと震える拳を、呑気に眠っている家綱の安らかな寝顔に叩き込みたいのを必死でおさえつつ、ボクは家綱を睨みつけた。
「そんな無茶苦茶な……」
爆弾の位置の特定をボクに任せ、自分は呑気にお昼寝……何ともまあ、大層な身分ですね探偵さん。
「やっぱ殴ってでも起こすか……」
衝動のままに拳を振り上げたけど、ボクはその拳を家綱に振り下ろすのをすぐにやめた。
――――任せたぜ、由乃。
確かに家綱はだらしないし、アホだし、めんどくさがりだけど、ここぞという時にまで駄目っぷりを発揮するような奴じゃない。それは今まで一緒にいたボクが一番よくわかっていることだ。
今はどういうことなのかわからないけど、きっと家綱は何か考えがあってこうしているハズだ。
ボクは、ボクに出来ることを――ボクに任されたことをやろう。
自分を納得させるかのように一人頷き、ボクは家綱から視線を逸らした。
真っ白な空間だった。
上下左右余すことなく、果てのない白で埋め尽くされた空間の中に、家綱は立ち尽くしていた。壁も天井も床もないその空間で、家綱はソフト帽越しに頭をポリポリとかいた。
「やってみるもんだな……」
呟き、薄らと家綱は笑みを浮かべた。
「こうして会うのは初めてね。でも初めましては……適切じゃないと思うわ」
突然背後から聞こえる、凛とした女性の声に、家綱は少しだけ肩をびくつかせたが、すぐに納得したような表情を浮かべて振り返る。
「……だな」
巫女装束を身にまとう、長い黒髪のその女性は、家綱の顔を見るとどこか複雑そうな表情を見せた。
「如何にもだらしなさそうな……駄目人間の典型とも呼べる男が『私』だなんて、ちょっと考えただけでも怖気が走るわ……」
「おいおい、『自分』に対して酷ぇ言い草だな……え? 纏よぉ」
女性の――纏の言葉を軽く受け流しつつ、家綱は小さく溜息を吐いた。
「ソウデスヨ纏サーン、家綱サン、トテモ良イ人デース」
いつの間にか纏の隣に現れていた金髪の青年は、カタコトの日本語でそんなことを言いつつ、家綱に対して柔和な笑みを浮かべた。
「近寄らないでくれるかしら……男に用はないのよ、男には」
青年――アントンに対して険悪な表情を向け、纏は拒絶するようにアントンへ両手の平を突き出した。それに対してアントンは、やや残念そうな顔を見せた後、肩をすくめて見せた。
「駄目よ纏ちゃん、女の子だけじゃなくて、色んな人と仲良くしないと……」
後ろから聞こえる、諭すようなその声に対して、纏は嫌よ、とだけぶっきらぼうに答えた。
「あら、家綱君おはよー」
ニッコリと満面の笑みを浮かべ、左目を覆い隠す程に長い茶髪の前髪を揺らしつつ、女性――葛葉は家綱へ右手を大きく振った。
「やれやれ……こんな所に呼び出して、何の用なのかな」
突如現れると同時に、馴れ馴れしい手つきで纏の肩に右手を置きつつ、まるで纏が自分の彼女であるかのように寄り添い、その青年――晴義は溜息を吐いた。
「触らないでくれるかしら」
「どうして?」
「馬鹿が感染するわ」
「その前に、僕はどうやら恋という名のウィルスに感染しちゃったみたいだよ。もう君なしじゃ、生きられないかも」
「そう、じゃあ死ねば良いじゃない」
「つれないね」
「いい加減にしてくれるかしら」
纏から放たれる怒気に気が付いたのか、晴義はおっと、とおどけた様子で纏から離れると、クスリと笑みをこぼした。
「全くですわ。私をこんな場所に呼び出したりして……! 理由次第では、タダじゃおきませんわよ」
青い豪奢なドレスから広がる、フリルで装飾されたスカートを揺らしつつ、金髪縦ロールの少女――ロザリーは、纏の隣でフンと鼻を鳴らした。
「それで、何の用なのかしら?」
そう問うてきた纏に、家綱はああ、と答えると、そのまま言葉を続けた。
「頼みがある」
「頼み? 何ですの?」
キョトンとした表情でそう言ったロザリーを見、かわいいと呟いた纏がロザリーへ熱い視線を送っていたが、それについてはとりあえず放っておくことにし、家綱は話を続けることにした。
「家綱サンノ頼ミナラ何デモ聞キマース! ドントキテクダサイ家綱サーン!」
自分の右胸を右拳で叩きつつ、アントンは家綱へニコリと微笑んだ。
「俺に……俺に力を貸してくれ」
そう言って、家綱は地面へ膝を付き、正座をする形になると、ソフト帽をそっと脱いでその場へ置いた。
「今の俺の力じゃ、この町は救えねえ。仮に爆弾を見つけられた所で、今の俺じゃアイツにはかなわねえ……」
圧倒的敗北。
あの男……ニット帽をかぶったあの男は、恐らく猿無よりも強い。今の家綱では恐らく確実に敗北するだろうと、家綱本人ですら確信してしまう程に、あの男は強かった。
例え爆弾を見つけ出すことが出来ても、あの男とリジェクターとの戦闘になれば確実に敗北する。そして爆弾は取り返され、再び罷波町は消滅の危機に晒されるであろうことは、容易に想像することが出来た。
「頼む」
そっと。地面に両手を付き、家綱は頭を下げた。
「俺に、お前らの力を貸してくれ」
静寂が、世界を包み込んだ。
音の消えたその世界の中、家綱はただ頭を下げたまま目を閉じていた。
「らしくないねぇ。君が僕達に、そんな風に何かを頼むなんて……。今まで散々、君の都合で抑え込んだり急に呼び出したりして、好きなように僕達の力を使ってたってのに、今更改まってさ……」
どこか刺のある晴義のその言葉に、家綱は反論することが出来なかった。
「ま、良いけどね。僕は別に構わないよ。その代わり、今度由乃ちゃんとデート、させてよね」
「ああ……ありがとう」
心の内で由乃に謝罪しつつ、家綱は顔を上げてそう答えた。
「あらあら、晴義君は男の子ともデートするの?」
クスクスと笑いつつそう言った葛葉へ、晴義はキョトンとした表情を向けた。
「葛葉さん……由乃ちゃんは女の子ですよ……」
「えっ」
どうやら今の今まで由乃のことを男だと勘違いしていたらしく、晴義の言葉に葛葉は目を丸くして驚いた。
「そうだったの……由乃君って、ホントは由乃ちゃんだったのね……。お腹空いたわ……」
最後に一言だけ関係のないことを呟いて、葛葉は納得したようにうんうんと頷いた後、あっと声を上げて家綱の方へ顔を向けた。
「私はいつでも力を貸すわ。家綱君、頑張ってね!」
満面の笑みで親指を突き立て、サムズアップをして見せる葛葉へ、家綱は静かに謝礼の言葉を告げた。
「家綱サン、水臭イデス」
やや不満そうな顔を見せ、アントンはそう言うと嘆息した。
「力ナライツデモ貸シマース! ワタシト家綱サンノ仲ジャナイデスカー!」
家綱へ歩み寄り、柔らかな笑みを浮かべて家綱の肩をポンポンと叩くアントンへ、家綱がサンキュ、と告げると、アントンは「You’re welcome.」と流暢な英語で答えた。
「仕方がありませんわね……。貴方がそこまで仰るなら、私の力……貸して差し上げてもよろしくってよ」
どこからか豪奢な扇子を取り出して開き、自身を仰ぎながら、ロザリーは高飛車な態度でそう言った。
「ああ、頼む。ありがとな」
ロザリーへそう言うと、家綱は静かに纏の方へ顔を向けた。
「私は別に構わないわ。でも、『私達』の力だけで勝てる相手なのかしら?」
「いや、無理だな。『俺達』だけじゃ無理だ」
後、一人。
静かに呟いた家綱に、纏はコクリと頷いた。
「七人全員じゃねえと、アイツにゃ勝てねえ」
家綱はゆっくりと立ち上がり、後ろを振り向き――
「なあ、セドリック」
そこに立っている赤髪の男へ、そう言った。
町全体を一つの爆弾で一気に消し飛ばすのなら、それに適した位置があるハズ。でもそれは、爆弾の爆発範囲も関係してくる。ボボンによる爆発範囲が、罷波町全域の数倍にも及ぶのならお手上げだ。ボボンをどこに設置しても、罷波町全てを消し飛ばすことは可能だから、特定するのが一気に難しくなる。爆弾の位置を特定するなら、まずはあの、盗まれたボボンの爆発範囲を調べないといけない。
ソファで眠っている家綱の代わりに、家綱のデスクに座り込んでそこまで考えた後、ボクは電話機へ歩み寄り、そっと受話器を取った。
ボボンの爆発範囲を予測出来るとすれば、それは兼ヶ原さん関係の人だけだ。
兼ヶ原さん宅の電話番号をボタンで入力し、ボクは静かに、兼ヶ原家の誰かが電話に出るのを待った。




