FILE22「兼ヶ原良美 下」
ニット君こと三倉二人とリジェクターの邂逅は全くの偶然であり、それが偶然であるということは、リジェクションと呼ばれる反亜人派組織の誕生もまた、偶然であると言える。
三倉二人は、こと物を盗むという一点においては他の誰にも追随を許さぬ程に卓越した能力を持っていた。そんな彼が真っ当に生きることよりも、「泥棒」という道に手を染めたのは最早必然とさえ言えた。
しかし三倉二人が泥棒へ手を染めた最も大きな理由は「退屈しのぎ」だった。
ただ同じ日々だけを繰り返す平凡な日常の中に、彼は生きる糧となる何かを見つけ出すことが出来なかった。日常の中にないのなら、非日常の中から探すしかない。犯罪は――泥棒は、彼にとっては立派な非日常。彼の類稀なる能力もあいまって、泥棒という行為は、まるであつらえたかのように、三倉二人にとって至上のものとなった。
しかしそのスリルに満ちた退屈のない非日常も、彼にとって日常と化してしまえば退屈と同義。飽きがくるのは当然と言えた。
そんな中彼が出会ったのが、現在リジェクターを名乗る、リジェクションのリーダー……排除者だった。
彼の外出中、彼の家の窓を破壊して中へ侵入していたその少年は、冷蔵庫の中にあった食べ物を一心不乱に貪っていた。
盗む側だった三倉二人の所持品が、その時初めて他者によって盗まれた。それは、盗むことが日常化していた彼にとっては、とびっきりの非日常。
そしてその化学反応は、やがて化学物質を生み出す。
三倉には、亜人に対する恨みなどない。関心すらない。そんな彼が反亜人派組織に身を置くのは、一重に退屈しのぎのためだけだった。
どうせならいっそのこと、退屈をしのげている内に、この退屈な世の中からおさらばするのも悪くない。この町ごと華々しく消えるのなら。
タウンフィナーレ。
哀れな罷波町に、華々しい終末を。
終末に必要な材料、残るは「ボボン」のみ。
兼ヶ原鉱物博物館。小規模な博物館ではあるものの、そこに展示されている鉱物は非常に貴重なものばかり……らしいんだけど、ボク達が博物館に着いた時には、既に展示されていた鉱物は全て撤去されていた。
そしてがらんどうになってしまった博物館のメインホールの中心には、例の展示品――ボボンが展示されていた。
あまり大きくはなく、ソフトボール一球分くらいの大きさのソレは、四角いガラスケースの中で、光を反射させて透き通った輝きを見せていた。とは言っても、輝いているのはボボンがはみ出ている部分だけで、見えるのはほとんどボボンと一緒に切り出されたただの岩だった。
「へぇ……結構綺麗だね……」
ガラスケースの周りに張られたロープギリギリまで近づき、ボボンを眺めつつボクは隣にいる家綱にそう言った――つもりなんだけど、家綱は何故か何も答えないまま考え込むような表情を見せていた。
「……どうかしたの?」
「いや、何でもねえ……」
ソフト帽をかぶり直しつつ、家綱は呟くようにそう答えると、ボボンへと視線を向けた。
どうも、家綱の様子がおかしい。博物館へ行く前に「ちょっと外の風に当たってくる」などと急に言い出した辺りから、家綱はずっとこんな調子だった。何かずっと考え事をしているような……そんな様子。これは推測なんだけど、家綱がもし考え事をしているのなら、多分それは今回の事件のことじゃない気がする。
でも、だとしたら一体何を……?
「よくぞいらして下さいました探偵殿!」
不意に背後から聞こえた声に、ボクと家綱が同時に振り向くと、そこにいたのは太った中年男性――兼ヶ原啄丸だった。禿げ上がった頭と、贅肉のせいで少しキツそうな高級スーツの啄丸さんは、ボク達の方へにこやかな笑みを浮かべた。
「どうですか? 私が発見したボボンは!」
啄丸さんは「私が」の部分を妙に強調しつつそういうと、得意げな笑みを浮かべる。
「えっと……綺麗、ですね……」
「そうでしょうそうでしょう! 流石名探偵の助手! 見る目がありますなぁ!」
啄丸さんの媚び媚びな態度に顔をしかめつつ、ボクは隣の家綱に視線を向けた。アイツのことだから「名探偵の」って部分に浮かれてドヤ顔になってるハズ――――なんだけど、家綱はドヤ顔はおろか笑みすら浮かべていなかった。
「兼ヶ原さん、警察の方は?」
「警察ですか? ああ、そろそろ中に入ってもらおうと思ってます」
「そろそろ……? じゃあ、俺達がくるまでここには誰もいなかったってことですか?」
顔をしかめつつそう問うた家綱に、啄丸さんははい、と平然とした様子で頷いた。
「そんな無防備な……」
呆れ顔で溜息を吐いたボクにつられ、家綱も隣で小さく嘆息する。
「心配ありませんよ。この博物館には、至る所に監視カメラがしかけられております。例え超能力者であっても、全ての監視カメラに映らずに侵入することは不可能ですし、仮に超能力者が侵入しても――」
言いかけ、啄丸さんは真剣な眼差しで家綱を見据えた後、ニコリと微笑んだ。
「貴方達がいます」
「まあ……な」
照れ臭そうにソフト帽をかぶり直す家綱の横で、ボクも何だか照れてしまって啄丸さんから目をそむけてしまった。
依頼人(直接のではないけど)からこんな風に信頼されている、っていうのは何だかくすぐったい。信頼されてるんだなって感じることはあっても、こうやってストレートに言葉にされる機会はあまりないから……。
「監視カメラに警察、そして貴方達……この警備体制なら、ボボンが盗まれることはないでしょう」
自信に満ちた表情で、啄丸さんはそう言った。
時刻は午後十一時五十八分。ボボンの周囲には、ボクと家綱を含め、十人の人間が張り付いていた。
八人の警察官とボク達に囲まれながら、ボボンは変わらず透き通った輝きを放ち続けている。
零時まで、後二分――なんだけど、どうにも緊張感がない。
「ちょっとお腹空いちゃったな……」
腕時計と睨めっこするのも、ボボンを眺め続けるのにも飽きてきたし、何よりお腹が空いてきた。一応博物館へ向かう前に適当に食事はすませておいたけど、どうにも物足りない。もしかするとこのまま朝まで警備しっ放し……って可能性もあり得る。
まあ、朝まで警備しっ放しってことはリジェクションの人間がボボンを盗みにこなかったってことだから、その方が良いと言えば良いんだけど。
とりあえず空腹だけでもどうにかしておこうと、ポケットに忍ばせておいたカロリーメイト(チーズ味)をおいしくいただくことにする。
静かだった博物館内に、ボクの咀嚼音が鳴り響く。
「食べる?」
ロングコート姿で、ソフト帽を目深にかぶっているアイツにカロリーメイトを一本差し出したけど、食べようとはしなかった。
いやぁそれにしても、おいしいなチーズ味。
そんな呑気なことを考えつつ、口の周りについたカロリーメイトの欠片を拭った……その時だった。
「……あれ?」
いつの間にか、ボボンの周りを張っていた警官達が倒れ伏していた。
辺りを見回しても、侵入者らしき人物は見当たらない。
既に零時を過ぎていることに気が付いたのは、嫌な汗が額を流れた後だった。
鼓動が徐々に高まっていくのがわかる。
見えない敵なのか、それとも巧妙に姿を隠しているだけなのか。そもそも、監視カメラに映っているんだから、警官達がここに集まってくるハズなのに……。
腕から聞こえる時を刻む音。
静寂と緊迫で圧死しかねない感覚。
ゴクリと生唾を飲み込んだ音が、静寂のオーケストラに新たな音を加えた――その瞬間だった。
「由乃っ!」
不意に聞こえた「甲高い」声に、ボクは咄嗟に後ろを振り向いた。
「――ッ」
背後にいたのは、仮面をつけた男だった。
どういうわけか、仮面とは不釣合いなニット帽をかぶったその男はボクから少しだけ距離を取る。
「ありがと、ロザリー」
ボクがそう言ったのとほぼ同時にアイツは――ロザリーはソフト帽を脱ぎ捨てた。
「私の勘に、間違いはありませんの」
金髪縦ロールを揺らしつつ、ロザリーは得意げに笑みを浮かべた後、すぐにポケットからクロスチェンジャーを取り出し、ボタンを操作する。
「な――!」
仮面の男が何かを言い切るよりも、眩い光がロザリーを包み込む方が早かった。
ボクと男の視界を奪っていた光が収まる頃には、既にそこにはロザリーはおらず、そこにいたのはミステリアスな雰囲気を醸し出す女性……葛葉さんだった。
いつもの緩い表情からは想像もつかない程真剣な表情を浮かべた葛葉さんは、男へ視線を向けるなりすぐにポケットへ右手を突っ込んで硬貨を親指へ乗せると、得意の投げ銭で男の仮面へ硬貨を射出。射出された硬貨はいつもの十円玉ではなく――それよりも一回り大きくて重い、五百円玉だった。
「Bボタン連打でお願いします」
いや、意味わかんないし。
葛葉さんはわけのわからないことを呟くと、今度は左手で五百円玉を射出。続けざまに今度は右手、左手、右手、左手と、葛葉さんは交互に五百円玉を男の仮面目掛けて射出していく。
伸びていく二つの金色の光は、仮面へと収束していく。
ピシリ。そう音が聞こえた頃には、既に葛葉さんは投げ銭をやめていた。
「なるほど……な」
男が呟いたのと、男のはめていた仮面が壊れ、音を立てて五百円玉と共に床へ落ちていったのはほぼ同時だった。
「今だっ!」
すぐにボクはポケットから小型のデジタルカメラを取り出すと、男の写真をボタン一つで素早く撮影した。
「家綱の予想通りだったね……やっぱり顔を隠してた」
「とすると、俺の顔写真を撮るまでのお前達の動きは、全て計画通り、ということか」
大して焦っている様子もなく、男はそう呟くとニット帽の上から頭をポリポリとかいた。
――――予告状まで出してくるっつーことは、そいつには「必ず盗める」って確信があるハズだ。それは同時に、「絶対に見つからない」って確信でもある。だったらどうやってそいつを見つけ出すか……なに、俺達にとっちゃ簡単な話だ。うちには高性能天然直感レーダーがいるだろ?
ボボンを盗み出すには、博物館の中に入らなくちゃいけない。だから家綱はロザリーに交代して、彼女の「外れない勘」に頼ったんだ。ロザリーがロングコートとソフト帽で姿を隠していたのは、ロザリーの能力と存在を、リジェクション側に知られている可能性があったから。
ボクが零時前、呑気にカロリーメイトを食べようだなんて思えたのは、犯人がこの場に現れれば、ロザリーがすぐに気が付く、という信頼があったからだ。実際にロザリーが気付いたのは、現れてすぐじゃなくて、ボクの背後にまで犯人が迫った後だったけど。
家綱は、犯人が顔を隠していることも予想していた。予告状を出してくる怪盗が仮面じゃないハズがない、という家綱の無茶苦茶な理屈で、葛葉さんの五百円玉連打が考案されたわけだけど、仮面じゃなかった時はそれで相手の顔面をボコボコにして決着をつけるつもりだったらしい。想像しただけでちょっと怖いけど……。
葛葉さんのポケットから出てきた大量の五百円玉の出所がどこなのかについては、後で家綱にしっかり言及させてもらう。
ちなみにボクの持っているデジタルカメラは、兼ヶ原さんから借りたもので、犯人の顔写真を撮って、逃げられた時の手がかりにするためのものだ。
「でも、どうやってここまで……? 監視カメラに映れば、警報が鳴らされるハズなのに……!」
「警報ならちゃんと鳴っていたぞ。お前達が気付かなかっただけだ」
「え……!?」
そんなハズはない。警報なんて一度も鳴っていなかった。
「まあ、音は消させてもらったけどな」
男の言葉に、ボクと葛葉さんはほぼ同時に表情を変えた。
「超能力者……!」
「ああ。それもレベルAのな」
平坦な口調でそう言うと、男はボボンの収められているガラスケースに近寄ると、ガラスケースへ振り下ろさんと右腕を振り上げた。
「指定した音を一時的に消す能力……時間制限はあるが……。こんな風に……」
グッと握り締めている右拳を、男はガラスケース目掛けて勢いよく振り下ろす。ガラスの破壊される音を連想し、思わずボクは両耳に手を当てた――けど、何も聞こえてこなかった。
しかし確かに、ガラスケースは破壊されており、剥き出しになったボボンが、先程までよりもいっそう美しく光を反射させていた。
「ちなみに警報は既に切ってある。監視カメラもな。どうやって部屋に入ったかは……もう説明するまでもないだろう?」
そう言いつつ、ボボンへ手を伸ばす男の右手へ、素早く十円玉がぶち込まれた。
「――ッ」
苦痛に少しだけ表情を歪めつつ、男が右手を引くのと、葛葉さんがクロスチェンジャーを操作しながら男目掛けて走り出したのはほぼ同時だった。
瞬間、葛葉さんは光を放ち、男の元へ辿り着く頃には、光は収まり、ソフト帽にスーツ姿の七重家綱の姿となっていた。
「探偵……」
男はそう呟くと同時に、顔面目掛けて突き出された家綱の右拳を後退しつつ回避するが、次の瞬間には、家綱の右足が弧を描いていた。
「何……!」
しかし、男は表情一つ変えようともせず、家綱の鋭い右回し蹴りを片手で受け、その上その足を掴んでいたのだ。
家綱は強引に足を引っ込めると、その勢いのまま腰を回転させ、右拳を引き――男の腹部目掛けて正拳を放つ。
「遅い」
仮面と見紛う程の無表情。
男は、腹部へ家綱の拳が直撃する寸前で、家綱の右腕を掴んでいたのだ。
「嘘……だろ……ッ」
「猿無にすら勝てないお前に、俺の相手がつとまると思ったか?」
そう言うやいなや、男は家綱の右腕を思い切り引き、右腕ごと家綱を引き寄せると――
「寝てろ」
トンと。家綱の首筋へ手刀を一撃。
瞬間、家綱の身体はそのままドサリと崩れた。
「いえつ――」
ボクが言い切るよりも先に、男はボクへ素早く接近し――――
そこでボクの意識は、プッツリと途切れた。
ボク達が次に目を覚ました時には、既に全てが終わっていた。
ボボンは盗まれ、犯人は逃走。当然の如くボクが持っていたデジタルカメラは破壊されていた。
ボクも家綱もリジェクションに敗北を喫し、その上――依頼にも、失敗したんだ。
重たい沈黙が、事務所の中に訪れていた。
依頼の失敗。リジェクションへの敗北。そして、リジェクションがボボンを利用して、いつ罷波町を丸ごと消し飛ばすのかわからないという不安……いくつかの要素が絡まり合い、それによってボク達の口ががんじがらめにされているかの如く、ボクも家綱も口を開こうとはしなかった。
盗まれたボボンを取り返しに行こうにも、あの男が……リジェクションがどこに潜伏しているのかすらわからない。それに、もし仮にあの男とボボンを見つけられたとして……
ボク達は、アイツに勝てない。
不安は、足枷となってボクらを縛り付けていた。
それでも沈黙に耐え切れず、ボクは意味もなくテレビのリモコンを操作し、オンボロテレビの電源を入れた。
相変わらず映像はぶれるし、ノイズは混じっているけど、重い沈黙の中にいるよりは、ずっとマシな風に思えた。
家綱はしばらく何も言わずにテレビを眺めていたけど、テレビがプツンという音を発したと同時に、目の色を変えてテレビを凝視し始めた。
「え……?」
『皆さんおはようございます。お元気ですか? RejectioNのリーダー、リジェクターです』
テレビの中でニコリと微笑んだのは、亜人街でギリアルを殺したあの少年だった。
「嘘……何で……?」
何度かリモコンを操作したけど、チャンネルが切り替わることはなかった。
「ジャックされてやがる……」
家綱がそう呟くのと同時に、画面の右端に「残り九時間五十九分」と表示された。
『画面の右端が見えますか? そこに表示されているのは、皆さんの住む町……この罷波町の寿命です』
勢いよくデスクを叩くと同時に、家綱は画面へ身を乗り出した。
「まさか……ッ!」
『罷波町の皆さん。これから僕とゲームをしませんか? ルールは簡単です。この町のどこかに僕が隠した爆弾を、右端に表示されている制限時間内に皆さんが見つけ出すことが出来れば皆さんの勝ち。見つけ出せなければ僕の勝ち……簡単でしょう?』
あどけない笑顔を浮かべつつ、少年は……リジェクターは言葉を続けた。
『僕が勝てば、仕掛けた爆弾は大爆発……罷波町は皆さんごと消し飛びます。皆さんが勝てば、爆弾についている解除スイッチで、見事に町は救われます……』
ギシリと。家綱が歯軋りをする音がした。
『さあ、既にゲームはスタートしています。皆さん、頑張って下さいね』
リジェクターのその一言と同時に、ブツンと音を立ててテレビの画面は真っ暗になった。




