FILE21「兼ヶ原良美 上」
「ねえ、そろそろアレって完成したんじゃない?」
不意に、少年はソファの上に寝転がっている、ニット帽をかぶった男へ問いかけた。
テレビの前に座り込み、コントローラーをガチャガチャと操作しながらテレビゲームをしながらそんなことを問う少年に、男は軽く視線を向けると、難しい、とだけ答えた。
「難しい?」
コントローラーを操作し、ゲームを休止状態にすると、少年は訝しげな表情で男へ目を向けた。
「ああ。お前の希望通り町一つ吹き飛ばすとなると、どうしても火力が足りなくなる。核でも用意するならまた別だが、とりあえず現状ではお前の期待に添うものは造れそうにない」
それに。と付け足し、男はそのまま言葉を続けた。
「町一つ爆破するとして……俺達はどうする? 町ごと吹き飛ぶのか?」
ややおどけた調子で男がそう問うと、少年は男の予想に反してそうだよ、と平然とした表情で答えた。
「良いじゃない、別に。亜人を消すためならどうなっても良い、そういう人間だけ集めたハズだよね、僕は。死ぬ覚悟があるのかどうか、僕ちゃんと聞いたよね?」
男は記憶を反芻した後、確かにそうだ、と呆れ気味の様子で頷いた。
「でもニット君はちょっと違うよね……どうする? 逃げる?」
少年のその問いに、ニット君と呼ばれたその男は首を左右に振って見せた。
「別に。ここまでやってきたんだ、最後まで付き合うさ」
――――それに、死ぬなら死ぬで良いさ。
どこか投げやりな様子で、内心そんなことを呟き、ニット君は嘆息した。
「あ、そうだ」
何かを思いついたかのように両手を胸の前でパンと叩くと、少年はテレビから離れ、傍にある机の上から新聞紙を取り、記事を確認して微笑すると、ニット君へその記事を見せた。
「……ん?」
「兼ヶ原って人が、新種の鉱物の結晶を発見したんだってさ。明後日から博物館で展示するらしいよ」
「……それがどうかしたのか?」
「その鉱物がさ、すごいんだよ」
学校での出来事を母親に話すかのような様子で、少年は笑みを浮かべた後、言葉を続けた。
「『超』がつく程強力な爆発物質なんだってさ!」
少年の言葉に、ニット君は一瞬驚いた表情を見せたが、やがてすぐに呆れ顔で溜息を吐いた。
「そんな危険物を展示するわけがないだろ。大体、もしそうだとして、何でお前がそれを――」
「リジェクションのメンバーの一人が、兼ヶ原家の人間でさ、そいつから聞いたんだよ」
なるほどな、と呟くニット君に、少年は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「んでそれを――――」
「盗め、か?」
「察しが良いね」
少年より先に言葉の続きを口にしたニット君へ、少年はそう言って笑みをこぼした。
「出来るでしょ、ニット君なら。盗んできてよ……予告状付きで」
「……何故予告状が必要なんだ?」
「その方がかっこいいじゃん。怪盗っぽくて」
そんなことを言って、悪戯っぽく笑みを浮かべる少年に、ニット君は苦笑することしか出来なかった。
夕暮れの七重探偵事務所で、ボクと家綱はそれぞれのデスクで、特に何もすることがなくて、ボンヤリとテレビを眺めていた。
相変わらずノイズ混じりな上に、ちょこちょこ映像が途切れるこのオンボロテレビだけど、この事務所にある文明の利器は電話とこれ程度なせいで、こんなオンボロでも重宝せざるを得ない。節約したり、貯金するなりしてお金を浮かせて色々買えれば良いんだけど、そうやって浮かせたお金は、家綱が競馬やらパチンコやらで浪費してしまうせいで、どうにも買うに至れない。その度に家綱にきつく言ってるつもりなんだけど、どうやら少しも身にしみてないらしく、家綱のポケットからはよく当たらなかった馬券が発見される。
「亜人議員か……」
テレビに映る、スーツに身を包んだ犬耳犬尻尾の男性を眺めつつ、ボクは呟いた。
亜人の参政権は、亜人法によって随分前から認められており、これまで亜人があまり積極的でなかっただけで、やろうと思えば亜人はすぐにでも政治に関われたんだけど、彼らが人間に対して積極的に干渉するようになったのは、ここ一、二年くらいからの話だ。
「亜人も馴染んだよな……。昔は全然人里におりてこなかったのによ」
「人里にって……熊じゃないんだから」
亜人法が制定された後、しばらくは亜人達は人間達へ積極的に干渉しようとしなかった。それも当然だろう。今まで亜人街で、ひっそりと過ごしていた彼らに、いきなり人間達の世界へ馴染めという方が難しい。それに人間は過去、亜人を一方的に迫害し、その数を激減させた種族だ。今でこそ馴染んではいるものの、亜人達にとって人間は、そう簡単に気を許せる相手ではない、というのはボクじゃなくても、誰にだって想像出来ることだ。
「そういや不思議なモンだよな。今まで水と油みてぇに馴染まなかった人間と亜人が、いつの間にやらここまで馴染んでるってのも」
「亜人がボク達に馴染むようになったのは、共生会の人達が亜人街に頻繁に訪れたりして、人間が亜人とその文化に理解があるってことを、アピールしたおかげらしいよ。最初の内は亜人も冷たかったみたいだけど、段々共生会とは関係ない人達も亜人街に興味を持つようになって、そこから少しずつ仲良くなっていった……って、先生がいってた」
ボクの言葉に、家綱は先生? と首を傾げる。
「ああ、ボクが向こうにいた時の、ね」
ボクが亜人関係の歴史に詳しいのは、和登家にいた頃、家庭教師から散々叩き込まれたせいだ。あの時のことを思い出すと昔は気分が落ち込んでいたけど、今はそうでもない。
「なるほどねぇ……」
感心した様子で家綱がそう呟いたその時、事務所のドアがトントンと叩かれた。
「はい、どうぞー」
ボクがドアの向こうへそう声をかけると、ガチャリとドアが開かれ、事務所の中へ一人の、バッグを持った中年女性が入ってくる。やせ気味の人で、白髪混じりの髪を後ろで一つに縛っている。家綱は彼女の顔を見ると、少し驚いたような表情を見せた。
「兼ヶ原さん……?」
「お久しぶりです、七重さん」
家綱に対してそう言うと、兼ヶ原さんと呼ばれたその女性はニコリと微笑んだ。
「家綱……知り合い?」
ボクがそう問うと、家綱はああ、と頷いた。
「この人は兼ヶ原良美さん。お前が助手になる前に、一度依頼されたことがあってな……」
ペコリと頭を下げる兼ヶ原さんに、ボクは慌ててお辞儀をした。
兼ヶ原……っていうと、もしかすると罷波三大富豪の兼ヶ原さんじゃないだろうか。
この罷波町には、三大富豪(御三家とも言う)と呼ばれる金持ちの家が三つ存在する。一つは、和登。もう一つは、この間依頼を受けた夢野。そして三つ目が兼ヶ原。ちなみに忌野さんもお金持ちではあるけれど、三大富豪に数えられる程ではないらしい。
「それで兼ヶ原さん、今回はどういったご用件で? 依頼ですか?」
そう問うた家綱に、兼ヶ原さんははい、と頷いた。
「夫の発見した超爆発物質……『ボボン』を守ってほしいのです」
兼ヶ原さんの「ボボン」という聞きなれない単語に、ボクも家綱も口をそろえてハァ? と首を傾げた。
兼ヶ原さんを来客用ソファに座らせ、ボクらもいつものように正面のソファに座り、先程ボクがいれたコーヒーを三人で飲みつつ、依頼の話を聞くことにした。
「それで、その『ボボン』とかいうアホな……いや、頭の悪そうな名前のものは何なんですか?」
言いかえた意味ないだろそれ。
「はい、恥ずかしながら非常に頭の悪そうなこの『ボボン』という名前は、私の夫……兼ヶ原啄丸が付けた名前なんです」
自分の夫が付けた名前に、容赦なく「頭の悪そうな」という表現を使う兼ヶ原さん。兼ヶ原さんの夫の啄丸さんがアホ……もとい頭の悪そうな人だってことを、家綱もわかってるし兼ヶ原さん自身も認めてるってことか。
「それで、そのボボンというのは?」
ボクが問うと、兼ヶ原さんはコクリと頷いた後、コーヒーを飲みつつ淡々と経緯を話し始めた。
啄丸さんが経営している金鉱採掘会社で、偶然掘り当てられたのがその「ボボン」だった。見事に結晶化していたそれを、最初は水晶か何かだと思われていたけど、鑑定してみた結果、その物質が未発見のものであることが判明した。そのことに啄丸さんは大喜びで、すぐに名前を付けた後、周りの岩石ごと切り出し、それを罷波町へ持って帰ったんだけど、兼ヶ原家で詳しく調べてみた結果、それが爆発性の物質(それもかなり強力な)であることがわかった。
啄丸さん以外は、すぐにボボンをしかるべき機関へ引き渡すべきだと主張したけど、啄丸さんは――
「博物館に展示するといって聞かない、と」
呆れ切った表情で家綱がそう言うと、兼ヶ原さんも同じく呆れ切った様子ではい、と頷いた。かくいうボクも、呆れてしまってコメントがし辛い。
「豚丸――夫は、どうしてもボボンを自慢したいらしくて……」
「え、兼ヶ原さん今何て……」
「えっ、夫はどうしてもボボンを自慢したいらし――」
「違います違いますその一個前!」
「助手の……由乃さんでしたっけ? 私は豚丸だなんて言ってませんよ」
確信犯だった。
関係ないけど「豚」と「啄」って似てるよね漢字。関係ないうえにすごくどうでも良いけど。
「とにかく、あの豚は、ボボンを展示すると言って聞かないんです」
とうとう兼ヶ原さんは夫のことを豚呼ばわりしていたけど、なんかもういいや。つっこまなくても。
「ちなみに、展示はいつからで?」
「明日からです」
明日から、と聞いてボクはこの間見た新聞の記事をやっとのことで思い出すことが出来た。
正直わりとどうでも良かったので覚えていなかったけど、確かに新聞にもボボンのことはちゃんと載っていた。罷波町にある、兼ヶ原啄丸さんが趣味でやっている鉱物博物館……確かあそこでボボンを展示するって、確かに新聞にも記載されていた。
「確か期間は三日間でしたよね?」
ボクがそう言うと、兼ヶ原さんは静かに頷いた。
「それで依頼の話ですが、『守ってほしい』というのは?」
家綱の言葉に、兼ヶ原さんは表情を険しくすると、持っていたバッグから、一通の便箋を取り出した。白い便箋のソレには、黒い文字で「RejectioN」と書かれていた。
その文字を見た途端、ボクも家綱もすぐに表情を変えた。
「リジェクション……!」
反亜人派団体、リジェクション。もしこの手紙が本当にリジェクションからのものなら、ボクらがリジェクションに関わるのは、これで三度目になる。
「でも、何でリジェクションが……?」
「さあな……。だがまずは中身を確認してからだ……。兼ヶ原さん、開いても良いですか?」
兼ヶ原さんがはい、と答えたのを確認すると、家綱はその便箋を丁寧に開いた。
中に入っている手紙には「今夜零時キッカリに、ボボンを奪いに行く」と書かれていた。どうやら前の、招原さんの時と同じくワープロか何かで書かれているらしく、筆跡から差出人を判定することは出来なさそうだ。
「犯行予告……おちょくってんのか……?」
眉間にしわを寄せ、憎らしそうに手紙を睨む家綱の正面で、兼ヶ原さんは不安げな表情を浮かべていた。
「ボボンは、小さな破片だけでも、大きな刺激を与えればそれなりの爆発を起こすらしいですし、もしあの結晶全てが爆発すれば――町一つ、簡単に消し飛んでもおかしくはありません……。もしそんなものが奪われたりしたら……」
「――――!?」
町一つ、簡単に消し飛んでもおかしくない?
ということは、そのボボンの結晶が爆発したら、この罷波町なんて簡単に消し飛んで……
――――その内こんな町、なくなっちゃうから。
通り魔事件の時出会った少年の言葉が、ボクの脳裏を過った。
もし彼がリジェクションのメンバーだとして、あの時の言葉が「ボボンの爆発」のことをさしているのなら……
「そういうことかよ……!」
家綱もボクと同じことに気が付いたのか、隣でけわしい表情を浮かべていた。
間違いない。
リジェクションは罷波町を丸ごと消し飛ばすために、ボボンを狙っている。
「警察には既に連絡をしてありますが、対策は一つでも多い方が安心出来るんです……。七重さん、依頼、受けてもらえますか?」
不安そうな表情の兼ヶ原さんに、家綱は真剣な顔で深く頷いた。
「わかりました。受けましょう」
ボボンが展示されている博物館は、この事務所から徒歩で十分以内の位置にある。兼ヶ原さんは車で送るといってくれたけど、何だか悪いので、ボクらは歩いて博物館へ向かうことにした。
「家綱ー、そろそろ行くー?」
時計を確認しつつボクは、デスクに座ったまま窓の外を眺めている家綱にそう声をかけたけど、家綱は返事をしなかった。
「家綱?」
何故か家綱は窓の外を眺め――いや、あれは眺めているというよりも、凝視している、といった方が適切な感じだ。片時も目を離さず、ただジッと窓の方へ視線を向けている。
「……どうかしたの?」
近寄ってもう一度声をかけると、そこで家綱は初めて窓から視線を外した。
「いや……何でもない。ちょっと外の風に当たってくる」
「外の風にって……博物館に行きながら好きなだけ当たれば良いじゃない」
ボクの言葉に家綱は返事をせず、ソフト帽をかぶるとすぐに事務所の外へと出て行った。追いかけたかったけど、何だか追いかけ辛くて、ボクは事務所のドアを見つめたままその場へ立ち尽くした。