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七式探偵七重家綱  作者: シクル
第一部
14/38

FILE14「No name 上」

 雨は、降り続いていた。あれからずっと、どういうわけか一度も止むことなく振り続けている。

「……うッ……」

「――家綱っ!」

 ソファでずっと眠っていた家綱が、呻き声と共に身体を起こした。慌ててボクは家綱の傍に駆け寄る。

「家綱! 良かった……家綱!」

 家綱は何のことだ? とでも言わんばかりの訝しげな表情で、ボクへ視線を向けた。


 家綱は、あれからほぼ丸一日眠っていた。



 雄叫びと共にボクへ拳を振り上げたあの男は……どういうわけか、ボクへ拳を振り下ろす前にバタリと倒れた。そして倒れるのとほぼ同時に、男の身体を眩い光が包み、元の家綱の姿へ戻っていった。

 しばらくはわけがわからなくて困惑したけど、とにかく気絶した家綱を運ばなきゃだったから、広井さんに協力してもらって何とか家綱を事務所へ連れて帰り、ソファの上へ寝かせた。そして時々居眠りしつつも、家綱を看病して丸一日、やっとのことで家綱は目を覚ましたのだった。


 目を覚ました家綱は、しばらく訝しげな表情のまま周囲を見回していた。けど、すぐに何かに気付いたかのように目の色を変える。

「アイツは……猿無はッ!?」

 声を荒げてそう言うと、家綱はソファから出ようとする――けど、身体を動かそうとしてすぐに、家綱は痛そうに呻き声を上げた。

「ちょっと駄目だよ動いちゃ! まだ猿無との戦いの傷が……」

「猿無は……どうなったんだ……?」

「覚えてないの……?」

 ボクの言葉に、家綱は答えにくそうに表情を歪めた。

「いや、覚えていないわけじゃない……猿無は……生きてるのか?」

 不安そうにそう問うた家綱に、ボクはコクリと頷いた。

「生きてるよ。何とか一命は取り留めたみたい」

「そう……か」

 そう言って安堵の溜息を吐くと、家綱は再びソファへ横になった。

「グラットンさんは?」

「お金はもう振り込んだって、半日前に連絡に来たよ」

 それを聞いて、家綱は再び安堵の溜息を吐いた。

 しばしの沈黙。

 しかしすぐに、その沈黙をボクが破った。

「家綱……訊いても、良い?」

 家綱は短く、ああ、とだけ答えた。

「アイツは……あの赤髪の男は……誰なの……?」

 しばらく家綱は答えにくそうに唇を結んでいたけど、やがて小さく溜息を吐いて口を開いた。

「セドリック……。俺の、人格の一人だ」

 セドリック。そう言った家綱の言葉は、どこか憎々しげだった。まるで、セドリックに何か恨みでもあるかのように。

「初めて見た……」

「あぁ、俺が抑え込んでいたからな」

 そう言った後、家綱はそろそろ話すか、と小さく呟いた。

「そういやお前には、色々話してないことがあったな」

「……うん」

 家綱に七つもの人格がある理由。この七重探偵事務所で、家綱より前に探偵をやっていた人……家光アニキさんが、どうして今はいないのか。

「アイツは……セドリックは、自分がこの世に存在することに怒ってる」

「……どういうこと?」

いえつなという一つの身体に、七つの人格。その中の一つとして押し込められ、自由を奪われていることに憤ってるんだ。何故自分が存在するのか、どうせこんな運命なら、辛いだけの運命なら、存在しない方がマシだ……ってな」

「辛いだけの……運命……」

 そんな風に考えたことは、今まで一度もなかった。考えてみれば、家綱も、葛葉さんも、アントンも、晴義も、ロザリーも、纏さんも……皆独立した一つの「人格」……人間なんだ。それが一つの身体に押し込められている状態……よくよく考えれば、こんなに窮屈なことはない。一人用のベッドに、七人で寝ているようなものだ。その窮屈さに……憤りを感じたっておかしくはない。セドリック以外の人格がそういう風に考えないのは、家綱や他の人格を認識していないだけか、それとももう諦めているのか……。

「アイツは怒りを、誰彼構わずぶつける。敵だろうが……味方だろうがな……」

 ボクの脳裏を、セドリックがボクに対して拳を振り上げた時の映像が過った。

 怒りと……悲しみで歪んだあの表情を、ボクは今でも鮮明に覚えている。忘れることが、出来なかった。

「後は……アニキのことか?」

 家綱の問いに、ボクは正直に頷いた。

「アニキは……俺が……」

 家綱は目を閉じ、口惜しそうに表情を歪め――

セドリックが、殺した」

 ボソリと。呟くように家綱はそう言った。







 七重探偵事務所。というのは罷波町にある私立探偵事務所で、それなりに知名度のある事務所だった。犬探しや浮気調査から、殺人事件の犯人捜索まで、多種多様な事件を解決していた七重探偵事務所の探偵……七重家光ななえいえみつは、町内では少し名の知れた探偵だった。

 三十手前くらいの男性で、常にピシッとしたスーツで決めてはいるものの、どこか表情の緩い男で、オールバックにした前髪は、整髪料でややベトベトとしている。助手はおらず、家光は常に一人で事件を解決している。家光自身は助手を雇おうと思ってはいるのだが、給料を払える程の余裕がないため、今のところ助手に関しては見送っている。

 そんな孤独な私立探偵の事務所のソファに……一人の男が横たわっていた。年齢が二十代前半くらいに見える男で、短い頭髪は適当にはねている。そして一切――衣服を身に着けていない。毛布がかけられてはいるものの、その男は全裸だった。

「どーっすかなぁ……これ」

 嘆息しつつ、家光が男を見つめつつ呟いた――その時だった。

「うっ……」

 呻き声と共に、男が目を覚ましたのだ。すぐに家光は、男の傍へと歩み寄る。

「気が付いたか」

 目を開いた男は、視界に飛び込んできた光に、眩しそうに眉間へしわを寄せた。しばらく光を避けるように男は首を動かしていたが、やがて光に慣れたのかしっかりと目を開き、身体を起こして家光へ視線を向けた。

「アンタ……は?」

「俺か? 俺はこの町の頼れる探偵――――七重家光だ」

 決まった、とでも言わんばかりの表情で笑みを浮かべる家光を、無視するかのように男は周囲を見回した。

「ここ……は……?」

「俺の事務所だ。七重探偵事務所」

 しばらく男は口を開けたまま家光を見つめていたが、やがて沈んだ顔でうなだれてしまった。


 この罷波町には、謎の研究所が存在した。町の隅にある林の奥にポツンと立てられており、中で何の研究が行われているのか、そもそも中に人がいるのかさえわからないような……そんな研究所がそこには存在した。その研究所の存在を知っている者は非常に少なく、家光ですら、依頼を受けて初めて知ったような場所だった。

 依頼内容は、あの研究所で行われている研究を止めて欲しい、だった。あの研究所の元研究員を名乗る男、中里清敏なかざときよとしは、あの中で行われている「人造人間計画」を止めて欲しいと、家光へ依頼してきたのだった。

 依頼を受け、調査に向かった家光だったが……そこにあったのは既に焼け跡となっている研究所だった。雨のおかげで火は消えているものの、中にいた人間は助かっていないだろうと、そう判断してしまう程に凄惨な焼け跡だった。

 そして焼け跡となった研究所の入り口に一人、男が立っていた。一糸纏わぬ姿のその男は、家光が駆け寄ったのとほぼ同時にその場へ倒れ、気を失ってしまった。


 その男こそが、今家光の前にいる男だった。倒れた彼を運び、何とか事務所へ連れ帰った家光は、ソファの上で眠らせておいたのだった。

 恐らく、この男は研究所で生まれた人造人間。

 状況と直感で、家光はそう判断していた。しかしだからと言って殺すわけにもいかず、事務所へと連れ帰ったわけなのだが……。

「覚えていないんだ……何も……何一つ……ッ!」

 頭を抱え、くしゃりと前髪を握り締めて、男はそう呟いた。

「なぁ、教えてくれ! 俺はどこにいた!? 何をしていたんだ!? 俺は一体……何だ……?」

 男の問いに、家光は答えることが出来ずに口をつぐんだ。

 何と答えれば良い? ありのままの真実を、この男に語るのか? お前は、研究所で生まれた人造人間だ……などと。ただでさえ不安定に見えるこの男に、ショックを与えるべきでないことは明白だった。

「……さあな。俺は倒れていたから助けた、それだけだ」

 適当にはぐらかした家光に、男はありがとうございます、とだけ答えると、再びうつむいてしまった。

 さて、これからこの男をどうするか……うなだれたままの男を見つめつつ、家光は考えを巡らせた。

 人造人間とは言え、彼は一切の記憶を失っている。この様子から考えて、家光や……誰かの害になるようなことはあまりないだろう。記憶を失っているのか、それとも元々ないのか……。

 そもそも、何故この男は造られたのか。誰が、何を目的として彼を造り上げたのか……皆目見当がつかない。人造人間というからには、何かしら通常の人間とは一線を画した何かがあるハズなのだが、今のところそう言ったものは見受けられない。

 そしてあの研究所を焼いたのは誰なのか。この男だけが唯一の生き残りであることから考えると、研究所が焼けた原因はこの男にあるのかも知れない。

 殺すわけにも、外に放り出すわけにもいかない。

 しばらく考え込み、家光は一つの答えに辿り着く。

 家光は小さく溜息を吐くと、男の肩に右手をポンと置いた。

「お前、しばらくココにいろ」

 家光の言葉に、男は顔を上げると目を丸くした。

「どうせ行くとこなんかねぇんだろ?」

「それは……そうだけど……」

「だったらココにいろ」

 そう言って微笑んだ家光に、男は申し訳なさそうな表情を見せると視線をそらした。

「お前、名前は?」

 家光の問いに、男は小さく首を左右に振った。

「ンだよ名前も覚えてねぇのかよ……ったくしょうがねぇな……」

 呆れ気味に嘆息すると、家光はしばらく考え込むような仕草を見せた。

「家康、秀忠……んで家光が俺」

 徳川将軍の名前を並べる家光に、男は訝しげな表情を見せた。

「四代目って誰だったかな……つ、つな……綱吉? 違う。でも綱が入ったのは確かなんだが……あ、アレアレ、犬の奴だ犬の」

 ますます意味がわからない、といった表情の男を放置して、家光はブツブツと独り言を続ける。

「いや、犬は綱吉だ。んじゃもう一人綱って……あ!」

 パン! と手を叩き、家光は男を指差した。

「家綱!」

「家……綱?」

 家光の言葉を繰り返す男へ、家光はおう、と答えた。

「家光の次、家綱。だからお前は家綱な」

「名前か……?」

 男の問いに、家光はコクリと頷いた。

「七重家綱。今日からしばらく、お前が本当の名前を思い出すまでの名前だ。どうだ?」

 得意げな表情で男の顔を覗き込み、問うてくる家光に、男は苦笑する。

「……わかった。家綱で良い」

 男が――家綱がそう答えたのを確認すると、家光はよし、と満足げに頷いた。

「さっきも言ったが、俺は七重家光。この七重探偵事務所の探偵だ」

「家光……さん?」

「堅苦しいな……っても呼び捨ては気に入らねえ……よし、アレだ。アニキで良いぞアニキで」

 一度呼ばれてみたかったんだよなー、などと緩い表情でのたまう家光に、家綱は再び苦笑した。

「わかったよ、アニキ」

「よし、それで良い。今日からお前は俺の弟分兼助手だ。ついでだから仕事も手伝え」

 再び得意げな表情を見せる家光に、家綱は静かに微笑んだ。

「了解。タダで居候させてもらうよりは、仕事手伝わされてる方が良いさ」

 家綱のその言葉に、家光はだろ? と笑みを浮かべた。


 七重家光と、その助手七重家綱。七重探偵事務所に、新しい住人が増えた瞬間だった。

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