FILE10「星川美々 上」
巣から小鳥が落っこちた
落ちた小鳥はついばまれ 哀れ鴉の腹の中
狂った親鳥それを見て 鴉の胃袋引き裂いた
無残に鴉は引き裂かれ 狂った親鳥それ見て鳴いた
裂いて裂いて引き裂いて 狂った親鳥それ見て鳴いた
裂かれた鴉の残骸に 残った小鳥はそれ見て泣いた
狂った親鳥鳴き叫ぶ 次に裂くのはどの鴉?
星川美々、「八つ裂き鴉と狂い鳥」より抜粋
事務所に置かれた古臭いテレビの画面内で、一人の女性が歌っている。ボクも家綱も画面から目を離さず、静かに少女の歌に聴き入っていた。
さて、貧乏探偵七重家綱の事務所に古臭いとは言え何故テレビがあるのかというと、それは前回の依頼でお金が入ったからだった。勿論その大半は生活費にあてたけど、その余りでパチンコをしようとする家綱を何とか止め、ボクは中古で安かったテレビを購入した。携帯もなし、テレビもなし、パソコンもなし、というのはあまりにも残念なので、テレビくらいは欲しいと前々からボクは思ってたわけだし。来年くらいにはテレビ放送が地上デジタル(言葉は知ってるけどどういうことかよくわからない)っていうのになるらしいから、古いアナログテレビは随分と安く買うことが出来た。その分寿命は短いけど、今のボクらに最新のテレビを買えるような余裕はないから、アナログテレビで妥協することにした。
「んにしても……やっぱかわいいな、星川美々」
「だよねぇ。でも星川美々って、ソロじゃなかったよね?」
ボクの問いに、家綱はコクリと頷いた。
星川美々は、最近人気が出ている女性歌手で、今でこそソロで歌っているけど、前はとあるアイドルユニット(名前忘れた)の一人だった。前はもっと元気な感じの曲を歌っていたけど、ソロ活動をして最初に歌った曲、「八つ裂き鴉と狂い鳥」を始めとして、しんみりとした曲というか……暗いというか、とにかくアイドルユニット時代とは全く違う感じの曲を歌うようになった。まあそのギャップもあって最近売れてるんだろうとは思うけど。
「だー! こら、消えんじゃねえ!」
不意に、テレビ画面の映像がブレ始める。家綱が異変に気付いてテレビに近づいた頃には、既にテレビ画面は砂嵐で覆い尽くされていた。
「おいふざけんなこのオンボロテレビ! 美々ちゃん出せコラー!」
ガンガンと家綱がテレビを叩いても、テレビは砂嵐しか映し出さない。
「ちょっと家綱、叩いても直んないと思うよ? 昭和のテレビじゃないんだから……」
止めるボクの声も聞かず、家綱が何度もテレビを叩いている時だった。
コンコンと。事務所のドアを誰かがノックする。
「ほら、お客さんだよ家綱」
「くそ……」
悪態を吐きつつ、家綱はドアに向かってどうぞーと声をかける。すると、ガチャリとドアが開いて、サングラスと帽子を被った女性が事務所へ入ってくる。
「ようこそ、七重探偵事務所へ。俺はここの探偵の――」
家綱が言葉を言い切るよりも、彼女が帽子とサングラスを外す動作の方が早かった。露わになった彼女の顔に、家綱はポカンと口を開けたまま彼女の顔を凝視する。かくいうボクも、砂嵐しか映さないテレビから視線を外し、彼女の顔を凝視する。
「え、嘘……貴女は……」
唖然とするボクと家綱に、彼女は交互に笑みを向けた。
「星川美々です」
人気アイドル星川美々が、七重探偵事務所を訪れた。
人気アイドル、星川美々。彼女がこの七重探偵事務所を訪れた理由はこうだった。
「私のお姉ちゃんが、他のアイドルを殺す事件を解決してほしいんです」
高くてスラッとした身長、長く伸ばされた美しい金髪、百人に聞けば百人が「綺麗だ」と答えるだろうと想像出来る程に整った顔立ち。テレビでしか見たことのない彼女の生の美しさに、ボクと家綱は目を奪われた。
ソファに腰掛ける星川さんと、机を挟んで反対側のソファでそれに見惚れるボクと家綱。
「あ、あのー……」
ひたすら見惚れるボクと家綱に、星川さんは不安そうな視線を向けた。
「あ、あーあーすいません! それで、依頼内容は、殺人事件の解決ですね」
珍しく敬語で家綱が確認するようにそう問うと、星川さんは小さく頷くと、持っていたバッグから一冊の雑誌を取り出した。ゴシップ記事をよく取り上げる有名な女性誌で、ボクもコンビニで何度か目にしたことのある雑誌だった。星川さんは素早くページをめくり、机の上に開いた状態で置いた。
「北斗七美、何者かに殺害される……またしても星川真美の亡霊か……?」
記事の見出しを音読し、家綱は怪訝そうな表情を見せた。
「星川真美は、私の姉なんです」
「星川真美ってあの……『甘いワナ』の星川真美ですか?」
家綱の言葉に、星川さんははい、と短く答えた。
「家綱、知ってるの?」
「ああ、アニキが……いや、何でもねえ」
アニキ? そう問おうとしたけど、それを遮るように星川さんは事件の概要を語り始めた。
これまでに殺害されたのは北斗七美も含めて三人。聞くところによると、全員星川さんが前に属していたアイドルユニット「スターズ」のメンバーだった。殺害された彼女達の遺体の傍には、必ず血文字で星川真美のサインが残されているらしいのだ。更に、彼女達が殺害される前、必ず星川真美の目撃証言があるらしい。
彼女は既に、亡くなっているのに。
二年前、彼女は心労を理由に自殺している。当時勢いのあったスターズのリーダーが自殺したとなれば、マスコミが黙っているハズもなかった。
「星川真美の亡霊、ねえ……。うちは魔法律相談事務所じゃないんですがねえ……」
「それはム○ョとロ○ジーだろ」
サラッとボケんな。
「いえ、私はこれがお姉ちゃんの亡霊の仕業だなんて思えないですし、第一幽霊なんて信じません」
キッパリと言い切って、星川さんは言葉を続けた。
「なのに、警察がどれだけ調べても、出てくるのは犯人がお姉ちゃんだってことを裏付ける証拠ばかりで……。それで、貴方達に頼もうと思ったんです」
「何で、俺達に?」
「罷波町にきてから、貴方達の噂を聞いたんです。気配を消すストーカーを捕まえたり、共生会会長を反亜人派の超能力者から救ったり……超能力とか、そういう超常的なことに関しては、警察より貴方達の方が優れている、と私は判断したんです」
全部最近の活躍だった。
これまで如何にショボい依頼ばかり受けていたのかを思い知らされた。多分薬野さんの件で密売組織を潰した時に軽く知名度が上がって、それからこういうショボくない依頼が舞い込むようになったんだろうけど。
「私もお姉ちゃんも、元々罷波町出身なんです。それで、企画で地元の罷波町で元スターズのメンバーの天子ちゃん……流川天子さんと合同ライブをすることになったんです」
「これまでスターズのメンバーが殺されてて、残ってるのは星川さんと流川だけ。だから俺達に星川さんと流川のために事件を解決してほしい、ということですね」
流川さんは呼び捨てなのかよ。
「はい。お願いします」
そう言って、星川さんはペコリと礼儀正しくおじぎした。そんな何気ない動作にさえ、ボクと家綱は目を奪われてしまう程に、星川さんは美しかった。やっぱ芸能人は違うなぁ、と心底感じさせられた。
いや、事件とは関係ないんだけどね。
「星川さん。貴女は犯人に心当たりはないんですか?」
「それは……」
家綱が真剣な表情でそう問うと、星川さんは何かを言いかけて答えにくそうに表情を変えた。
「いえ、何でもありません。心当たりは……ないです」
そう言い切る彼女を、家綱は意味深な表情で見つめた――その時だった。
「あ、ごめんなさい。電話です」
バッグの中で着信音を鳴らす携帯を、星川さんは慌てて取り出すとすぐに事務所の外へ出て行った。そしてドアの前でしばらく話した後、すぐに事務所の中へと戻ってくる。
「すいません。お母さん……じゃない、マネージャーからです。スケジュールが迫ってるから、早く帰って来いって……。あの、明日はライブのリハーサルなんで、来てもらえますか?」
「ええ、構いませんよ」
家綱がそう答えると、星川さんはありがとうございます、と礼を言う。
「それでは、失礼しました」
そして深く礼をすると、彼女は慌ただしい様子で帽子を被り、サングラスをかけ直すと事務所の外へと出て行った。
星川さんが出て行った後、事務所の中にしばしの静寂が訪れた。しばらくその静寂が続いた後、家綱はそれを破って深く溜め息を吐いた。
「メチャクチャ緊張したあああ! 普通来るかよおい! うちの事務所にアイドルがよお!」
「だよねええええ! ボクもメッチャ緊張した! 何あれ綺麗過ぎるでしょ! っていうか人間? ねえあんな綺麗な人間っているのお!?」
二人共ハイだった。
「由乃ちゃん……恥ずかしがること、ないのよ?」
「で、でもそんなっ……急に……」
ゆっくりと。彼女の手はボクに向かって伸ばされる。白く美しいその右手が、ボクの頬へ触れた。
「こんなに赤くなっちゃって……かわいい……」
「ちょっ……ちょっと……! 顔が……近いんです、けど」
「近づけてるのよ」
鼻と鼻が触れ合う寸前まで顔を近づけ、彼女は妖艶に微笑んだ。彼女はボクの右手を左手で掴むと、自分の胸元へ押し当てた。柔らかな感触と共に伝わるのは、彼女の鼓動だった。
「私も貴女と同じ。こんなにドキドキしてるの」
薄らと頬を赤く染め、彼女は優しく微笑んだ。
「で、で、でもっ……ボク達……女同士、だし……っ」
「関係ないじゃない……そんなの……」
再び妖艶に笑みを浮かべ、彼女がボクの唇を奪おうとした――その時だった。
ドアがノックされ、ちょっと待ってという暇もなく開かれる。
「あ、ごめんなさい。お邪魔しましたー!」
ドアを開き、ソファの上で巫女装束の女性に押し倒されているボクを見、律儀にも昨日の約束通り来てくれた星川さんは、凄まじいスピードでドアを閉じた。
「ちょ、ちょっと待って下さい! これには訳がー!」
纏、というのがこの巫女装束の女性の名前だ。如何にも大和撫子、といった印象を受ける長くて黒い、艶やかな髪が特徴で、前髪は目の上で切り揃えられている。気の強そうな釣り目も彼女の特徴の一つで、多分ロザリーとは気が合わない。まあ、厳密に言うと同一人物である二人は、絶対に出会うことはないのだけれど。
そう、彼女も七重家綱の人格の一人。彼女が今表に出ているのは、彼女が霊能力者(自称)だからだ。今回の事件が本当に星川真美の亡霊だった場合、対処出来るのは纏さんだけだと思うし、霊能力者ってのが自称とは言え、ボクは一度だけ彼女が降霊術を成功させたところを見たことがある。だから多分纏さんは、本物の霊能力者なんだと思う。
そして、彼女はレズビアンである。
家綱の能力のこと、そして纏さんのことを何とか星川さんに説明し、納得してもらうことに成功した。毎回毎回、家綱の能力は説明するのが億劫で仕方がない。
星川さんの手配した車に乗せられ、ボクと纏さんが連れてこられたのは、星川さんと流川さんが合同ライブをやるライブ会場だった。
そしてボク達は、星川さんの楽屋にいる。
纏さんは全然動揺していない(むしろ星川さんへ熱い視線を送っている)みたいだけど、ボクはもう緊張しっ放し。アイドルと直接会うだけでもすごいことなのに、それどころかその楽屋に通されるなんて、いくら仕事とは言えこの状況は星川さんファンからすれば今すぐにでも交代して欲しいと思うであろう程に、素晴らしい状況だった。
ただし、星川さんの母同伴。
「美々……。昨日どこに行っていたかと思えば、こんな怪しい連中を連れ込んで……! 芸能人としての自覚はあるの!?」
「でも、この人達は探偵で……」
「まだ事件のことを気にしているの? あれは警察に任せておきなさい。全く……真美ならこんな苦労はしなくてすんだのに……」
最後にボソリと。まるで呟くように付け足した言葉に、星川さんは表情を暗くした。そのことに気がついたのか、纏さんは星川さんの母――星川春香さんを睨みつける。
アップにまとめた髪に知的な眼鏡、四十代前半……と言った容姿ではあるものの、流石はアイドルの母、綺麗な部類に入るだろう。
「何? その態度は」
纏さんの視線に気づいたらしく、春香さんは表情をしかめる。
「別に、何でもないわ」
敬語を使おうとする素振りも見せず、纏さんはプイとそっぽを向いた。そのことに腹が立ったのか春香さんは更に表情をしかめるが、やがて纏から視線を星川さんへ戻した。
「リハーサル開始まで後十五分だから、しっかりと用意しておきなさい。いつものように、本番と同じ気持ちでやるのよ」
春香さんの言葉に、星川さんがはい、と短く答えたのを確認すると、春香さんは楽屋を出て行った。
「ごめんなさい、母が……」
「ああいえ、気にしないで下さい! 普通に考えたら、ボク達って怪しいですし……」
高校生くらいの助手と、巫女装束の探偵。うん怪しい実に怪しい。
しばらく、その場へ静寂が訪れる。しかし、すぐに星川さんが口を開き、その静寂を破った。
「天子は……私の大切な友達なんです」
少し恥ずかしそうにそう言って、星川さんは言葉を続けた。
「お姉ちゃんが死んでからデビューして、スターズに入って……最初はうまくやっていけないと思ってたんだけど、天子ちゃんが仲良くしてくれたから、私はここまでこれたんだと思うんです」
そんな風に、星川さんは流川さんのことを語り始めた。心細かった星川さんをどれだけ流川さんがサポートしてくれたか、馴染めなかった星川さんを流川さんが一生懸命馴染ませようと手伝ってくれたこととか、そして星川さんが流川さんにどれだけ感謝しているのか。
「あれ、もうこんな時間ですね……」
しばらく流川さんについて語った後、付けている腕時計を確認し、星川さんはそんなことを呟いた。
「リハーサルまで後五分くらいですよね? そろそろ行きます?」
「そうですね」
と、星川さんが頷いた――瞬間だった。
「星川さん! 大変です! 流川さんが……ッ!」
勢いよく楽屋のドアが開き、スタッフの一人と思しき男性が声を張り上げた。
「嘘! 何でリハーサルの前に……っ!」
その違和感のある星川さんの一言を、ボクも纏さんも聞き逃さなかった。しかしそれについて言及する間もなく、星川さんは楽屋を飛び出して行った。
「行くわよ」
纏さんの言葉に小さく頷き、先に走りだした纏さんの後ろをついていく。流川さんの楽屋はすぐ近くだったから、すぐに星川さん達の元へ辿り着いた。
「――――っ!」
流川さんの楽屋のドアを開いて、最初に目に入ったのは横たわる流川さんの姿だった。苦悶の表情を浮かべたまま、流川さんはピクリとも動かずに倒れている。彼女の首にはロープが巻きつけられており、死因が窒息死であることは火を見るよりも明らかだった。刃物で切り裂かれたのか、右手首からは止めどなく血が流れ続けている。
そして真っ白な壁に血で描かれる、星川真美のサイン。その血が流川さんの血であることは、容易に想像出来た。「Mami」の「i」が他の文字より下に突き出ているのが妙に気になった。
「……やっぱり……」
そう呟き、星川さんはその場に崩れ落ちた。
「……やっぱり……?」
星川さんの言葉を繰り返し、纏さんが怪訝そうな表情を見せたけど、それに気付いたのはどうやらボクだけだったらしい。現場に駆け付けているさっきの男性や、他のスタッフも、流川さんの遺体を凝視していて、星川さんの「やっぱり」という不可解な言葉に反応を示していなかった。
「纏さん、霊は……?」
ボクの問いに、纏さんは静かに首を左右に振った。
「霊の気配なんて微塵も感じない。これは……」
遺体へ視線を向け、次にサインへ視線を向け、最後に星川さんを見――
「亡霊なんて関係ない、生身の人間が起こした殺人事件よ」
静かに、そう言った。