藤子姉さんのお仕事
前半と後半が違い過ぎる、と言われそうですが。
視点の違い、ということでお願いします。
尚、家事は労働だ、と私は声を大にして言いたいです。
米内松江の最初の記憶は、「姉」の藤子に背負われて、あやされている記憶になる。
松江が物心つきだした頃、欧州で巨大な戦禍、第二次世界大戦が勃発した為に、松江の両親は軍人として欧州に出征することになった。
それ故に、両親は松江の傍にいなくなってしまい、松江は他の兄や姉と共に、「姉」の藤子の実家である小林家に引き取られて、数年に亘って、「姉」を中心とする面々に面倒を見てもらうことになったのだ。
「姉」は、松江にしてみれば、母代わりとしか、言いようが無かった。
9歳しか歳が違わない以上、余りにも幼い母代わりだったが、松江に食事を食べさせてくれ、又、夜におねしょをしたら、松江のオムツを替えるのは、「姉」の役目だった。
更には、両親が傍にいないことで、ぐずりがちだった松江を、朝に夕に、又、休日にとあやすことが、一番、多かったのも「姉」だったのだ。
勿論、姉の早苗や兄の正が、松江の子守りをすることも、それなりにあり、松江が成長した後で、早苗や正に言わせれば、「姉」は他にも色々忙しかったから、松江の子守りは、そんなにしていない、とのことだが、松江にしてみれば、自分の子守りを最もしてくれたのは、「姉」だったのだ。
米内早苗が、「姉」の藤子の実家である小林家に赴いて、実の両親の下に還るまでの数年の間で、最も印象に残っていることは、「姉」の寝顔を夜に見た覚えがないことだった。
更に言えば、「姉」の寝顔を、昼に見ることは稀で、自分の記憶が正しければ、小林家に赴いてから、実の両親の下に還るまでに10回も見ていない気がすることで、弟の正も認めることだった。
「姉」は、必ず自分よりも遅くまで起きていて、更に早く起きていた。
自分達、弟妹を起こすのは「姉」の仕事だった。
更に言えば、色々と祖父母に協力して、様々な家事をしていた。
いつか食事の準備を、「姉」は実祖母と協力して行っていたし、掃除洗濯等も手を抜かなかった。
妹の松江の汚れたオムツを替えて、洗濯していたのは、いつも「姉」だった。
私や正は、それなりの年齢になっていたので、まだしもだったが。
妹の松江は、両親が出征した際に満1歳になるかならないか、といったところで、それこそ昼間のオムツ外しの練習を始めようか、という頑是なさだったのだ。
そんな妹の世話を率先して看る等、当初は小学5年生だった「姉」にしてみれば、大変だったろう。
尚、小林家が冷たかった訳ではない。
「姉」の祖父母は、「姉」に無理をするな、と言って、積極的に私達の面倒を見てくれた。
(後で知ったことだが、両親は私達に配慮して、それなりのお金を毎月、小林家に送っており、それもあって、「姉」の祖父母は、私達の面倒を見てくれたらしい)
でも、「姉」なりに、祖父母に気を遣って、私達の面倒を看続けたのだ。
そのことについて、私は未だに「姉」に敬意を表さざるを得ない。
自分が同じ年齢だったとき、「姉」のようなことを、自分はとてもできない。
更に「姉」は。
私、藤子は、初子の洋一をあやしつつ、これまでの事を考えていた。
尚、傍には私の実の母方祖母になる小林はるがいて、愚痴っていた。
「本当に藤子は、千代の娘だね。思い込んだら、止まらない」
「何か問題が。私が育児に倦んでいるとでも」
「そう見えないから、怖いのだよ。自分の歳を考えな。高等女学校生が子どもを産んで育てよう、とか、普通は考えないよ」
「御国のためです。何か問題が。産めよ殖やせよ、そう米内光政首相も仰っています。遠縁とはいえ、その血の所縁まで、私にはあるのです。首相の身内として、国策に従うべきでしょう」
ああ言えばこう言う、という目で、祖母は私を睨んでくるが、私は涼しい顔をした。
結納を交わしていないとはいえ、義兄にして従兄である米内仁は、私の事実上の婚約者であり、先日、海軍少尉として欧州に出征してしまったのだ。
そして、出征前に仁と私は関係を持って、洋一を産む事態に至ったのだ。
当然のことながら、このことは大騒動を引き起こした。
現役の高等女学校3年生、それも名門といってよい神奈川県立横須賀高等女学校の生徒が、相手と婚約関係にあったとはいえ、妊娠出産騒動を引き起こし、更に言えば、私は平然と出産育児の為に休学したいと公言して、休学届を学校に提出したのだ。
私の休学届とその理由を見た瞬間、担任どころか、校長、教頭までもが卒倒したと、噂で私は聞いた。
「高等女学校生が、妊娠出産の為に休学したいとは言語道断」
と私は一部の教師や、周囲の同級生、更には先輩、後輩からも非難されたが。
「御国の為に、産めよ殖やせよ、と米内首相自ら言われているのですよ。遠いとはいえ、首相の身内である私が、戦場に赴いて戦死するかもしれない婚約者の子を産み育てたい、と考えて行動することの何処が間違っているのですか。私を非難するとは、貴方達は本当に愛国者なのですか。御国を護れ、と散々に教えられてきたのは誤りなのですか」
と私が反論したら、ほぼ全員が沈黙してしまった。
下手な反論を私にしたら、自分は愛国者ではない、と自認しかねない。
そんなことをやるくらいならば、私を非難しない方が賢明だ、と殆どの人が考えたのだ。
そして、私は、それこそ退学処分を言われたら、裁判に打って出るつもりだったが。
相手、神奈川県立横須賀高等女学校、神奈川県の方が、私の気迫に負けてしまい、私の出産育児を理由とする休学届は公認されてしまった。
(尚、このことが前例になって、第二次世界大戦後の学制改革後、中学生以上の出産育児を理由とする休学届が、法律で認められることにまで、世間は進歩することになった)
因みに、私の暴走を聞いた米内光政首相は、
「関東軍の暴走に比べたら、実害は少ないな。確かに自分の身内だな」
と流したとのことで。
私は私で米内首相の御言葉の真意に悩んでしまった。
そして、祖母と私は会話した。
「弟妹の面倒を看てきたし、家事や育児を苦にしない、と私も考えるけど。本当に千代の娘だね」
「そう仰って頂き光栄です」
「ああ、いいよ。でも、戦争が早く終わって欲しいよ」
「そうですね」
私は改めて想った。
家事労働経験があって良かった。
御感想等をお待ちしています。




