追放された無能、実は全スキルを喰らう者だった
第一話
白い光の中で、俺は立っていた。
一秒前まで、トラックのヘッドライトが視界を塗りつぶしていた。その前は夜勤明けの国道。コンビニで買ったおにぎりの袋が、風に飛んでいくのを見ていた。
それだけだ。
今は光の中にいる。
轢かれた感触はない。痛みもない。ただ、足の裏に石畳の硬さを感じる。それだけが、今の俺に確かなものだった。
光が薄れるにつれ、部屋の輪郭が浮かんだ。いや、部屋ではない。広間だ。天井は三十メートル近くある。柱には炎が揺れ、壁には見たことのない紋章が刻まれている。床の中央に描かれた巨大な魔法陣は、まだかすかに光を放っていた。
俺は魔法陣の端に立っていた。
中央には、五人の若者が固まっている。全員が同じように茫然としていた。十代半ばから後半といったところか。制服姿の者もいた。
「……召喚、成功です」
声がした。
祭壇の前に、白いローブを纏った老人が立っている。その後ろには、豪奢な衣装を着た男女が並んでいた。頭に冠をつけている。王族か何かだろう。
老人の目が、中央の五人を確認してから、俺のところで止まった。
「……なぜ、六人いる」
静かな疑問だった。広間が、水を打ったように静まり返る。
五人の若者の視線が俺に集まった。王族たちも俺を見た。俺は特に何も言わなかった。言うべきことが思い浮かばなかったというのもあるが、そもそも騒いだところで何かが変わるわけでもない。
「貴様は何者だ」
冠をつけた中年の男が、一歩前に出て言った。声には威圧感があった。王だろうと察しがついた。
「神崎蓮」
俺は答えた。それ以上でも以下でもない。
「……どこから来た」
「日本」
男は眉をひそめた。知らない言葉だったのだろう。老人が「陛下」と小声で耳打ちする。男は短く頷いた。
「魔法陣に混入したか。稀に起きることではあるが……」
老人が、もう一度俺を見た。品定めするような目だった。
「とにかく、鑑定を行います。全員、前に」
鑑定は、水晶玉に手を触れる形式だった。
五人が順番に触れていく。水晶が光るたびに、宙に文字が浮かんだ。俺にはその文字は読めなかったが、浮かび上がるたびに広間がざわめいた。
「剣聖の素質」「大魔法使いの素質」「神聖魔法適性・最高位」
感嘆の声が上がるたびに、若者たちは少しずつ顔色を取り戻していった。
最後に俺の番が来た。
老人が促す。俺は水晶の前に立ち、手をのせた。冷たかった。透き通った球体の中で、何かが動くような気がした。
浮かんだ文字は、一文字だった。
無
広間が静まり返った。
さっきとは違う、重い沈黙だった。老人が眉をひそめ、水晶をもう一度確認する。結果は変わらない。
「……スキル、無し」
低い声で言った。
そのひと言で、俺への視線が変わった。温度が下がった、というより、そもそも最初からなかった関心が、完全に消えたような感じだった。
「使えんな」
王が短く言った。
「勇者たちの足を引っ張る。放逐しろ」
「陛下、この者は召喚に巻き込まれた一般人で──」
「だからといって養う理由もない。武力も魔力もないなら、この城に置く価値がない。金貨を二、三枚持たせてやれば十分だろう」
老人は小さく頭を下げた。
勇者と呼ばれた五人は、俺を見ていなかった。自分たちの手のひらを見つめたり、隣同士で小声で話したりしていた。俺への関心は、最初からゼロだった。それが正直なところだろう。見知らぬ男が一人増えて、すぐに消えるなら、気にする必要もない。
俺は何も言わなかった。
言っても変わらないことは分かっていた。それに、城に残りたいとも思っていなかった。
金貨三枚と、ボロい外套を渡された。
城門の外に立つと、夕暮れの空が広がっていた。オレンジと紫が混ざった色だった。見たことのある色だった。どこの空も、日が沈む時間は似たような色をしている。
城下町を歩きながら、俺は状況を整理した。
異世界に来た。スキルは「無」と判定された。城を追い出された。
それだけだ。
日本に帰る方法は今のところ分からない。帰れないなら、ここで生きるしかない。今日の寝床と飯を確保して、それから先のことを考える。シンプルだった。
倉庫の夜勤で身についた習慣だった。考えすぎても体は動かない。まず目の前のことをひとつずつ片付ける。
宿を探して一泊した。金貨一枚で、食事つきで三日は泊まれると宿の女将が言った。思ったより為替レートは良かった。
翌朝、俺は城下町を出た。
次の街まで、三日かかると聞いた。道中には森がある。野盗が出ることもあると、宿の主人が教えてくれた。剣でも持っていくかと聞かれたが、断った。金がもったいなかった。
武器があったとしても、俺はスキルが「無」だ。戦えるかどうかも分からない。だったら目立つものを持たない方がいい。それが倉庫で学んだことだった。余計なものは持ち込まない。
街道を歩いた。草の匂いがした。土の感触があった。風が冷たかった。
悪くなかった。
森に入って二時間ほどで、気配を感じた。
音ではない。空気の変化だ。草が揺れる方向が、風と合っていない。
俺は立ち止まらなかった。足音も変えなかった。ただ、視野を広げた。
「止まれ」
声がした。
木の影から、四人の男が出てきた。全員が武装していた。鉄の剣、棍棒、短弓。使い込まれた装備だった。
「荷物を置いていけ。命が惜しければな」
リーダー格らしい男が言った。顔に傷跡がある。目が笑っていない。
俺は男たちを見た。鍛えている。体格もいい。素手で対抗できる相手ではない。
「分かった」
俺は外套を外した。金貨が入った袋も取り出した。
「賢いな」
男が近づいてくる。
その瞬間、短弓を持った男が矢をつがえたのが見えた。俺を殺す気だ。金を取ったあとで。荷物だけでなく、証人を消したい。そういう目だった。
俺は足を止めた。
逃げ場がない。前に四人。後ろは開けているが、弓矢の射程内だ。走っても追いつかれる。
「……」
選択肢がなかった。
その瞬間、何かが変わった。
感覚は、水が引くようなものだった。静かに、しかし確実に、何かが体の中を通り抜けていった。
男たちが、動きを止めた。
一人が剣を落とした。次の瞬間、別の男がその場に膝をついた。短弓の男が矢をつがえたまま固まっている。リーダーが「何だ」と言いかけて、そのまま口を止めた。
四人全員が、立っていられなくなっていた。
俺は何もしていない。ただ、立っていた。
しばらく経って、男たちはそのまま意識を失った。
静かになった。
鳥の声が戻ってきた。風が木の葉を揺らしていた。
俺は手のひらを見た。何も変わっていない。傷もない。だが、確かに何かが増えていた。体の中に、さっきまでなかった感覚があった。水が器に満ちるような感覚。四つ分の重さ。
手を伸ばすと、空気に触れた指先から、かすかに何かが滲んだ。
炎でも風でもない。ただ、力だった。
倒れた男たちの一人が、腕に古い魔法陣のような刺青を入れていた。スキルを刻む習慣があるのかもしれない。その模様が、色を失って白くなっていた。
俺は外套を拾い上げた。金貨の袋を戻した。
男たちは死んでいない。ただ眠っている。放置しても死にはしないだろう。
歩き出した。
街道に戻り、次の街へ向かった。
しばらく歩いてから、俺は立ち止まった。
空を見上げた。雲が流れていた。
静かだった。
「……これが、俺のスキルか」
呟いた言葉は、風に消えた。
誰も聞いていなかった。それで良かった。
俺はまた歩き始めた。




