第36話 ズルいです
「今度からも名前で呼んでくれませんか?」
「別に良いけど、逆に良いのか? 俺みたいな男に気安く名前で呼ばれるなんて」
「嫌ならこんな提案なんていたしませんよ。是非呼んでください。呼ばれたいんです」
「わかった。そういう事なら今度から名前で呼ばせてもらうよ」
許可を貰えるのであればわざわざ苗字で呼ぶ必要もない。
ちょっと照れくさくはあるけど、それで辻が喜ぶのならいいだろう。
「ありがとうございます! 嬉しいです」
「そんなに喜ぶことか?」
「はい。わたくしの事を名前で呼んでくれる方なんて最近ではお嬢様以外おりませんでしたから。名前で呼ばれるのが嬉しいんです!」
「ならよかったけどさ」
どうやら、本当に名前で呼んでくれる人はいないらしい。
考えてみれば、家では天城と二人暮らしだから天城以外呼ぶ相手はいないし。
学校で菫の事を名前で呼んでいる人をそう言えば見たことが無かったな。
「えへへ。うれしいなぁ」
頬を完全に緩ませてニコニコと菫は微笑んでいた。
名前で呼ばれるのが本当に嬉しいらしく鼻歌まで口ずさんでいた。
最近話して思ったのだが、菫は嬉しくなったり感情が高ぶると敬語じゃなくなる癖のようなものがあるらしい。
「じゃあ、俺と天城が本家に行っている間は菫はここで一人か?」
「そうなりますね。まあ、言っても三日間くらいでこちらに戻ってくるとは思いますが」
「そうか。まあ、本家に行くことを考えるよりも俺たちが考えないといけないのは次の期末テストか?」
「ですね。期末テストを乗り切るためにも勉強教えてください!」
菫は元気を出してテキストに向き合っていた。
それが俺の本来の仕事だからちゃんと教えなければ!
「任せとけ! 学年でも上位層になれるくらいみっちり教えるからな」
それから俺は菫にしっかりと勉強を教えた。
相変わらずの吸収の速さで今日教えた範囲を完璧にできるようにしてしまった。
これなら、学園の上位層になるのは簡単かもしれないな。
◇
「今日も夕飯食べていきますよね? 宮野くん」
「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
最近はこうして天城の家に来ると毎回夕飯をご馳走になっている気がする。
そんな生活に馴染んでしまっている俺もどうかとは思うんだけど、菫の作る夕飯が美味しすぎて断れない。
「そう言うわけで菫。三人分でお願いね」
「かしこまりました。お嬢様」
菫はそう言うといつものようにお辞儀をしてキッチンの方に消えていった。
「さっきはごめんなさい。急に部屋を出て行って」
「別にいいさ。それよりも俺の方こそすまない。デリカシーがかけていた」
「そんなことないです。私が勝手に怒っただけですから」
自嘲気味に笑いながら天城は俯いてしまう。
どうやら、本当に俺を連れて行きたくないみたいだ。
「らしくないな。そんな風に俯いてるなんて」
「私だってこんな風に俯きたくなるときだってありますよ。本当に連れて行きたくないんです」
「そっか」
「嫌なんです。宮野くんが悪い風に言われるのも、誰かに見下されるのを見るのも」
ポツリポツリと彼女は自分の感情の丈を吐露する。
その言葉はとても重い物で。
彼女の本心であることが伝わってくる。
「そんなの俺は気にしないってさっきも言っただろ。逆に天城がそんな風にしょんぼりしてる姿を見ることの方がしんどい」
両手で天城の頬を掴んで前を向かせる。
涙ぐみながら俺のことを見つめてくる紫紺の瞳。
こんなにも弱っている天城を見るのは初めてかもしれない。
「ずるいですよ。いつも私が求婚するときは断わってくるのに。私が弱っている時だけ優しくするなんて」
「そう言うつもりはないんだけどな。天城に元気がないと俺も調子が出ないって言うかな」
いつも隣で元気に笑っている奴が弱っていたら調子が狂ってしまうだろう。
そいうものだと俺は思う。
「だって、本当に連れて行きたくないんです。あなたを天城本家に」
「俺は何があっても大丈夫だ。何を言われても気にしないし、気にならない。天城は何をそんなに心配してるんだ?」
天城はいささか心配しすぎなように思う。
菫から聞いた話から俺が歓迎されない存在であることは確かだが。
そこまで気にするようなものでもないように感じる。
「それは……」
「できれば言って欲しいな。天城が何を不安に感じてるのかを」
「……わかりました。お話ししますから離してもらってもいいですか?」
天城は顔を真っ赤にして俺に訴えかけてくる。
そう言えば、かなり顔が近かったな。
「わかった」
素直に手を離して距離を取る。
すると、天城は一息深呼吸してから話し始めるのだった。
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