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「黙して沈む世代」

作者: otu

【前書き】


この物語に登場する人物・団体・出来事はすべてフィクションです。


ですが、舞台となっている「就職氷河期世代」は現実に存在しています。


彼ら、そして私自身を含むその世代の多くは、社会の波に翻弄されながらも、倫理やまっすぐな感情に忠実であろうとしてきました。曲がったことが嫌いで、不器用で、だからこそ生きづらさを抱えてきた人たちです。


その生きづらさが、誰にも見えない場所で、静かに命を奪っていくこともある。


この小説は、そうした現実の断片を、物語という形に落とし込んだものです。


理解してほしいとは思いません。


でも、これが「なかったこと」には、どうかしないでください。

1. 静かな崖の上で(2035年・神奈川県三浦)


海を見下ろす断崖の上で、男は座っていた。風はぬるく、セミの声が波の音と混ざっていた。スマートフォンは電源を切ったまま、ポケットの中にある。通知音の一つも鳴らないのが、むしろ心地よい。


男──秋山透(53)は、かつて就職氷河期と呼ばれた時代に社会に放り出された一人だ。


「新卒で入れなければ人生終わり」──そんな不文律が、まだ社会に強く残っていた時代。


働く場所はなかった。面接では履歴書すら読まれず、椅子に座る時間より、待たされる時間のほうが長かった。夢を語る余地はなかった。語れば「空気読めよ」と笑われるのがオチだった。


若さは腐っていき、怒りは内側に沈んでいった。だが、それを「自己責任」と呼ぶ風潮が、この国にはぴったりと合っていた。


2. いじめと非暴力(1990年代・中学時代)


秋山が中学生だった頃、学校では「上下関係の撤廃」が推進されていた。


教師はフラットな関係を目指した。暴力は否定された。喧嘩も「ダメなこと」とされ、生徒同士での力の衝突は避けられた。


だが──その裏で、いじめは変質していった。


直接殴る者はいなくなった。その代わり、無視、裏掲示板、嘲笑、陰口。誰が加害者で、誰が被害者かも曖昧なまま、ジワジワと心を壊していく。


それでも教師は「みんな仲良く」と言い続けた。問題が起きれば「話し合おう」と言った。


秋山はその中で、静かに壊れていった。誰にも言えず、感情を殺していく。怒らない。泣かない。叫ばない。そうやって、周囲にとけ込んでいった。


3. 働けど報われず(2000〜2020年)


高卒で入った印刷会社は、3年で潰れた。次に入った倉庫も、時給制でボーナスなどなかった。非正規雇用。正社員になれる見込みはなかった。


就職支援センターに行けば、講座を受けろと言われた。講座を受ければ「やる気がない」と言われた。


結婚なんて考えられなかった。


同世代の誰もが同じように、何かを諦めながら働いていた。夢も希望も口に出せば嘲笑される時代。声を上げなければ生きていけず、声を上げれば排除された。


「黙って働け」


それが美徳とされた。


4. 失われた国家への信頼(2020〜2035年)


コロナ禍、リーマンショック、自然災害──。


社会の土台が崩れる中で、秋山たちの世代は何も守られなかった。政府の政策は若者優遇、あるいは高齢者対策に偏り、「働けるが稼げない」中年層は完全に見捨てられた。


彼の仲間たちは、静かに消えていった。


誰も報道されない。統計の中の1としてしか扱われない。


「支援の対象ではない」


そう切り捨てられるたびに、秋山の中で何かが失われていった。


5. 尾崎豊を知らない僕らへ


2033年、国会でのある発言が大きな波紋を呼んだ。


「食料品の消費税を0にしても、意味がない。むしろ外食産業にとっては打撃になる。倒産が増えるだけだ。」


テレビ越しにその発言を見ていた秋山は、思わず苦笑した。


その政治家──第5次内閣の経済担当大臣、古賀誠司──は、財界出身で「市場原理主義の体現者」と呼ばれていた。彼の言葉がメディアを席巻し、それに反論する声は次第に掻き消されていった。


生活必需品すら負担となる貧困層にとって、食料品の軽減税率は「命綱」であった。しかし、その命綱すら「非効率」の名のもとに切り捨てられた。


さらに秋山にとって決定的だったのは、生活保護の申請にまつわる矛盾だった。


自身が限界に達し、役所へ助けを求めたとき、「まだ働ける年齢だから」「家族に頼れるはずだ」と門前払いされた。


一方で、言葉も文化も通じないまま保護を求めた外国人には、迅速に支給が決定されたという報道が流れた。


「人道的配慮」だと政治家は語ったが、秋山にはそれが「命の選別」に見えた。


助かる命と、切り捨てられる命。その線引きが、自分たちの"声の弱さ"によってなされたという事実に、深い絶望を感じた。


秋山の知人の一人が、その年に命を絶った。生活苦が限界を超えた末の選択だった。


「声を上げなかった自分たちが悪いのか?」──そう思う自分と、

「声を上げても変わらなかった」という現実の間で、秋山の心はずっと揺れていた。


彼は、尾崎豊をリアルタイムでは知らなかった。


だが、大人たちの建前に反発し、自由を求めて叫ぶその声には、どこか共鳴するものがあった。尾崎が叫んだ「15の夜」は、秋山にとっては「30の朝」だった。


盗んだバイクはなかった。校舎の窓ガラスも割らなかった。だからこそ、誰にも気づかれないまま、人生を終える者が多かった。


暴れなかったからこそ、見捨てられた。叫ばなかったからこそ、責められた。


そして、何も変わらなかった。


彼は、尾崎豊をリアルタイムでは知らなかった。


だが、大人たちの建前に反発し、自由を求めて叫ぶその声には、どこか共鳴するものがあった。尾崎が叫んだ「15の夜」は、秋山にとっては「30の朝」だった。


盗んだバイクはなかった。校舎の窓ガラスも割らなかった。だからこそ、誰にも気づかれないまま、人生を終える者が多かった。


暴れなかったからこそ、見捨てられた。叫ばなかったからこそ、責められた。


そして、何も変わらなかった。


6. 静かなジェノサイド


2035年、日本は自殺率世界一となった。


統計の中で最も自殺率が高かったのは、40代後半〜50代前半の男性だった。


誰も声を上げない。ニュースでは「メンタルヘルスの問題」と片付けられた。


だが秋山は思う。これは意図せず行われた、静かなジェノサイドではないのかと。


社会が声を奪い、制度が無視し、周囲が忘れていく中で、自ら命を絶たざるを得なかった世代。


それが、自分たちだった。


7. 手紙(2035年・終幕)


秋山はポケットから、一枚の手紙を取り出す。


A4のコピー用紙に、ボールペンで震えるように書かれていた。


この国に、"ごめんなさい"が欲しかった。


あのとき見て見ぬふりをしたあなたへ。

あのとき「努力不足」と笑ったあなたへ。

あのとき「仕方ない」と納得した自分へ。


僕は、もう十分に耐えたと思う。


でも、次の世代へは──こんな思いはさせないでほしい。


彼はゆっくりと立ち上がる。太陽は傾き、海は橙に染まっている。


そして、風の中へ、紙切れはふわりと舞っていった。


(了)

【あとがき】


この小説を書きながら、いくつもの感情が交錯しました。


きっかけのひとつに、「マイキーさん」という方の動画があります。彼は「消費税減税は意味がない」と語っており、理屈としては理解できるものでした。ただ、それを聞いたとき、どうしても感情がこみ上げてしまったのです。


私は、消費税そのものの減税に必ずしも賛成しているわけではありません。


けれど、せめて食料品だけでも消費税0%にしてほしい──そう思うのは、氷河期世代の一人としての感覚でもありました。


その世代がこの先も通信のように沈黙させられ続けたら、20年後、日本の自殺率が本当に世界一になってしまうかもしれない。そういう焦燥から、私はマイキーさんの発言に対して、批判的な意見を出してしまったのです。


後悔しています。ですが、それでも「わかってほしかった」のだと思います。わかってくれる人だと思ったのかもしれません・・・


この物語は、そうした衝動や痛みの表現の一つです。


本当に自殺率が世界一になるかどうかは、正直なところ私にもわかりません。


けれど、今の政治家たちの姿勢──利権と自分の当選しか考えていないように見える振る舞い──を見ていると、将来に対して希望よりも不安のほうが強くなってしまうのです。


だからこそ、こういった文になりました。


読んでくださった方へ、心より感謝します。



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