準備
「仕事が見つかりそうなので、街で暮らそうと思います」
夕食の際、王太子や他の三人にそう伝えると驚いた顔をされた。
わたし自身もすぐに見つかると思っていなかったので、その気持ちは分かる。
「え、羽柴さん、もうお城を出ていっちゃうんですか〜?」
八坂君が残念そうな顔をする。
「とはいっても、護衛騎士のところに厄介になるだけさ。さすがに王城から仕事場に通っていると不審がられるから、街に住んだほうが痛い腹をつつかれなくて済むんだよ」
「へえ〜?」
あまりよく分かっていなさそうな様子で首を傾げる八坂君に、苦笑した。
彼らくらい若いとまだ細かなところまで気が付けなくても当然だし、その辺りは国が補ってくれるだろう。わたしがあれこれと口を出して世話を焼く部分ではない。
シルヴェストル君が王太子に耳打ちをする。
それに王太子が頷き、わたしを見た。
「なるほど。確かに下手な宿に泊まるより、そのほうが我々としても安心できる。当面の生活に困らない程度の金をシャリエールに渡しておこう」
「ありがとうございます」
深くは訊かれなかったけれど、シルヴェストル君が報告するだろう。
それに勇者君達に頻繁に来られても困るので、どこで働いているかは黙っていてもらえるようお願いしておこう。縁があれば、三人と会うこともあるかもしれないが。
「だが、今後も護衛としてシャリエールはつけていてもらいたい」
「はい、こちらとしても彼がいてくださると心強いので助かります」
赤城君と鈴代さんは少し物言いたげだったけれど、何も言われなかった。
……まあ、引き留められても困るしねぇ。
わたしもあえて気付かないふりをした。
そういうわけで、わたしは今後はシルヴェストル君の家に厄介になる。
* * * * *
翌朝、わたしとシルヴェストル君は馬車で城を出た。
昨夜のうちに勇者君達や王太子とは挨拶を済ませておいたし、定期的に城に顔を出しに来るようにとは言われているので、今生の別れではない。
そもそも同じ王都の中に住んでいるのだから会うこともあるだろう。
馬車が大通りを抜け、城からある程度離れたところで脇道に入る。
いくつか曲がって、そして停まった。それほど城から離れてはいない。
シルヴェストル君が先に降りて、その手を借りてわたしも降りる。
荷物はとりあえずカバン三つ。
中身は国が用意してくれた着替えや日用品である。
目の前には細い家が隣り合って建っていた。
アイボリー色の壁に黒っぽい屋根の建物は四階あり、最上階はほぼ屋根のように見えるが、大きな窓があるからか全体的に大きく見える。二階、三階には道路に面した窓が五つ。一階は左右がアーチ状になっていて、真ん中に扉があった。
シルヴェストル君が御者に声をかけ、馬車を王城に帰らせる。
「こちらが私の家です」
シルヴェストル君が一階正面の扉を叩けば、すぐに人が出てきた。
「お帰りなさいませ、シルヴェストル様」
メガネをかけた初老の女性が笑顔を浮かべて扉を大きく開け、わたし達を中に通す。
「昨日手紙で伝えていた、ルイ様だ。任務の関係で私が護衛を務めているが、今日から共に住むことになった。他国出身の方なので、色々と気を配ってくれ」
「かしこまりました」
女性が深々と頭を下げる。
「初めまして、涙・羽柴といいます。突然押しかけてしまってすみません。ご面倒をおかけしますが、今日からよろしくお願いします」
「まあ……ご丁寧にありがとうございます。ポーラと申します。こちらで家政婦をしておりますので、何かございましたらお気軽にお声がけください」
女性──……ポーラさんは穏やかに優しい笑みを浮かべる。
シルヴェストル君は「あとで皆を食堂に集めてくれ」と言い、わたしに振り返る。
「ルイ様、中をご案内いたします」
そうして、シルヴェストル君の家の中を見て回らせてもらった。
一階は馬車を入れておくための車庫と、馬車を引くための馬が二頭いる小さな厩舎があり、わたし達が最初に入った扉の中は奥に細い控えの間になっていた。
普段は執事がいて来客対応などをするそうだけれど、今はシルヴェストル君の荷物を取りに騎士寮に行っているため不在らしい。使用人に引っ越しを任せるところは貴族なのだな、と感じた。
その控えの間の左右に馬車用の通路がある。
というか、建物の中に中庭があったことに驚いた。
芝生があり、背が高い木が一本植えられていた。
建物のちょうど真ん中辺りに階段があって、そこを上がっていくと二階に繋がる。
階段を出て右手が厨房、左手が食堂。正面右手が浴室で左手が居間。
更に三階に上がると階段を出て右手が小さな図書室、左手が衣装部屋で、正面左右に部屋がある。
「右手がルイ様のお部屋になります。隣は私の部屋ですので、何かありましたら声をかけてください。使用人を呼びたい時は部屋に置かれたベルを鳴らせば来ます」
「至れり尽くせりだね」
隣なら何かあってもすぐに駆けつけられるということだろう。
……使用人をベルで呼ぶのは何回やっても慣れないけど。
下手にあれこれ触るのは失礼だから、欲しいものがある時は呼ばせてもらおう。
四階は客室が二つと浴室だった。それぞれの階にトイレもあった。
中庭を挟んだ向こうは使用人棟なので入らないように言われた。
三階に戻り、部屋に荷物を運び入れる。
入って正面奥にベッドがあり、窓が二つ、右手に暖炉、左手に本棚付きの机と大きな箪笥がある。最低限だけれど問題なく家具は揃っていた。
「いい部屋だ」
「そう言っていただけると皆も喜びます」
カバンを机に置く。荷解きは夜でもいいだろう。
促されて食堂に行けば、この家の使用人だろう人々が揃っていた。
先ほど会ったポーラさんは家政婦長、メイドのエリーさんに、料理人のアランさん、御者兼厩番のジョンさん、そしてここにはいないが執事のフェンさんの五人が家を回しているそうだ。
彼らが休みを取る時、どうしても手が足りない時はシルヴェストル君の実家から使用人が派遣されることもあるらしいが、基本はこの五人なのだとか。
突然来たわたしに誰もが好意的な対応をしてくれるので拍子抜けしてしまった。
……嫌がられたりしないんだねぇ。
わたしが来たことで彼らの仕事が増えてしまうだろうに。
「それでは、各自仕事に戻ってくれ」
シルヴェストル君が言い、使用人達は食堂をでていった。
「荷解きをされますか?」
「いや、それは後でいいかな。先に闇ギルドに向かおう」
「かしこまりました」
と、動きかけたシルヴェストル君がわたしを見た。
「ルイ様、あのギルドは『宵闇の月』という名前があります。『宵闇の月』と言えば、大抵は通じると思いますので、今後はそのようにお呼びください」
「ああ、うん、そうだね。闇ギルドって呼び方はよくないか」
頷き、シルヴェストル君について一階に下りる。
馬車はギリギリ四人乗れるかなというくらいのもので、先ほど挨拶をしたジョンさんが御者として運転してくれるそうだ。近くで見ると馬もなかなかに可愛かった。
馬車に揺られながら、ギルド『宵闇の月』に向かう。
それほど離れていないらしく、十五分ほど走ったところで馬車が停まった。
馬車から降りて、シルヴェストル君が馬車を返す。
この距離なら帰りは歩いてもいいくらいだ。
ギルドの中に入れば、昨日と同じく中にいる人々の視線を感じた。
辺りを見回していると「おーい」とこちらに手を振る人がいた。
大柄で髭を生やした男性と他にも何名か、やはり体格のよい男性達がいて、歩み寄れば声をかけられた。
「あんたがルイか? よく分からねえが、葉巻みたいなもんを売るって話を聞いた。ギルド長からそのために店をここに作って欲しいって言われてな」
「はい、そうです。本当に小さくてよいのですが……その前に、売り物を見ていただいたほうが早いですね」
ローブの中で煙草を出し、それを差し出した。
紙のボックスを見た男性達がまじまじと顔を近づけてくる。
差し出すと髭を生やした男性が受け取り、箱をくるくると回し見る。
もう一つ同じ煙草を出し、開け方を教える。
「ここを押すと切れ目がついているので、このように開きます。中の封を破いて、一本抜いたら蓋を閉じることができます。そうして、これはこのまま火をつければ吸えます」
わたしが一本抜き、口に咥えるとシルヴェストル君が火をつけてくれた。
普段は吸わない銘柄のものだが、たまに他のものを吸うのも気分転換になる。
「こちらも差し上げますので、吸ってみてください」
これはとても軽くて、天然の煙草葉にこだわっており、燃焼時間も比較的長い。
男性達も見よう見真似で煙草に火をつけ、吸う。
髭の生えた男性は葉巻かパイプを吸っているのか、わりと手慣れていた。
「こりゃあ面白い。俺にはちと軽すぎるが、火をつけるだけなら気楽に吸えていいな」
「手元の辺りに線があるので、その直前までは吸えますよ。吸い終わったものはきちんと火を消して捨ててくださいね」
「ああ」
男性達が煙草を吸うと煙が広がった。
それが気になるのか、他からの視線も強く感じた。
「シルヴェストル君」
手招きして、シルヴェストル君に煙草の箱をいくつか渡す。
「せっかくだから、他の方々にも一本ずつ差し上げてきてもらえるかい?」
「かしこまりました」
シルヴェストル君が煙草の箱を持って少し離れる。
でも、わたしから見えない位置に行かないように気を付けているようで、眺めていると何度か視線が合った。こちらの無事を確認しているらしい。
その間に男性達と話してみれば、全員大工だった。
どうせ作ってもらえるならとわたしは自分の好みと注文を伝えてみた。
「手を伸ばせば全部に届くくらい小さな店で、重厚感が欲しいですね。それから外に丸椅子を二脚、中に店番用に座り心地のいい椅子を一脚、カウンターの高さに合わせてもらえると嬉しいです」
「そんな小さな店でいいのか? いや、売り物がそもそも小さいからか」
「はい。ここの角に合わせて作っていただきたいです。それで、ここのカウンター部分は出入りできるように跳ね上げ式で、足元に足掛けを作って、上にも飾り天井を作って……」
「それなら、ガラスをはめ込むのはどうだ? ちょうど貴族の屋敷用にって作ったものの余りが手元にいくつかある。飾りガラスでなかなかにいいぞ」
「素晴らしいですね。その案で是非お願いします」
あれこれ話している間にシルヴェストル君が戻ってくる。
その時にはもう、粗方、店の構造についての話は済んでいた。
男性達がどうやって作るかワイワイ話している横で、シルヴェストル君が言う。
「ルイ様、とても楽しそうですね」
「ん? ……うん、まぁね。自分の好きなもので店を持つって面白いじゃないか」
しかも元手がかからずに始められる。
……ああ、煙草を売るならマッチも売らないと。
この世界には魔法を使える人も多いようだし、あまり必要ないかもしれないが。
マッチは銅貨一枚くらいでいいだろう。煙草を吸う以外にも、火をつける時に役立つので欲しがる者は結構いるかもしれない。
「おい、ルイ!」
大工の男性に声をかけられる。
「これなら急げば二日でできる! 二日後にまた来い!」
「分かりました。お店、楽しみにしていますね」
「おう、いい店を作ってやるよ!」
と、言い、他の男性達がギルドを出ていく。
さっそく店作りに着手してくれるようで、ありがたい話だ。
「さて、店はお任せするとして、わたし達も帰ったら準備をしないとねぇ」
「お手伝いいたします」
「助かるよ。重さはそんなにないけど、かさばるからね」
大工の彼らに後を任せ、わたし達は街を眺めながら家に戻る。
……いい街並みだ。
海外特有のしゃれた景色だが、それでいてどこか趣深い。
長く丁寧に使われた建物の風合いが優しく、美しく、落ち着いている。
ふと横から視線を感じて顔を上げれば、シルヴェストル君がわたしを見ていた。
「ルイ様は歩きながら煙草は吸われませんね」
「歩き煙草は危険だから。人とぶつかりやすいし、こう、手を下ろした時に煙草の火が子供の顔の高さに当たるんだ。そういう事故も昔から多くて……煙草を吸うにしても、時と場所を考えて周りに配慮するのが喫煙者のマナーだよ」
「そうなのですね」
納得したのかシルヴェストル君が小さく頷く。
喫煙者の中にはマナーの悪い者もいて、そのせいで非難されることもある。
煙草が苦手な人がいるから、そういう人の前では吸わないのもマナーだし、どうしても吸いたいなら離れるか、訊いてみるか──……周囲に迷惑をかけてまで吸うべきものではない。
「それを言うなら、シルヴェストル君こそいいのかい? わたしが家で煙草を吸ったら、その匂いが染みついてしまうかもしれない。もちろん、必要なら外で吸うけれど……」
「先ほどルイ様が出した煙草の香りは少し苦手ですが、普段吸っていらっしゃるものは気にならないので、家で吸っていただいて問題ありません」
「そう? それはありがたいね」
わたしにとってはもう煙草は人生の相棒みたいなものだ。
苦しい時も、つらい時も、悲しい時も、嬉しい時も、いつだって片手にいた。
これがあるから耐えられたこともあったし、これがあるから頑張れたこともある。
……煙草をやめるなんて考えられない。
それくらい煙草はわたしの一部になっていた。