外出
異世界に召喚されて三日目。わたしは城下町に出てみることにした。
シルヴェストル君も騎士の格好ではなく、私服に着替えて、わたしも彼もローブを着ている。
……現代だったら怪しさ満点だけどねぇ。
この世界では外出時にローブを着ることはよくあるらしい。
さすがに騎士の格好でついて来られると悪目立ちしてしまいそうだったので助かった。
……まあ、シルヴェストル君は顔がいいから、地味な格好でも目立ちそうだ。
「それでは、まいりましょう」
「そうだね」
王太子殿下が馬車を手配してくれており、街を見て回るからといくらかお金もくれた。
昨日、蔵書室でこの世界のことについてはある程度大まかに調べたし、周辺国の地図も頭に入れてあるし、お金の使い方もシルヴェストル君から聞いてある。
初めて馬車に乗ったが──……かなり揺れる。酔いそうだ。
「馬車というのは随分揺れるんだねぇ」
「これでもかなり揺れは少ないほうです。一応、王族がお使いになられるものなので」
「そっか……」
何度も座面に座り直しつつ、馬車が街に出る。
窓の外を眺めれば、柔らかなベージュや黄色の壁に赤い屋根という可愛らしい街並みがある。
それを眺めながら煙草を咥えた。さすがに馬車の中は狭いので火はつけない。
ある程度走ると馬車が停まり、シルヴェストル君が立ち上がる。
「この辺りは色々な店もあるので、街を見るのによろしいかと」
「へえ、それは楽しみだ」
わたしも立ち上がって馬車の扉を掴むと、シルヴェストル君の手が重ねられた。
「ルイ様、この場合は私から降ります」
「馬車に降りる順番なんてあるのかい?」
「基本的に身分の高い方、もしくは女性は後に降りるものです」
「ほう」
シルヴェストル君が扉を開けて馬車から降り、こちらに手を差し出してくる。
馬車から地面までは少し高さはあるものの、手を借りるほどではないのだが。
かといって差し出された手を無視するのは彼の面子に関わるだろう。
素直にシルヴェストル君の手を借りて馬車から降りる。
シルヴェストル君は馬車の御者に「適当に時間を潰してきてくれ」と声をかけ、馬車はゆっくりと離れていった。
「綺麗な街だ」
改めて街を見回していれば、フードを被せられた。
「黒髪は少々目立ちますので」
「少ないのかい?」
「この国でも周辺国でもあまり見かけません」
……ってことは、遠くの国出身にしておいたほうが良さそうだ。
口元の煙草を消す。これも昨日、気付いたが、自分で出した煙草は消せるらしい。
ちなみに吸い殻も消せるので灰皿の中身を捨てる手間が省けて、地味にありがたい。
「とりあえず、ちょっとその辺を歩いてもいいかい?」
「かしこまりました」
そういうわけで、初めての異世界街歩きとなった。
特に何かを買うわけではなく、道に並ぶ屋台を冷やかしていく。
……物価は元の世界よりこっちのほうが安い、のか?
そもそも銅貨一枚で頭ほどあるパンが一つ買えるらしい。
野菜や果物も意外と安くて、でも肉はほぼ見かけない。
「肉は売ってないんだね」
「平民にとって肉は高価なものです。毎日食べられるのは貴族か、地方の小さな村などです。村には狩人がいて、狩った獲物は村全体の食料として扱われますので」
「へぇ」
時々シルヴェストル君に質問し、答えをもらいというのを繰り返す。
食べ物から雑貨品まで屋台は色々あった。
通りの向こうまで歩いたところで少し疲れてしまった。
「悪いけど、少し休憩してもいいかい?」
「え? ……はい、構いませんが……?」
「すまないね。元が運動不足だから、久しぶりに長く歩くと足がだるくって」
元の世界でも家と駅、会社を行き来するばかりの毎日で、ほぼデスクワークだった。
運動不足のツケをまさか異世界で感じることになるとは思わなかった。
通りの先にある広場の噴水に腰掛ける。あまり人がいなかったので、マッチで煙草に火をつけた。
「あー……疲れた」
シルヴェストル君の呆れた視線を感じたが、気付かないふりをする。
そこでふと別のことに気付く。
「そういえば、煙草類は売ってなかったね?」
「葉巻やパイプはきちんとした店では売っておりますが、嗜好品で、それなりの値がするので王侯貴族や豪商など、金銭的に余裕のある者しか購入できません」
「そうなのか」
スパスパとしばし煙草を吸っていたが、唐突に閃いた。
……これ、食い扶持にできるのでは?
葉巻やパイプは別として、紙煙草としてあまり高すぎない値段で売り出すのはどうだろうか。
きっと貴族のように煙草を吸ってみたいと思っている者もいるはずで、平民でも購入しやすい値段設定にすれば、需要はあるはずだ。
元の世界でも煙草の需要は大きかったのだから、こちらの世界でも可能性は高い。
思わず黙ったわたしにシルヴェストル君が小首を傾げた。
一本吸い終え、灰皿に入れる。
「この近くにちょっと柄の悪い人間が出入りしてそうな場所ってある?」
シルヴェストル君が眉根を寄せた。
「あるにはありますが……何をなさるおもつもりですか?」
「いや、何、せっかくなら煙草で生きていこうと思ってね。お貴族様向けじゃなく、平民向けにそこそこの値段で売れば、それなりに稼げそうだろう?」
「……なるほど。葉巻やパイプとは異なるので客の奪い合いもなさそうです」
「そういうこと」
それに貴族向けも悪くはないが、平民のほうが数は多いのだから、平民向けに販売した方が顧客は多くなる。箱から取り出してすぐに火をつけて吸える紙煙草は手軽で好まれそうだ。
「しかし何故、柄の悪い者達が出入りする場所なのですか?」
「そういう人間ほど酒や煙草を好むって相場が決まってるものさ」
どっこいせ、と立ち上がり、シルヴェストル君の肩を軽く叩く。
「案内、よろしく」
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そうしてシルヴェストル君が案内してくれたのは四階建ての、街の中でもわりと大きな建物だった。
見た目はそれほどを古くはないが、一階の、上下がない真ん中だけの扉の向こうから騒がしい声が響いている。
……こういう扉、なんていうんだったかな。
よく西部劇で出てくる、酒場のあの扉。
「本当に入りますか?」
シルヴェストル君の念押しに頷いた。
「入るよ。女は度胸ってね。何かあっても、まあ、何とかなるさ」
扉に近づき、押して入れば室内は意外と明るい。
広い室内は入って右手に受付のような場所があり、左手は酒場になっているようだ。
受付は綺麗な女性達が立っており、目が合うと微笑み返された。
それにわたしも微笑み返しつつ酒場に向かう。
いくつかのテーブルには柄の悪そうな男達が座っており、酒の匂いと少しだが煙草のような匂いも漂ってくる。後ろからシルヴェストル君もついてきてバーカウンター席に着く。
「ご注文は?」
つっけんどんな問いに「ほどほどに強い酒を一杯」と頼む。
あえてフードを外し、ゆっくりと懐からシガレットケースを取り出した。
「火、ちょうだい」
「はい」
シルヴェストル君の出してくれた火で煙草を吸う。
……うん、やっぱり美味い。
ふぅ……と吐き出していると背中に強い視線を感じる。
無言で出されたのは木製のカップで、中に酒が入っている。
飲んでみると水割りだった。それもかなり酒をケチられていて、笑ってしまった。
「お兄さんも一本いかがですか」
いかつい店員に声をかける。
「これは葉巻と同じですよ。ただ、葉巻よりも手軽ですがね」
「……では、一本」
「火を」
わたしが店員に煙草を渡せば、シルヴェストル君がそれに火をつける。
吸って、煙を吐いた店員が一言「美味い」と言う。
そして店員が振り返り、店の奥に声をかけた。
「『天使の雫』を持ってこい」
奥から細身の男性が出てきて、酒瓶を置いていった。
その瓶のコルクを抜くと店員がわたしに差し出したので、カップの中身を飲み干して向けた。
カップにいくらか注がれたそれに口をつけてみれば、樽の芳醇な香りが鼻を抜けていく。
それに釣られて煙草を吸えば、甘い香りが重なり、充足感に包まれる。
「ああ、良いお酒ですね……」
余韻に浸りつつ、煙草を吸う。
良い酒と好きな煙草の組み合わせというのは、どうしてこうも心を癒してくれるのか。
勿体なくて、ゆっくりと酒と煙草を楽しんでいるとそばに誰かが立った。
「お嬢さん、相席してもいいかね?」
顔を上げれば右目に黒い眼帯をした、白髪の初老の男性がいた。
……ヒゲの生えたナイスミドル──……というには少し年嵩か?
金色の瞳を細めて、ニコリと微笑まれたので、わたしも微笑んだ。
「ええ、どうぞ。もしかして葉巻かパイプをお吸いになられます?」
横に座った初老の男性に話しかければ、ははは、と笑い返された。
「ああ、その通りだよ。お嬢さんの持っているものが気になってしまってね」
「お嬢さんという年齢ではないので、ルイと呼んでください。よければ一本どうぞ。そのまま火をつければ吸うことができますよ」
「ありがとう、ルイ」
初老の男性は自分の指先に火を灯すと、それで煙草に火をつけた。
軽く吸い、ふぅ……と煙を吐き出す。
「おや、甘い」
「甘くないものやスーッとするものなど色々ありますが、わたしはこの香りを好きでして」
「なるほど。……いや、しかし良い葉を使っている」
初老の男性も美味そうに吸うので、わたしも手元の煙草に口をつける。
……ああ、やっぱり落ち着く。
「こんなに良い葉、どこで手に入れられるのやら」
「ふふ、それは秘密ですよ。ただ、わたしは遠く離れた国から来たとだけ申し上げておきます」
「そうか、私も是非、この煙草が欲しいと思ったんだが残念だ」
初老の男性が続ける。
「これほどの品質ならば貴族や王族に売っても良いと思うがね」
「そうかもしれませんね。ただ、わたしはのんびり生きたいので、できればどこかで小さな煙草屋を開いて地味に生きていけたらと思うのですが……」
「それはまた欲のないことだ」
ふぅ……と初老の男性とわたしとで煙を吐き出す。
意外にも他の男達に絡まれないなと思いながら、酒の最後の一口を飲み干した。
「さて、わたし達はそろそろお暇しようと思います」
席を立とうとすれば、初老の男性に声をかけられる。
「ルイ、ここで煙草屋を開いてみないかね?」
……来た。
内心でそう思いながらも、小首を傾げてみせる。
「ここで、ですか? 確かに悪くはなさそうですが……」
「実は私はここの長みたいなものでね、君の煙草が気に入った」
「そういうことですか」
椅子に座り直し、初老の男性を見る。
「ただ、どれほど売れるか分からないので毎月決まった額は支払えないでしょう」
「売上の二割ほどもらえばいい。店も用意しよう」
「太っ腹ですね」
「君の持つ煙草を他にも試してみたいからね」
……それほど悪くはないように思える。
どれほど売れるか分からないと言ったが、恐らく人気は出る。
売上の二割なら問題ないだろうし、店も用意してくれるなら初期費用はかからないということだ。
少し考えたものの、この話に乗ったほうがいいと直感が告げている。
「分かりました。是非、ここで煙草屋を開かせてください」
「君なら頷いてくれると思っていたよ」
差し出された初老の男性の手を取り、握手を交わす。
「改めまして、涙・羽柴です」
「マグナス・バレンシアだ」
それから、わたし達はあれこれと話をして、ここで店を出すことになった。
店の雰囲気や造りなどを説明するとマグナスさんは「それくらいなら数日でできる」と言った。
……数日あれば国王達に説明して、城を出られるな。
恐らくシルヴェストル君もついてくることになると思うが。
「いや、君の煙草を楽しみにしているよ」
「はい、店を出すために種類を取り揃えておきますね」
今度こそ立ち上がり、懐から煙草の箱を取り出した。
それをマグナスさんに差し出す。
「今日の煙草が入っています。今後とも良いお付き合いをさせていただきたいので、どうぞ」
「ははは、ありがたくもらっておこう。明日もう一度来てもらえるかな? どのような店が良いか大工達に教えてやってほしい」
「大丈夫ですよ。では、明日また来ますね」
それでは、と別れ、シルヴェストル君と共に建物を出る。
しばらく歩くとシルヴェストル君が近寄ってきた。
「……尾けられています」
「だろうね」
「ルイ様、少し失礼します」
シルヴェストル君に手を取られ、近くの路地に入る。
そして、ふわりと抱き上げられるとシルヴェストル君はグッと腰を落とし、跳躍した。
屋根まで一瞬で上がってしまい驚いた。
しかもそのまま、屋根の上を移動していく。
それから離れた人気のない路地に下りる。
「ここまで来れば大丈夫かと」
「ああ、ありがとう」
辺りを警戒した様子のシルヴェストル君の胸元を軽く叩く。
そこでようやく気付いたのか、下された。
「突然触れてしまい、申し訳ありませんでした」
「いや、助かったよ。……バレンシアさんだと思う?」
「恐らく。マグナス・バレンシアは闇ギルド『宵闇の月』のギルド長です。ああ見えて、腹黒いところもありますので、ルイ様の後を尾けて煙草の入手経路を探ろうとしたのでしょう」
「まあ、そうだろうね」
とりあえず大通りに出て、最初に馬車を降りた場所まで戻る。
わたし達が着く頃には馬車も戻ってきており、すぐに乗り込んだ。
「しかし、まさか闇ギルドに店を開かれることになるとは……」
「そもそも、あそこに案内したのはシルヴェストル君だよね?」
「追い返されて終わるとばかり考えておりました」
……追い返されると思いながら案内したのか。
「君、意外といい性格してるねぇ」
でも、案外悪くない。
おかげで面白い場所で過ごすことができそうだ。