その後の話(1)
男が王城に引っ立てられてから数日後。
事の顛末を知るために、わたし達は登城した。
……正直、あまり興味はないんだけどねぇ。
「王太子殿下より城に来てほしい、とのことです」と、シルヴェストル君に言われたら無視するわけにもいかない。
「まったく、休日くらいのんびり過ごさせてほしいものだねぇ」
先日の男の件があった後も、急に店を閉めるわけにもいかずウトウトしながら店番をした。
来るお客全員に「暇そうだな」「寝不足はお肌の天敵よ」などとからかわれたが、なんとか一日、店を回した。
以前は徹夜でも平気で仕事ができたのに、この世界で規則正しい生活に慣れてしまったのか、早朝に早起きしただけでとても眠かった。
実際は、称号の力を使いすぎただけなのだが。
……煙間の移動は何度でも使えると書いてあったけれど。
繰り返し能力を行使すると、とんでもない疲労感があるようだ。
城に行くとすぐに騎士の案内で王太子の政務室に通された。
「休日に来てもらってすまない」
どうぞ、と促されてソファーに座る。
「先日捕縛した落ち人の男の件だが、どうやら、この国を乗っ取ろうとしていたようだ。我が国は周辺国とも軋轢が少なく、平和で、だからこそいざという時に即座に対応できないだろうと踏んで城を落とすつもりだったらしい」
……本当に国取りなんて考えていたのか。
王太子の言葉に呆れながらも「そうですか」と返す。
「そういえば男が『力を使えなくなった』と喚いていたが、あれはハシバ殿が?」
「ええ、彼に『称号の能力が使えなくなる煙草』の煙を吹きかけたんです。解除するには専用の煙草を吸わないといけませんが、あの男の能力は危険なので」
「調べたところ『銃』というものを扱える能力らしいが……」
この世界には銃がないから、どのような能力か分からないのだろう。
「いわゆる飛び道具ですよ。小さな金属の弾を矢よりも早く撃つもので、一発頭に当たっただけで人間は簡単に死にます。使えるままでは危険ですから」
「なるほど、それは危険な能力だ」
「殿下、あの男は剣の腕も立ちます。能力が封じられていても、お気をつけください」
シルヴェストル君の言葉に王太子が小さく頷いた。
あの男はやはり落ち人で、わたしと同じ世界の、同じ国から来たようだ。
この世界に落ちてすぐに野盗に襲われ、奴隷として売り払われ、貴族に購入された。
しかし、買われた先が悪かった。
貴族は男をストレス発散の捌け口にした。
毎日暴力を振るわれ、罵倒され、人間らしい扱いなどされない。
男は飽きたという理由で別の貴族に売り払われた。
そこで【称号】を知り、男はやっと能力を使って貴族やその家の者を皆殺しにして逃げ出したという。
それから五年、他国に逃げた男は転々とし、能力を磨いた。
ついに復讐を果たすため、この国に戻った男は王城を襲う計画を立てていた。
だが、王都で過ごしているうちに煙草屋の話を聞いた。
この世界には煙草はない。すぐに煙草屋が同じ落ち人だと気付いた。
落ち人は総じて称号の能力が高いそうで、男はわたしもきっと強い称号を持っているだろうと考え、この国を共に乗っ取ろうと声をかけるつもりだったらしい。
けれども、シルヴェストル君から敵意を向けられ、方針を変えた。
シルヴェストル君を捕まえ、人質にしてわたしに協力させる。
……同郷の人間すら信用できなかったんだろうねぇ。
わたしも、もし一人でこの世界に落ちて奴隷にさせられたとしたら、どうだろう。
他人事ではないが、だからといって同情するつもりもない。
どんな理由があったとしてもシルヴェストル君を傷つけられたことに変わりはないし、わたしを利用しようとしたことも不愉快である。
「あの男については全てお任せしてもよろしいですか?」
「それは構わないが……温情をかけてくれ、とは言わないのだな」
「武器を向けてきた相手に同情するほど、わたしは優しくありませんよ」
立ち上がり、シルヴェストル君の頭をぽんぽんと撫でる。
「どうやら、わたしは自分のお気に入りを傷つけられるのが一番嫌いなようです」
それに王太子は「心に留めておこう」と苦笑したのだった。
「『煙の魔女』殿の機嫌を損ねたくはないのでな」
「これでも結構、懐は広いと思いますけどね」
王太子はおかしそうに笑ったが、何も言わなかった。
わたしはそれに軽く肩を竦め、男に関することは全てを任せて政務室を出た。
……煙草が吸いたい。
「シルヴェストル君、ちょっと中庭にでも寄って──……」
「あ」
言いかけたところで、聞き覚えのある声に振り返る。
既視感を覚えつつ振り向けば、そこには鈴代さんがいて、他の二人も廊下の角から顔を覗かせた。
「やあ、三人とも元気そうで何よりだ」
近づけばシルヴェストル君もついてくる。
鈴代さん、八坂君、赤城君もこちらに歩いてきた。
「羽柴さんがお城にいるなんて、珍しいですね〜」
「国から生活費は出してもらっているから、たまには顔を見せに来つつ、近況報告しないとねぇ。まあ、毎日店番しているだけだから、大した内容ではないけれど」
八坂君にそう返せば、鈴代さんが目を瞬かせた。
「お店は繁盛しているって聞きましたけど……生活費をもらっているんですね」
「ははは、もちろん。もらえるものはもらっておく主義でね。それに、生活に困らない状態だからこそ、煙草屋をやっているんだよ。趣味で自分の好きなものを扱う店を開けて、売り上げも気にしなくていいなんて贅沢だろう?」
「確かに」
鈴代さんが真面目な顔で深く頷いた。
「何より週に二日も休める」
「……それは普通だと思いますけど」
「それは学生だから言えることさ。会社の『週休二日制』っていうのはね、毎週必ず二日休みがあるって意味じゃないよ。月に最低一回、二日以上の休みがあれば『週休二日制』なんだ」
「え」と三人が目を丸くした。
「必ず週に二日休みがあるのは『完全週休二日制』で別だよ」
「知らなかった……」
「へえ〜、なんか新手の罠みたい」
「……でも、羽柴さんってブラック企業にいたんじゃ……」
赤城君、八坂君、鈴代さんが唖然とした顔をする。
……分かるなぁ。
わたしも入社前は『週休二日制』は必ず週に二日休みがもらえると思っていた。
ちなみに入社してから週に二日休みをもらえたことなど一度もなかった上に、三回も退職願を上司に破り捨てられた。
上役の前で「辞めたい」と言った時もできの悪い冗談だと受け流された。
他の職を探す時間も精神的な余裕もなくて、機械的に毎日仕事をこなすだけ。
「ああ、二日も休みをもらえたことなんてなかったよ」
「怖っ」
鈴代さんが思わずといったふうに身を引いた。
こうして健康的な生活を送るようになってからは『自分はどうしてあんな理不尽に従っていたのだろう』と不思議に思うが、あの時は心身共にギリギリの状態で『とにかく今を乗り切ること』しか考えられなかった。
それにわたしが辞めたあと、残った社員達に仕事のしわ寄せがいくと思うと申し訳なくて……そういうところも精神的にしんどい部分だったし、同僚達の『お前が辞めたら誰が引き継ぐと思ってる』という雰囲気もあって辞められずにいた。
わたしが退職願を三回も出したことは、みんなが知っていた。
ある意味では『裏切り者』と思われていたのかもしれない。
人間の心理とは不可解なもので、苦しい状況にいて、別の者がそこから先に解放されると怒りを覚えるのだ。自分と同じ苦しみを強いたがる。
それでいて、自分から脱出しようとは動かない。
全員で互いに監視して逃げようとすれば責められ、密告される。
馬鹿みたいな話だが、そういう状況になっていたのだ。
そのせいで何人の若者が潰されたことか。
近年ではパワハラやモラハラ、ブラック企業が話題に上がり、社会問題にもなっているというのにいまだにそういった会社がどこかに存在する。
「羽柴さんはこれから帰るんですか?」
赤城君の問いにわたしは首を傾げた。
「いや、中庭で一服してから帰ろうかと思って」
「本当に煙草が好きなんですね……」
「好きだから煙草屋なんてやってるのさ」
ふと、鈴代さんが口を開いた。
「でも、羽柴さんが辞めてしまったら煙草屋はなくなってしまうんですよね?」
「『魔物避け煙草』がなくなったら冒険者は困りそう〜」
八坂君が困り顔をして、頭の後ろで手を組んだ。
確かに、わたしが売っている品質の煙草は消えてしまうだろう。
「わたしの煙草屋はなくなるが、煙草はきっと消えないさ」
「なんでですか?」
不思議そうに赤城君が訊いてくる。
「人間ってのは強欲な生き物だからねぇ。この世界には葉巻やパイプが既にある。煙草だってそのうち、どこかの商会やギルドが研究して類似品が出てくるさ。特に手巻き煙草なんて作り方は簡単だから、品質が低くても、安ければ欲しがる人間はいる」
「それだと羽柴さんのお店は潰れてしまうんじゃ……」
「わたしが生きている間、店が残っていればいい」
「うわ……羽柴さんって意外とジコチュウ〜……」
八坂君の言葉につい笑ってしまう。
「おや、今頃気付いたのかい?」
わたしは最初から自己中心的な考えであったし、そういう行動しかしていない。
煙草屋だってわたしがやりたいからやっているだけだし、類似品が出てくれたほうが面白いし、この世界唯一の煙草屋なんて看板を背負い続けるのは億劫だ。
誰かが類似品を作って、第二第三の煙草屋ができてくれたほうが気楽である。
「とりあえず、そろそろ吸いに行ってもいいかねぇ」
と、訊けば三人が頷いた。
中庭に向かって歩き出すとなぜか三人もついてくる。
……まあ、いいか。
城の中庭に出て、中央の小さな噴水の縁に腰掛ける。
煙草を取り出して口元に咥えると、横から当たり前のように手が伸びてきた。
「ありがとう」
火をつけてもらい、軽く吸う。
……ああ、やっぱりこれが一番美味い。
ライターやマッチも悪くはないが、シルヴェストル君から火をもらうのが不思議と美味く、香りもよい。焚き火で煙草を吸うと美味いと聞いたことがあるので、それに近いのかもしれない。
鈴代さんもわたしの横に座り、赤城君と八坂君が向かいに立っている。
彼らのほうにいかないように煙を操作していれば、シルヴェストル君がジッとこちらを見つめてくる。
手招くと素直に顔を近づけてきたので、口元から煙草を外し、もう片手でシルヴェストル君の襟元を掴んで引き寄せる。
三人が驚いた声を上げたけれど、構わずキスをした。
顔を離せば、シルヴェストル君が頬を染めている。
「は、羽柴さん達って、政略結婚じゃなかったんですか……?」
赤い顔の鈴代さんにわたしは小さく笑った。
「政略結婚でも愛があったっていいじゃないか」
言って、自分で『なるほど』と思う。
……わたしはシルヴェストル君に愛情があるらしい。
「少なくとも、わたしは彼をとても気に入っているよ」
「……それって本当に愛情なんですか?」
「さて、どうだろうねぇ」
何せ、誰かを愛するなんて人生で初めてのことだ。
「愛情にも色々な形がきっとあるのさ」
手を伸ばせば、シルヴェストル君が片膝をつき、頭を差し出してくる。
最近よく彼の頭を撫でるせいか、シルヴェストル君もこれに慣れたようだ。
サラサラの銀髪は指通りがよくて、形のいい頭がなんとなく可愛らしい。
表情があまり変化していないように見えるけれど、よく見ればシルヴェストル君の目元が嬉しそうに細められていて、正直なところも悪くない。
「うわ〜、なんか、大人〜……」
と、八坂君が言うので肩を竦めてみせる。
よしよしとシルヴェストル君の頭を撫で、手を離した。
「ところで、君達のほうはどうだい? 訓練は順調かい?」
「えっと……まあ、なんとか……」
「ゴブリン討伐は相当、堪えたようだねぇ」
「なんで分かったんですかっ?」
言葉を濁した赤城君が驚いた顔で訊き返してくる。
「君達が『魔物避け煙草』を買いにきた時に話してくれただろう? 生き物の命を断つなんて、そんな簡単なものではないからね。失敗しても不思議はないと思っていたよ」
それに八坂君がムッとした顔をする。
「気付いてたなら、教えてくれてもよかったじゃないですか〜」
「わたしが言ったところで、実際に経験してみないと分からないものさ。魔物を狩ると知っていて君達は冒険者になったのに、いちいち『魔物を狩れるのかい』なんて訊いたら嫌がられるだろうしねぇ」
三人がなんとも言えない顔をする。
そこで否定しないところが素直でよろしい。
……若いねぇ。
ふぅ……と煙を吐き出し、笑う。
「まあ、君達が選んだ道だ。たくさん悩んで、ゆっくり歩いていくといい」
三人はまだ若く、多少の失敗があっても周囲が助けてくれる。
「失敗しても問題ないことなら、いくらでも失敗しなさい。経験は誰にも奪われない特別な財産で、君達くらいの年頃はどんなことだって将来のためになる」
「……羽柴さんって本当に二十五歳ですか?」
「ははは、女性の年齢に触れると嫌われるぞ」
そう返せば、赤城君が押し黙る。
その様子がおかしくてわたしはまた笑った。
元の世界で働くことしかなかったあの頃から、たった数ヶ月しか経っていない。
だが、わたしはこの世界に来て、確実に変わったのだろう。
「まあ、応援しているよ」
少なくとも、シルヴェストル君に関心を持てるくらいには人間らしくなった。
そんな自分の変化がおかしくて、面白くて、愉快だった。




