称号
「いやぁ、失敬。騒がしくしてごめんね」
目を覚ました時に窓の外が明るく、どう見ても出勤時間を過ぎていたので慌ててしまった。
飛び起きて、とにかく目についた扉を開けたのだけれど、見覚えのないいくつもの顔と場所に我に返った。その後、すぐに寝落ちする前のことを思い出した。
どうやらここは異世界で、アルセリオン王国という場所の王城らしい。
昔召喚した勇者の偉業を讃えるために十年に一度行っていた儀式があり、これまでは魔法が発動することはなかったのに、今回、何故か召喚魔法が発動してわたし達が喚び出されてしまった。
しかも、元の世界に戻ることは不可能なのだとか。
正直、信じるにはあまりに非現実的だが、現代日本でこんな鎧だのファンタジーな装いだのをしていたら、確実に目立つ。某夢の国の中だとしても造りがしっかりしている気がする。
ソファーに座り、わたしと同じくこの世界に召喚されてしまった三人と挨拶をする。
「わたしは羽柴涙、二十五歳。まあ、普通に社会人をやってるよ」
「赤城拓真、十七歳、高校生です」
「八坂圭、十七歳で拓真と同じく高校生で〜す」
「鈴代優樹菜です。十七歳で、拓真と圭とは幼馴染です」
……色々と言いたいことはあるけど、煙草吸いたいなぁ。
ふう、と小さく息を吐き、視線を動かす。
事故召喚について説明してくれた国王と目が合った。
「話は分かりました。とりあえず、いくつか質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ、構わぬ」
国王が頷いたので、わたしは問いかけた。
「第一に、生活面の保証と今後について、責任を持っていただけますか?」
「それは当然のことだ。四人の衣食住は保証し、望む職や道があるのならば全力で協力しよう」
「なるほど。では第二に、わたし達を政治または軍事的に利用しないと確約していただきたいです。できれば、書面で交わしてもらえると大変助かります」
「もちろん、そなた達の生活面を保証し、利用しないと我が名に誓って約束する。その旨を書面に記したものを急ぎ、用意させよう」
「ありがとうございます」
国王の言葉に控えていた使用人らしき初老の男性が頷き、部屋を出ていった。
「第三に、もし外で生活したいと言った場合も生活面を見ていただきたいです」
「城を出るつもりか?」
「今はまだ分かりませんが、わたしは元々一人で過ごすほうが好きなので、できれば城ではなく外で生きていけたらと思っています。……ただ、これまで働き詰めの人生だったため、しばらくはのんびりしたいという気持ちもありますが」
異世界に召喚されたと聞いて、最初に感じたことは『もう働かなくていい』という安心感だった。
元の世界では日付が変わる頃に帰宅して、翌朝の四時過ぎには出社するという生活を繰り返しており、もう心身共にボロボロであった。あのままだったら確実に過労で死んでいただろう。
ある意味で、わたしは助けられたとも言える。
そう思うと召喚されたことに対して恨みはない。
あの会社で働き続けても昇進は望めなかっただろうし、転職する余裕もなかった。
ただ、あのまま搾取され続けるよりは新しい場所で心機一転できると思えば悪くない。
……しかし、この三人にとってはつらいことだろうな。
高校生の三人には明るい未来があり、家族や友人関係もあったはずだ。
わたしのように天涯孤独で、友人もいない、仕事しかない人間とは違う。
「うむ、もし城を出たいというのであれば止めはしないが……しばらくの間は護衛をつけさせてはくれないか? そなた達はこの世界のことを知らない。いきなり外に出ていくのは無謀だろう。せめてこの世界に慣れるまでは、誰か人をつけていてほしい」
「それについては願ってもないことです。一人で出ていっても生きていくのは難しいでしょう」
わたしが頷くと国王も安堵した様子で頷き返す。
「質問に答えていただき、ありがとうございます」
「いいや、召喚してしまったのは我々の落ち度である。できることならば何でもするつもりだ。もし何か困ったことや気になることがあった際は、遠慮せず言ってもらいたい」
「分かりました」
今後も何か気になることがあった時は遠慮せず訊いていこう。
国王が「それから……」と続ける。
「四人の称号を調べさせてもらっても良いだろうか?」
「ショウゴウって何ですか?」
少女──……鈴代さんが訊き返す。
「称号とは神が人々に与える祝福のようなものだ。称号には特別な能力が宿り、その称号に合わせた恩恵や力を得られる。遥か昔、召喚された勇者殿には【勇者】の称号があり、全ての能力値や魔法の才などが高く、どのような剣術や魔法も体得できたといわれている」
「そう、なんですか……」
「じゃあ俺達にもその称号っていうのがあるかもしれないんですか?」
「何それ、なんか面白そう〜!」
鈴代さんはあまりよく分かっていないようだったが、赤城君と八坂君は目を輝かせていた。
「称号によっては危険な能力もあるため、国は称号持ちと能力をできる限り把握しておきたいのだ」
国王の言いたいことは分かる。
その称号による力がたとえば【爆弾魔】だとして、それが【何でも爆発させられる能力】であったとしたら危険極まりないだろう。そういう能力を持つ人間は監視が必要である。
「わたしは構いません」
「俺も称号があるなら知りたいです!」
「オレも、オレも〜!」
「そういうことでしたら……」
全員が同意すると、国王が頷き、手を上げる。
部屋の隅に控えていたローブを来た中年の男性が、大きな水晶玉のようなものを持って近づいてくる。
……よくある怪しい占い師が使っていそうだなぁ。
などと考えていると、そばにそのローブの男性が立った。
「こちらの水晶に触れてください」
と、言われて触れてみる。
水晶が光り、空中に文字が現れる。
【ルイ・ハシバ / 25歳 / 女 / 称号:愛煙家】と書かれていた。
「……愛煙家?」
全員の声が一致した。更に下に文字が続く。
【愛煙家:煙草とそれに関する道具を全て無制限に生み出すことができる。自分の生み出した煙草による害は一切受けない】と書かれていた。
「……たばこ?」
「煙草って、あの煙草よね?」
「そういえば、最初に煙草吸ってたよね〜」
思わず、わたしはガシリと水晶を掴んだ。
「この称号の能力ってすぐに使えるんですかっ?」
「え? ええ、心から望めば使えるはず、です……」
それに手を広げて願う。
「とりあえず、何でもいいから煙草とライターがほしい……!」
瞬間、掌の上に願ったものがポンと出てきた。
しかも、いつも巻いている煙草と同じ香りのものだった。
「あああ、良かった……これだけが生きがいなんだよ……」
若干周囲が引いている気はするが、煙草を掲げて神様に感謝する。
……ありがとう神様! 今後は信じます!
「あ、窓のほうに移動するから吸ってもいいかい?」
と、三人に訊けば、呆れた顔をされた。
それでも頷いてくれたので窓辺に移動して、許可を得てから窓を開けて煙草に火をつける。
ふわりと香る匂いにホッとしつつ、一口吸う。
そして、ふぅ……と煙を吐き出す。
「あー……生き返る……」
どんなに食事や睡眠が足りなくても、これだけは欠かさなかった。
その後、窓辺で煙草を吸いながら三人の様子を眺めた。
他三人は全員【勇者】の称号持ちだった。
……まあ、わたしが勇者なわけがないからねぇ。
ふぅ……と煙を吐いているとそばにいた鎧を着た、騎士のような格好の青年が僅かに身動いだ。
「おっと、ごめんよ」
煙草の煙が騎士だろう青年のほうに流れてしまっていたらしい。
窓の外に手を出して煙を外へ逃しつつ、そばにいた騎士だろう青年を見る。
銀髪に灰色の瞳をした全体的に色素が薄い青年で、年齢はわたしと同じくらいか。顔立ちは整っており、どこか冷たい印象を与える。
「……いえ」
とだけ言い、騎士だろう青年は視線を逸らした。
男子高校生二人は【勇者】の称号が嬉しいようではしゃいでいるが、一人は浮かない顔だ。
……今後のことや元の世界のことを考えたら、そういう反応が普通だしねぇ。
今後どうやって生きていくか、暮らしていくか、この世界で過ごしていけるのか。
そして元の世界に残した家族や友人のことを思うと寂しさや悲しさを感じるのは当然で、突然親元から引き離されたのだから不安も大きいだろう。
男子高校生二人も今は興奮しているが、そのうち気付くはずだ。
元の世界とこの世界の常識や考え方の違い、自分を知る者が他にいないという孤独。
全てを一からやり直していくというのはつらいものがある。
それを楽しいと思えるか、思えないかの差は大きい。
「……あの子達、大丈夫かねぇ……」
まだ若い彼らには、見守って、時には支えたり導いたりしてくれる者が必要だろう。
……でも、残念だけどわたしにその役割は重すぎる。
わたしのような適当な人間では彼らを導くなんて、とてもじゃないができそうにない。
それにしても【愛煙家】という称号は便利な能力だ。
願うだけで掌に携帯灰皿が出てきたので、それに煙草を押しつけて火を消した。
できればもう一本くらい吸いたいところだが、あまり煙たくすると横の騎士に悪い。
窓辺に寄りかかりながら頭の中で【愛煙家】の称号について考える。
すると、目の前に半透明の淡い青色をした画面のようなものが現れる。
驚いたが、横の騎士が反応をしないので他の人間には見えていないようだ。
……称号【愛煙家】は煙草類を愛用している者に授けられる、か。
称号の能力は『煙草とそれに関する道具を全て無制限に生み出すことができる。自分の生み出した煙草による害は一切受けない』と書かれているが、その下にまだ文字が続いている。
視線を向けると画面が上に流れ、下の文字が上がってくる。
……いやいや、この称号ヤバいな……。
思わず無言で掌に煙草を出してしまい、意味もなく口に咥える。
火はついていないので煙は出ていない。
* * * * *
称号【愛煙家】…煙草類を愛用している者に授けられる。
・煙草とそれに関する道具を全て無制限に生み出すことができる。
・自分の生み出した煙草類による害は一切受けない。
・自分の生み出した煙草類の煙が届く範囲の情報を見聞きすることができる。
・自分の生み出した煙草類の煙が届く範囲への移動が可能。回数制限なし。
・自分の生み出した煙草類を吸っている間は一切の攻撃を受けない。
・自分の望む効果を煙草屋に付与できる。
* * * * *
……煙の届く範囲でできることがヤバい。
つまり、わたしが出した煙草を吸って、煙をどこかに紛れ込ませることができれば他人の話している内容や状況を離れていても盗み見、盗み聞きできるということなのだろう。
もしかしたらわたしの出した煙草を他人が吸っても同様に情報が分かるかもしれない。
それに煙の届く範囲に移動が可能とか、煙草を吸っている間は攻撃を受けないとか──……しかも煙草の害を受けないというのが事実なら一生煙草が手放せない身になってしまう。
つまり、煙草を吸っていればほぼ無敵ではないか。
攻撃手段はないが、攻撃を受けず、煙の流れる風下に移動しながら逃げるのは可能ということだ。
この称号による力を他人に知られるのはあまり良くないかもしれない。
あの三人が持つ【勇者】の称号よりずっと危険である。
……表向きは『煙草や道具が出せるだけ』にしておこう。
ぼんやりしていると騎士だろう青年に声をかけられた。
「吸わないのですか?」
「ん? ……うん、煙がそっちにいくからね」
さっき一本吸ったので、しばらくは吸わなくても大丈夫だ。
口に咥えた煙草を上下に動かして遊んでいると横から視線を感じたが、気付かないふりをした。
「わたしは煙草の害を受けないけど、周りは違うだろう? 喫煙者は周囲に配慮しないとね」
喫煙者が煙草による害を受けるのは本人の勝手だが、副流煙で周囲に害を流すのは別だ。
喫煙する側が配慮し、常識を持って対応するべきである。
煙草を口元で動かして遊んでいると、目の前に騎士だろう青年の手が差し出された。
その指先にポッと小さく火が灯る。
「どうぞ」
それに少し驚いた。魔法だろうか。
召喚魔法がある世界なら、火をつける魔法くらいありそうだ。
「いいの?」
「はい」
「そう……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
火に煙草の先を近づけ、火をつける。
ゆっくりと吸い、ふぅ……と吐き出す。
わたしにとって煙草とは精神の安定剤であり、栄養でもあった。
「ああ、人からもらった火で吸う煙草も美味いものだね」
久しぶりに誰かからもらった火で吸う煙草は、いつもより美味い気がした。